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スペクルム カノン  作者: うさぎサボテン
第十三章 ハートフィールド王家の事情
188/200

5.

 城に来て100年は経つが、この場所を歩くのは初めての事だった。

 床に敷かれた絨毯は緻密な模様が刺繍された光沢のあるボルドーで、窓から差し込む陽光を受けて上品な輝きを放っている。純白な壁にも模様が施され、控えめながらも空間を彩っている。

 同じ城内でも、ここは格上であると感じさせられる。

 清掃をしていたメイドは宮廷魔術師の姿に目を丸くし、動揺を隠せない様子で一礼した。

 城内の見取り図は頭に入っているので、オズワルドの足取りはしっかりとしていた。

 薔薇の文様が施された両開きの扉の前で足を止め、扉をノックしようとした時、丁度扉が開いた。


「オ、オズワルド!?」


 顔を覗かせたドロシーは、何度も目を瞬かせた。


「突然のご訪問をお許し下さい。ドロシー王女」


 オズワルドは1歩下がり、恭しく一礼した。


「いえ! それは別に構いませんわ。わたしも、これからオズワルドのところへ行くところだったので……」


 ドロシーは抱えているローブに視線を落とした。


「お返ししますわ。……昨夜はどうもありがとう」

「……礼を言われるような事はしていない」


 オズワルドはローブを受け取ると、すぐに羽織った。

 ドロシーの服装は見慣れた赤い衣装ではなく、シックな黒いドレスだった。肩と足下以外の露出はなく、控えめなフリルとレースに紫色の薔薇の飾りがついた大人っぽいデザインだった。見慣れないその格好に、オズワルドは胸が痛んだ。


「わたしの用は済みましたが、オズワルドは?」

「私の用も済みました。ですので、これで失礼します」


 一礼して、オズワルドはローブを翻す。


「えっ」


 オズワルドの背中が遠ざかり、ドロシーは反射的に追い掛けて腕を掴んだ。


「ちょ、ちょっと待って下さい」

「どうされましたか?」

「せっかく出向いていただいたんですから、お茶でもお出ししますわ」

「お気持ちはありがたいのですが、私はもう戻らなければならないので……」


 やんわりと手を振り解こうとするオズワルドの腕を、ドロシーは離すまいとぎゅうっと掴んだ。


「と言うか、その敬語やめて下さい」

「ここは王族の住まい、貴女は王女ですから」

「だったら! これは王女命令ですわ。オズワルド、わたしとお茶しなさい」


 誰に聞かれているかも分からない状況で、王女からの命令は無視出来ない。オズワルドは渋々、ドロシーの言葉に従った。



 部屋に入ると、ふわりと上品な薔薇の香りが鼻腔をついた。

 オズワルドは初めて足を踏み入れるドロシーの部屋をつい、見渡した。

 白い格子窓にはピンクのカーテン、高い天井にはシャンデリア、艶やかな床の上には薔薇の刺繍が入ったワインレッドの絨毯が敷かれ、その中央に猫脚のテーブルセットが置かれていた。

