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第五章 トラックの上の対峙

 立項大学の付属高校である立項高校には、中央本線沿線に大学の運動サークルと共用で使っている大きな屋外練習トラックがある。野球場顔負けにナイターランプのついたそのトラックで、一人走り続けている風間さんの姿を見出すと、沼田は僕たちの止めるのも聞かずに、不用心にも開けっ放しになっている通用口から中へ入り、彼女に向って叫んだ。

「風間ぁーっ、ちょっと来てくれぇ!」

 いきなり現れた沼田の姿に驚き、彼女はややフォームが乱れたが、やがてトラックから外れてまっすぐこちらへやってくると、汗の染みた練習用のランニングウェアの裾を揺らしながら、どうしたのいきなり……と、近くに置いてあった鞄の中からタオルを出して、顔をぬぐいながら応答する。

「――お前、隠してることがあるだろ。今ここで言わねえと、お前殺されるぞ」

 一歩前へ踏み出す沼田を、風間さんはせせら笑うようにあしらう。

「なによいきなり……誰があたしを殺すっていうの?」

「――船越以外に、誰がいると思う?」

 ランプの光の外からぬっとあらわれた加賀崎さんの姿に、風間さんは手からタオルを落とし、呆然と立ち尽くす。ランニングで火照って、赤くなっていた顔から血の気がどんどん消えてゆく。

「――か、加賀崎、お前……」

「悪いがな、ここにいる橘華って子のおかげで、てめえの企みは全部露見してるんだ。――悪いことは言わねえ、あたしも着いていくから、自首してくれ」

「――証拠はあるの? あたしがあんたを襲ったっていう、証拠がさ……?」

「……いま、もう一組が船越のところへ向かってる。そっちの反応次第で、すぐにわかるさ」

 杖に身を預けて、にらむように対峙する加賀崎さんと風間さん。気まずい雰囲気が、夜風の吹き付けるに従ってどんどん激しくなり、僕と沼田、橘華さんはその様子を見守っているよりほかに術を知らず、ただただ地蔵のように黙り込んでいるしかなかった。

 と、その静寂を破るように、橘華さんの携帯電話が鳴り出した。

「――もしもし、どうかしたの……? ……なんですって。で、どっちの方へ……? ……まずいことになったわね。わかった、こっちでも動き出すわ。ありがとう、じゃあ……」

「橘華さん、どうかしたの?」

 沼田の問いに、橘華さんはややためらいがちにこう答えた。

「――やられたわ。船越さん、スミを突き飛ばして逃げたらしいの。御茶ノ水のスポーツクラブで待ち構えていたっていうから……」

「――おい、そのスポーツクラブって、すぐそこだぜ」

 沼田がわななくように、ネオンサインの輝く方向を指さす。暗がりのせいで気づかなかったが、見覚えのあるビルが、御茶ノ水駅を見下ろすようにしてそびえたっているではないか。

「彼女がやってくるのは時間の問題のようね。風間さん、早く逃げましょう――」

 橘華さんが風間の腕をつかみ、逃げるように促したまさにその時だった。バネのほどけるような音と共に、何かが風間さんの足元めがけて勢いよく飛んできた。

「――ボーガンだ!」

 沼田の叫び声に、その場の全員が身構え、辺りを見回す。トラックに突き刺さった矢は、まだ刺さった振動が抜けきらずにブルブルと震えている。

「今度はお前がやられる番らしいぜ。――これでも、吐かない気か?」

 杖を握る手に力をこめながら、加賀崎さんが風間さんに迫る。風間さんは彼女の詰問にしばらく青い顔をさらしていたが、やがて決心がついたのか、とうとう洗いざらい、自分の悪行を白状し始めた。

「――そうよ、あたしが船越にけしかけて、あんたを襲ったのよ! でも、本当はただ、あんたを脅かして、自信喪失をさせるだけだったのよ。まさか、そんな風になるなんて思わなくって……」

