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スペクルム カノン  作者: うさぎサボテン
第二章 桜花の如く舞い降りた王女
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6.

「鏡崎。鏡崎―? 鏡崎華音!」


 探る様な声色から、徐々に怒気を含んだ声色へと変わった男性教師の声で、華音は目を覚ました。

 机上のひんやりとした感触から離れ、顔を上げれば、クラス中の視線が自分へと注がれている事に気が付く。そして、いつの間にか埋め尽くされていた黒板が視界に入ると、寝ていた事にも気が付いた。

 華音が起きた事を確認すると、教師はトントンと靴音を響かせて彼のもとへ。


「次、寝たら減点だぞ」

「はい。すみません」


 クラスは少しばかりざわつく。

 1年の時から授業態度も、成績も、全てが完璧である鏡崎華音があろう事か、授業中に居眠りだなんて。初めて見るだけに、周りはその話で持ちきりだ。

 教師が教壇に戻っていき、授業が再開されても、華音の脳はやはり半分眠ったままだった。



 授業の合間の休憩時間。華音が廊下を歩いていると、大量の本を抱えた、担任教師である寒川(そがわ)先生が真正面から不安定な動きで歩いて来た。

 周りに居る生徒達が気にも留めない中、華音だけは真っ先に寒川先生に手を貸した。

 教師は礼を言う。

 これらは1階の職員室に運ぶとの事なので、そこまでお供する事となった。


「喜多村先生から聞いたぞ。お前、授業中に居眠りしていたそうじゃないか。今までそんな事1度もなかったのに、一体どうした?」


 喜多村先生とは、1限の世界史を担当していた生真面目な男性教師だ。

 隣を見ると、心配そうな顔があった。

 華音は視線を両腕に抱えた本へと移し、口を開く。


「……最近、少し寝不足で。自分でも驚きました」


 原因は毎晩の様に魔女の生み出した魔物を倒しているからだが、これを正直に口にしようものならもっと教師らを不安にさせてしまうだろうと思って言えなかった。

 寒川先生は「そうか」と静かに言い、脳裏に浮かんだ2人の生徒の名を口にした。


「前々から思っていたが、風間と高木。アイツらは悪い奴じゃないが、優秀なお前がこれから先も深く付き合うのは将来的にも良くないと思う。進学を目指すなら尚更だ」

「……はい。そうですね。程々にしておきます」


 華音は笑顔を貼り付け、心の中では表情を歪めて舌打ちした。

 重みで転げ落ちない様、いつもよりも慎重に階段を下る。

 会話はない。周りのざわつきが、よく廊下に響く。

 日の光がよく差し込む長い廊下を歩いていると、また寒川先生の方から話を切り出した。


「鏡崎にお願いがあるんだが……」

「はい。何でしょう?」

「昨日転校して来た赤松に、学校案内をしてあげてくれないか?」

「はい。分かりました」

「ありがとう」


 これは、桜花と話す絶好の機会。

 スペクルムのドロシーと同じ生命体である事はオズワルドから聞いたが、本人からは「魔法使い」としか聞いていない。

 魔女と対立する者同士、情報交換等、これからの事について話す必要がある。

 唯、昨日転校して来た為にクラスメイトからの注目を浴びている彼女と、2人きりになれる筈もなく、どうしようかと悩み始めたところだった。

 華音は職員室に寒川先生の荷物を届け、来た道を辿って教室へと戻った。



 本日は部活動がなく、チャイムが鳴り終わって早々、帰宅する生徒が殆どだった。華音のクラスも人がまばらになり、タイミングを見計らって華音は席を立った。

 向かうのは廊下ではなく、後方の席で帰り支度をしている最中の桜花の所だ。


「赤松さん」


 目の前に立った華音に、桜花は手を止めてゆっくり顔を上げた。大きな栗色の瞳には、不安と疑問が渦巻いていた。


「今から空いてる?」

「うん。特に急ぎの用事はないけれど……」

「良かった。それじゃあ、」

「デートの申し込みか~?」


 華音の言葉を遮り、刃が雷と共に背後から現れた。

 そう言えば、席が近く、まだ教室内に残っていた。華音は一番の厄介者を見落としていた事に、自分を恨んだ。


「昨日知り合ったばかりなのに、そんな事ある筈ない」と、華音はきっぱり言い、親友達を横目で見た。「赤松さんに学校案内をしてほしいって、先生に頼まれたんだよ。お前らと違って、オレは信頼されてるから」