 壁に嵌め込まれた美しい銀細工の縁取りの姿見の隣に、出入り口よりは小さいが立派な両開きの扉があった。その向こうが寝室のようである。


「どうぞ。こちらにお掛けになって下さい」


 ドロシーはソファーにオズワルドを案内すると、隅で置物のように控えていたメイドに声を掛けた。


「お茶とお菓子をお願い出来ますか?」

「畏まりました。少々お待ち下さいませ」


 30歳を過ぎている彼女はフェリシアとは違い、突然の訪問者にも動じない。そればかりか、丁寧に宮廷魔術師に一礼してキビキビとした所作で部屋を出て行った。

 部屋には2人だけとなり、オズワルドは息をついた。


「ドロシー。お前は少し危機感を持て」


 向かい側に腰を下ろしたドロシーは、純粋な少女の目をしていた。


「何がですの?」

「いや……だから、簡単に男を部屋に入れるなって事だ」

「オズワルドだから大丈夫ですわ」

「何だ、その自信は。私だって男だぞ」

「それは……オズワルドもわたしにその……キ、キスをするって事ですか?」

「は……?」


 オズワルドは呆気にとられて固まった。


「まあ……オズワルドになら、わたし……」


 ドロシーは顔を赤らめ、身を縮ませた。


「ちょ、ちょっと待て。も、って言ったな? まさか、昨夜ヴィルヘルムに……されたのか?」

「……ええ」


 オズワルドはガックリと項垂れ、片手で顔を覆った。結局のところ、間に合っていなかったのだ。


「……オレの馬鹿が」

「……オズワルド」


 ドロシーに酷く沈んだ声で呼ばれ、オズワルドはゆっくりと顔から手をどけた。


「どうした?」

「み、見ましたよね?」

「いや、見てないが」


 そう言いつつ、一瞬だけオズワルドの視線が胸元に向いたのを、ドロシーは見逃さなかった。


「確実に見ましたよね!」

「いや、見てはいない。見えただけで……。それに薄暗かったから、はっきりとは……」


 ドロシーは顔を真っ赤にし、勢いよく立ち上がった。


「わたし、何がとは言っていませんわ!」

「えっ……」

「あなたは何を想像したんですかっ」

「えぇーっ……」


 間違いなくドロシーは昨夜の自分の淫らな姿の事を言っていたのに、言動がめちゃくちゃだ。それも恥じらいを隠すためなのだが、変な言いがかりをつけられたオズワルドとしては納得がいかない。


「何も想像していない。もうこの話はやめよう」

「そ、そんなに、わたしの裸が見たいんですかっ」

「は? ち、違……」

「あら。ずいぶんと楽しそうだ事」


 不意に気品に満ちた女性の声がし、2人同時に横を見ると、シンシア・レトナ・ハートフィールド第一王女が立っていた。後ろにはお茶とお菓子を手に、ドロシーのメイドが控えていた。

