表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

恋愛を始めよう

作者: ピッチョン


 円座(えんざ)綺羅々(きらら)の友人、滝ノ宮(たきのみや)佳凜(かりん)は変わっている。


「恋愛することを人生の生きがいとしていてタイプの男の子には誰彼構わず愛想を振りまいて色目を使う習性をもつ万年発情期の綺羅々ちゃんに聞きたいことがあるんだけど」

「会って開口一番アタシにケンカ売るとはいい度胸じゃん……お? やるか? お?」

 駅から高校へと向かう通学路。並んで歩いていた佳凜から悪口ともとれる言葉を言われ綺羅々は剣幕を険しくした。

「ケンカ? 私は綺羅々ちゃんに質問したいだけだよ」

「あっそう……じゃあ早く質問して」

 普段から佳凜は何を考えているのか分からない表情で考え事をしては、たびたび突飛なことを口にして綺羅々を困惑させていた。どうやら今日もその日らしい。

「うん。『好き』っていう感情がどういうものか教えて欲しいの」

「……は? 好きぃ?」

「『恋愛感情』って言い換えてもいいんだけどとにかく、綺羅々ちゃんは誰かとお付き合いをするときには恋愛感情を抱いてるわけだよね? それがどういったものか、またどうやってそれを恋愛感情だと認識しているかが知りたいの」