 これは図星で2人は苦笑いするも、刃が堪らず唇を尖らせて言い返した。


「本当の事だけど、ヒドイぞーかがみん。いつからそんな嫌味言うような、黒い人間になっちまったんだ。俺は悲しい。昔は可愛かったのに。ドジで泣き虫で」

「とにかく。期待通りの浮ついたイベントはないから、2人はさっさと帰ってよ」

「そう言われると、逆に怪しい気がするけど。ま、言われなくても今日は早く帰りたいしな。風牙と(めぐみ)が待ってるし」


 雷宅は、両親共に働いていて、今日はパートの母親の帰りがいつもよりも遅くて家事をする者が誰も居ないのだ。そう言う時は長男である雷が早めに帰宅して、母の代わりを務める事になっている。


「俺も、あにまるフレンズ最新巻の初回限定版を買いに行かなきゃなんねーからな」


 真面目な顔で言う刃だが、雷と比べると全くもってどうでもよかった。いや、比べるのも失礼と言うものだ。

 それぞれの理由で2人は華音の希望通り退室していった。

 教室に残ったのは、華音と桜花だけとなった。

 安堵の息を吐く華音の目の前で、桜花は不安と疑問を未だに残した瞳を瞬かせていた。


「えっと……。学校案内? キミがしてくれるって事でいいのかな?」

「うん。この学校、広いから何処に何があるかとか、まだ分からないと思うし」


 華音は優等生の顔で笑う。


「そうね。じゃあ、お願いします」


 桜花は華音の言動の真意に気付き、態とらしく穏やかな笑みを返すと、鞄を肩に掛けて席を立った。鞄にぶら下がった、猫のマスコットが揺れた。

 華音が歩き出し、数歩後ろを桜花がついていった。





 刃と雷は並んで、道路沿いを歩いていた。本日刃が向かう場所が雷の家の方面にある為、自然とこうなった。

 話題はいつもの刃の一方的なアニメトークではなく、華音の事だった。先程、刃が昔の事を口走った事がきっかけだ。


「強がりなのは、今でも変わんねーけどなぁ」


 雷が兄の様な口調で言い、刃は「違いない」と笑って首肯した。


「ぜってーしんどいハズなのに、大丈夫って言うのがアイツのくせって言うか。そこまで優等生やってなくていいのに」


 刃は笑いつつも、神妙さを瞳に宿していた。

 2人は同時に、同じ過去を思い出した。




 まだ小学校中学年ぐらいの頃の事だ。その頃から刃と雷は仲が良かった。

 その日はいつも行く、自宅から少し離れた場所にある公園でボール遊びをしに出掛けた。

 木々に囲われた園内は広く、ブランコやシーソーや滑り台、砂場、姿勢を低くすれば大人だって入れるドーム状のトンネルが設置されていて、隣は思いっきり走り回れる広場になっていた。

 いつもは賑わっている筈の公園。しかし、今日は人の姿がまばらだった。ベンチに腰掛ける老人は勿論の事、子連れの母親、刃と雷の様に仲良く遊びに来た子供達の姿すらあまりない。

