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スペクルム カノン  作者: うさぎサボテン
第十一章 金色の愛に包まれて
162/200

15.

 最後に走ったのは幼い頃、自分の病気の事を全く理解していなくて友達と駆けっこして以来だ。あの時は呼吸が苦しくなり、心臓が締め付けられて、遠退く意識の中で母の叫び声を聞いて気付いた時には病院のベッドの上だった。目を覚ました途端、両親が泣きながら抱き締めてくれ、とても心配させてしまったのだと思った。子供ながらに、それはとてもいけない事だと反省した。

 それから成長するにつれて自分の病気の事も理解し、心臓に負担を掛ける様な事は極力控える様になった。


 母の叫び声を忘れた訳じゃない。けれど、今は体を張って護ってくれた西野の思いを無駄にはしたくなくて勝手に足が動いていた。


 走り方なんて知らない。呼吸の仕方も分からない。

 足が縺れそうになる。冷たい空気を吸い込んだ肺が苦しい。心臓が痛い。

 限界が近くなると、動きは鈍くなり立つ事もままならなくて柄本は冷たいアスファルトの上に蹲った。


 自宅から離れた人気のない通りで、頭上の街灯は切れかかっていた。

 しかし、今の柄本には周りを気にする程の余裕はなかった。とにかく苦しくて、意識が遠退いていきそうだった。

 柄本は歯を食い縛り、意識を保つ。母の叫びの代わりに思い出すのは、西野の屈託ない笑顔だった。


「西野くん……」


 バスケットボールが大好きで高校生活全てをそれに注ぐ一生懸命な姿は、いつも柄本を元気付けてくれる。西野の事が好きなのかはまだ分からないが、背中を無意識に追う程には気になる存在になっていた。