「え、なになに急に? あ、もしかして佳凜ちゃん誰かに恋しちゃったとか?」

「それはない。というか恋が出来るならこんなこと聞いたりしない」

 確かに、と綺羅々は胸中で頷いた。恋をしていると自覚があれば佳凜の質問は自分で解決できるはずだ。

「えっと、恋愛感情だっけ? そんなの簡単簡単。相手のことを想うだけでこう『好き~!』って気持ちがあふれてくるやつだよ」

「その『好き~!』とはどういう感情?」

「どういうって言われても好きは好きとしか言いようがないし」

「それじゃあ困る」

「困るったってそんなの知らないよ。だいたい何で佳凜ちゃんはいきなり恋愛感情がどうのとか言い出したわけ?」

 綺羅々の問いに佳凜は少し考える素振りを見せて呟いた。

「昨日雑誌を読んでたらね」

「うん」

「世の中には他者に恋愛感情を抱けない無性愛者って呼ばれる人たちがいるらしいの」

「ふーん、それで?」

「私もそうなんじゃないかと思って」

「もし佳凜ちゃんがその無性愛者っていうのだったとして恋愛感情がどうとか知る必要ある?」

「今のうちに人を恋する気持ちがどういうのか聞いておけば、同じような状況になったときにそれと照らし合わせて自分が恋をしているのかどうか判断できると思わない?」

「……なんかややこしいこと考えるね」

「そうかな。数学でも物理でも公式を使って問題を解くのと一緒で恋愛にも公式になるようなものが欲しいってだけなんだけど」

「ははぁ、それでこの恋愛マスター綺羅々さんに教えを請おうってわけか」

「うん。年中男の子をとっかえひっかえしてるあばずれの綺羅々ちゃんなら私の求めているものを知ってるはずって思ったの」

「あばず……ちょっと佳凜ちゃんが何言ってるのかわかんないなぁ」

「あばずれ。英語で言うとビッチ」

「お? またケンカ売ってる? 温厚なアタシもそろそろ拳で応えるよ?」

 綺羅々に凄まれて佳凜が困り顔をする。

「違うの? だってクラスの子たちがそう言ってたから」

「どこのどいつだ、んにゃろー! 言っとくけど私の体はまだ清いままだぞ! こう見えて心は乙女だっつーの! そのせいで別れたこともあるけど……」

「それはともかく」

「ともかく!? アタシの慟哭をそんな簡単にスルーしちゃう?」

「もうちょっと私にも理解しやすい例を用いて恋愛感情について教えて欲しい」

 淡々とした佳凜の物言いに綺羅々は諦観の息を吐いた。

「そうしてあげたいのもやまやまだけど、佳凜ちゃんの要望には応えられないよ」

「何で?」

「自分で言うのもなんだけど、私ってホレやすいタイプじゃん?」

「そうだね」

「好みの顔の男の子にちょっと優しくされただけでキュンってしちゃうからさぁ。佳凜ちゃんが望むような答えは持ってないと思うんだ」

「…………」

 沈んだ表情で視線を落とす佳凜に綺羅々の胸が痛む。変人とはいえ友人のおそらく真剣な質問なのだ。せめて何かの役に立つことを言ってあげたい。

「じゃあさ佳凜ちゃん、好きになるっていうのを別のことに置き換えてみるのはどう?」

「別のこと?」

「たとえば一緒にどこかへ遊びに行きたいとか、歩くときに手を繋ぎたいとか、一緒に暮らしたいとか、実際に自分が相手とそうしてるところを想像をしてみて自分でもしてみたいなって思えたらそれは『好き』ってことだと言っていいと思う」

「……ちょっと携帯にメモするから待って」

 綺羅々の言った内容を佳凜がスマホに打ち込み始めた。その素直さは称賛に値するだろう。

「要するにその人と色んなことをしたいと思えるかどうか。それに尽きるわけね」

「なるほど」

「一番いいのは実際に付き合ってみることだと思うよ。学校でたまに話すだけじゃ分からないしさ。いざ恋人になってデートしたり一緒の時間を過ごすことで好きって実感が湧いてきたりもするから。まぁ相手の嫌な部分が見えてきてやっぱりダメだってなることもよくあるけど」

「だから綺羅々ちゃんは長続きしないんだね」

「そうそう――って余計なお世話だ! アタシのことはともかく、佳凜ちゃんもとりあえず誰かと付き合ってみたら? 芸能人でタイプの人とか教えてくれたら合いそうな男子探してあげるよ」

 佳凜が虚空を見つめてしばし黙りこんでから答える。

「タイプとかは分からない。これといって好きな芸能人もいないし」

「うーん、となるとどうしよっかな。テキトーな男子を紹介してよからぬことになっても困るしなぁ」

「よからぬこと?」

「佳凜ちゃんが襲われたりしないか心配ってこと。高校生の男子なんてほとんどが脳みそ性欲で出来てるようなのばっかりなんだから」

「それってダメなの?」

「だ、ダメに決まってんでしょ! 乙女の体は聖域! 不可侵のサンクチュアリ! 誰でも好き勝手させちゃダメなの!」

「でも生物としては正しくない? 子孫を残す為に雄が雌の体を求めるのは普通だと思うんだけど」

「はぁ? あ、いや、それはそうなんだろうけど、でもそういうのとは違うの! 女の子は本当に好きな相手と自然に結ばれるのが一番なの! だいたい体目当ての男が言う『好き』なんて全然心がこもってないし信用出来ないんだから」

「そういうもの?」

「そういうもの」

 言って綺羅々は深く息を吐いた。

「やっぱ心配だなぁ。男子に無理やり迫られてなんやかんやで言いくるめられた結果、簡単に体を許しちゃう佳凜ちゃんの図が浮かんでくるよ」

「失敬な。私にだって貞操観念くらいあるから」

 ホントに? と綺羅々は疑いの目で佳凜を見やった。恋愛に慣れていない人の方が案外簡単に騙されたりするものだ、というのは綺羅々の持論だが。佳凜のような人間は狼たちにとっては美味しそうなエサにしか見えないだろう。

「佳凜ちゃんさぁ、そんな焦んなくてもいいんじゃない? 高校のときに恋をしなくても、大学とか社会に出てから突然誰かを好きになることもあるかもよ? ほら、『恋に落ちる』って言葉もあるしさ、自分でも想像もしないタイミングで運命の人と出会ったりする可能性もあるじゃん」

「ということは、空から突然男の子が降ってきたり、土蔵で予期せず男の子を召喚してしまったり、転校してきた男の子が実は私を守る為に遣わされたエージェントだったりするのね」

「いや、そんな片寄った出会いの例をあげられても」

「でもね綺羅々ちゃん。私はそんな起こるか分からない不確定な未来に身を委ねたくないの。自分の人生はいつだって自分の手で切り拓いていくべきだと思う。そして行動を起こすなら早ければ早い方がいい。光陰矢の如し――人の一生なんて気付くとあっと言う間かもしれないから」

「……佳凜ちゃんホントに同い年?」

「親が出生届をすぐに出しているなら同い年だよ」

 友人の達観したような思考に若干引きながらも綺羅々は一カ所だけ共感した部分があった。自分の人生は自分で切り拓いていくべき。幸運が舞い込んでくるのを待ってるだけなんて性に合わない。だから綺羅々も運命の人を探す為に男子と交際を繰り返しているのだ。

