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スペクルム カノン  作者: うさぎサボテン
第十章 二つの世界の追走曲
134/200

4.

 ***



 ここ数日の華音は忙しかった。理由は鏡国高校の文化祭を今週に控えているからだ。

 準備自体は先月上旬から始まっていたが、華音は初日から看板やチラシ作りなどのデザイン面でお払い箱となり特に何もする事がなくて真っ直ぐ帰宅していた。それが当日が近くなった事で看板やチラシの設置、教室の飾り付け作業、それから接客練習もする事となり、放課後にせっせと働いた。


「お帰り、カノン。アルナとご飯食べるか? それともアルナと風呂に入るか?」


 玄関でアルナが擦り寄って来ても、華音は疲れた笑みを返して家政婦の水戸ちかげと共にリビングに向かい殆どアルナの相手はしなかった。

 アルナはリビングを睨み付け、頬を膨らませた。


「最近のカノン、全然アルナの相手してくれないぞっ」


 帰りも遅い、朝も早い。同じ空間に居てもスマートフォンを弄っているか、寝ているかのどちらかだった。水戸とも必要最低限の会話しかしていなかったのだが、アルナは疎外感を抱き始めて面白くなかった。




「この前のカノンは可愛かったのになぁ」


 ソファーにでんっと座るアルナは膝に肘を付き、両手で両頬を包み込んで顔を綻ばせた。

 震えて濡れた瞳で名を呼んでくれた華音は幼く見え、母性本能がくすぐられたものだ。

 桜花と出掛けた帰りだったものだから、てっきりフラレてしまったのではないかと思い、この絶好の機会に華音の恋心を自分に向けさせようと目論んだのに……どうやら筋違いだったようだ。今でも華音の恋心は桜花唯1人に向いている。


「あーあ。くっやしーな、さっみしーな」


 ばたんと横になると、ローテーブルの陰でじっとしているほわまろと目が合った。


「ほわまろもそう思うよな」


 同意を示す様に、ほわまろはピョンっと主人の身体に飛び乗った。

 エルフ特有の長い耳が廊下から此方へ近付いて来る足音を拾った。


「カノンだ!」


 ほわまろを放ってガバッと上体を起こし、首をリビングの出入り口に向けた。

 バスタオルを肩に掛けた寝間着姿の華音が入って来て、ふわりと石鹸の良い香りが漂った。


「水戸さん、風呂空いたよ」


 華音はアルナには目もくれず、キッチンで後片付けをしている水戸の背中に声を掛けた。

 水戸はたわしを置いて華音の方に向き直った。


「はい。ありがとうございます」

「それじゃあ、オレはもう自分の部屋に戻るよ。明日も朝早いからね」

「分かりました。おやすみなさい」

「うん。おやすみ」


 2人は互いに笑顔で挨拶を済ませ、視線を外した。

 踵を返そうとした華音はふと気付いた様にアルナの方を見、目が合うと柔らかな表情で小さく手を振った。


「アルナもおやすみ。あんまり夜更しするなよ?」


 そして行ってしまう。アルナは一気に脱力し、またソファーに倒れ込んだ。


「11時前に寝るって、どんだけ良い子なんだよーっ。そーゆーとこも好きだけどさ」


 むぅっと膨れっ面で寝返りを打つ。


「華音くんも忙しいのよ」


 水戸が歩いて来て、ローテーブルに湯気の立つマグカップを置いた。中にはマシュマロを浮かべたココアが入っている。

 アルナはむくりと起き上がって、マグカップを両手で包み込んだ。


「文化祭、私達も誘ってくれたし一緒に行こうね」


 水戸はそう言うと、キッチンへ戻り後片付けを再開した。


「そうなんだけどー……なーんかアルナは楽しくないんだよー」


 ココアを一口飲むと、今度はテーブルに倒れる。長い髪がテーブルからカーペットへとサラリと流れ、金糸の滝を象る。丁度真下に居たほわまろはすっぽりと呑まれて見えなくなった。

 その体勢のままアルナの右手は傍らに置かれたリモコンを掴んだ。


「どうしたらカノンの気を引けるんだろ……」


 答えを求めるようにテレビを点けると、画面にデフォルメされた猫のアニメ映像が浮かび上がった。

 最初は映像を目で追っているだけだったが、次第に猫の言動が気になり始めて姿勢を正し真剣に観ていた。


「この猫は飼い主の気を引きたくて、こんなイタズラを……。何かこれアルナに似てる。そうか! アルナもそうすればいいのか! ちょーど試したい事もあったし、一石二鳥だ」


