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スペクルム カノン  作者: うさぎサボテン
第十章 二つの世界の追走曲
132/200

2.

 使い魔達からの攻撃はやみ、賢人はよろめく。


「君こそいきなり何するの」


 賢人が顔面を片手で覆いながら前方を見ると、まだ拳を構える華音が居た。

 華音の眉は吊り上がり頬は赤く、漆黒の瞳は潤んでいた。


「変態! しかもオレの個人情報を……そうだ、思い出した。ちょっと前に下校時に迫って来た変質者だろ。ストーカーか!?」

「ストーカーって、君が美人さんだからっていくら何でも自意識過剰過ぎない?」

「黙れ、変態! 勝手に個人情報調べたのには変わりないだろ」

「変態変態ってさすがに傷付くよ~お兄さんも。個人情報ってのは君自身から教えてもらったんだけどな」


 賢人はまた舌舐めずりした。


「オレ、まだ名前しか言ってない……」


 華音は益々気味が悪くなり、拳を下ろして後退る。


「唾液。僕はね不思議な能力を持っていてね、相手の唾液や血液などの体液を口にする事で相手の出生や記憶を知る事が出来るんだ」

「はっ……?」

「地味に困るのがセックスなんだよね。毎回個人情報知らされるのは気が散るし」

「…………」

「そう言うワケだから次は桜花ちゃんね!」


 笑顔で桜花に近付く賢人。まさに変質者だ。

 桜花は未だに状況整理に手間取っていて無防備だった。賢人の大きな手が桜花の柔らかな頬に触れようとした時、華音が素早くその手を払って桜花を庇うように賢人の前に立った。


「それだけは絶対にやめろ!」

「ありゃ。やっぱ付き合ってるんじゃないの」

「ち、違うけど……普通に犯罪だろ! そんなに個人情報知りたいなら、直接訊けばいい」

「分かってないなぁ。僕はキスしたいだけなんだよね」

「最低だ、お前! だから恋人に既読無視されるんだよ。寧ろブロックされてないだけマシだろ。――――行こう、桜花」


 華音は桜花の腕を半ば強引に引いて早足で歩き出し、桜花は時折後ろを気にしながらもそれに従って歩き出した。

 賢人は苦笑いで後頭部を掻き、遠ざかる2人の背中を見送った。


「ピュアだねぇ……。さてと、僕も仕事に戻んなきゃね」


 辺りにはいつの間にか人が舞い戻って来て、少し前の活気を取り戻しつつあった。

 賢人が踵を返すと、何かを見て人々は騒いでいた。中にはスマートフォンでそれを物珍しげに撮影している者も居る。


「何アレ、トカゲ?」

「やだー気持ち悪い」

「えぇ? 可愛いじゃん」

「ちょっとデカくね?」


 賢人は聞こえたその生物名にハッとした。

 オズワルドとドロシーの使い魔はとっくに退散しており、仮に残っていたとしても野生でも珍しくない彼らは然程騒ぎにはならなかっただろう。

 ところが野兎程の大きさのトカゲは違う。トゲトゲで土色の生物はまず日本の大都市には居ない。見掛けたらつい2度見してしまうそれは置物の様にマンホールの蓋に貼り付いたまま動かない。だから目立つ。

 賢人が断りを入れながら人混みを掻き分け使い魔を迎えに行くと、同じタイミングで魔女の仮装をした小さな女の子がやって来た。


「トカゲさん、トカゲさん。まいごなの? どうしてうごかないの? あ、わかった! おなかすいてるんでしょ。しーちゃん、まほうがつかえるの。みてて!」


 先端に星が付いた玩具のステッキをクルッと回し、ワンピースのポケットに突っ込んだ手を一旦背中に隠す。


「じゃんっ」


 パッと隠した手を前に出すと、クッキーが1枚握られていた。

 女の子は「はい、あげる」と言ってずいずいトカゲに迫るが使い魔は首を僅かにそちらへ向けるのみで口を開けようとしなかった。


「えんりょしないでいいんだよ。おねえちゃんにもらっただいじなクッキーだけど、トカゲさんのげんきのがだいじだから」


 女の子はトカゲがクッキーを食べない生き物だと言う事を純粋に知らないみたいだった。まあ、彼女の倍生きて来た大人でさえあまりよく分かっていないから当然か、と賢人は微笑ましく思ったのだが、女の子が使い魔の口を無理矢理抉じ開けてクッキーを押し込もうとし出したのはさすがに止めた。


