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スペクルム カノン  作者: うさぎサボテン
第十二章 造花は微笑む
172/200

3.

 ややあって、華音は遠慮がちに口を開いた。


「……柄本さん。そんなに悪いの?」


 柄本は微かに頷いた。


「もう永くないと思う。医者(せんせい)には何も言われてないけど、何となく……ね」

「そう……なんだ。桜花には話さないのか?」

「うん。きっと気にしちゃうと思う。あの娘優しいから……」

「そうだね……」


 同時に2人は目を伏せ、沈黙が下りた。

 辺りは人の声や物音は聞こえず、時折鳥の声が聞こえる程度で静かだった。


「ねえ、鏡崎くん」


 沈黙を破ったのは柄本の声だった。

 華音はゆっくりと顔を上げた。


「……西野くんは?」

「えっ……」


 何の脈絡もなく出て来た名に、華音は動揺した。


「私ね……西野くんに助けてもらったんだ。去年の終わり頃、家に帰る途中に化け物が襲って来たの。それで西野くんが相手をしてくれて、私を逃がしてくれたんだ」

「西野が……。そうだったんだ」


 あの夜の出来事は、柄本の記憶から消去されてなんていなかった。寧ろ、深く刻まれている様に見えた。

 華音が答えられないでいると、柄本は天井を見上げてまた話し出した。


「あの時の西野くん、ヒーローみたいだったなー。あ。私、西野くんにバスケの試合の観戦に誘われたんだ。精一杯応援してあげようと思って……」


 ぽろぽろと、その目から涙が零れた。


「……西野くん、無事だよね? また逢える……よね?」


 華音は込み上げて来るモノをグッと堪え、拳を強く握った。


「……間に合わなかった。西野にはもう……逢えない」

「やっぱり……何となくそうなんじゃないかって……分かってっ、分かってたのに……」


 後は言葉にならず、嗚咽だけが漏れた。

 華音はただ、黙って立っている事しか出来なかった。

 こんな残酷な知らせをもう1度しなくてはならないなんて。そして、また人を傷付けてしまうなんて。気を抜いたら、また自分を責め立ててしまいそうだった。そんな事に意味はないと、単なる言い訳に過ぎないと分かっていながら。

 少しして、嗚咽が治まった柄本は赤くなった目元を手でゴシゴシ擦った。


「いきなり泣いちゃってごめんね」

「いや……」

「……鏡崎くん。西野くんの事、助けようとしてくれたんだね」

「何で……そう思ったの?」

「だって、間に合わなかったって。つまり、助けようとしたんじゃないかなって思ったの」

「……正確には西野だとは思わなかったんだけどね」


 柄本が首を傾げ、華音は覚悟をして語った。


「化け物は魔物といって、魔女が人の生命力を奪う為に創り出した存在だ。オレが見つけたのは、魔物が持っていた生命力だったんだ。……結局、目の前で魔女に取られちゃったけど」

