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第四章 動き出す少女たち

翌日の放課後、「白鯨」のドアをくぐった僕と沼田は、待ち構えていた橘華さんたちに昨日の結果を報告した。

「――へえ、確かにそりゃあ妙な偶然だなあ。お嬢、どう思う?」

 コーラのグラスから抜いたストローをくわえたまま、スミさんが話を橘華さんへ振ると、

「今までノーマークだったのが少し気がかりね。調べてみる価値はありそうだわ。カオリちゃん、どう動く?」

「まず、一平選手の周辺を当たりましょう。もしかすると、本人の知らないところでボーガンが使われた可能性もありますから……」

 手帳から細身のボールペンを離すと、メモを取っていた島田さんはどうしたものか、と言いたげな顔で眉間にペンのお尻を当てながら考え込んでいる。

「でも、従妹のためにって、本人がやった可能性も捨てきれないねぇ。両方のセンで追いかけない?」

 ホットグラスに入ったアップルジュースをなめていた瀬古さんが、またあののほほんとした調子で、ずいぶんと的を射たことを言う。

「おっ、それもそうだな。ミツキ、やるんならあたしが協力するぜ」

「スミちゃんがいるなら、頼もしいねえ。じゃ、一緒に犯人捜ししよっか……」

 どうやって探りを入れるかで盛り上がる四人をよそに、僕と沼田はカウンター席へ移り、マスターにリクエストした映画音楽のレコードをスピーカーの音の一番聞きやすいポジションで楽しみ、コーヒーを飲んでいた。

「ひとまず、探りが入れば何かわかるだろうし、ほぼほぼ、一件落着じゃあないかなあ」

 カフェモカをちびりちびりとやりながら、「ジャニー・ギター」の旋律に合わせて、沼田は指をカウンターの上で踊らせる。

「だといいけど……僕たちだけで出来ることは限られてるからねえ。それこそ、悠一さんにでも出馬してもらわないと、核心には迫れないような気がするんだよなあ」

「ハハハ、助けてもらっただけあって、相当入れ込んでるなあ、高津は。まあ、いざとなれば話をしてみればいいじゃないか。そんなに冷たい人じゃないだろうし、さ……」

「そりゃあそうだけど、あの人も忙しいからねえ」

 このところ全く顔を合わせていないなあ、と思いながら、かつて僕を窮地から救い上げた少年探偵・山藤悠一のことをぼんやり考えていると、コンクリートの階段を小突く、杖の音がゆっくりと近づいてきた。

「――よっす、みんな揃ってるな」

「おう、お先に飲んでるぜ」

 ジャージ姿で、のっそりと杖を突きながら現れた加賀崎さんへ、すぐ隣の席をすすめると、沼田は手元に置かれたメニューを彼女へ渡した。

「学校辞めると、暇でしょうがなくてさ。家にある漫画も読みつくしたから、ここにやってきたんだが……みんないるとは思わなかったなあ」

 ほぼ貸し切り状態になっている「白鯨」の店内を見回すと、加賀崎さんはマスターにウィンナコーヒーを頼み、沼田ともども指でリズムを取り出す。

「――あまり閉じこもってると、ほかの筋肉まで萎えちまうぜ。気晴らしに、ほかの運動でも始めたらどうだ?」

「同じこと、医者にも言われたよ。水中ウォーキングでもしたらどうだ、ってさ」

「へえ、水中ウォーキングねえ」

 つい昨日、御茶ノ水のスポーツクラブのプールへ顔を出したばかりである沼田は、ちょっと苦い顔をしたが、加賀崎さんは気にも留めず、そのうち水着でも買いに行くかな、といたって普通の態度だった。と、それまで流れていた音楽が止み、代わりにプツプツという針音がスピーカーから響きだした。

「――みなさん、ちょっとラジオに替えますよ。そろそろ、ニュースの時間だしねえ」

 時計を見れば、ちょうど秒針が真上を通過し、四時ちょうどを差したところである。マスターがオーディオセレクターのスイッチをラジオに切り替えると、夕方のワイド番組、「東京ダイヤル二〇〇一」のテーマソング「四十二番街」が店内に流れ出した。だが、いつもならば担当の松脇アナウンサーの短いフリートークから始まるこの番組は、今日に限って少し様子が違った。