 視界に入ったレジ袋は1つしかない。もう1つは西野が持っている。


「西野くん……私」


 助けないと! あの得体の知れない存在から。

 どうすればいいのかなんて分からないけれど、強い意志は柄本を立ち上がらせた。

 来た道を引き返そうと後ろを向くと、真っ先に赤い双眸が目に飛び込んで来た。


「え」


 柄本は衝撃のあまり動けなくなった。

 影そのものの様な、黒い狐の様な形状をした化け物がそこには居た。

 まさか、西野はもう……と嫌な想像が脳裏を過ぎった。

 グルルル……と、化け物は姿勢を低くして唸る。

 更に背後からも気配を感じ、振り返ると同じ姿の化け物が2体居た。

 柄本は3体の化け物に囲まれた。

 じりじりと、包囲の陣が狭まっていく。


 ドクン。また心臓が締め付けられ、堪えきれずに心臓を押さえて蹲った。そこへ、化け物達は一斉に飛び掛かる。




「ヴァサーフォル!」


 上空に巨大な魔法陣が展開し、真下に居る狐の様な形状をした魔物達に向かって大量の水が滝の様に流れ落ちた。

 華音は消滅した魔物から解放された光の球体(生命力)が持ち主のもとへ還っていくのを眺めた後、内側に居る別次元の自分に話し掛けた。


「魔物はこれで全部か?」

『……いや。西北西の方角に、また魔物が出現した』

「西北西って言われても難しいな」

『私が案内してやる。そのまま真っ直ぐ進め。目立たない様に屋根伝いに行くといい』

「偉そうだな。屋根伝いもなかなか目立ちそうだけど」


 華音は塀に飛び乗り、それから庭木を伝って屋根に移動すると、屋根から屋根へ白いローブを翻して駆けて行った。

 目的の場所までもう少しと言うところで、オズワルドが言う。


『彼方にも魔物が出現した。それも3体』

「じゃあ、先にそっちに行った方がいいか?」

『ドロシーの魔力……。大丈夫だ。オウカが何とかしてくれる。私達は近い方から倒すぞ』

「分かった。倒したらすぐに駆け付けないと」


 それを容易にやってのける人物をオズワルドは思い出した。


『ケントはどうした?』

「両親の実家に帰省した。年明けまで帰って来ないってさ」

『役立たずめ』


 地上を黒い物体が駆けているのが見えた。

 足を止め、そこから魔術を放つ。


「アイシクルスピア!」


 無数の氷の刃が雨の様に降り注ぐ。

 ところが、甲高い音が響くと同時に氷の刃が勢いを増して戻って来た。


「な、何だ!?」


 華音は横へ飛び退き、地上を再確認する。すると、狐の魔物の隣に剣を持った金星の魔女ジュエルが居た。




 桜花は地上を走っていた。誰かと擦れ違ったら確実に振り返られるだろう格好だが、幸い誰も出歩いていなかった。


『ちょっと待って下さい』


 内側に居る別次元の自分に呼び止められた。


「どうしたの? ドロシー」

『彼方にも魔物が……と思ったのですが、今オズワルドの魔力を感知しました。彼方はカノンくんに任せましょう』

「華音が……。よぉし。こっちはわたし達で倒すわよ」

『はい。頼もしいですわ』


 角を曲がると、魔物の後ろ姿、それからその合間から蹲る人の姿が見えた。魔物は今まさに人に襲いかかる瞬間だった。

 桜花は駆け出し、杖を振るう。2体の魔物が吹き飛び、残りの1体も2撃目で吹き飛ばした。

 地面に転がった魔物には目もくれず、桜花は蹲る人に駆け寄った。


「大丈夫!?」

「その声……桜花ちゃん……?」


 息苦しそうに顔を上げたその人は、桜花の友達である柄本だった。桜花に衝撃が走るも、すぐに魔物が起き上がってそれどころではなくなった。

 桜花は再び魔物に杖を振るって気絶させ、柄本が背後に居るのもお構いなしに魔術を放つ。


「いくわよ――――ファイアブレス!」


 一直線に吹き出した紅蓮の炎が魔物を次々と呑み込み、焼き尽くした。





「ふふ。残念ね」


 金星の魔女ジュエルは魔物の体に手を差し入れた。


『カノン、マズイぞ!』


 オズワルドが切羽詰まった声を上げたと同時に、ジュエルは不適な笑みを浮かべて魔物から生命力を抜き取った。

 ジュエルは華音に、生命力を見せびらかす。


「ちょっと遅かったわね。これはいただいていくわ」

「待て!」


 屋根から飛び降り、杖を振り下ろすも剣で受け流されてしまった。そして、ジュエルは生命力を持ったまま魔物と共に消えた。



 ジュエルの魔力はその後感知されなかったが、まだ桜花と魔物が戦っている様だったので華音はそちらに向かった。道中、オズワルドには道案内をしてもらうのみで、会話はしなかった。目の前で魔女に生命力を奪われてしまった事への後悔と責任が2人の心を蝕んでいた。

 辿り着いた時には、炎が魔物を呑み込んでいた。

 炎と魔物が消滅した向こうには、桜花が両膝を着いていた。

 一瞬華音は桜花が怪我でもしたのかと心配だったが、よく状況を確認すると桜花の目の前に人が蹲っている事に気付いた。桜花は相手の事を何度も泣きそうな声で呼んでいる。聞き間違えでなければ、仲の良い友達の愛称だ。

 華音は胸がざわついた。


「まさか、柄本さんが!?」


 駆け付けて見ると、顔は俯いていて見えないが華音もよく知る少女だと言う事が確認出来た。

 柄本は何度目かの桜花の声に応え、ゆっくりと顔を上げた。朧気になっていく瞳に、桜花だけど桜花ではない別人と、華音だけど華音ではない別人の姿が映った。

 柄本はこれまで2人に抱いていた違和感の正体に気付くのと同時に、初めて会う人物達ではないと確信した。

 何処で会ったかは分からないけれど、彼らの事はよく知っている。特に、宮廷魔術師の方には自分だけど自分ではない誰かが恋情を抱いていた。


「……リデル、様」


 掠れた声で、無意識にその名を口にした。

 その場に居る全員が驚いたが、特に動揺をしていたのは名を呼ばれたオズワルドだった。


『フェリシア・エンベリー……此方(リアルム)のフェリシアだ。だが、何故私の事を……?』


 フッと、柄本が意識を失い、魔法使い達の魂も彼方(スペクルム)へと還っていった。

 元の姿に戻った華音は取り乱した桜花の代わりに、スマートフォンで救急車を呼んだ。柄本の心臓はまだ微かにだが動いていた。生命力を奪われた訳ではなかった。


(それなら、ジュエルが奪っていったのは一体誰の生命力だったんだろう……)


 遠くから聞こえるサイレンの音を聞きながら、華音は夜空を見上げた。




 翌日、華音の所に刃から訃報が届いた。

 西野太陽が死んだと――――。

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