 空は鉛色。天気予報では雨が降ると言うのを、此処に居る者達は聞いていなかったのだ。

 ポツポツと冷たい雨粒が頬を濡らし、次第に地面を強く叩き出した。


「わー! ふってきた!」

「あそこに避難しよう!」


 ボールを抱えて慌てる刃を、雷が冷静に導き、2人揃ってドーム状のトンネルに逃げ込んだ。

 トンネルの天面を雨粒が容赦なく叩く音が反響する。丸く刳り貫かれた出入り口から見える白い景色に、刃と雷はホッと胸を撫で下ろした。

 これで暫くは安全だ。

 ふと、雨音に紛れてすすり泣く声が聞こえて来た。

 刃は幽霊か何かだと思って青褪め、雷が平然とした様子で正体を突き止めた。


「誰か居る」

「誰かって、ゆ、幽霊!?」

「人間だよ。フツーの。ほら」


 雷が指差した先には、隅で膝を抱える子供の姿があった。

 身体は透けて居ないし、恐ろしい感じもしなかった。

 刃は「なんだ」と安心し、子供に近付いた。


「おい、お前! な~に泣いてんだ?」


 子供は洟を啜り、顔を上げた。潤んだ漆黒の瞳に、綺麗な黒髪、女の子と見間違う程の中性的な容姿の彼こそ、華音だった。


「べ、べつに泣いてなんかない!」


 声を必死に荒げているが、涙声だ。

 雷も近付いて来て、華音の細い手足に痣や擦り傷がある事に気付いた。


「それ、どうしたんだ? 転んだのか?」

「こ、これは……」


 サッと、華音の顔が青褪める。

 だが、そんな感情の変化に気が付かず、刃はニヤニヤと笑った。


「ドジだなーっ」

「ドジじゃないっ! 何なんだよ、お前たちは」


 華音はまた、膝を抱えて顔を隠してしまった。

 雷は刃の頭を叩き、華音に満面の笑みを向けた。


「おれは高木雷って言うんだ。で、コイツは……」

「刃。風間刃だっ」


 叩かれた箇所を摩りながら、刃が誇らしげに言い、華音が顔を上げた。

 目の前には無邪気な笑顔の少年が2人……。

 華音の雨雲の様な表情にも、薄日が差し始めた。


「華音だよ」


 雨音が止み、トンネルの外から眩い光が差し込んだ。

 雨上がりのトンネルの中、3人は友達になったのだった。





「ドジって言うか、あれは……」


 雷が言葉を飲み込む横で、刃も察して小さく頷いた。

 幼い頃は単なる本人の不注意による怪我だと思っていたが、成長して物事に対する視野が広がると本質が見えてくる。

 小さい子供が1人、怪我をして人目につかない場所で泣いている理由なんて、きっと1つしかない。


「そういや、この前、風牙が悪ふざけで鏡崎の服脱がせようとしてさ、怒られたんだよ。そりゃ当たり前なんだろうけど、あの怒り方は異常だったな。まるで、何か見られちゃいけないものでもあるみたいだった。もしかして……なんだが」


 その時は触れない様に努めた雷だったが、過去を思い出して言わずにはいられなかった。


「今は大丈夫なんだろうな? って、本人に訊かなきゃ分かんねーわな……」

「だろうな。けど、鏡崎が嫌がるだろうし、そっとしておくしかねーだろ。それに、さすがにもう高校生だしな」


 話に区切りがついた時には、すっかり空気は重くなっていた。

 道路を行き交う車の音がやけに周囲に響く。

 刃がブレザーのポケットからスマートフォンを取り出して弄り始め、雷は思い出した様に話題を振った。先日の、SNSへ送られた華音からのメッセージ、否、呪詛の事だ。

 それを聞くと、刃の表情が一気に青褪めた。画面に指を置いたまま、唇を震わせて言葉を絞り出した。


「あ、あれは……。あれはヤバイって!」

「確かに悍ましい内容だったが、何がそんなに?」


 雷は冗談半分だが、刃の目は真剣そのものだった。


「あれは本当に呪いだ! あれを見てすぐ、俺は腹痛を起こしたんだ……。半日寝込んだ」

「そ、それは……偶然なのか、何なのか」

「呪いだよ! 絶対に!」

「うーん……鏡崎ならやりかねない……かも」


 公園でよく泣いていた幼い頃の華音の姿は、2人の中からはすっかり消えていた。

 高校生へと成長して、心が真っ黒に染まった親友を怒らせまいと、心に誓ったのだった。

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