「――うん、ほかならぬ友達の頼みだしね。佳凜ちゃんがそこまで恋愛を知りたいっていうならアタシも全力でお手伝いするよ」

「本当?」

 佳凜の表情がにわかに明るくなった。その喜びに応えるように綺羅々は自分の胸元をどんと叩く。

「まっかせなさい。佳凜ちゃんに合いそうな相手をバッチリ見つけてきてあげる。それとも合コンにしとく? 他校でも大学生でも社会人でも何でもリクエストしてくれてオッケーだからさ」

「じゃあさっそくお願いしていい?」

「お、何か思いついた相手でもいた? なになに~? 遠慮せずに言っちゃって~」

「綺羅々ちゃん、私の恋人になってくれる?」

「………………え」

 綺羅々は耳を疑った。疑いたくもなる。佳凜の放った言葉は綺羅々の予想を超えすぎていた。

「あの、佳凜ちゃん、それはどういう……?」

「だから、私が付き合いたい相手で浮かんだのが綺羅々ちゃんなの」

「――――」

 瞬間、綺羅々の脳内にこれまで佳凜と過ごしてきた日々が思い出されてきた。高校で出会ってから話すうちに気付けば一緒に行動するようになっていた。お互いに性格はかなり違っているのに不思議と気は合った。休み時間も放課後も、休みの日さえも遊んだりするような仲になった。

(ど、どうしよう……まさか佳凜ちゃんがアタシのこと……。でもそんなの困るよ! 女の子同士なんて無理だって!)

 頭を抱える綺羅々の眼前で佳凜が手をひらひらと振る。

「悶えてるところ悪いんだけど、別に私は綺羅々ちゃんのこと好きじゃないよ」

「なんじゃそりゃあ!?」

 綺羅々の脳内の映像が粉々に砕け散った。

「あ、友達としては好きだよ。一緒にいて楽しいし。でもそれは恋愛感情の好きとは違うから」

「じゃあ何でアタシと付き合いたいって話になったのよ」

「えっとね、綺羅々ちゃんの話を聞きながらどうすれば私の望む『好き』を体感できるのかって考えてみたの」

「ほう」

「まず一目惚れとか新しい出会いに期待するのはダメ。なら実際に付き合ってみることで『好き』という気持ちを発現させるのがいいと思ったの」

「はぁ」

「でも綺羅々ちゃんの言い分だと男性は性欲に流される恐れがあるから、純粋な『好き』を得られないかもしれない。だったら男性が相手じゃなければいい。ということで――」

 佳凜の小さな指が綺羅々を指した。それを受けて綺羅々は重く息を吐く。

「まぁ佳凜ちゃんの考えの流れは分かったけど、じゃあアタシじゃなくてもいいじゃんっていう」

「綺羅々ちゃん言ってたじゃない。一緒に遊びに行きたいって思えるのが『好き』なんだって。つまり、日頃遊んでる綺羅々ちゃんが私にとって一番『好き』に近い相手」

(そりゃアタシたちお互いに他に仲良い友達いないからね! いやまさか自分で言ったことがこうも我が身を追い詰めるとは……)

 佳凜に誰かと付き合えと言ったのも、『好き』とはどういうことなのかを教えたのも、全部綺羅々自身だ。これまでのアドバイスを全部活かそうと思えばなるほど、佳凜の出した結論にも納得がいく。

(納得しちゃうのが問題だよ……)

 あくまでも佳凜は恋愛感情を知るために真剣に考えているのだ。その思いをたんに女の子同士だからという理由だけで断っていいものか、と綺羅々は悩む。しかしすんなり受け入れられるほど大らかな性格もしていない。

 佳凜が慰めるように口を開いた。

「そんなに深く悩むことないよ。だって私が恋愛感情を理解できたらちゃんと別れるつもりだから」

「……それ本気で言ってんの?」

「うん」

 好きになったから付き合いたいと思うのが普通なのに、好きになったら別れると言う。その矛盾に気付いていない時点でやはり佳凜の考え方はおかしい。

(全力で手伝うって言っちゃったしなぁ。アタシに今彼氏がいたら絶対断るんだけど、この前別れたばっかりだし……気分転換にはなる、かな)