「――では、ここで先ほど入ってきたニュースをお伝えいたします。本日午後三時半過ぎ、日比谷公園で男性がボーガンで襲われ、腕を負傷するという事件が発生いたしました」

「……物騒な世の中になりやがったなあ」

 加賀崎さんのつぶやきに、とたんにその場の空気が気まずくなるのが分かったが、実際に起こったことが相手ではどうしようもない。と――

「――ボーガンで襲われたのは、都内在住の大学生・風間一平さん二十二才で、居合わせた大学の同級生の証言によれば、『草むらからいきなり撃たれた。あっという間で、まるでわからない』とのことで、警察では目下、現場周辺に非常線を張り、怪しい人物がいないか捜査中とのことです。以上、ニュース速報でした……」

「か、風間だってぇ」

 沼田が急に立ち上がったせいで、カウンター用の椅子が音を立てて床に転げ落ちる。ほんの少し前まで議題になっていた相手が襲われた――。

「おいおい、どうしたんだよ。風間なんて、よくある苗字じゃねえか」

 動揺を隠しきれない沼田を、加賀崎さんがなだめる。だが、沼田はすっかり興奮して、

「――ただの風間じゃねえんだ、あいつは立項の風間の従兄なんだよ!」

「しかも、あんたを襲った犯人に一枚噛んでるんじゃねえかってことで、さっきまでどういう具合で探りを入れるか相談してたとこなんだ。ちっとばかしタイムリーすぎるぜ、こりゃあ」

 くわえて、スミさんの援護射撃によって事情を把握した加賀崎さんは、青ざめた顔をカウンターの中ほどに晒している。

 かくして、意外な近道にあたったと思われた僕と沼田の発見は、無惨にもその調査の機会を逸してしまったのである。


 ところが、これで打ち切りかと思われた橘華さんとの犯人捜しは、思いがけないところから突破口が開けた。風間一平襲撃事件のもたらされた翌々日の放課後、いつものように校門を出たところで、僕は見覚えのある人影が近くの電柱に背を預けているのに気付いた。ダブルの背広に、いやに丈の長いスカートが目につく、スミさんこと東田香澄の横姿だった。

「スミさん、どうしたんですか」

「よぉ、高の字じゃねえか。――ちょいとツラ、貸してくれるかい」

 中身のほとんど入っていなさそうな鞄をけだるげに持つスミさんをやや怖がりながら、落ち着いて話のできる場所が入りようだと告げられた僕は、ひとまず新宿駅前のプランタンへと彼女を連れて行った。奥まったところにある、二人掛けの席へ座を占めると、スミさんは辺りの様子を伺ってから、僕へそっと耳打ちをした。

「――風間一平を襲ったの、やっぱり加賀崎と同じやつで間違いなさそうだぜ。証拠をつかんだんだ……」

 そういうと、スミさんは鞄の中から小ぶりのテープレコーダーを出して、差し込まれたイヤホンの片方を僕へと渡した。そして、彼女が再生ボタンを押すと、かなり遠くから録ったらしい、あまり鮮明でない音声が流れてきた。

「……今回使われた凶器についてでありますが、本庁へ問い合わせたところ、以前都内で起こった陸上部員襲撃事件で用いられたものと同じ、ミズタニのカーボンファイバー製の矢であることが判明いたしました。なお、この製品はかなりの量が流通しているため把握は難しいと思われています……」

 そこまで流したところで、スミさんは停止ボタンへ手をかける。

「ま、ざっとこんなとこだ。驚いたかい?」

「これ、警察署の中に忍び込んだのかい。どうやって……」

 捜査会議の一幕を録音したらしいこのテープの出所について尋ねると、彼女はあっけらかんと、

「なあに、簡単さ。落とし物の届け出に行って、そのあとふらりと、迷い込んだふりをして会議室のそばへ寄る……てな寸法さ。まあ、ここまで録った後に見つかって、ちょいとお小言食ったが、迷っただけ、って言ったら、あっさり帰してくれたよ。案外、警察って間が抜けてるぜ……」

 折よく運ばれてきたイチゴのクリームソーダとコーヒーをボーイから受け取ると、僕の手元へカップを置いてから、スミさんは得意げにペロリと、浮かんだアイスクリームをなめて微笑む。

「けど、押しの一手が足りないよ。量産品の矢なら、どこでだって手に入りそうだし……」

「ところがな、この二件の事件の矢には、ある共通点があるんだ。――どちらも盗難品、ってとこだよ」

「と、盗難品だって」

「まあ、聞いてみなって……」

 イヤホンを僕の耳へさすと、スミさんはそこですかさず、テープレコーダーの再生ボタンを押す。

「……なお、この二件の犯行で用いられたミズタニ製の矢は、昨年九月に豊島区のスポーツ店から盗まれたロットのものと一致しており、現在、本庁捜査三課を通して、盗品専門のブローカーなどのリストアップを行っております……」

