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スペクルム カノン  作者: うさぎサボテン
第四章 鏡崎家の事情
46/200

10.

 華音が歩みを緩め、漸く刃と雷が横へ並ぶと、2人の耳に先とは真逆の弱々しく頼りない声が届いた。


「ごめん……。つい、感情的になった。オレの事はどう言われたって、どう思われたって構わないけど、2人の事を言われたら、言い返さずにはいられなくて」


 華音の母があんなにも怒った理由は自分達のせいであると自覚していた2人は、何も返す事は出来なかった。

 情けない事に、庇ってくれた華音への礼の言葉ですら、喉に突っかかって出ては来ない。

 構わず、華音は話を続けた。


「もう1つ謝らなきゃいけない事が……。勢いで来ちゃったから、これからどうすればいいのか分からないんだよね」


 苦笑し、後頭部を掻いた。

 少し普段の様子に戻った親友を前に、刃と雷もいつもの調子に戻り始めた。

 刃が笑みを浮かべ、華音の背中を思いっきり叩いた。


「頭いーのに、その抜け感がらしくていーわー」

「らしいって何だよ」


 華音は仕返しに、刃の脾腹に肘を捩じ込んだ。


「ぐはっ。華音ちゃん、やっぱ凶暴で恐いわー」


 そう言いつつも、刃は楽しそうだ。

 雷は、まだ休憩中の街灯の先をチラリと見た。


「なら、コイツの家行けばいいんじゃねーか?」

「あぁ。刃の家か……。この道行ってすぐだな」


 2人はすっかりその気で、爪先をそちらへ向ける。が、本人は納得がいっていなかった。


「ちょ! 俺、許可してないよね!? やだよ、やだやだ。いくら親友でも、男2人をあの1Kに入れたくない! 色気の欠片もない! 入れるのは彼女だけだと決めているんだ!」


 2人は踵を返した。


「鏡崎を愛人とか抜かしてたくせに何なんだ?」

「やっぱ訂正! 華音ちゃんだけなら大歓迎。雷は帰れ」

「はぁ?」

「て、ワケでー。華音ちゃん、愛人らしく俺とエロい事しよー?」

「はぁ?」と、今度は華音が眉間に皺を寄せた。


 刃にゴミを見る様な目を向けた後、華音と雷は歩き出した。


「わー! 今の、マジで冗談だから! 俺の家は扉を開けたら異世界でした、だから!」


 毎度お決まりの如く、刃は2人の背中を追った。




 扉を開けたら異世界でした。


 まさにその通りだった。

 刃の部屋は一階の角で、刃が開錠した扉の先は外の静けさが嘘の様にお祭り騒ぎだった。

 音声がある訳ではないのだが、色んな物が玄関の先に転がっていて視覚的に騒がしいのだ。

 一歩踏み入れただけで、華音と雷は立ち去りたくなった。華音の家は当然埃1つないし、妹と弟が大騒ぎしている雷の家だって此処まで酷くはない。

 2人にとって、これは異世界と呼ぶに値する光景だった。


「これ……彼女呼んだら、即フラれるな」


 雷は哀れみの目を刃に向け、華音も静かに頷いた。


「だから言ったじゃんか! てか、フラれるって決めつけんな。世話好きの娘だったら、しょーがないなぁ~って許してくれるんだよ! 入るのが嫌なら、カラオケ行こうぜ! うん、そうしよう!」


 刃が扉から手を離し、クルッと後ろを向いた。2人からの返事はなかったが、それを肯定と受け取り、当然の様に歩き出す。2人が続くのも、当然だと思っていた。が、2人が刃の言葉に従う筈がなかった。

 雷がドアノブを回し、ぶつぶつ文句を零しながらも玄関へ踏み入れ、華音も続いた。

 刃は踵を返し、閉まっていく扉を押さえて親友達の背中を追って帰宅。


「結局上がるのかよ!」


 不満を叫ぶ住人の事などお構いなしに、華音と雷は一足先に台所を抜けた先の部屋へ辿り着いた。

 今太陽が滞在する位置とは正反対の硝子扉からは自然光は僅かにしか入らず、室内は仄暗い。それに加え、洗濯前なのか、洗濯後なのかすら分からない、畳まれずに放置された衣服があちこちに点在し、空いたダンボール箱がいくつも転がっていて、ゴミ屋敷の第一歩を堂々と踏み出した此処は空気もどんよりとしていた。