 よし、と覚悟を完了させた綺羅々はのほほんと微笑む佳凜に向き直った。

「わかった。そこまで言うなら恋人になってやろうじゃないの!」

 綺羅々が半分やけくそで言い放つと、「わぁー」と佳凜が手をぱちぱち叩いた。

 これで本当に大丈夫なのかだろうかとさっそく心配になる綺羅々だった。


 と、ここまでが朝の登校中に起こった出来事だ。

 学校にいる間は佳凜も特に変な行動をとることもなく、いつも通りの学校生活を送っていた。

 恋人になったからといって急に何かが変わるわけでもない。これまで友達だったのだからこれからも同じような付き合い方をしていくのだろう。綺羅々のそんな思惑をぶち壊すように、放課後、佳凜が唐突に言った。

「綺羅々ちゃん、これからデートしよう」

 自分の席でカバンに教科書を詰め込んでいた綺羅々は小さく嘆息した。

「……そうきたか」

「恋人になったらデートをするっていうのは私でも知ってるよ。だから帰りにそのままデートしよう」

「あぁー、はいはい。じゃあデートプランとか決めてんの?」

「そりゃあもうバッチリ」

 ぐっと親指をたててみせる佳凜に綺羅々はそこはかとない不安を感じた。

 そうして自信満々に連れられていったデートの内容はというと、駅前の百貨店をぶらぶらしながらアパレルショップを冷やかして回り、ゲームセンターでプリクラを撮り、セールをしていたミスドでドーナツと紅茶をいただきつつ雑談をするというものだった。

 ポン・デ・リングを美味しそうにほおばる佳凜を見ながら、綺羅々は淡々と言った。

「これ、いつもアタシたちが普通に遊んでるのと変わんなくない?」

 佳凜は口の中のものを飲み込んで、紅茶を一口すすりカップをソーサーにかちゃりと置いた。表情をほとんど変えずに呟く。

「本当だ。何が違うの?」

「聞いてるのはアタシ!」

「でもデートって一緒に遊ぶことなんだから逆説的に私達は普段からデートをしていたと考えられるのでは」

「友達として遊ぶのと恋人としてデートするのは違う!」

「具体的にどう違うの?」

「う……なんというかデートはもっと胸がきゅんきゅんするような、そんな感じのアレよ」

「表現が曖昧すぎて分からない。綺羅々ちゃんはどうされれば胸がきゅんきゅんするの?」

 聞かれて綺羅々は言葉に詰まった。綺羅々にもデートの明確な定義は分からないし、自分がどんなときにときめくのかもピンときていない。そもそもデートで相手にときめいたことがないから付き合っても長続きしないのだ。

「……アタシのことを言葉で褒めてくれたり、こういうところが好きってさりげなく言ってくれたり」

「綺羅々ちゃん可愛い。私みたいな人間にここまで付き合ってくれる面倒見の良さが好き」

「とってつけたように言われても……。てか付き合わせて悪いって自覚はあったんだ」

「どっちも普段から思ってることだよ。綺羅々ちゃんはおしゃれだし、可愛くなる為の努力もしっかりしてるし、実際本当に可愛いと思う。本来なら私と友達になってくれるような人じゃないのに、いつも一緒に居てくれて感謝してる。そういうとこ全部ひっくるめて私は綺羅々ちゃんのこと大好きだよ」

「――――」

 佳凜のまっすぐな瞳が綺羅々を射抜いたとき、綺羅々の顔が一気に真っ赤になった。なんて恥ずかしいことを真顔で言うのかと突っ掛かってやりたかったが、佳凜と目を合わせることが出来ない。

 ときめいた、というのとは少し違うが綺羅々の胸の鼓動は確かに速くなっていた。

「……まぁ、アタシもクラスじゃ浮いちゃう方だし、佳凜ちゃんがいてくれて良かったと、思う」

 あさっての方を見ながらぼそりと答えると、佳凜が嬉しそうに微笑んだ。その表情は綺羅々がドキっとするくらい可愛かった。

「そ、そろそろ出よっか。ずっとここにいてもしょうがないし」

 席で向かい合うのがなんとなく恥ずかしくなって綺羅々はそそくさと立ち上がりトレーを持った。佳凜もその後に続く。

 店を出るとすでに日は沈みかけていた。

「佳凜ちゃんのデートプランはこれでおしまい?」

「うん」

 じゃあこれで解散だ、と綺羅々が一安心しかけたとき、佳凜が言葉を続けた。

「だから次は……手を繋げばいいんだよね」

 佳凜はスマホを見ていた。そういえば、と綺羅々は思った。自分がアドバイスをしたときにスマホにメモしていたな、と。まさかそれを順番どおりにやろうとしているのだろうか。

