動き出した不安
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深夜。
晴れて雲もない夜空には、満月に近い月が浮かんでいた。
この時間、通りにはほとんど人影はなく、遅くまで営業している酒場もそろそろ店じまいの準備に追われている頃だ。
トーラストの街を見下ろすのに、一番高い場所は教会の時計塔である。
「んー……良い夜だ……」
時計塔のさらに高く屋根の上。本来ならば絶対に人間が立てない場所に、夜に溶けそうなほどの真っ黒な“シルエットだけ”の人物が存在した。
「はぁ……何でベルフェゴールのフォローなんかしなくちゃならないのかなぁ……」
人影はもぞもぞと動く。それは手で頭を掻いているような動きだ。
「やっぱり、クラストの失敗が効いたか…………仕方ないな」
大きなため息が聞こえ、続いてジャラジャラと金属が擦れる音が響く。人影から這い出るように、何本もの『有刺鉄線』が時計塔の屋根を伝って伸びていった。
「まぁいいか。あっちにちょうどいいものが落ちてたし……あれを拝借しようかな…………」
とぷんっ!
水音がしたかと思うと、人影はその形を崩して有刺鉄線と共に下へ流れていく。
『ラナロアや魔王殺しが帰ってくる前に掻き回してしまおうか。あははは…………』
笑い声は夜の風音に消える。
時計塔から滑り落ちた鉄線は、自ら意思があるようにグリグリと地面の土に穴を空けて地面へと潜っていった。
++++++++++
++++++++++
カラァ――――ン……
カラァ――――ン……
夕方六時。一日の最後の鐘が響いた。
「…………朝……」
病室のベッド脇でうとうととしていたアルミリアは、鐘の音にハッとして身体を起こす。
しかし、朝の合図にも反応していない夫の姿を確認し、彼女はため息をつきながらイスに座り直した。
「……………………」
「サーヴェルト……朝ですよ。いつものあなたなら、もう起きて素振りをしている時間じゃないですか……?」
現役を引退しても、サーヴェルトは退治員としての訓練を日々行っている。だからこそ、今でも退治課で何かあれば彼が表に出ていけるのだ。
「……起きてください。せめて、ルーシャが戻るころには……皆、あなたを心配していますよ……」
「……………………」
昨夜よりは静かな息づかいが聞こえてくるが、サーヴェルトの目蓋は少しも動こうとはしなかった。
…………………………
………………
「アリッサ~! ねぇ、見てみて!! コレ、スッゴい!!」
「え? 何ですか?」
昼休み。午前中に提出する仕事を終えたイリアは、研究室で簡単に昼食を済ませた後、余った時間で昨日拾ってきた人形を解体しているところだった。
イリアはキラキラと瞳を輝かせて、人形の一部を持ち上げながらアリッサに説明をする。
「これこれ。この人形は魔力や悪霊を入れると『魔操人形』っていう悪魔になるんだけどね……そのためには、人形の中に魔力を貯める“核”となる『魔石』を入れておかないと動かないのよ」
「へぇ。それで……もしかして、この石がそうですか?」
机には手のひらよりも小さな、ゴツゴツと角ばった灰色の小石があった。
「そう、よく見て。これ、光って見えない?」
「あ、ほんと……なんかキラキラしてますね?」
よく見ると、石の筋の間から少しだけガラスのように透明な部分も混じっているのが分かる。
「形といい質といい……この石は山にある鉱物ね。山の岩を砕くと出てきそうな。こういうのが『魔石』に向いているの」
「はぁ。つまり、この人形は山で取れた鉱物で造られた『魔石』を“核”にしていると……それが何かあるんですか?」
アリッサはイリアの言うことを解りやすく反芻した。ここまで話した内容には特に珍しい点はない。なのに、何故かイリアは興奮気味になっていることに、アリッサはほんの少し疑問を感じる。
「あるのよ! 『魔石』っていうのは、魔力を保有できる時間に限りがあるの! 装飾にもできる宝石クラスなら何年も魔力が抜けずに――――」
「……………………」
アリッサは話を聴きながら、午後に急ぎの仕事が入ってないか予定表を確認しておく。
この手の話をイリアがしだすと長くなることを、アリッサは新人ながらも悟っているのだ。
この後、アリッサの読み通り、イリアの『魔石』に対する説明は昼休みを越え午後のお茶の時間まで続いた。
「――――で、今回のこの“核”になっていた石は、魔力を込めて『魔石』となっている時間はせいぜい三日程度なのよ!」
「……………………?」
アリッサは長い話を頭の中で整頓する。
イリアの説明を聞く限り、本来ならその土地で動きやすい石は採掘場所が近い方がよく魔力を吸うそうだ。