「駄目だよ? トカゲさんはクッキー食べられないし、今は何も食べたくないんだって」


 しゃがんで女の子の目線に合わせると、女の子は小首を傾げてじっとクッキーを見つめてからスッと手元に戻した。


「そうなの? んーじゃ、やめとく」

「だからしまっておきな」

「わかった!」


 賢人の笑顔に女の子は笑顔で返し、クッキーをポケットに戻した。

 人混みを掻き分けて、今度は若い女性がやって来る。


「しおり」

「あっ! ママ」


 女の子はトテトテ母親に駆け寄り、嬉しそうに足に頬を擦りつけた。


「目を離すとすぐどこか行ってしまうんだから」


 母親は可愛い娘の姿に怒る気になれず、困った様に笑って愛娘の頭を撫でた。


「あのね、トカゲさんがまいごになってたからね、それでねっ」

「トカゲ……?」


 女性が視線を娘が指差す方へ向けると、丁度賢人がトカゲを肩に乗せているところだった。

 女性は思わず悲鳴を上げそうになり、賢人の顔を見て慌てて口を両手で覆い隠した。

 賢人は立ち上がり、愛想の良い笑みを浮かべた。


「大丈夫。喰い付きやしないから」


 女性は引き攣った笑みを返すと会釈して娘の手を引いた。


「さ、もう行くわよ?」


 歩き出す母親に軽く引っ張られる様にして歩き出した女の子は、顔を賢人の方へ向けてにっこりと笑った。


「おにいちゃんのトカゲさんだったんだ! よかったね!」

「そう言う君もママともうはぐれないようにね」

「うんっ! おにいちゃん、トカゲさん、ばいばーい」

「ばいばい」


 賢人は手を振り返し、親子の姿が人混みに紛れて見えなくなると笑顔を引っ込めた。

 あの親子はもしかしたらあんな風に笑っていなかったかもしれない。勿論、他の人々も。そう思うと、やはり賢人の魔女殲滅に対する使命感は強くなる一方だった。

 パシャパシャとシャッター音があちこちからして楽しげな声が聞こえて来て漸く、賢人は注目の的になっている事に気付いた。


「トカゲ肩に乗せてる~」

「違和感な~い。てか、イケメンじゃね?」


 黄色い声を上げているのは女子高生だ。

 トカゲを肩に乗せた青年の写真がSNSで拡散されてゆく。

 現代社会においてSNSの影響力はかなり大きく、誰でも有名人になれる可能性があるのだ。そこで閃いた賢人は竜泉寺珈琲の名刺を大量にばら撒き、声高々に言った。


「トカゲとお兄さんに逢える竜泉寺珈琲! 是非来て下さい。あと、この会場でコーヒーフラッペ販売してるんで、そちらも是非!」


 終始営業スマイル。

 周りのざわめきを聞く限りでは好感触。今日1番のいい宣伝になったに違いない。つい綻んだ顔は安堵からだった。

 一部の人々がコーヒーフラッペを買いに向かい、賢人は彼らを素早く追い越して露店へ戻って客を迎える。


(華音くんと桜花ちゃんも来てくれればいいけど)


 接客しながら、2人にも名刺を渡した事を思い出していると、次第に脳内から桜花が退場して華音だけとなった。更に血色が良くて整った唇の表面に触れた感触と、舌を絡ませた生々しい感触が鮮明に蘇り心をざわつかせた。


(華音くん。そう、華音くんだよ。言葉で説明するのが難しいぐらい、華音くんとのキスは最高だった。また逢いたい……てか、したいなぁ。あ――もう、駄目)


 恍惚とした顔でコーヒーを容器に注ぐ店主を、客達は不思議そうな顔で眺めていた。





(あ――もう駄目。駄目だ……。オレの人生終わった)


 華音は駅構内の柱を背に蹲っていた。

 過ぎ行く人々は、時折華音に気付いては声を掛けようか迷って寸前でやめて立ち去っていく。彼の内から漂うどんよりとした空気がそうさせたのだ。


 桜花とは数分前に改札口で別れた。不自然に整った笑顔の華音を桜花は心底心配していたが、華音が借りたケープを押し付け強制的に会話を終了。何か言い掛けた桜花に背を向けて足早に去っていった。


 口内に未だに残る不快な感覚に華音の気持ちは重たくなっていく。

 脳裏に想い人の顔が浮かんでは消え、浮かんでは消えて見えなくなった。


(桜花の前でってのが1番辛い……。告白しても即お断りだろうな。辛すぎる)


 ズボンのポケットでスマートフォンが震えたが、今はそれどころではない。桜花からのメッセージ着信であったが、それを華音が確認するのは後日になる。

 多くの足音に紛れて聞こえた身軽な足音が華音の傍でピタリと止まり、あどけない声が降ってきた。


「カノン、大丈夫か? 腹痛(はらいた)か?」


 顔をゆっくりと上げると、アルナがルビー色の瞳でまじまじと見下ろしていた。


「アルナ……」


 安堵からか声が妙に震え、顔も親に見つけてもらえた迷子の様な表情になってしまった。

 アルナは小首を傾げ、小さな手を華音の頭に乗せた。


「よしよし」


 全てを見透かし、それでも気付かないフリをして柔らかな表情で優しく頭を撫でるアルナはまさに年上の大人だった。

 アルナの肩に乗っていたほわまろは華音の肩に移動して頬を舐め、飛んで来たゴルゴが膝に停まって主の揺れる漆黒の瞳を覗き込んだ。

 大勢の人達が往来する中で幼女と動物達に宥められる少年の姿はとてもよく目立ち、少しの間注目を浴びたのだった。

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