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スペクルム カノン  作者: うさぎサボテン
第六章 水鏡が示す真実 前編
84/200

15.

 亜熱帯の森、そこが修学旅行最終日を迎えた鏡国高校の生徒らが立ち入った場所だった。

 数名のインストラクターの案内のもと、クラス順に進んでいく。華音達のクラスはE組なので最後尾、更に班ごとに列を作っており、華音は最後尾の中の最後尾だった。

 此処では動きやすく、且つ汚れても良い様に、生徒達は体操着にビーチサンダル、職員達もラフな格好をしている。

 360度何処を見渡しても緑が覆い、シダ植物が彼方此方に垂れている。今の時間容赦なく地面を叩く太陽光も控えめになり、濃密な澄んだ空気が辺りを包んでこの時季でも歩きやすい。また、途中に川や滝などの水場があって十分涼む事が出来た。

 だから、生徒達の元気も有り余っている。

 刃は木から垂れ下がった蔓に掴まり、早速遊び始めた。


「やっほー! これ、めっちゃ楽しい」


 刃を吊るした蔓は、空中をビュンビュン行き交う。直に浴びる風は心地が良く、身軽になった気分を味わえた。

 まさに自然が作り出したアトラクション。

 宮本と品川が次は自分の番だと宣言し、刃の後ろへ並び始める。

 雷と華音はまったく興味なし。並ぶ筈もなくサッサと先に進もうとし、雷が呆れ顔で振り返る。


「小学生じゃねーんだから。ほら、置いていかれちまうぞ」

「そりゃ困る」

「置いてかないでくれ」


 宮本と品川がすぐにその場から離れ、残された刃は慌てて蔓から飛び降りる――――が。


「うおぁ!?」


 着地に失敗して顔面から見事に地面の上にダイブした。


「いてて。あーあ。体操着汚れちまった」


 起き上がった刃は顔についた泥を手の甲で拭い、前方へ視線を向ける。

 もう仲間達の姿は小さくなっていた。


「酷い、華音ちゃん! 桜花ちゃんの時はすぐに駆けつけたのにぃ!」


 華音は足を止め、振り返る。


「お前は自業自得だろ」


 そのまま待ってくれるものだと刃は期待したが、すぐに華音は顔の向きを戻して歩いて行ってしまった。


「ああっ、ちょっとぉ!」


 慌てて刃は追い掛けた。



 結局華音達4人は刃を待ってあげ、そのおかげで前の列と少しばかり距離が開いてしまった。

 刃は4人に感謝し、もう寄り道はしないと口先では誓うもののまだ視線が彼方此方に飛んで落ち着きがない。

 そんな刃のお守りを華音が引き受け、隣を注意深く歩く。


(子供か。そう言えば桜花は大丈夫かな。川辺で足を滑らせてたりとかは……ありそうで心配だな)




 華音の予想通り、先を歩いていた桜花は川辺で足を滑らせた所近くを歩いていた柄本に助けられていた。


「ごめん……柄もっちゃん」

「いいよー。もう、桜花ちゃんってホントにドジだよね」


 桜花には、自分よりも背の低い柄本が大きく逞しく見えた。


「気を付けてはいるのだけれど、気付いたら転んでたり壁にぶつかってたりするの……」

「それは大変。だけどさ、可愛いと思うよ? ほら、護りたくなるって言うか。ああ、此処に鏡崎くんが居ればよかったね」

「な、何で華音が出て来るの」

「ずっと気になってたんだけど、桜花ちゃんも鏡崎くんもお互いに下の名前で呼び合っているよね? それって仲良い証拠なんじゃないの?」

「そ、それは違うの。わたし、華音の苗字はどうも噛んじゃうから……。それに、わたし自分の名前が気に入ってるから、華音だけじゃなくて皆にそう呼んでもらいたいなって」

「あ。そうだったんだぁ。あはは、確かにカガミサキカノンって発音しづらいよね。私も日向って名前気に入ってるけど、柄もっちゃんってずっと呼ばれ続けてるからなぁ。もう何でもいいかも」

「うん。いい名前だよね」


 桜花は足元に注意を十分に配りながら、前列に続いて川辺を無事通過した。


(名前、か)


 最初の頃、華音は自分の名前が好きではないと言っていた。華やかだなんて皮肉みたいだからと……。

 けれど、名前と言うものは個々を示すものであり、唯一無二だ。たとえ、同姓同名であろうと、そこに込められた想いは違う。子供を授かり、名前を付ける親は誰だって想いを込める。