「この石、ほんの少し魔力が残っているのよ。もちろん、すでに動かせるだけの力は無いんだけど。つまり、採掘地ですぐに魔力を込めて『魔石』にした石なんだと解ったのよ!」
「う~ん……少し解りました。でも何で、その『魔石』がすごいんですか? 素材も宝石とかじゃない普通の山の石なのに……」
「ただの山の鉱物だからよ! この辺りは平地なのに、わざわざ山の石を持ってきてるのよ。川原から探してきた石じゃなく! 山からあんなに運んでくるのに三日で済むと思う?」
「あ! そうですね!」
トーラストのある地域は平地で山からはかなり遠く、舗装された街道を通り馬車を使っても三日以上は掛かってしまう。
「……あんなに何体も、三日以内で山から下ろして来るなら、『移動魔法』を使ったか、人形自体を歩かせて集団にして連れて来たのか…………くぅうううううっ!! 絶対に製作者は魔術師か人形使いよ!! しかも、相当な高等魔力を持っている!! そんな人が連盟に入らないなんて損よ!!」
「…………わぁ……」
大興奮のイリアとは反比例にアリッサは冷静になっていく。そこでふと、頭に浮かんだ考えにアリッサは顔をひきつらせた。
『そんな実力がある製作者とやらが、何の噂も理由もなく連盟にいないのはおかしい。よもや、本人が相当偏屈な性格をしているのでは?』…………と。
…………リーヨォさんにそっくりな人だったりして。
見付けたとしても、イリアと反りが合うかはわからない。
「よし! サンプルが一つだけじゃ物足りないわね! 今から、もう二、三体持ってこよう!!」
「え!? もう処分されたんじゃ……」
「いやいや、あの量を焼却処分するのに五日は掛かるわね。まだ少しは残っているはずよ! さあ! 行くわよ!!」
「へぁっ!? あぁ、待ってくださ~い!!」
アリッサは研究室を飛び出したイリアを慌てて追っていく。
途中、廊下をすれ違う他の職員のなんとも怪訝な視線を気にしつつも、元気の良いイリアを見てアリッサは内心ホッとしていた。
…………イリアさん、昨日の朝は落ち込んでいたものね。
イリアは気分によって仕事の速度が顕著に現れる。昨日の朝はため息をつきながら机に突っ伏していたが、人形を見付けてからは気が紛れたようで仕事の進みが早かった。
よし、これも仕事を速やかに進めるために必要よね!
本気を出せば優秀である先輩のやる気を保つため、アリッサは多少の事には動じないと心に決めている。
それに……悪魔のことをちょっと解るようになれば、ルーシャさんの助けになれるかもしれませんし。ウフフ……。
少し下心もあるが、仕事は何の問題もない。
数分後。
焼却炉へ着いた二人は思い切り顔をしかめた。
「えーっ!? 嘘ぉ!!」
「あんなにあったのに…………」
約一日前、焼却炉の隣に文字通り山のように積まれた人形が、欠片も残すことなく一体も無くなっていたのだ。
「まさか、あの量を全部一日で片付けたというの……!!」
「『祭事課』……思ったよりも仕事が早いですね」
イリアとアリッサはすっかりキレイになった焼却炉周りに、がっかりというよりも感心してしまう。
「ちょっと遅かったかぁ……仕方ない、あの一つだけでも色々調べてみるか……」
無いものは仕方なし、そう気持ちを切り換えてイリアが振り向くと、建物のドアの所に『祭事課』の職員が数名集まっていた。
「あれー? イリアちゃん、どうしたの?」
「あぁ、レバン神父……いえ、昨日ここにあった人形が…………」
「え? あぁ! まさかアレ、イリアちゃんのだったの? しかも引き取ってくれたんだ? いやー、今から焼却するところだったんだよね。危なかったよー」
「「はい?」」
レバンの言葉にイリアとアリッサは顔を見合わせる。その様子に、レバンは少し眉を潜めた。
イリアは人形を拾いに、レバンは人形を処分しにきたことをお互いに確認する。
「まだ燃やしてなかったんですか?」
「だって、人形……やっぱり『研究課』のものだったから、持っていったんじゃないの?」
「ううん、棄てるなら少しもらおうとは思ったけど、あんなもの『研究課』じゃ造らないわ」
「「「……………………」」」
その場にいる全員が首を振り、昨日まで人形が積まれていた場所を凝視しながら少しの間沈黙した。
しばらくして、シスターたちがチラチラと周りを見回しながら口を開く。
「…………えっと……では、誰が持っていったのでしょうか?」
「『研究課』じゃないなら『退治課』?」
「持っていったんじゃなかったら…………あ! 自分で歩いていったとか?」
「ぶふっ! まさか!」
「あはは、冗談きっつい!」
「ふふふ、やめてよーもう!」
重くなった空気に耐えられなかったシスターが冗談を言うと、それに釣られて他のシスターも笑い始めた。
しかし、次に発したイリアの言葉で、シスターたちは瞬時に凍り付くことになった。
「その可能性…………あるかも」