 唯一整頓されているのは、壁際の本棚。漫画やライトノベル、アニメのDVD、ゲーム、美少女フィギュア……と、刃の大好きなものが綺麗に陳列されていた。フィギュアなど、埃1つ被っていないという徹底ぶり。それなのに、その周辺はガラクタの海が広がっていた。

 部屋の真ん中に置かれたシンプルな四角いローテーブルとその周辺、美少女キャラクターがプリントされたクッションなどが置かれたベッドの上は何とか座れるが、あくまで刃が生活出来る程度だ。とても、男3人で居座るには窮屈過ぎるし、何より居心地が悪い。

 鞄を適当な場所に下ろした華音と雷は、まず部屋の掃除から取り掛かろうと決意を固めた。

 


 夕映えの空が地上を見下ろす頃になり、漸く親友の家で息をつく事が出来た華音と雷。

 ふと、先程まではダンボールで見えなかった小動物用ゲージが床の上に置かれている事に気が付いた。

 雷はそれを見るなり、呆れた顔で「ハムスター飼ってるのかよ……こんな汚い部屋で」と言った。言葉の端々にハムスターに対する同情が覗える。

 刃は何故か誇らしげに頷き、ゲージに近付いた。


「イエロージャンガリアンのイエスって言うんだ」

「やけに宗教的な……」


 雷は遠い目をし、ゲージを見た。まだ、睡眠中でその姿は暫く拝めそうもない。


「イエスはめっちゃ可愛いんだぞ。手乗りするし」

「……これがハムスター。ゲージ、意外と小さいんだな」


 華音は興味津々に、その小動物の姿を探していた。

 イエスは出入り口が丸く刳り貫かれた巣箱の中。辛うじて、揺れ動くふさふさの背中が見えるだけだ。


「かがみん、ハムスター見た事ねーの? てか、ペットとしては王道な気がするけど……。何か飼った事ねーの?」


 今度は刃が興味津々に、華音の答えを待った。

 華音は少し上を見ながら、幼い頃の記憶を手繰り寄せる様にして口を開いた。


「唯一飼った事があるのはエミューぐらいかな」

「エミュー」


 刃と雷は同時に言うなり、顔を見合わせた。


「エミューって、ダンジョンに出て来るやつ?」

「そんでもって仲間にして、背中に乗ってフィールド移動出来るやつだな?」


 何故か声を潜める。

 2人が想像しているのは、ロールプレイングゲームに登場する大型の鳥モンスター。

 華音は2人の想像など知らず、懐かしそうに続けた。


「父さんが北海道へ出張に行って来た時に、お土産で雛を買って来てくれたんだ。名前は(そら)。いつか大空を羽ばたける様にって想いを込めて、父さんが名付けたっけ……」


 平然と語られたその話に、2人はまた突っ込まなければならなかった。


「メロン買って来いよ!」と、刃が最初の話に突っ込み、次に雷が「飛べない種類って分かってるよな!? 親父さん鬼畜!」と最後の話に突っ込みを入れた。

「そうだよなー……」


 華音から返って来たのは、気の抜ける様なのんびりとした声。忽ち、刃と雷の熱が冷めてがっくりと頭を垂れた。

 ハムスターは一旦視界の隅に置き、3人はローテーブルを囲って座った。

 刃はテレビの方へ身体を向け、華音と雷は鞄から教科書を取り出した。

 今まさにテレビのスイッチを押そうとしていた刃は、2人の行動に手を止めた。


「2人とも、何をする気だ?」

「勉強」


 間髪入れずに華音が言い、雷も頷きながら教科書を机に広げた。途端、刃の顔が引き攣る。


「マジで? 本気でやっちゃう系? えー……せっかく明日休みなんだし、遊ぼうぜ? たまには息抜きも必要だって!」

「刃も、赤点採ったらマズイだろ。鏡崎はいいが、俺達マジでヤバイぞ。高2だしさ」


 雷が真剣に言い返すと、渋々刃も教科書を取り出して開いた。


「何でだろうなぁ……。かがみんだって、特別に何かしてるワケじゃないのに、何でこうも俺らと違うんだ?」

「鏡崎は真面目に授業受けてんだろ、俺達と違って」

「まぁな。でも、やっぱ才能だよー」

「……いや、オレはどう頑張っても芸術性を手にする事が出来ないから」


 華音が不服な表情で口を挟み、2人は「それなー」と笑いながら肯定した。