「――ほ、本当だ」

「な、言った通りだろ? この件に関しちゃ、あたしは警察よりうわ手でね。――盗難の犯人らしいやつ、知ってるんだ」

 スミさんはニヤリと笑うと、まあ、そいつはじきにあたしが吐かせるから御覧じろ、と、得意げに言い放ち、手近のクリームソーダへスプーンを突き立てた。店を出るまで、あとは他愛もない世間話しか、彼女の口からは出なかった。

「――へえ、そんなことがねえ」

 翌日、昼休みに屋上へ呼び出して、購買のパンをかじりながらそのことを話すと、沼田は驚くとともに、こんなことを口にした。

「スミさんだけでもとんでもない感じがするんだから、あとの三人もすげえんだろうなあ。――あの島田って子が参謀で、橘ちゃんは司令官。……するてえと、あの瀬古って子はナニモンだあ?」

「知らないよ。まあ、マスコットキャラクターぐらいにはなるんじゃないかな?」

 クリームパンのひとかけを口へ押し込んでから答えると、沼田は苦々しげに、

「それにしちゃあ、ずいぶん毒味のあるマスコットだと思うけどなあ。のほほんとしてる割に、おっかないこと言うじゃんか」

 と、クリームのついた唇を指で拭いながら返す。全くその通りで、反論しようがない。そのまま黙って、予鈴にいざなわれるようにして、僕は沼田と一緒に教室へと戻ることにした。

 ふたたび、帰り際の校門でスミさんに捕まるようなこともなく、二、三日は弘之や益美と一緒に寄り道をする日々が続いたのだが、それも金曜日になって早々と終止符が打たれてしまった。

「こんにちはぁ」

 放課後、聞き覚えのあるやわらかい口調に気づいておもむろに振り返ると、おろしたての白いハイソックスが映える、きちんと制服を着こなした瀬古さんが僕の後ろに立っていた。

「やあ、こんにちは……。君がいるってことは――」

「はい、お迎えに来ましたぁ。橘ちゃんやスミちゃんが待ってるんで、一緒に行きましょ」

 言うが早く、僕の右腕に抱き着くと、瀬古さんはまるで僕の彼女にでもなったかのように、腕を引っ張りながら歩き出す。おっとりとした彼女が相手では無下に手を振り払うこともできず、僕はそのまま、「白鯨」へと連行されてしまった。

 「白鯨」の中へ入ると、どうやら一足先にスミさんによって連れてこられたらしい沼田が、向かい合わせに座った加賀崎さんや島田さん、橘華さんたちと一緒にお茶会と洒落こんでいるところだった。

「橘ちゃん、連れてきたよぉ」

「――あら、二人とも仲がいいのね」

 ソーサーを手に持ち、セイロンティーの香りを楽しんでいた橘華さんが、こちらの様子を見て楽しそうに微笑む。

「よぉ、似合ってるじゃねえか高津」

「よせよ、恥ずかしい。……んで、今日はいったい、何があったんですか」

 瀬古さんの手から文字どおり離れ、そばにあった椅子へ腰を下ろすと、僕は仔細を橘華さんに問うた。すると、スミさんが、あたしが話すよ、と代わりに返事をしたではないか。

「ちょうど高の字も来たことだから話すとするが……。あたしゃあ、この数日間で警察にしょっぴかれてもおかしくないようなことをしてきた。具体的にいやあ、隠し立てする奴を拳で吐かせた、ってなとこだが……」

 顔のあちこちに絆創膏を貼り付け、一挙一動のたびにどこかしらが痛むらしい彼女は、ゆっくりとあらましを語りだす。

「盗品ってことでカタのついてた例の矢だが、元々はそこの店の親父がまがいもんのグローブを売りつけていたのを知ったある不良学生が、復讐と称して小遣い稼ぎに店に押し入ったときに盗んだもんだったんだ。そいつ自身はそのテのことからはすっかり足ィ洗って溶接工してたんだが、そっから先、売り払った相手を探すのが苦労したよ。なんせ、あたしよりもガタイのいいワルどもが多かったからなあ。そいつらのとこ回って、必要とあれば一発、二発……ってな具合でな」