「繋げばいいっていうかホントは繋ぎたくなるから繋ぐもんなんだけど、まぁいっか」

 差し出した手を佳凜が掴む。綺羅々よりも少し体温が高い小さな手のひらは柔らかく、男性の手とは大違いだ。その違いが綺羅々には新鮮に感じられた。

 とくに行きたいところがあるわけでもなく、駅の周囲を手を繋いだまま歩く。

 歩き始めて数分、佳凜がぽつりと言った。

「ねぇ綺羅々ちゃん、これって何が楽しいの? なんだか小学校のときの集団登校を思い出したんだけど」

「楽しいとかじゃなくて、じかに触れ合うのが大事なの。言ったじゃん。好きだからこそ手を繋ぎたくなるって。相手と直接繋がることでこう、胸の内側からあったかくなってくるもんなの」

「……あったかくならないよ?」

「そりゃそうでしょうね」

 不満げな佳凜に綺羅々はしょうがない、と息を吐いた。

「試しに恋人繋ぎやってみる?」

「恋人繋ぎ?」

「手を普通に繋ぐんじゃなくてお互いの指を交互に絡ませて繋ぐの。お祈りの手みたいに。カップルがよくする繋ぎ方だから恋人繋ぎって言うんだけど」

「やりたいそれ」

「オッケー。じゃあ一旦手を離して、手のひらを上に向けて広げて」

「こう?」

「そうそう。それでアタシが手をこうする、と」

 綺羅々は佳凜の手に自分の手を乗せて指の間に指を入れるようにして手を握った。佳凜もそれに合わせて握り返した。

「ほい、これが恋人繋ぎ。どう? 普通に繋ぐより強く繋がってる感じしない?」

「うん。咄嗟に手を離せないから事故に合ったときも一蓮托生になりそう」

「そういう例えはやめい。縁起でもない」

「あと指先が冷えそう」

「そういう身も蓋もないことも言わない。なら何で世の恋人たちがこの繋ぎ方をするのか理由でも考えてみたら?」

「……分かった」

 綺羅々は思いつきで言ってみただけだが佳凜は真剣な表情で押し黙ったまま考え込んでしまった。

 仕方なく綺羅々が引っ張るようにして歩きだす。駅をぐるりと回っておしまいでいいだろう。

 ただ、綺羅々の誤算は思った以上に女友達と恋人繋ぎで歩くのが恥ずかしいということだ。

 女性同士で手を繋いだり腕を組んだりするのは珍しいことではない。しかし恋人繋ぎは話が別だ。それをしている二人組がいれば当然そういう関係なのかと疑ってしまう。もし自分たちのこともそう思われていたら――人とすれ違うたびにそんなことを考えて頬が熱くなる。

 やっぱり手を繋ぐのをやめよう。そう言い出そうか迷ったが、佳凜の顔を見て口をつぐんだ。

(手伝ってあげるって言ったのはアタシの方なのに、周りの目が気になるからやめにするなんてスジが通らないよね。それにアタシだけが意識しちゃってるみたいで癪だし)

 癪ついでに繋いだ手の指先で佳凜の手の甲のあたりをさする。どういう反応を返すかと思ったら佳凜も同じように指を動かし始めた。

 自分のしていたことを相手にもされると対抗意識が湧いてしまうのが人間というもので。佳凜の指が綺羅々の指や甲を撫でるたびにそれに負けるものかと綺羅々も指を踊らせる。手を繋いでいるのか指相撲をしているのか分からなくなるくらい死闘を繰り広げてから「待った待った、一回落ち着こ」とブレイクを挟んだ。

