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スペクルム カノン  作者: うさぎサボテン
第七章 水鏡が示す真実 後編
90/200

6.

 華音が1階の廊下を歩いていると、チャイムが鳴った。

 踵を返して玄関のテレビドアホンの映像を確認すると、漆黒の髪と瞳を持った綺麗な女性が映っていた。


(母さん……?)


 母が突然帰ってきた事に疑問を抱きつつ、通話ボタンを押した。


『華音。良かったぁ。居なかったらどうしようかと。ねえ、開けてくれる? まあ、鍵持ってるんだけどね』

「あ、うん」


 解錠ボタンを押すとカチャリと玄関が開き、ヒールの音を響かせて母が入って来た。

 華音は母のスリッパを用意する。


「あら。ありがとう」

「お帰り」

「ただいま」


 以前よりも距離は縮まったが、まだ親子としてはぎこちなかった。どちらも笑みを顔に貼り付けているだけで、影が差していた。

 それを誤魔化そうと、母は第三者をそこに引き入れようとする。


「水戸は? 本来なら貴方ではなくて水戸が出迎えるべきではないのかしら」

「たまにはオレでもいいだろ? それより母さんが連絡もなしに帰って来るなんて珍しいね。何かあった?」

「何か理由がなければ駄目かしら?」

「あ、いや。駄目じゃないけど」


 ぎこちない距離感を保ちながら、2人はリビングへ向かった。

 母は重厚な鞄ときっちりしたジャケットを放ってソファーで寛ぎ、華音は隣に腰掛けた。


「やっぱり家が落ち着くわね」

「そりゃあね。さっきの話の続きなんだけど、オレが居なかったらどうしようって事はオレが居なきゃ意味なかったって事だよね。つまり、オレに何か用があって帰って来たんじゃないの?」

「鋭いわね。そう、私は華音に……――――あ! モンブランじゃなぁい」


 母の意識は華音から逸れ、目の前のローテーブルに置かれたモンブランへと向いた。

 母が手に取ろうとすると、華音が制した。


「ごめん。それは母さんに買ってきた訳じゃないんだ」


 母はきょとんと手を下ろした。


「え? でも、3つあるわよ? この家には3人しか居ないじゃない。私、華音、水戸……ほら」

「まあ、オレの分はあってもなくてもいいんだけど。えっと……」


 早速、別次元から来た幼女姿の魔女の説明を上手くしなくてはならないと言う非常事態に直面した。

 水戸の親戚だと言う事で話が落ち着いた筈だが、いざ口に出そうとするとなかなか声にならなかった。

 そこへ――――


「月下の水面で舞い踊りし水の精の化身、魔法少女チカゲ此処に……」


 フリフリの衣装に身を包んだ水戸がノリノリで登場し決めポーズを取ろうとしたところで、華織と目が合った。


「水戸……? 貴女何をしているの?」

「か、華織様……? え、ええええええ」


 水戸はわなわな震え出し、遂には顔を真っ赤にして逃げ出した。


「いやああぁぁっ!! 今のはなかった事にして下さい――っ!!」


 母は目を瞬く。


「何だったのかしら」

「あはは……」


 華音は笑って誤魔化す。

 水戸と入れ違いに、白兎を連れた金髪ツインテール幼女がリビングに入って来た。


「チカゲは元気だなっ。なかなか似合っていたのに。おぉ! これがモンブランか。この前のチラシに載ってたやつでアルナが気になっていたやつだ。アロマーネの作るスイーツも絶品だったが、こっちの世界のパティシエ達の作るスイーツも食べてみたかったんだ」