「よく無事だったな、アンタ……」

 驚く沼田に、なあに、修羅場は慣れっこでね、とスミさんは得意げに鼻を鳴らす。

「とまあ、そんな具合で聞き出してるうちに、とうとう豊島に住んでるチンピラが、半泣きになって相手をゲロった。――加賀崎、あんたを襲った犯人は、風間あやせだったよ」

「なんだって」

 加賀崎さんが弄んでいた杖が手から離れ、床の上に転がる。

 無理もない反応だ。僕ですら、あの豪放磊落な風間さんがスポーツマン精神を裏切り、あろうことか実の従兄にまで手をかけたことに驚いているのだから……。

「――間違いないぜ、盗まれた五本の全部を買っていったのは風間だ。写真を見せたら、こいつだ、ってしきりに頷いてたぜ。お嬢、どうする、このまま立項に赴いて、フン縛ってサツに突き出すかい」

 やや興奮気味のスミさんの話を、橘華さんは薄目で黙って聞いていたが、目を見開くと、ちょっと違うと思うのよね、と言ってから、セイロンティーのカップを手にした。

「違うってえと、どこがどう違うんだい、お嬢」

「――カオリちゃん、あなたが仕入れた情報、説明してあげて」

「わかりました」

 橘華さんの頼みに応じ、島田さんが話を始める。

「――スミが矢の出所を探っていた間、私は美津紀と一緒に陸上競技連盟に赴いて、加賀崎さんが出られなかった都大会の公式記録を当たっていました。この頃は写真のほかに、ビデオ録画なんかも記録として残してあるんですが、それを見ていて妙なことに気づいたんです」

「おいおい、そりゃあどういうことだよ。だってあたし、その大会に出てるんだぜ。そんなら一番、あたしが気付いてそうなもんだけど……」

 食いつく沼田に、まあ、最後までお聞きになってください、と島田さんははねつける。

「私が気になったのは、沼田さんが三位になった短距離走の録画でした。八レーンあるトラックの最右翼にいた沼田さんからは、反対側の風間、船越の二人はよく見えない。おそらくこれが違和感を覚えなかった理由なのでしょうが、ビデオはしっかりとそれをとらえていました。――美津紀、プレーヤーとディスクを出してもらえますか」

「はぁい」

 おっとりとした返事をひとつしてから、学校指定の鞄の中から国語辞典ほどの大きさのポータブルのDVDプレーヤーと、「短距離 録画 コピー」とマジックで丁寧に書いたディスクを取り出すと、瀬古さんはそれをセットして、再生ボタンを押す。

「――コピーさせてもらった録画、気になった個所だけスローで切り抜いてあるから、メニューで切り替えながら見てくねぇ」

 どうやら彼女がマスコットのようなポジションというのは僕や沼田の早合点のようだった。小さなモニターに出てきたのは、フリー素材を使ったものではあるが、まるで売り物のDVDのようにしっかりと分けられたメニュー画面だった。どうやら彼女は、007の映画で言うところの、Qのようなポジションにいるらしい。

「まず、普通に走っているやつを再生するねぇ」

 携帯電話ほどの大きさのリモコンを操作すると、モニターには沼田の姿も認められる、短距離走の様子が映し出された。リレーのように長々と写すものではないから、あっという間に勝負がついてしまい、これだけではよくわからない。

「――で、次は全体にスロー再生をかけて、おかしいなあ、と思った箇所。距離でいうと、ゴールの二十メートルほど手前だねぇ」

 次に映し出されたのは、ゴールの左斜め側のアングルから撮影された、一位の風間さんと二位の船越さんのデッドヒートの様子だった。スローをかけたせいで、かなりカクカクとした動きで二人の動きが捉えられているのだが、ある箇所まで来たところで沼田と加賀崎さんがほぼ同時に待った! と声を上げた。