「バカヤロウ、そんなのが言い訳になるわきゃあねえだろうが!」

 怒りが沸点を越した沼田が、風間さんの頬へ平手打ちを浴びせる。乾いた音が、広いトラック一杯に響く。だが、そんな沼田に対する加賀崎さんの反応は冷ややかだった。

「沼田、もうそれぐらいで止しておけ。少なくとも、今はこいつも同じ被害者なんだ。――風間、この場から逃げるまでは、共闘と行こうじゃねえか。そのあとで一発、お見舞いさせてもらうがな」

 ――どうしてこの人はここまで冷静でいられるのだろう。

 僕はそのことが不思議でならなかったが、今はとにかく、どこからともなく飛んできたボーガンの矢の第二陣にあたらないようにするのを考えるので精いっぱいであった。そこから数分ほど、静かに吹き付ける夜風を身に受けながら立ち尽くしていると、真新しい革靴の音が少しずつ、僕たちの背後から近づいてくるのが分かった。

「出てこい、船越! 来るなら来い、相手になってやる!」

 杖へ体を預けながら、加賀崎さんが叫ぶ。すると、それをあざ笑うような笑いと共に、暗がりからのっそりと、セーラー服に身を包み、肩にバックをかけた船越さんが姿を現した。その右手には、小ぶりのボーガンがセットされた矢と一緒に控えている。

「元気らしいな、加賀崎。この頃姿を見ないから、とっくに自殺でもしたもんかと思ってたよ」

 言いきらぬうちに、彼女の手元から矢が放たれ、加賀崎さんの足元へ突き刺さる。

「――そこをどけ、加賀崎。私は、そこにいる口の軽い不届き者に用事があるんだ」

「……あなた、風間さんを殺して、どうするつもりなの?」

 加賀崎さんと風間さんをかばうように、橘華さんが前へと出る。

「おや、さっき追っかけてきたののお友達かい。そりゃあ、邪魔者を消すためさ。なんせ、そいつがいなけりゃ、大学選手権でも高みに登れるんだからね……」

「お前、それでもスポーツマンか! 運動やってる人間なら、正々堂々と――」

 橘華さんの背後から沼田が抗議すると、言い切らないうちに、船越さんがふたたび矢を放つ。矢は沼田の髪の毛をかすめ、近くのネットに跳ね返って地面に転がった。

「――私がどうして、自主練を一人きりでしてるか教えてやろうか」

 脈絡のないことを言いだした船越さんに、加賀崎さんと沼田はにらみを利かせながら、どうしてだ、と返す。

「――だんだん、怖くなってくるからだよ。ほかのやつらが意気揚々と走ってるのを見てると、自分は大丈夫なのか、本当にこれでいいのか、って不安になってくるんだ。そこへ行くと、泳いでるときはゴールしか見えねえからな、楽でいい」

「それが何だって言うんだ!」

 沼田は橘華さんをはねのけ、一歩踏み出して激昂する。幸いなことに、船越さんの持つボーガンは、すでに弾切れを起こしていて反撃の余地はない。

「だから、目につく不安のタネを自分で消したまでさ。前々から、そういうことをしてみたいとは思ってたが、加賀崎が再起不能になって、すっかり自信がついたぜ。邪魔な奴は、自分で消すに限るよ――っ」

「――っ!!」

 言い切らないうちに、船越さんの手からボーガンが離れ、代わりに左手に控えていた折り畳みナイフの刃が、ブレザーを脱いでワイシャツだけになっていた沼田の腕を斬りつける。真っ白いワイシャツの袖に、真っ赤な染みがさあっと広がる。

「さあ、お次はどこだ、腕じゃ生ぬるい、その健脚にひとつ、こいつを突き立てるとするかな……?」

 傷を負った右腕をかばいながら、沼田は僕や橘華さんたちを離れて、船越をよそへひきつけようと下がってゆく。このまま襲われるのを黙って引き下がっているわけにはいかないが、相手は運動神経の鋭い予科特待生だ。下手なことをすれば沼田が加賀崎さんのような体になりかねない……。