 華音と言う名前もきっと、何か想いが込められている筈だが……。

 それを華音が知る事となるのは当分先かもしれない。





 それから10分は軽く経過したが、一向に景色は変わらず緑一色だった。

 最初こそ雄大な自然に幼子の様に瞳を輝かせていた生徒達もうんざりとし、輝きを失いかけていた。疲労感が積み重なっていく。

 まだ緑に覆われた道は続く。


「まだ続くのか、チクショー!」


 刃が盛大に不満を叫んだ。近くを歩く者は「さっきまではしゃいでいたくせに」と冷ややかな目を向け、華音は家で帰りを待ってくれている金髪ツインテールの少女を連想した。


「好奇心旺盛、飽きっぽい……やっぱり子供だな」

「何か言ったか、華音」


 刃は焦げ茶色の瞳でぎろりと華音を睨む。目尻が垂れている為、あまり迫力はなかった。


「いや? なんでも――――」


 カサッ。


 前方の草むらが揺れ、華音の言葉は途切れた。刃、雷、宮本、品川も、緊張した面持ちで草むらを注視する。

 黒く割と大きな影が一瞬見えた。


「何だ? 今の……。動物?」


 大自然の中であるから、刃の発言は強ち間違いではなかった。

 しかし、それを見た全員が悪寒を感じていた。

 華音は一歩踏み出す。


「……皆からはぐれない様にしよう」


 班全員が頷き、これまでで一番慎重になった。

 幸いまだ列から離れておらず、インストラクターの声が聞こえた。

 ところが、その平和はそれまでだった。

 インストラクターの声を掻き消す様に、彼方此方で悲鳴が上がり始めたのだ。

 前列の方から炎が燃え移る様に、後方へ騒ぎが伝染していきあっという間に辺りは騒然とした空気に包まれた。


「一体何が起きてるんだ……」


 華音は呟くが、此処からでは全く騒ぎの中心が見えない。

 宮本と品川は恐怖と不安のあまり石像と化し、刃はオロオロと頻りに辺りに視線を彷徨わせ、何とか平常心を保てている雷でさえも拳を握ったままそこから一歩も動き出す事が出来なかった。

 その時、また草むらが揺れ動き先程よりもハッキリとした輪郭が前方で固まる生徒達の中へ飛び込んでいった。

 あれは狼だった。黒い影を纏い、赤い双眸を滾らせる……。


「止めなくちゃ!」


 華音は列から離れ、駆けていく。

 刃と雷がハッと気付くが、彼を呼び止める事は叶わなかった。




 鬱蒼と生い茂る植物に行く手を阻まれながらも、華音は足を動かし続けた。向かうのは前列、魔物が飛び込んだ場所。


「……もう遅かった!」


 やっとの事で辿り着いたが、インストラクターと大半の生徒、職員が既に意識を失っていた。

 まだ意識のある者達も恐怖でその場に縛られている。

 華音は辺りに視線を飛ばし、次の獲物へ飛び掛ろうとする魔物の姿を見つけ足元に落ちている枝を投げ付けた。

 見事頭部へ命中。気絶させる事は出来なかったが、標的を変更させる事に成功した。

 華音は向かって来る魔物に背を向けて走っていく。

 隣をいつの間にか、使い魔が飛んでいた。


「ゴルゴ! こんなところに鏡なんて……って、え? こっち?」


 ゴルゴが華音の前へ出、元来た道へ戻っていく。

 後ろからはカサカサと魔物が草を掻き分け追ってくる。

 華音はなるべく振り返らない様にした。視覚の代わりに聴覚が働き、魔物が迫る音を拾った……それも複数。


(数が増えてる)


 視界の端々にポツポツと赤い光が点灯し、一気に不安になった。

 やがて華音にとって見覚えのある風景に変わっていくと、清流の音が聞こえた。

 膝下程度の水が溜まった場所に出て、ゴルゴはそこで進むのを止めて羽ばたいて嗄れた声を上げた。


「カノン、今回は結構な被害だ。急がなければ死人が出るぞ」


 微かに揺れる水面からオズワルドの声がし、近付いてみて華音は納得した。


「水鏡、か」

「そう。水も立派な鏡だ。嘗ては鏡の代わりにしていたと言うからな」

「それにしても、何でこんなところにまで魔物が……」


 辺りを見回したが、上手く撒くことが出来たのか赤い双眸は何処にもなかった。

 華音は水面越しにオズワルドと手の平を合わせた。

 瞬間、そこから青光が生まれて2人と使い魔を飲み込んだ。

 眩い光の中で、華音とオズワルドは向かい合う。

 華音のもとへふわりと近付いたオズワルドは華音を抱き締め、耳元で囁いた。


「此処にはまだ生命力を奪われていない者も居る。もしその者達に私が憑依したお前の姿を見られでもしたら……。カノン、お前は一生私の姿のままだ。たとえ、私の魂がスペクルムに還ってもな」

「ちょ……え!?」


 華音は思わずオズワルドを突き放そうとしたが、オズワルドがそれを許さず、いつも通り魔法使いの身体が華音に重なる様にして消えていった。

 不安な面持ちの華音の姿は、悲しくも別次元の自分と全く同じになった。

 光が消え、内にオズワルドの気配を感じ取ると華音は落胆した。


「そんな重要な話、先に」


 してよ、と続けようとした時、草むらが大きく揺れ動いた。闇の中に赤い双眸は覗えないが、状況からいって魔物。

 華音は杖を構えた。

 草むらから黒い影が2つ分現れ、太陽の下で輪郭と色彩が明らかとなる。


「え……。そんな」


 それは雷と刃だった。

 2人も華音と同じ気持ちで、足を止めてポカンと口を開いた。


「華音……なのか?」


 雷の声で、一層辺りが凍り付いた――――。

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