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スペクルム カノン  作者: うさぎサボテン
第四章 鏡崎家の事情
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5.

 桜花に勉強を教え始めてすぐ、華音は頭を抱えた。


「桜花。キミは……今まで何を勉強していたんだ?」


 華音が採点したテキストは、見事にバツが9割。正解であるたった1割でさえも、根本的に問題を理解しておらず、まぐれにも等しい解答だった。更に華音を悩ませたのは、桜花自身が何を理解していないかを理解していない事だ。これでは教えようにも教えられない。

 以前クラスメイトに勉強を教えてと頼まれた時は、こんな苦労はしなかった。桜花の頭のレベルは、華音の理解の範疇の外側にあった。

 それでも、華音が困った様子を見せると、桜花も不安そうな表情になるので簡単に突っ撥ねる事は出来なかった。教えると言った以上、きちんと相手を満足させるのが礼儀だ。教科書を開き、桜花が間違えた所を1つ1つ丁寧に説明する。

 桜花は聞いた事を一生懸命ノートにまとめていった。

 復習をしっかりした上で、先と同じ問題を一から十まで解いてもらう。


「今度はばっちりよ!」


 桜花が誇らしげに解答を華音に見せ、華音は一通り目を通して絶句した。


「さっきと全く変わってない……!」

「え? 嘘……」


 先の解答と見比べ、桜花も絶句した。

 華音は頭を抱え、自分の教え方が間違っていなかったかどうか、脳内で再確認する……が、何処にもそれらしきものは見当たらない。この説明で大抵の人は理解してくれたし、先生もきっと同じ指導をする。

 桜花を一瞥し、数学の教科書を閉じて日本史の教科書を広げた。


「数学は苦手な人は苦手だから……。日本史にしよう。これなら、意味は理解出来なくても、丸暗記で何とかなるから」

「ええ! 頑張ってみる」



 日本史の勉強に切り替えて数分、桜花相手にやはり考えが甘かった事を華音は気付いて頭痛を覚えた。

 日本史でこれなら、世界史も大して変わらない。その他、現代文、古文、化学、生物もあまり喜ばしい成績ではなかったのだが、英語だけはそれらに比べてまだマシだったので、何とかなるかもしれないと希望を抱き、基礎から丁寧に教える事にする。