 綺羅々は街路の植え込みの縁にハンカチを敷いて腰掛けた。

「それで、恋人繋ぎをする理由わかった?」

 佳凜もその横に腰を降ろす。

「うん」

「ホント? どういう理由?」

「指先って神経が集中してる分感覚も優れてるから、互いに指を絡め合うことで一本の指から得られる触覚を最大限まで増やしているんだと思う。それはようするに相手のことをもっと知りたい、また自分のことをもっと知ってほしいという潜在意識によるもの。つまり言葉を介さない意志疎通の手段としての最適解」

 どことなく誇らしげな佳凜の答えに綺羅々は純粋に関心した。よくもまぁ手を繋ぐことひとつとってそこまで考えを膨らませられるものだ。

 好きだから手を繋いでぬくもりを感じたい。好きだから指を絡ませて相手にもっと触れたい。綺羅々が思い描いた答えなんてせいぜいその程度。どっちが正しいかを論じるのは野暮だろう。本人がそう思えばそれが答えなのだから。

 返答を待つ佳凜に気付き、綺羅々は慌てて口を開く。

「い、いいんじゃない? 手を繋ぐことで心も繋がるものだしね」

「よし」

 佳凜がぐっとガッツポーズをしてからスマホを取り出した。

「最後は……一緒に暮らせばいいのかな」

「その思考は一足飛びがすぎるって。仲良くなっていくうちに一緒に暮らしたくなるのがベストなの」

「じゃあ暮らす為の予行演習としてお泊まりする?」

「佳凜ちゃんがそうしたいなら別にいいけど。泊まるなら土日にしてよ。それでどっちの家にするの?」

「え? こういうのってホテルじゃないの?」

「ほ……」

 綺羅々は言葉を失い、しばし茫然と佳凜を見やった。当の佳凜は何故驚かれているか分かっていない様子だ。

 少しの間意味もなく口をぱくぱくとさせて、ある程度回復した綺羅々はゆっくり深呼吸をしてから尋ねた。

「えっと佳凜ちゃん、なんでホテルに泊まろうと思ったのかな?」

「恋人同士が同衾するってそういう意味だと思ったから。家だと家族がいるから危険でしょ?」

「ホテルも危険でしょうが!? だいたい高校生同士はラブホに入れないから!」

「へぇー」

「あ、ちが、別にアタシが使ったことあるわけじゃなくて、雑誌に書いてあったんだって!」

「私何も言ってないよ」

 ひとりで取り乱して赤面する綺羅々と冷静に応対する佳凜。これではどちらが恋愛経験豊富なのか分からない。

「と、とにかく、泊まるにしても普通のお泊まり会だからどっちかの家でいいの。分かった? 分かったら返事!」

「うん、わかった」

 あやうく初めてを女友達に捧げるところだった、と綺羅々は胸中で人心地をつく。

(でも佳凜ちゃんだって初めてのはずだよね。それなのにあんなこと言うってことは佳凜ちゃんはアタシが相手でいいってこと? いやいや、そこまで考えてないだけでしょ。たんに恋人としての行動をなぞろうとしただけかもしんないし)

 悶々と悩む綺羅々を置いて、佳凜がスマホの画面を見て声をあげた。

「あ、そろそろ帰った方がいいよね」

 綺羅々もスマホで時刻を確かめる。17時半を過ぎたところだ。電車で帰る時間も考えるともう帰宅を始めた方がいいだろう。

「そだね。初日のデートにしては頑張った方でしょ」

 綺羅々は立ち上がってから敷いていたハンカチを回収し砂ぼこりを払う。ついでに横で立った佳凜のスカートも軽くはたいてあげる。

「お泊まりの件は金曜までに決めるってことで」

「うん。こういう計画立てるのってわくわくするね」

「言われてみれば、まぁ」

 泊まりに行くというのは遠足みたいなものだ。どういうことをして遊ぼうかとか、どういう寝間着を持っていこうかとかを考えるのは楽しい。そうして同じ部屋で寝ながら恋愛トークで盛り上がるのだ。

(佳凜ちゃんと恋愛トークはちょっと無理があるか)