 否定を望んだ訳ではないが、華音は複雑な心境だった。

 室内に自然光が殆ど届かなくなり、刃が部屋の明かりを灯した事で男3人の勉強会が始まった。



 雷の分からない箇所が明確だったので、華音も的確に指導する事が出来た。始めやる気のなかった刃も、華音が丁寧に教えれば、それに見合った結果を残す様になった。

 短時間で、確実に2人は成長している。

 華音は親友達と桜花を比べ、小さく息を吐いた。


「普通はこんなもんだよなー……」

「何の話だ?」


 雷がシャーペンを置き、向かいの華音の顔を見た。

 目が合うと、華音は苦笑して首を横に振った。


「こっちの話」

「だから、どっちだよ。最近、そのフレーズ多いな」

「そうか? それより、雷。そこ、間違ってる」

「え。マジか」


 雷は、華音がシャーペンで指し示した己の解答を見、驚く。

 華音の丁寧な解説が始まって雷が真剣に聞く中、早くも刃は戦線離脱していた。

 刃は怠そうに伸びをし、壁掛け時計を見て何か思い出したかの様に、バッと立ち上がった。その勢いに、2人の視線が彼に集中した。

 刃は視線をよこす親友達に、グッドサインをした。


「夕飯の時間だぜ!」


 華音と雷が確認した壁掛け時計は、それが妥当な時間を示していた。刃の集中力のなさに呆れるも、栄養補給は大切。今は彼の言うように、その時間を設ける為に教科書を閉じた。


「すぐに用意出来るから、2人ともくつろいでいてくれ! 部屋を綺麗にしてくれた礼に、俺のとっておきを出すからよ!」


 言って、刃は台所へと消えていった。

 華音と雷は顔を見合わせ、首を傾げる。声に出さずとも、同じ事を思っていた。


(刃って料理出来たのか?)


 刃の「すぐに」は本当にすぐだった。

 ガラッと、引き戸が開かれ、左腕に封をしたカップ麺、右手に湯気を吹き出す薬缶を持った刃が再登場した。

 雷はやっぱり……と呆れ、皺の寄る眉間に手を当てた。


「とっておきって、カップ麺かよ……。大体、鏡崎にそんなもん食わせようとするなよ」


 刃はドシドシと絨毯を踏み鳴らし、テーブルにカップ麺を並べた。『まるで生麺』とキャッチフレーズの書かれたパッケージには、美味しそうなイメージ写真が載っていて、それだけで食欲をそそる。味は醤油、とんこつ、味噌の3種類。

 刃は薬缶を持ったまま、頬を幼子みたいに膨らませた。


「そんなもんじゃねーし! これ、1個200円以上もする高級品だし! かがみんだって、別に毎日フレンチ食ってるワケじゃねーんだしさ。ほら、この前もメガハンバーガー食ってたし」

「まあ、学校でもどんぶりばっかだしなぁ。いや、でも、何か絵面的に想像出来ないんだが……」

「俺は逆に、フォークとナイフ持って白いテーブルで上品に食ってる姿の方が想像出来ないぜ」

「確かに。綺麗過ぎて恐いかも……」


 と、親友達が華音の話題で盛り上がっているのだが、肝心の彼は思考をすっかり止めていた。

 気が付いた雷が、華音の前で手を振った。


「って、鏡崎? おーい?」

「な、何で……」


 華音の視線は雷を通り越し、脇に立って居る刃――――正しくは彼の持っている物に釘付けになっていた。


「え? かがみん、ホントに嫌だった? カップ麺」


 刃が首を傾けると、華音は顔面蒼白で続けた。


「そ、それ……持って……」

「それ? あぁ、これ? 薬缶の事? だって、うちポットないからさー。いつも薬缶でお湯を沸かしてんの。と言っても、ガス代も馬鹿になんねーけど」

「そう……なのか」


 明らかに、華音の様子がおかしい。長い年月を共にして来た2人が、初めてみる姿だった。それはまるで、親の絶対的な力に抗えない子供の様。

 雷は微かに震える華音の肩を掴み、刃の目を捕らえてその後ろを顎で示した。


「それ置いてこい。飯は違うもん用意するから」

「あ、ああ」


 刃も察し、急いで台所へ薬缶を置きに行った。

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