 虚ろだった瞳に輝きが戻る。あまり味を感じなかったココアも甘く美味しく感じた。


「ふふ。アルナちゃん楽しそう」


 後片付けを終えた水戸は、テレビに夢中の幼女の後ろ姿を見て顔を綻ばせた。

 水戸は知らなかった。この時アルナが世にも恐ろしい計画を企てている事に……。





 後日、宣言通り早く家を出た華音は運悪く魔物と出くわした。

 狼の形状をした魔物が2体、登校または出勤する者達を目で追いながら民家の屋根を駆けていた。

 上空からゴルゴもやって来て、華音は急いでカーブミラーのある場所まで走った。

 幸いカーブミラーの周囲には人気はなく、安心して鏡の向こうの魔法使いと対面する事が出来た。


「朝からは嫌だなー……学校遅刻したらどうしよう」


 華音は複雑な顔で、差し出された手の平に自分のそれを重ねた。そこから眩い光が溢れた一瞬、肩に白兎を乗せた金髪ツインテールの幼女が鏡面に小さく映り込んだ。

 不審に思い確認しようとした時には華音はゴルゴと共に青白い光の空間に居て、オズワルドと向き合っていた。

 オズワルドも華音と全く同じ表情だった。


「今、アルナが居たな」

「うん。今朝は見送ってくれなかったから、ちょっと変だと思ったけど……」


 華音はそこで言葉を切った。オズワルドの表情がやや深刻そうなものに変わっていたからだ。

 オズワルドは告げた。


「此処から1キロ先にも魔物が現れたようだ」

「同時に戦うのは無理だろ」

「だから目の前の魔物を倒してさっさと向かえ……と言いたいところだが、ドロシーの魔力を察知した。オウカに任せていいだろう」

「桜花に……そうだな」

「それにこの街にはケントも居る。アイツの能力なら一瞬で駆けつける事が出来るだろう」

「賢人……」


 名を聞くだけで悪寒が走り眉間に皺が寄る。これまで他人に抱いた事のない嫌悪感だった。

 華音の両肩を掴んだオズワルドはその硬直具合に彼の心中を察した。


「まあ、気持ちは分からなくもない」


 その時、2人の足下に見覚えのない複雑な紋様の魔法陣が展開し、淡い光を放った。


「な、何だ?」

「これは……」


 狼狽する華音と警戒するオズワルド、それからもう1人――――


「ルーンソウル!」


 姿の見えない誰かのあどけない声が2人を引き裂く様に降ってきて、一層強くなった光が遂には2人を呑み込んだ。

 光が弾け、2人の身体が宙を舞った。咄嗟に華音が手を伸ばすが全く届かず、まるで同じ極の磁石の様に引き離されていった。

 そんな主達をゴルゴは羽ばたきながら見送った。


 意識が飛び、再び戻った時には幻想的な世界から現実の世界に戻っていた。

 2人はカーブミラー越しに対面していた。

 最初は同じ様に目を瞬かせていたが、次第に男子高校生を映す魔法使いの目が幽霊を視る様なそれに変わって鏡の中の彼はすっかり青褪めてしまった。


「オ、オレが居る……!」

「あぁ……やはりな。いつもは居候するだけのこの身体が私の意思で自由に動く」


 鏡の外の彼は手足を動かし、確信する。

 その様子に、鏡の中の彼も状況、それから息を呑んだ。


「魂が入れ替わった……って事?」

「ああ。その様だ。何処かのアホのおかげでな」


 華音の姿のオズワルドが右斜め上を見、釣られてオズワルドの姿の華音が同じ方を見ると、電柱の上にアルナが立っていた。更に彼女を挟む様に、2体の狼の形状の魔物が空中浮遊していた。


「あはははっ! まんまとアルナの手の平の上で転がされたな」


 言いながらアルナがぱちんと指を鳴らすと、魔物達はブラックホールを彷彿させる闇に引き込まれて消えた。

 魔物はアルナが創り出したもの、つまりフェイクだった。

 華音はアルナの言動が理解出来ず嘆く。


「アルナ! 何でこんな事を……」

「それはカノンが構ってくれないからだぞ」

「えっ……と……?」

「アルナのイタズラ大作戦だ! これでカノンもアルナに構わずにはいられなくなるぞ」


 とおっ! と掛け声を上げ、アルナが空中に身を投げる。着地点に立っているのは不機嫌顔のオズワルドだが、姿形は華音そのもの。その為、アルナは優しく抱き止めてくれると思っていた。


「アホか」


 オズワルドは冷たく吐き捨てると、眼前まで迫って来たあどけない顔を鞄で(はた)き飛ばした。丁度、うるさいハエを叩く様に。

 大きな円弧を描いた鞄が微かに掠り、ゴルゴは驚いて手身近な庭木まで退散した。


「ふぎゅっ」


 アルナは固いアスファルトの上に、仰向けで転がった。コロンと、彼女の肩に乗っていたほわまろも弾みで落ちた。

 オズワルドは鞄を担ぎ、影の落ちた顔でアルナを見下ろした。


「お前……(なかみ)を入れ替えてどうするつもりだったんだ。これでは肝心の華音はお前に触れる事すら叶わんぞ。それとも何か? 華音の姿ならでも構わないのか?」

「ふあぁっ!? そ、そうだった……」


 アルナは上体を起こし、青褪めて口をわなわなさせた。

 オズワルドは不敵な笑みを浮かべる。


「お望みとあれば、この姿で何でもしてやろうか」

「け、結構だ!」


 慌てて立ち上がろうとするアルナの胸倉をオズワルドは乱暴に掴んだ。ぷらんとアルナの両足が数センチ宙へ浮く。


「はう!?」

「この術について説明しろ」

「こんなのカノンじゃないからやだーっ」

「さっさとしろ」


 オズワルドが更に手に力を込めると、アルナは両足をばたばた動かして涙目になった。


「わ、分かった! このルーンソウルは対象の魂を入れ替える術だ。異なる次元の者同士でも出来るかどうか不明だったが、問題なかったみたいだ」

「……問題あるが? で? 術なんだから、勿論効果は永遠ではないよな?」

「もう恐い! 約18時間経つと、自然と魂は元に戻るぞっ」

「そうか。これでは魔物が倒せない。お前が敵なら見事な策略だな」

「それは褒めてるのか……? ってゆーか、いつまでこの状態なの! 離せっ」


 言われた通りにオズワルドがパッと手を離すと、アルナは反動で尻餅をついた。

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