「――とどめだ!」

 船越さんが叫び、しゃがみ込んだまま沼田へと突進し、ナイフを持った手を足めがけて払おうとしたまさにその時だった。

「――船越ィ、やっぱりてめえが下手人かああっ!」

 聞き覚えのある怒声と共に、暗がりから軟式テニスのボールが船越さんの頭めがけて飛んできて、見事に命中する。

「――お嬢! 無事かあっ!」

 ナイターランプの下へ姿を現したのは、船越さんを追っていたスミさんたち三人娘だった。どうやら、先ほどのボールはスミさんがその辺に落ちていたのを放り投げたらしい。

 さて、そんな具合にして狙いの外れた船越さんは、手からナイフを落とし、バランスを崩してそのまま沼田の胸ぐらへとなだれ込む。

「――沼田ぁ、ちょっと我慢してろよっ」

 そしてそこへすかさず、加賀崎さんが杖を竹刀のように構えると、その切っ先をなだれ込んだ船越さんの背中めがけて振り下ろす。パシン、という乾いた音が、先だって沼田の放った平手打ちのようにトラックに響き渡る。

 そのまま、三人はストップモーションでもかけたかのように固まっていたが、ほどなく、船越さんがだらしのない声を上げて地面になだれ落ち、加賀崎さんは巻き込まれそうになった沼田を拾い上げて、杖を如意棒のようにクルクルと回す。

「――危なかったなあ、沼田。大丈夫か」

 僕や橘華さん、スミさんたちが駆け寄ると、加賀崎さんの腕の中に抱えられていた沼田は顔を真っ赤にして、よせやい、みっともない……と恥ずかしそうに反抗する。

「間一髪、だったわね。それより加賀崎さん、あなた足はもう大丈夫なんですか?」

 橘華さんの言葉に気づいて加賀崎さんの足元を見た僕は、地面に転がった杖に目もくれず、二本の足で平気に立っている彼女に驚き、どういうことですか、と質問をぶつけた。

「――だますつもりはなかったんだが、針治療の名医が見つかって、すっかり回復してたんだ。ただ、それが世に知れると、絶対あたしを襲ったやつらがまた襲いに来る。そう思って、ずっと隠していたんだよ」

「こいつ、妙なマネしやがって……。心配したんだぞ」

 腕に抱えられたままの沼田が半泣きになって喜ぶと、加賀崎さんはありがとよ、と、嬉しそうに好敵手の心意気を受け取るのだった。

「加賀崎、あんたもう普通に歩けるのね。……よかったわね」

 それまで黙り込んでいた風間さんが、気まずそうに回復を祝うと、加賀崎さんは思い出したように、

「ああ、ありがとうよ。――これがお礼返しだ、受け取れっ!」

 僕たちの止める隙も与えずに繰り出された拳が左頬にあたり、風間さんは反動で仰向けにひっくり返る。

「――約束は、果たしたわね」

 血のほとばしる鼻を抑えながら、転がったまま風間さんは加賀崎さんをにらんでいたが、やがて、憑き物のとれたような穏やかな顔で立ち上がると、彼女は橘華さんたちのほうに向き直った。

「――ありがとう。あなたたちのおかげで、まともな人間になれそうよ。――加賀崎、沼田、悪いけど、ついてきてくれるかしら」

 風間さんの頼みに、ハンカチで止血を済ませた沼田はポケットティッシュを差し出して、

「いいぜ、付き合ってやるよ。どのみち、伸びてるこいつを運んでいかねえとダメだからなあ。加賀崎、お前はどうする?」

「どうせ暇なんだ、とことん付き合ってやるよ」

 微笑みを浮かべて答える加賀崎さんの顔を一べつすると、様子を見守っていた橘華さんはにこりと笑って、交渉成立ね、と口にする。

「――じゃ、行きましょう」

 のびてしまった船越さんを加賀崎さんと沼田が抱きかかえ上げたのを確認すると、夜風を背に受けながら、僕たちは最寄りの交番に向かって歩き出した。

 陸上部員襲撃事件は真犯人の捕縛と共に静かに幕を下ろしたのであった。

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