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スペクルム カノン  作者: うさぎサボテン
第五章 月夜のパレード
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9.

 先程のオルトロスの天まで響かせた悲痛の叫びは、仲間を呼ぶ為のものだった。

 5体のオルトロスを前に、マルスは傷だらけの兵士達を見回し柄を強く握った。





「どうしたの? お兄ちゃん」


 足を止めたオズワルドの背中から、舌足らずな女の子の声がした。


「……いや。何でもない」


 オズワルドは静かに答えると、女の子を背中から下ろした。

 足を怪我していて上手く立てないその小さな身体を支えてあげ、視線を合わせた。


「此処なら安全だ。だが、皆が避難しているところまで行った方がいいだろう。――――この娘を頼んだ」


 最後の言葉は周りで息を切らしている大人達へ向けられ、彼らはオズワルドから女の子を受け取って頼もしい笑みを見せて大きく頷いた。

 彼らの様子に満足し、踵を返そうとするオズワルドのすぐ傍にいた女性が遠慮がちに彼の細い腕を掴んだ。


「ちょっと……あなた、まさかあそこに戻ろうって言うんじゃ?」


 オズワルドは何も言わず、するりと女性の拘束から抜け出して歩いて行った。

 女性は手を振り解かれた状態のまま、小さくなっていく背中を呆然と眺めた。

 先程までオズワルドに背負われていた女の子も、周りの者達も、皆一同に不安を抱いた。しかし、反面、何故か畏怖の様なモノも感じた。

 一見すると唯の少年だが、その言葉や態度は上に立つ者の威厳があり、不安を抱きつつも皆の足は自然と前へと踏み出した。



 オズワルドは歩く速度を上げ、最終的には走り出した。

 優れた聴力は魔獣の咆哮と、増援の足音をハッキリと捉えた。数秒前までは、マルス達の完全勝利で一件落着の流れだったのに、事態は急展開。

 現在、戦況は非常にまずかった。


(マルスは強いが、他の者達は殆ど戦えない! オルトロス5体の相手なんて不可能だ。ハートフィールド王家のお膝元で死人を出す訳にはいかない!)


 オズワルドが片手を掲げると、上空から物凄い速度で大きな鳥が飛んで来た。

 ほんのり青みがかった茶色い羽毛の猛禽類――――(わし)だった。

 鷲はオズワルドの手首に止まり、小首を傾げた。


治癒術師(ヒーラー)を呼んできてくれ」


 主の命を受け、再び鷲は上空へ舞い上がって、来た時と同じ速度で羽ばたいていった。

 大きな羽がひらりと舞い落ちた。

 増援は間に合わないし、必要ない。自分が1人行けば十分だと、オズワルドは絶対なる自信を持っていた。

 誰も居なくなって静寂に包まれた街道を、宮廷魔術師は駆け抜ける。





 マルスは長剣を抜き、一番手前のオルトロスの真横へ回って剣を薙ぐ――――が、寸前でもう1体が飛び掛ってきて、宙返りして元の位置へ着地した。

 兵士達2、3人で1体を相手にするも、簡単にあしらわれてしまい、また何名かが地面に転がされて血を流した。

 オルトロスの2つ頭に加え、身体の一部である蛇が縦横無尽に暴れ回る。建造物が壊れていき、街そのものの被害も拡大していく。

 蛇のせいで、オルトロスの背後を捕るのは容易くない。

 マルスは次々と襲い来る魔獣達に剣を振るい、微かに巨体に傷を刻んでいく。


「切りがないっすね……!」


 前方を相手にしていると、後方からもう1体攻めて来て、その場で剣を一振り。前方の強面を切りつけ、後方へとその剣先を向ける。

 素早く伸びてきた前足を剣で払い、下から上へ向かって巨体を切り上げる。鮮血が迸り、マルスの頬にも付着した。

 マルスは手の甲で血を拭い取ると、視界の端で蠢いた影に向かって蹴りを入れる。右手に握る長剣は眼前の牙を砕く。

 1体のオルトロスは軽く吹き飛んで地面に転がり、もう1体のオルトロスは牙を失って天へ向かって嘆いた。

 残る3体が3方向から、マルスを包囲し、その陣をどんどん狭めていく。

 陣の外では、兵士達がほぼ全員敗北を示している。

 マルスは舌打ちし、向かって来るうちの1体の頭部へ飛び乗って剣を突き立てる。悲鳴を背後に受けながら、もう1体へ飛び乗り、同じ作業をする。そして、3体目も同様に片付ける。