「あはは。鏡崎くんがそんなファンタジーな事言うなんて」

「わ、笑わないでよ。オレだって最初は……」

「ううん。疑ってないし、馬鹿にもしてないよ。何かこう、胸にストンと落ちた感じ……」

「それはどう言う……」

「ほら、去年の5月ぐらいだったけ……とにかくその時の体育でさ、私言ったよね。鏡崎くん、不思議な感じがするって」

「あぁ……そうだったね」

「それって、向こうの世界の鏡崎くんを感じ取っていたんだよ。私、最近向こうの世界の夢を見る様になって」


 柄本は目を閉じ、胸に手を当てた。瞼の裏に、水色の髪に琥珀色の瞳の魔法使いの姿が映し出されて、胸に暖かさが広がった。そして、目を開いて微笑んだ。


「……オズワルド・リデル。それがもう1人の鏡崎くんでしょ?」


 目の前の少女が別次元のメイドの姿と重なって見えた。


「……そうだよ。オレはオズワルドを憑依させて、その姿と能力で魔女と戦ってる。魔女は世界を滅ぼそうとしているんだ」

「へえ。大変だね。去年からずっと陰で戦ってたんだ……」

「まぁね。壮大過ぎて、自分でも何が何だか分からなくなるよ」


 窓から差し込んだ西日が華音の背中を照らして輪郭をなぞると、残りはベッドの上に落ちた。

 橙の中で柄本が目を細めているのを見た華音は「眩しいよね。カーテン閉めるよ」と、窓の前に歩いていってカーテンに手を伸ばした。

 カーテンを引いている彼の後ろ姿に、柄本は苦笑した。


「向こうの世界と立場が逆だね」


 華音は向き直り、同じ様に苦笑した。


「柄本さんはフェリシア・エンベリー。向こうのオレの世話係だからね」

「それがこっちでは同級生で対等な立場なんだから不思議。……ねえ、知ってるかな? 向こうの私は向こうの鏡崎くんの事好きなんだよ」

「そうなの?」


 オズワルドは気付いているのだろうか。


「言葉にしていないけど、胸が温かさで一杯になるから分かるの」


 柄本は華音をじっと見つめ、視線に耐えられなくなった華音がやや顔の角度を変えると、1人納得して頷いた。


「こっちの私はそうでもないみたい」

「そうでもないって……」


 突然の拒絶に、華音は戸惑った。

 柄本は朗らかに笑う。


「向こうの鏡崎くんが向こうの私の事をどう想っているかは分からないけど、こっちの鏡崎くんはこっちの私じゃなくて桜花ちゃんが好きなんだよね」

「そう……だけど」


 華音は頬を赤く染め、無意識に首に巻いているマフラーに触れた。青い桜柄の手編みのマフラー。この世に2つとない、桜花からの誕生日プレゼントだ。

 一呼吸置いて、柄本は言った。


「私はもうすぐ居なくなっちゃうけど、どうか鏡崎くんはその“好き”を貫いて。そして、どうか桜花ちゃんの隣に居て」


 その笑顔は太陽に向かって咲き誇る向日葵の様に美しく生命力に溢れていて、とてもこれから死にゆく命には思えなかった。だけど、だからこそ華音は確信していた。

 華音の父もそうだった。病室で父の笑顔を見た時、華音はこれが最期なんだと確信した。


 最期の笑顔がとても綺麗で一段と輝いて見えるのは、心と身体が全ての力を振り絞ったからだろう。まるで、夜空に美しく大輪を咲かせて儚く消えゆく花火の様に。

 死ぬ事は誰だって恐い。でも、それ以上にこれからも生き続ける大切な人達に悲しみを背負わせたくない。出逢って良かったんだって思ってほしい。柄本のその想いを感じ取った華音は、それに真っ直ぐ応えた。


「うん。オレはずっと桜花を好きでいるよ」


 パタパタと足音が聞こえ、病室の前で止まったかと思うと、シャッと扉が開け放たれた。


「待たせたわね! ちゃんと飲み物を買って来たわ!」


 パック入りの飲み物を3つ左腕に抱えた桜花が、自信満々に戻って来た。

 柄本は声を出して笑い、華音は呆れた顔をした。


「……桜花。屋内は走っちゃ駄目だよ」

「2人を待たせちゃいけないって思ってつい。柄もっちゃん、お釣りね」


 桜花はお釣りを柄本に渡した後、サイドテーブルに3種類の飲み物を立てた。


「あー……やっぱり、私の声届いてなかったかぁ」


 柄本は3種類の飲み物を前に、ガックリと肩を落とした。華音の笑顔も引き攣っていた。

 ミルク&お好み焼きソース味、マグロ味、麻婆豆乳……と、どれも罰ゲームの様なラインナップだ。よく病院内での販売を許可したものである。

 お金を出した柄本から選ぶ事になり、華音は心底どれでもよかったので残り物を貰った。

 その後、柄本はミルク&お好み焼きソース味を、華音は麻婆豆乳を一口飲んで噎せ返った。一方で、桜花は実に美味しそうにマグロジュースを飲み干した。


 少しの間華音は桜花と柄本の雑談に加わっていたが、頃合いを見計らってそっと病室を出た。

 何も知らず笑う桜花の横顔を見ているのが後ろめたくて心が痛かった。

 それが柄本日向との最後の会話だった事を桜花が知ったのは、それから1週間後の事だった。




 朝のホームルームで寒川(そがわ)先生が暗い顔で柄本の病死を告げてからと言うもの、桜花は授業、休み、関係なく放心状態だった。

 そして夕焼けで真っ赤に彩られた教室で、桜花は帰ろうともせずに机に突っ伏している。クラスメイトが心配そうに一声、二声掛けて教室を出て行く中、華音はただ静かに桜花の傍に立っていた。