 ともあれ綺羅々にとっても楽しみなのは間違いない。恋人として泊まるといってもこの佳凜が変なことをしてくるはずもないだろうし、存分に夜更かしして楽しんでやろう。

 そんなことをぼんやりと考えていたとき。

「あ、忘れるところだった」

 佳凜が手をぽんと叩き、綺羅々にキスをした。

「――――」

 一瞬何をされているのか分からなかった。ただ友人の顔が至近距離にある。

 人は本当に驚いたとき動けなくなるという。綺羅々もまさにそれを身をもって味わっていた。キスも初めてだった綺羅々にとっては到底理解が及ぶ出来事ではなかった。

 唇を合わせたまま数秒が経ち、数十秒が経ち、それでも二人ともぴくりとも動かない。一分以上経過しただろうか、佳凜が「ぷは」と唇を離した。

「キスってやめどきが分からないね。あと息が苦しい」

 いつも通りのトーンと表情。ようやく脳の機能が戻ってきた綺羅々は怒りに身をふるふると震わせる。

「な、な、な――」

「ほら、いこ」

 佳凜が綺羅々の手を引き、駅の入り口へと歩きだした。

 色々言いたいことはあったがここから離れるのには賛成だ。近くにいた通行人たちの好奇の視線が痛い。

「なんで急にあんなことしたの」

 綺羅々はなるべく声を抑えて前を行く背中に問いかけた。

「恋人って別れ際にキスするんでしょ? 電車の中だとさすがにまずいと思って」

(外でもまずいんだっての!)

 恋愛感情について学ぶ前に常識から教えないといけないかもしれないと綺羅々は今更ながら思った。

 歩を進めながら自分の唇に触れる。ここにさっき友人の唇が重なっていた。感触は覚えていない。そんなことを気にする余裕はなかった。もし次があるならキスの感触や味についてもっと分かるのだろうか。

(泊まりに行ったときも、キスするつもりじゃないでしょーね)

 同じベッドに横になって互いに向き合ったまま顔を寄せていく。自室という閉鎖空間で、電気が消えれば誰の邪魔も入らない場所で、キスをする。

「――――」

 その光景を想像したとき、綺羅々の心臓が大きく跳ねた。鼓動はトクトクと速さを増しながら全身に響いていく。落ち着かせようと深呼吸を繰り返しても心臓はおとなしくなってくれない。

 綺羅々はその感覚に心当たりがあった。これまで何度も経験しては消えていった切ない感情。

(ウソ、ウソウソ。こんなの絶対ウソだって。さっきまで何ともなかったじゃん。それがキスされただけでこんな――)

 頭を振って湧き出た感情を否定する。しかし脳内の綺羅々たちがキスをするたびに動悸は強くなっていく一方だった。

(べ、別に佳凜ちゃんとキスしたいなんて思ってない。寝るときに抱き締めてキスして欲しいなんて思ってないし、朝寝ぼけたアタシをキスで起こして欲しいなんて思ってない――)

「大丈夫、綺羅々ちゃん?」

 佳凜が立ち止まり振り返っていた。場所はすでに改札の前まで来ていた。

「あ、あはは、大丈夫大丈夫。ちょっと考え事してただけだから」

 繋いでいた手を離し、綺羅々は何でもないと笑ってみせた。

 佳凜は小首を傾げたあと特に気にした風もなく改札を進んでいった。

 すぅ、はぁ――。

 綺羅々はもう何回目になるかの深呼吸をして、ぐっと拳を握った。恋愛を教える立場の人間が恋愛も知らない友達に翻弄されてどうする。

 いや、考え方を変えよう。むしろこれはチャンスだ。もし佳凜のことを好きになってしまったのなら、恋人である現状に何の不満もない。もし勘違いであったなら、それはそれで気にせずアドバイスを続ければいいだけ。

(この感情がホントの『好き』なのか、アタシが自分で確かめてやろうじゃんか)

 決意を胸に綺羅々は佳凜の後を追った。改札の中では壁に寄った位置で佳凜が待っていた。

 佳凜の表情は相変わらず読めない。綺羅々の悩みなど気にしていないのか、分かった上で表情に出していないのか。だがもう綺羅々にはどっちでも良かった。

「お待たせ」

 綺羅々も表面上は平静を装って、佳凜の元へ近寄った。そこに着くのを待ってから佳凜はホームに向かって歩き始める。先を行こうとするその手を、綺羅々は捕まえた。

「?」

 不思議そうに繋がれた手を見る佳凜に、綺羅々は言い放つ。

「恋人はこれが普通なんでしょ?」

 繋いだ手の指を絡ませながら綺羅々は頬の熱さを誤魔化すように微笑みかけた。



            終

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