 華音は桜花の隣に移動し、彼女が書いた英文を赤ペンで直して何処がおかしいのか説明をした。


「なるほど。そうなのね」


 他の教科に比べ、桜花の反応が良い。問題を次々と解いていき、教科書もどんどん進んでいく。だが、赤ペンの直しがなくなる事はなく、それもいつも同じ所だった。

 華音は赤ペンを置いて、教科書を前のページに戻す。


「もう一度ここから説明するよ」

「う、うん」


 桜花は華音の一言一句を聞き逃すまいと、必死に耳を傾けて度々相槌を打ち、時にはノートに書き残したりもした。

 何度も繰り返し、同じ問題を解くのだが……華音の丁寧な解説は、全くの無意味だった。勿論、華音が悪い訳ではない。桜花に学習能力がないのだ。

 華音は、時間を巻戻して、同じ事を繰り返しているかの様な錯覚さえ覚えた。魔法使いが実在しているのなら、そうだとしてもおかしくはない。

 けれど、残念ながら1人の少女の時間を巻き戻す程魔法使い達は暇ではない。

 こうなったら、意地でも時間を進めるしかない。華音は心の中で気合を入れ、赤ペンで間違いを指し示した。


「ここ、違う。書き直し。散々教えたからどうしてか分かるよね?」

「え? あれ? そうだったかしら……」


 桜花は小首をかしげながら、ほぼ球体に近い消しゴムを手に取る。と、指先で弾いてしまい、テーブルの上を物凄い勢いで転がった。


「待ちなさいっ」


 手を伸ばしたが届かず、華音の近くに落下。

 華音が拾おうと身体を捻る。


「はい、桜花――――!?」

「ひゃあっ」


 桜花は消しゴムを無理に拾おうとして、身体のバランスを崩した。そのまま、華音に倒れ込む。

 華音は桜花を受け止めきれず、揃って絨毯の上に倒れた。


「う……痛い」

「ご、ごめんなさい! またやっちゃった……」


 桜花は華音の身体から豊満な胸をどけ、覆い被さった姿勢のまま謝った。

 華音は、柔らかな感触と吐息が少し遠退いて安心したが、視線を正面にやれば、間近に桜花の顔とパーカーの隙間から覗く下着が見えて目のやり場に困った。

 頬を赤く染め、桜花から視線を外して消しゴムを突き出す。


「はい。もうどいてくれるかな」

「あ、ありがとう! ごめんね。すぐにどくわ」


 桜花は消しゴムを受け取り、元の位置に座り直した。

 その後、華音もゆっくり起き上がった。

 勉強の再開だ。

 しかし、今の出来事で2人の集中力は切れてしまった。

 桜花はスッと立ち上がる。


「コーヒー淹れてくるわ!」

「コーヒー? あ。オレ、お茶でいいよ」


 苦手だから、と言おうとすると、桜花がくわっと歯を立てた。


「わたしのコーヒーが飲めないと言うの!?」

「わたしの……? あー……いや、そう言う訳じゃないんだけど」

「じゃあ、待ってて。わたしの淹れるコーヒーは格別なんだから」


 桜花は華音に有無を言わせず、部屋を出て行った。

 華音は主の居なくなった部屋に1人取り残され、やる事もないのでズボンのポケットからスマートフォンを取り出した。


『桜花ちゃんとのデート、楽しんでるぅ~?』


 刃から、SNSのメッセージが届いていた。

 今日も一緒に下校する予定だった刃に、勉強を教えると言う事だけを省いて桜花と帰る事を伝えたのだが、その為に迷惑な勘違いをしてくれた。

 華音は苛立ちを抑え、文字を打ち込んで仕上げにダンスをする兎のスタンプを送った。スタンプに特に意味はない。

 既読はすぐについて、返事も返ってきた。動く尺取虫のスタンプだ。これにも、恐らく意味はない。

 意味のないスタンプ合戦の後、華音は飽きてスマートフォンを手放した。向こうも同じだったのか、既読を残したまま返信は来なくなった。

 華音はもう一度スマートフォンの画面をタップし、時間を確認した。


「桜花……遅いな」


 コーヒーを淹れるだけにしては長すぎる。

 先程の事を思い出し、もしかして転んで頭でもぶつけているのではないかと心配になった。

 華音はそっと扉を開け、廊下へ出た。


 ゴリゴリゴリゴリ……。


 何かを削る、規則的な音が響いていた。

 音を辿っていくと、リビングへ辿り着き、更に歩を進めると、リビングに併設されたキッチンスペースまで来た。

 壁から、向こうを覗き見る。


「え。豆から!?」


 華音が思わず声を出すと、手を動かしながら桜花が振り向いた。


「当たり前じゃない」


 コーヒーミルで、コーヒー豆を粉砕していた。芳しいコーヒー特有の香りが漂う。

 華音の家ではコーヒーは飲まないので、いつも雷の家で雷が飲むのを見ているだけだった。その時決まって、既に粉状に加工された物にお湯を注ぐ、インスタントだったので、家庭で飲むコーヒーと言うのはそう言うものだと思っていた。


「もう少しで出来るから、部屋で待っていて」

「分かった。気を付けてね……色々と」


 華音は桜花の無事を祈り、部屋に戻った。




 コーヒーの香りと共に、桜花が部屋に入って来た。

 桜花は、2人分のコーヒーと、角砂糖が山になった小皿をお盆からテーブルに下ろした。

 テーブルは狭いので、それらと教科書類で一杯一杯だ。

 一旦必要ない教科書類を下げ、桜花はコーヒーを華音に差し出した。


「ありがとう」


 華音は早速、アツアツのコーヒーを口に運ぶ。


 ……苦い。


 声にも表情にも出さず心の中でのみ本音を零すと、角砂糖を3つ程溶かした。

 桜花もそのままでは飲まず、角砂糖を1つ投入してスプーンでかき混ぜていた。

 コーヒータイムでホッと息をつくと、散っていた集中力が舞い戻って来て、2人は自然な流れで勉強を再開した。


「わたし、もう一度数学に挑戦してみたいわ」

「随分とやる気だね。じゃあ、最初に解いた問題から」


 華音が英語の教科書と数学の教科書を入れ替え、桜花は華音に出題された問題を解答していく。


「はい。残念。全部不正解」

「えぇーっ。嫌がらせで言ってるんじゃないわよね……」

「そんな訳ないだろ。ほら」


 華音はテキストの最終ページにある解答を見せ、桜花はそれでも納得いかないと言った顔だ。


「これ自体が間違っているんじゃ……」

「もしそうなら大問題だよ。大丈夫。オレが解いても、全く同じ答えになったから」

「何故そうなるのよ……。華音の頭ってどうなっているの」

「数学なんて、導き出される答えは1つしかないんだから、ある意味で一番楽な教科だと思うんだけどな。じゃあ、解説していくよ」

「ふむふむ。何だか、だんだん分かってきた気がする!」


 桜花は意気揚々に、ノートをどんどん数式で埋めていった。

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