 オズワルドは何事もなかったかのようにスッと立ち上がり、シンシア王女に一礼した。

 シンシアは赤い口紅の塗られた唇を引き上げると、さぞ当たり前のようにドロシーの隣に腰を下ろした。


「ノックしても返事がなかったから勝手に入らせてもらいましたわ。ほら、貴方たちも座りなさい」

「はい」と同時に言った2人は、元の場所に腰を下ろした。


 3人が席に着いたのを見計らい、メイドが一瞬の隙も無駄もなく、テーブルにお茶とお菓子を並べて下がった。


「ところで、オズワルド。今の話は本当ですの?」


 オズワルドは上手い事話を逸らせたと思い込んでいたので、ギクリとした。危うく口に含んだお茶を吹き出すところだった。


「今の話とは?」

「貴女はドロシーの裸が見たいの?」

「ち、違います。誤解です」

「ふぅん。貴方も男ですものね。仕方ないですわ。女の私から見ても、ドロシーは美しいもの。こんなに立派なものがあるなら尚更」


 シンシアは横から手を伸ばし、ドロシーの豊満な胸を持ち上げた。


「あっ。ちょっとお姉様……」


 ドロシーの顔が真っ赤になり、姉妹のやり取りを見ていられなくなったオズワルドは明後日の方向を見た。彼の頬もほんのり赤かった。


「私はこんなに貧相なのに。やはり、母の遺伝かしらね」


 母と聞いて、オズワルドとドロシーからサァッと熱が引いていった。

 ヴィルヘルムが知っていたのなら、シンシアも知っているのではないか。

 ドロシーは慎重に口を開いた。


「あの……お姉様は何故いらしたのですか?」

「貴女を呼びに来たの。お父様の部屋に兄妹全員集合。お父様から大事な話があるらしくてよ」

「大事な話……」


 ドロシーの出生についてだと、誰もが容易に想像出来た。


「きっと、お父様が話す内容をお兄様も私も知っていますわ」

「お姉様もご存知だったのですか。知らなかったのはわたしだけ……」

「ごめんなさい。でも、私は貴女を本当の妹のように愛していますわ」


 シンシアはにこりと笑い、ドロシーをそっと抱き締めた。

 姉の身体は温かくて良い香りがして、ドロシーは優しい気持ちになった。


「ありがとうございます。シンシアお姉様」

「でも……」と声を低くし、シンシアはドロシーを離した。表情が曇っていた。「お兄様は違ったのね。私と同じだと思っていたのに。異性だからかしら……」

「そう……ですね」


 昨夜の事が脳内再生され、ドロシーは恐怖と羞恥で表情を強張らせて震えた。


「……以前から、ヴィルヘルム王子はドロシー王女に特別な感情を抱いていたのですか?」


 本来なら部外者であるオズワルドが口を挟むべきではないが、昨夜の現場に居合わせてしまったために、あえて訊いておいた方がいいと思った上での問い掛けだった。

 シンシアは首を横に振った。


「昨夜の事、メイドから聞いたのよ。部屋に戻る途中でメイドに連れられて歩くドロシーを見掛けたの。ドロシーは私には気付いていないみたいだったけれど。オズワルドのローブを羽織っているし、付き添っているのはオズワルドの世話係だし、とにかく様子が変だったから気になって。それで、そのメイドに何があったのか訊いたのよ。彼女も詳細は分からなかったんだけど、その時お兄様と擦れ違ったらしくて不思議に思っていましたわ。最近何となくドロシーを見るお兄様の目が違う気がしまして……だからでしょうか。ついにお兄様がドロシーに手を出したと思ったの」


 シンシアの推測は的を射ていた。

 もうドロシーの兄であるヴィルヘルムはいない。血の繋がりがないのなら、肉体関係も許される……しかし、それは17年間彼を兄と慕っていた妹にとってあまりに残酷だった。

 もう兄と呼ぶ事は出来ないのか。もう兄に妹だと思ってもらえないのか。次々と兄との思い出が浮かび上がり、ドロシーは胸が苦しくなって涙をぽろぽろと零した。


「ヴィルヘルムお兄様っ……」

「大丈夫よ、ドロシー」


 シンシアはもう1度、今度はキツくドロシーを抱き締めた。

 こう言う時何も出来ない自分は、本当に部外者だとオズワルドは改めて痛感した。ここは家族の役目だと諦めていると、琥珀色の瞳がこちらをじっと見つめていた。


「オズワルド。貴方がドロシーを娶ってくれますわよね?」


 問いと言うより確認に近い言葉に、オズワルドはしばし瞬きも忘れて固まった。

 ドロシーへの恋情に気付いてしまった上に、血の繋がりがないと分かった今、断る理由はない。けれど、己の内に流れる2種類の血が答えを簡単に口にするのを拒んだ。

 シンシアとて、これまで散々その事でドロシーと引き離したがっていたのに。


「……私は400年以上もこの姿です。これから先もそれは変わりないでしょう。私ではドロシー王女を幸せには出来ません」

「そうね。私もまだハーフエルフへの嫌悪感が消えたわけではありませんわ。身体にほんのわずかな老いを見た時、貴方に嫉妬する。……だけど、ドロシーは貴方と居る時が1番幸せそうなのよ。ドロシーがオズワルドじゃなきゃ駄目だって言うんだから仕方ないじゃない……」


 オズワルドはそれ以上何も答えられなかった。この先の未来に、幸せな2人の姿を思い描く事が出来なかった。

 それぞれに産まれ持って与えられた時間が違う。今は隣に並んでいても、少しずつずれが生じて2度と隣を歩く事が出来なくなる。

 父もそうだったのだろうか。だから、母を処刑したのだろうか。否、それは違う。2人は愛し合っていた。その証拠がここに居る。6つの時離れて以来1度も逢えなかったが、2人は最期の時まで愛し合っていたに違いない。


 シンシアはじっと考え込んでいるオズワルドの瞳を覗き込むと、立ち上がった。


「さて、そろそろ行かなくてはね」

「お姉様……」


 ドロシーは立ち上がる事が出来ずにいた。これから兄と逢うのが恐かった。


「心配しなくていいわ。私がついているから。それに、もう2度とドロシーに手出しさせないわ」


 頼もしくて優しい姉に支えられながらドロシーは立ち上がった。

 オズワルドも立ち上がり、先に部屋から出ると開いた扉の前に立って2人を見送った。

 擦れ違い様、またシンシアはオズワルドの瞳を覗き込んだ。


「……琥珀色は王家の証だと聞きましたけれど。オズワルド、貴方はもしかして……」


 ドロシーもハッとして、オズワルドの瞳を見た。父と兄姉と同じ琥珀色。

 オズワルドは微笑み返した。


「エルフでは一般的な色ですよ」


 母はエメラルドグリーンだった。

 平然とついた嘘は完璧な仮面を被っていたために、2人に見抜かれる事はなかった。

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