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スペクルム カノン  作者: うさぎサボテン
第三章 精霊分離
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7.

 ベッドの上、落ち着く位置を探して身体を右へ左へ動かすが一向に眠気が来ない。

 華音は諦めて目を開け、上体を起こした。

 仄暗い自室で、壁掛け時計だけが、カチコチ音を鳴らして働いている。

 明日の準備はどうだったかと記憶を手繰り寄せるも、通学用鞄も、制服もきっちりいつもの位置に置かれていて直す必要はない。

 宿題なんてものは最初からない。義務教育までだ。

 ベッドから下りて、角に置かれた本棚へ向かい、手を伸ばしたが寸前でやめた。今は、何だか疲れて本を読む気がしない。

 そう。確実に疲労を感じているのだ。それなのに、眠れない。

 華音はベッドに腰を下ろし、ぼんやりと天井を仰ぐ。

 今日、1番厄介な敵は親友だった。

 桜花が「魔法使い仲間」だなんて口走り、それを誤魔化すだけで大変だったのに、魔物の出現が重なって、上手い嘘はつけなかった。

 けれど、本当の事なんて言える筈もなくて、曖昧になってしまった。

 そして、更には親友の中で華音と桜花が恋仲である事にされてしまった。

 桜花も桜花で、帰り際に転びかけたり、電柱にぶつかりそうになったり、目が離せなかった。あんなドジな娘が1人で電車なんて乗って大丈夫なのかと思ったが、あまり一緒に居ても刃と雷に茶化されるだけなので、そのまま駅で見送った。

 オズワルドの様子も変だった。出逢った頃から自信の塊の様な男だったのに、この頃ぼんやりしていたり、破棄がなかったりする事がある。

 月の魔女アルナに、半月とオズワルドが同じだと言われた時の事と関係があるかもしれない。

 華音にはスペクルムの事は分からない為、これ以上、オズワルドの事情は分からなかった。

 魔女が2人も居たのに、何も出来なかったのも痛い。

 今日1日で色んな事があり過ぎた。

 回想しても、やり直せる訳ではないのに、考えてしまう。

 時計の3つの針が同時に天井を指すと、外から静寂を破る消防車のサイレンの音が響き渡った。

 ベッド横のカーテンを捲って外を確認してみても、その姿も現場も見つけられなかった。

 そう言えば、雷が近所で火災があったと話していた。その時は自分の家は木造の平屋だからすぐに燃えると冗談混じりで言っていたが、本当にそうなら笑い事ではすまない。

 華音は机上のスマートフォンを取り、着信を確認してみたが、雷からはなくて安心した。そもそも華音に連絡をよこすとは限らないし、本当に最悪の事態も考えられるのだが。

 代わりに、SNSのメッセージボックスに桜花の名前があった。

 桜花とは魔女の事に関して連絡を取り合う為、つい最近ID交換した。SNS上では、もう友達だ。

 メッセージボックスを開いてみる。

 吹き出しの様な枠の中には、顔文字や絵文字が混じった文字列が並んでいた。


「火事があった現場から黒い影……」


 姿をはっきり見た訳ではないが、魔物かもしれないとの事だった。

 華音は既読だけ残し、スマートフォンの液晶画面を点灯させたままベッドに横になった。




 華音へメッセージを送る前、桜花は仄暗い自室でカーディガンをさらりと羽織り、財布としても使える猫柄のコンパクトなポーチを肩に斜め掛けした。


「カレーライスモンブラン。買うなら今しかないわ」

「なぁに? それ」


 化粧台の鏡面から、桜花と同じ声がした。

 桜花は鏡面に近付き、そこに映った自分とそっくりな少女ドロシーに、自信満々の笑みを浮かべた。


「ドロシー。これを見なさい」


 ビッと警察手帳の様に見せたのは、スマートフォンの眩しい画面。

 コンビニのwebサイトに繋がっていて、乱切りの人参とじゃがいもが盛り付けられた黄金色のモンブランケーキの写真が堂々と載っていた。

 普段、苺などのフルーツや薔薇が盛り付けられた上品なデザートに見慣れている王女にとって、衝撃的な見た目だった。

 ドロシーはアメジスト色の瞳を丸くし、口元に手を当てた。


「まあ。これは斬新ですわ。うちのパティシエでも考えつかないと思います」

「でしょー! これまで苺や紫芋は見てきたけど、ついにカレーライスがきたのよ。しかも、ライスとついているからには、このカレークリームの中にライスが隠れんぼしていると言うスペシャルなスイーツよ。善は急げ。欲しいと思ったこの瞬間こそ、買い時なの。だから、わたしは行く」