 多分、数日経っても桜花は悲しみの淵から抜け出せないだろう。それでも、否、だからこそ、華音は心から祝福しようと思った。数日後にやってくる桜花の誕生日を――――。





 ***



 その夜、夢を見た。ベッドの上で膝に布団を掛けて座る、自分そっくりな少女と、その娘の前に並ぶ、リデル様そっくりな少年とドロシー王女そっくりな少女。何を話しているのかはよく聞き取れないが、皆笑っていて楽しそうな雰囲気は伝わった。

 暫く離れて様子を見ていると、自分そっくりな少女が此方を向いた。2人と話していた時とは違い、少し寂しそうな笑顔で、目の端で涙が光っていた。

 楽しくて幸せな筈なのに、どうしてそんな表情をするのか理由は判然としなかった。


 目が覚めた時、恐怖、悲しみ、希望、願望、幸せなどの感情で胸が一杯で、頬に涙が伝っていた。



***



 洗練された朝の青白い光が大きな窓から差し込み、窓際のテーブル席を柔らかく包み込む。そこでオズワルドは本を読み、奥のベッドではメイドのフェリシアがベッドメイキングしていた。

 初めの頃は覚束無い手付きで作業も遅かったが、毎日繰り返しているうちに手際よく行える様になった。今日も手際は悪くないのだが、何処か上の空に見えた。数時間前に着替えを持って来た時も、食事を運んで来た時もそうだった。今日のフェリシアは様子がおかしい。

 オズワルドは本を閉じて席を立った。


 ベッドメイキングを終えたフェリシアがオズワルドに一声掛けようとすると、いつの間にかテーブルにティーセットが並べられており、それを背にオズワルドが立って此方を見ていた。朝日に包まれたその顔は、いつも以上に柔らかく見えた。

 怒られる訳ではなさそうだが、フェリシアはドキドキしながら身構えた。


「フェリシア。お茶にしないか?」

「えっ」


 突然の事ですぐには何を言われたのか分からなかった。


 リデル様に初めて名前を……それにお茶?


 フェリシアはテーブルに視線を向けた。よくよく見ると、ティーセットは2人分用意されていた。

 そうか。リデル様は私をお茶に誘って下さったのか……って、え? またフェリシアは困惑した。


「い、いえ……! あの、私は使用人です。リデル様とお茶をご一緒する立場では……」

「実を言うと、いつも独りでは退屈でな。たまには話し相手になってほしいと思ったんだが……無理強いは良くないか」


 フェリシアへの気遣いであったが、半分は本心の様に思えた。


「あっ……えっと、嫌ではなくて……寧ろ嬉しいのですが、私の様な庶民がお茶をご一緒しても良いものかと……思ってしまって」


 フェリシアは恥ずかしさと申し訳なさから、ギュッと縮こまった。


「そんな事はない。私もお前も大して差はない。あるとするなら――――」


 言い掛けて、オズワルドは(かぶり)を振った。

 ハーフエルフだからと言って、フェリシアが距離を置いた事なんて1度もなかった。いつも向けられるのは悪意ではなく敬意と好意だと、オズワルドは知っていた。


 オズワルドが席に着く様に促すと、フェリシアは一礼して恐る恐るオズワルドの向かい側に座った。

 夢で見た自分そっくりな少女がそこから居なくなったとしても、見えない存在となって彼女を知る者達の中に居続けるだろう。それも、悲しみの象徴ではなく、出逢って良かったと思える喜びの象徴として。

 オズワルドの人生はきっと自分がこの世から居なくなった後も続いていく。途方もなく長い人生のほんの一時でも、出逢えて良かったと思える存在でいたいと、フェリシアは思った。 

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