 寸陰の間に視界が豁然(かつぜん)とするも、先の負傷させただけの2体が既に待ち構えていた。

 2つのブレスが同時に放たれ、途中で互いを取り込んで膨張。巨大な炎の波がマルスに迫る。

 すぐに後ろへ飛び退くが、頭部から血を流すオルトロスに不意打ちをくらってしまう。

 右肩に鋭い牙が食い込み、力任せに外すと血がドバっと流れた。

 右肩を押さえてよろけた所へ、更に戦闘復帰を果たした2体が容赦なく襲いかかる。

 マルスは激痛に耐えながら、剣を左手に持ち替えて振るう。

 こうしている間に、また5体のオルトロスに完全包囲されてしまった。

 肩で呼吸する騎士に、先程までの余裕はあまり感じられない。

 普段の騎士としての格好をしていたのなら、まだ軽傷で済んだ。宮廷魔術師の様に、見える範囲内の空間移動を一瞬で行う魔術も使えなければ、治癒術師の様に、相手の攻撃を防ぐ魔法の壁を張る事も出来ない。それ故、生身の戦士の装備は絶対だ。

 マルスは肩から伝った血で真っ赤に染まりゆく右手を眺め、手首を強く握って歯噛みする。


(普通に戦っても、僕には勝目はないか……。それなら、魔術を)


 辺りを確認するが、視界を埋め尽くすのは魔獣のみ。

 マルスは1つ頷くと、手元にマナを引き寄せる。

 マナは紫色の雷光を散らし、バチバチと音を立てる。


(あんまり目立ちたくないけど、仕方ない)


 ――――ビュッ。

「ぐがっ!?」


(は?)


 視界の端で透明な何かが一瞬で横切った……かと思えば、魔獣がぐらりと倒れ込んで来た。

 マルスが避けると、次々と魔獣達は身体を穿たれて倒れた。

 マルスは目を瞬かせ、傍らで倒れる魔獣を見下ろした。


「まさか、これって」


 身体の風穴は水で濡れていた。

 視線を正面に向けると、少し離れたところに宮廷魔術師の姿があった。

 オズワルドは弓に、水で象った矢を番えていた。


「マルス。伏せろ」

「は、はい。……?」


 マルスがオズワルドの指示に従うと同時に、頭上すれすれで矢が後方へ飛んでいった。

 魔獣の悲鳴がし、見事に矢はしつこく立ち上がった魔獣を貫いた。

 膝を付いていた兵士達、瓦礫に隠れていた野次馬達は、急な助っ人に喫驚し、戦場を美しく掻き乱す姿に一瞬で目を奪われた。

 オズワルドは弓を空中へ放り、白梟の姿へ戻ったそれの羽音を頭上に浴びながらマルスに言った。


「そこから離れろ」


 オズワルドの周囲のマナが大きく動く。

 マルスは全身でそれを察知し、粟立ち始めた二の腕を摩ると、オズワルドの方へ走った。

 マナが風の如く吹き荒れ、オズワルドの帽子が吹き飛ぶ。

 ふわりと靡く水色の髪に、マナの淡い青光を映す琥珀色の瞳。水の様にたおやかでありながらも、力強さを感じさせる美しいその姿は、この場にいる誰しもがよく知る宮廷魔術師オズワルド・リデルだった。