「瀬古さん、今のところもう一度……」

「あらあ、沼田さん、もう気づきました? みなさん、ちょーっとだけ、船越さんの足元に注目してみてくださいねぇ」

 数秒ほど巻き戻してから再生に切り替えてもらうと、僕たちは船越さんの足の動きを食い入るように覗き込んだが、やがてあることに気づいて、思わず声を上げてしまった。

「――沼田、今、足が後ろに引っ込まなかったか?」

「――ああ、間違いない。確かに引っ込んだぜ、船越の足がよ……」

「――こいつは、意図的にやらねえとならないフォームだ。沼田、お前同じことを考えてるんじゃねえか」

 自分の顔を覗き込む加賀崎さんにややためらいながらも、沼田は思い切って口を開く。

「――あの勝負、そもそもが八百長みたいなもんだったんじゃねえかな。船越が風間を一位にして、副部長のポストに収めるための、さ……」

 ぶっきらぼうに言う沼田に、橘華さんがお見事、と拍手をする。

「カオリちゃんや瀬古ちゃんからの報告を受けて、私も同じことを考えていたんです。おそらく、『副部長職と引き換えに、特待生試験を受けるのをやめろ。さもないと加賀崎さんを襲ったことをバラす……。代わりに、大会当日は手加減して一位を譲ってやるから』とでも言ったんじゃないでしょうかね」

「そんなこと、あるもんなんですか。だって、予科特待生って実績も加味されるんじゃ……」

 ほぼほぼ門外漢の僕が気になったところをぶつけてみると、ところがそうでもないんだよ、と加賀崎さんが首を振る。

「関東体育大は完全な実力主義でね。悪く言えば、当日の試験結果次第で、今までの実績が水の泡になっちまうこともあるんだよ。それぐらいなら、在学中の実績を買ってくれる、ほかの体育大学を受けたほうがまだ楽ってもんさ。特に、部長職なんかを担ったやつなんかはな……」

「なあるほど、そういう事情があるのか。なんとも世知辛いねえ……」

 絆創膏だらけの顔をしかめて、スミさんが嘆く。全くその通りであるのだが、それでもある疑問が払しょくできない。

「すると、結局あの二人のうちの、どっちが犯人なんですか? 今の話を聞いてると、共犯、ってことになりそうですけど……」

「――私は、計画者が風間さんで、実行犯が船越さんだと考えてます。おそらく、最初は船越さんがいやいやながら、付き合わされたんでしょう。ところが、いざ実行に移して、加賀崎さんが選手生命を絶たれてから関係性に異常が生じた」

「おおかた、予想外にうまくゆきすぎたことに風間が恐怖を覚え、それにつけこんで船越が予科特待生の件を持ち出し、受験の機会を奪った――。こういうことでしょうか、小山内さん」

 島田さんの捕捉に、その通り、と、橘華さんは微笑みながら答える。

「そう考えると、風間さんの従兄である一平選手が襲われた理由も納得がいくわ。『バラそうとしたら、今度はお前が同じ目に遭う番だ』という、船越さんから彼女への無言の警告……」

「――狂ってやがる! まともな人間のやることか、こりゃあ!」

 あまりの異常さに耐えかねて、沼田が声を荒げる。

「船越のやつ、前々からよくわからないやつだとは思っていたが……。あたしたちの想像以上に、底知れねえ、おっかない奴だったんだな」

 浮かない表情で虚空を見つめる加賀崎さんは、驚きを通り越してどこか冷静になっているようだったが、怒りのおさまらない沼田は彼女の胸ぐらをつかみ、

「このままでいいのか! お前をこんな風にした奴をほったらかしにしていいのか!」

「言いわけねえだろう、けどよぉ……」

 ――弱った、これじゃあ殴り合いが始まるぞ!

 取っ組み合いに発展しそうな勢いの二人に、どうしてよいかわからず困っていた、その時だった。

「――二人とも、落ち着きなさいっ!」

 橘華さんが今まで聞いたことのないようなカン高い声で、二人のいさかいを制する。

「――おそらく、船越さんは口封じのために風間さんを襲撃……いえ、ひょっとすると殺害するかもしれません。こうして内輪もめしている場合ですか?」

 年下の相手に諫められて、沼田と加賀崎さんはすっかり意気消沈している。その反省ぶりが伝わったのか、橘華さんは少し言いすぎました、と謝罪してから、

「とにかく、第三の事件だけは何としても防がないといけません。そのために私たちが出来ることは、彼女たちに自首を促すことだと思うんです。――ひとまず、二手に分かれて、風間さんたちを連れてきましょう。説得がどこまで聞くかわかりませんが、やらないよりは断然ましです」

 彼女の言葉に異論はなかった。割り振りを決めると、僕と橘華さん、沼田と加賀崎さんは風間のもとへ。島田、瀬古、スミさんの三人娘は、一番手ごわい相手であろう、船越さんのいると思しき御茶ノ水のプールへ向けて出発した。

 ときに、午後六時過ぎ。そろそろ辺りが暗くなろうという頃合いだった――。

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