 桜花は勇ましい顔つきで鏡面に背を向けて歩き出す。

 ドロシーは桜花の背中を見、不安そうな顔をした。


「もうそちらは夜遅いのではなくて? 護衛もつけずに危険ですわ」

「わたしのうちは普通の家庭だから、護衛なんて居ないわ。遅いと言っても、まだ日付が変わっていないし、すぐそこのコンビニだから平気よ」


 桜花の家は、バス・トイレ付きだけど、この辺りでは安めのアパート。

 部屋は玄関を真っ直ぐ行ったところにある和室のリビングと、玄関からすぐの父の部屋と隣の桜花の部屋だけ。

 一段ベッドとカーペット、丸テーブル、チェスト、クローゼット、化粧台、多少縫いぐるみやクッションなどの無駄な物が転がっているが、殆どは必要な物しか揃っていないこの部屋は、広い空間に天蓋付きベッドがドカっと置かれて金や銀の小物が沢山並ぶ豪華絢爛なドロシーの部屋とは大きな差がある。


「うーん……。だけど、心配ですわ。そうだ。煉獄を護衛につけましょう。危険と感じたら、彼女が回避してくれます」

「ありがとう、ドロシー」


 桜花は鏡面に笑顔を向け、部屋を出た。

 夜道はドロシーの言う様に危険ではあるが、桜花にとって最初の危険であるのは玄関までの短い道程だった。

 昨日より帰宅が遅かった父は、晩ご飯と入浴を済ませ、少しリビングで桜花と談笑した後、早めに自室へ籠った。今日は残業で疲れたから寝ると言って。

 普段なら、この様な時間の外出を父は認めない。

 母と離婚し、幼い桜花をここまで男手1つで育てて来たのだ。大切でない筈がない。

 それは桜花も重々理解していたが、ここで引き下がる程意志は弱くない。

 要はバレず、何事もなければいいだけの話。今回は使い魔の護衛もある。だから、父が目を覚まさない様、そっと家を出て行く事が重要である。

 ただでさえ、壁が薄くて小さな物音でも響く家なのに、夜の静寂に身を委ねた状態では足音1つで気付かれかねない。

 桜花は廊下を猫柄の靴下で滑る様にして進み、玄関でラベンダー色のスニーカーを履いた。

 父の部屋の戸を振り返るが、開いた気配はない。

 よし! と心の中でガッツポーズをした桜花は、そのままドアノブを捻り、物音に十分注意して家を出た。

 施錠をしていると、手摺からルビー色の瞳の黒猫が降りて来た。

 桜花はしゃがみ、黒猫の頭を撫でた。


「護衛よろしくね。煉獄」

「にゃー」


 使い魔を引き連れ、カンカンと靴音を鳴らして階段を下りていった。



 目的の物はすぐに見つかった。

 コンビニのビニール袋を下げ、桜花は顔に花を咲かせて帰路を歩く。隣には、小さな護衛が一緒だ。

 帰宅するのが楽しみで仕方がない。スプーンでクリームの山を崩し、口へ運ぶ光景が目に浮かぶ。一体、どんな味が口内と心を満たしてくれるのだろう。

 コンビニには店員の他に、若い男性客や会社帰りの中年男性客が居たぐらいで、出歩いている人は居ない。

 自分の足音しか響かない道、自分だけを照らす街灯、それだけで少しだけ優越感がある。

 桜花は夜を存分に味わった。

 あとは、部屋でカレーライスモンブランを食べてフィニッシュ。日付もそろそろ変わる頃だし、今日1日の締めくくりにしては最高だろう。

 アパートの階段を使い魔と上っていると、少し高くなった視線の先で闇夜を照らす赤い光が見えた。


「あれは……火事?」


 比較的近い場所からの出火だった。

 炎が揺らめくのを暫くぼんやりと眺めていると、炎の中から黒い影が飛び出して隣の民家の屋根を伝っていった。


「今のは……!」


 桜花が視線を下げると、使い魔のルビー色の瞳と目が合った。その目を通して、向こうの世界からこちらを見ていたドロシーが、頷いた気がした。

 早速桜花はスマートフォンを取り出し、華音へメッセージを送った。


『火事の現場から、黒い影が飛び出した。もしかしたら、魔物かもしれない』と。




 小鳥の囀りが聞こえ、華音は目を覚ました。

 カチコチと音を立てる壁掛け時計を見れば、短針がとっくに床を指していた。

 手にはスマートフォンが握られている。

 桜花からのメッセージを確認した後、webサイトを閲覧したりしていたら、いつの間にか眠ってしまった様だ。

 手放そうとしたスマートフォンに、またメッセージが届いている事に気が付いた。

 桜花からだ。


『カレーライスモンブラン、美味でした。華音の分も買っておいたよ!』


 乱切りされた人参とじゃがいもがトッピングされた、黄色いクリームのケーキと思しき写真付きだった。しかも、断面写真まであった。

 山の様に盛られたクリームの中から、白米がこんにちは。

 華音は言葉を失った。

 そして、ハリセンを叩きつけるクマのスタンプを返したのだった。

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