 皆、衝撃を受けて、いつも通り嫌悪する暇はなかった。

 オルトロス達は荒い呼吸を繰り返しながら、突っ伏したまま。

 清らかな空気が渦巻く――――と、1体のオルトロスが足を引き摺りながら起き上がって口をガバっと開く。

 すぐに気付いたマルスが長剣片手に、オズワルドの前へ駆け出す。が、それよりも早く大口からブレスが詠唱する宮廷魔術師へと放たれた。

 周囲の悲鳴が木霊する中、ゴォッと大きな音を立てて炎がオズワルドを丸呑みした。

 しかし、それはほんの一瞬。炎は強い力に弾かれ、紅蓮の花びらを舞い散らせた。

 オズワルドは花びらの中、平然と詠唱を続けていた。

 彼の周りだけ、涼しげで清らかな空気が漂って、醜い炎はまるで近付けないようだ。

 水の加護を受けしオズワルドに、炎など効かないのだ。

 渾身の攻撃に全く動じない相手を前にオルトロスは怖気づき、オズワルドは口角を引き上げて勝ち誇った笑みを作った。


「これで終わりだ。メイルストローム!」


 魔獣の中心に水属性のマナが収束し、水となり、渦を巻いてぐるぐる旋回し始める。

 次々とオルトロス達は巨大な渦潮に飲まれ、四肢を引き千切られ、身を磨り潰され、透明な水を真っ赤に染め上げる。

 激しい流水音に紛れ、魔獣の悲痛の叫びも捩れて天を劈く。

 魔術と魔獣が跡形もなく消え去ると、この場に居る者達の心に安堵が広がった。

 マルスは剣を鞘に収め、オズワルドへ駆け寄る。


「リデル様! すみません……僕1人でどうにか出来れば良かったんですけど、思ったよりも手こずってしまって。貴方の手を煩わせてしまいました……」

「ああ。それは別に気にしていない。……治癒術師(ヒーラー)を呼んでおいた。もうすぐ到着するだろう」


 もう脅威はないと言うのに、オズワルドは魔獣がまだそこに居るかの様に表情を固くし、緊張の糸をピンと張ったままだった。

 マルスは気付く。オズワルドにとって、魔獣はオルトロスだけではない。この場に居る全員が魔獣と同じ、脅威を齎す存在なのだ。

 実際、周りは最初こそ宮廷魔術師の登場に驚いていたが、平穏に包まれた今、冷静さを取り戻して彼を忌避するべき対象だと再認識し始めた。

 決して言葉には出さない負の感情が、空気をピリピリと震わせた。

 悲しい事に、オズワルド自身は何よりもそれに敏感だった。あとはマルスに任せる事にし、さっさと踵を返そうとした。


「リ、リデル様! キミがまさか、リデル様だったなんて……!」


 オズワルドの目の前に、先のカフェ&バーの店主の男性が驚きと感動が混じった顔で躍り出た。脇には、愛犬とつい先程オズワルドが安全な所まで送り届けた少女が居た。

 愛犬も、少女も、オズワルドの姿を見るなり嬉しそうだ。


「さっきのお兄ちゃん! リデル様だったんだぁ」


 オズワルドは両手を男性に掴まれ、右側に少女、左側に犬がぴったりとくっついて来た為、身動きが取れなくなった。

 最早、曖昧に笑うしかない。


「先程はとんだご無礼を! 俺の娘まで助けてもらっちまって。本当に、何と申せば良いのやら」

「お前の娘だったか。私は当然の事をしたまでだ。大した事はしていない」

「さすがリデル様! はぁ~俺は幸せだ」


 男性はとろけんばかりのうっとりとした表情を浮かべた。


「……いい加減、手を離してくれないか」

「あ! す、すみません。つい」


 男性は手を離した。


「あの、少しお待ちいただけますか? すぐに戻ります」


 オズワルドの返答待たず、男性は走っていってしまった。

 オズワルドは所在なさげに取り残された少女を一瞥すると、少女も同じ気持ちだったのか、あどけない表情で小首を傾げた。

 そして、男性よりも先に城の治癒術師(ヒーラー)が到着した。

 背中に国章の刺繍の入った白いローブ姿の彼らは、宮廷魔術師と騎士に目礼し、手際よく怪我人の救護へ向かった。マルスと、オズワルドの隣の少女もその対象で、すぐに治癒術がかけられた。

 治癒術による眩い光が目の端にチラつく中、男性がワインを大事そうに抱えて戻って来た。


「お待たせしました!」


 男性はオズワルドの両手にワインを握らせ、ニッと気前の良い笑みを浮かべた。

 困惑して固まったオズワルドの肩を、マルスがポンっと叩いた。


「未成年じゃないですもんね! ……ほら、案外先入観のせいかもしれませんよ?」

「何がだ」


 マルスが見渡す先をオズワルドも見渡してみた。

 目の前の男性、怪我が治って嬉しそうな少女、犬、そして……一部の兵士や国民達が嫌悪ではなく、敬慕の視線を宮廷魔術師であるハーフエルフに向けていた。

 今まで、オズワルドは気付かなかった。己に向けられるものは全て嫌悪だと思っていたのに、実際に視野を広げてみると、違うモノも確かに存在した。


 先入観。


 まさに、その通りだったのかもしれない。

 初めて見た本当の景色に、オズワルドは堪らず目を伏せた。ついでに帽子があったら良かったと思った。

 やけに活動的な心臓が血を次々と身体の隅々まで巡らせていき、手も頬も温度を上昇させていく。

 これ以上この状態が続けば、心臓が弾けてしまいそうだ。オズワルドは身体の向きを変え、一歩踏み出す。

 その時である。

 脳内に電気がビリっと走ったかの様に、一瞬の間に映像と音声が送られて来た。それにより、体中の熱が潮が引く様にサーっと潔く下降していった。


(魔物が。カノン!)


 現在、華音が必死に鏡の前でスペクルムの魔法使いの名を呼んでいた。リアルムで勤務中の使い魔から送られて来た情報だった。


「すまないが、私は至急城へ戻る!」


 オズワルドは何か言おうとしたマルスの両手にワインを持たせ、ざわつく人々の合間を足早に摺り抜けていった。

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