 アルナが華音と母の間に座り、素手でモンブランを掴んで丸ごと口に押し込んだ。

 母の視線はずっとアルナに向いていた。


「だ、誰? この子……。お行儀悪いし」


 アルナは口をもごもご動かしながら母に顔を向けた。

 まだ言葉を発せないアルナに代わり、覚悟を決めた華音が紹介した。


「アルナって言うんだ。水戸さんの親戚で、暫く家で預かる事にしたんだ。あと、肩に乗ってる兎はほわまろ」

「そう。水戸の……。あぁ、さっきの水戸の不思議な格好はこの子の為だったのね」

「うん。魔法少女ゴッコしてたんだって」


 母が都合良い解釈をしてくれたので、華音もそれに話を合わせておいた。


「母さん忙しいからさ、オレも水戸さんも母さんに伝える事が出来なかったんだよ。驚かせてごめん」

「ええ、それは構わないわ。ふぅん。アルナちゃん、初めまして。私は華音の母の鏡崎華織。よろしくね」


 母がアルナに微笑むと、アルナは口周りのクリームをペロリと舐めニッと八重歯を見せた。


「お前がカノンの母か。アルナはカノンの嫁となった。だから、お前はシュートメだなっ。末永くよろしく!」

「え? どう言う事? 何かの遊びかしら」

「そ、そうだよ。こんな小さい子の言う事を本気にしたら駄目だよ」

「失礼だなっ。アルナは何百年も……むぐっ」


 華音はアルナの口を塞ぎ、きょとんとしている母に苦笑した。


「ね? 母さんもよかったらモンブラン食べてよ」

「え、ええ。じゃあいただくわ」


 母がモンブランを食べ始めたのを横目に華音は一息つく。と、首筋に鋭い痛みが走った。


「いった……。ほわまろ、何だよ」


 ほわまろは何かを訴えるかの様に華音の首筋をガジガジ。

 すると今度は腕をぺちぺち誰かに叩かれた。その腕の先にはアルナの顔があって、手のひらは彼女の口を塞いだままだった。

 アルナはもがき苦しみ、離せと必死に目や仕草で訴えていた。


「あ。ごめん」


 華音が手をどけると、アルナは深呼吸しほわまろからの攻撃も止んだ。

 アルナとほわまろが暫し大人しくなり、母もモンブランを食べ終えた頃。家政婦水戸がパステルイエローのエプロン姿で戻って来た。


「先程はお見苦しいところをお見せしてしまい申し訳ありませんでした。ところで、今から昼食を作るんですけれど、華織様も召し上がっていかれますか?」

「そうするわ」

「それでは少々お待ち下さいませ」


 水戸は一礼すると、速やかにキッチンへ移動し調理を始めた。




 ダイニングテーブルにざる蕎麦と海鮮丼が人数分並べられ、皆席に着いた。華音の分だけは蕎麦も丼も大盛りだ。


「華音。貴方、そんなに食べるの?」


 母は初めて知る息子の食生活に目を丸くした。


「いつもこんなもんだよ」

「そうなの。その割には痩せているわね」

「体質かな。母さんも……父さんも痩せ型だし。さあ、食べようよ。アルナも待ちくたびれている事だし」


 華音の正面に座るアルナは幼子の様に足をぶらぶらさせ、手元のフォークとスプーンを弄んでいた。スペクルムには箸を使う風習がない為、当然アルナは使う事が出来ないし使う気もなかったので、蕎麦であろうと焼き魚だろうとどんなメニューに対してもこの2つ(時々ナイフ)を使用する。

 皆で手を合せて食材に感謝を捧げて料理に手を付けた。

 母は蕎麦を麺汁に付けながら目を細めた。


「皆で食事するなんて久しぶり。こう言うのも良いものね」

「それならたまには帰って来ればいいよ」


 華音は生エビを噛み締める。

 息子の横顔は以前程の嫌悪感はなかった。

 母は安心して蕎麦を啜る。


「そうね。そうしましょう」

「ところで失礼かと思いますが、華織様は何故ご帰宅されたんですか?」


 水戸は華音が買ってきてくれたモンブランを視界に入れながら、目の前の食器を空にしようと箸を進めた。

 母は一旦箸を置き、天井を見上げた。そこに今は亡き夫の顔を思い描いて。


「お盆でしょう? 随分と一緒に行っていなかったから……音夜のところに」

「そうだね。なるほど、だからオレが居なくちゃ駄目だったのか」


 いつの間にか、華音は丼を空にして蕎麦を食べ始めていた。


「華音、一緒に行きましょう? 嫌だったらいいのだけれど」

「そりゃ勿論いいよ。予定もないし」

「本当? 良かった。でも、華音……予定ないって、ちゃんと友達居るの?」


 母は急に息子が心配になった。


「予定ない=友達居ない訳じゃないからね? 居るよ。ただ、本当に友達って呼べるのは刃と雷ぐらいだけど」

「これは失礼。あぁ……あの子達ね。見た目はやっぱりちょっとまだ受け入れられないけれど……。そう。信頼出来る友達なのね」


 母の心は何も知らずに外見だけで嫌悪してしまった華音の親友に対する罪悪感で溢れそうだった。


「メラビアンの法則によれば、他人の第一印象って視覚情報が55%を占めるって言うからね。外見があれだから、まあ……仕方ないよ」


 華音はもうとっくに母の事を許していた。


「オボン、オトヤ……一体何の話をしているんだ? 出掛けるのならアルナも一緒だぞ?」


 麺汁まで平らげたアルナが純粋な顔で親子2人を見た。


「んと……お盆は日本の風習。亡くなった人の霊を祀る行事で、主にお墓参りをするんだ。他にも色々あるけど、説明が長くなるから省略。ちなみに都内では7月に行う人が大半なんだけど、オレの家では8月に行うんだ。父さんの実家は地方だからそっちに合わせてるんだよ」


 華音の説明に、何となくアルナは頷いてみせた。あどけない顔は納得していなかった。


「それでは私はアルナちゃんとお留守番していますので、2人で行って来て下さいませ」


 水戸が柔らかい表情を浮かべると、意外にもアルナは不満の声を一言漏らしただけでそれ以上は大人しくしていた。

 母子の亡き父との再会を邪魔しようなどと、幼女姿の魔女も思わなかった。

 アルナはほわまろをそっと撫で、何百年も前に死別した家族を思い出した。尤も、記憶には殆ど残っていなかったのだが。


「じゃあ、食べ終わったらすぐに出発よ」


 母は蕎麦を完食し、丼に箸を付けた。

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