『留守番』と『不安』
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「あ~! ごめんなさ~~~い!!」
紺色のロングのワンピースにフリル付きの白いエプロンとヘッドドレス。長い金髪をツインテールにまとめた少女が、二人の方へ慌てて駆けよってくる。
「あ~、レバンさまぁ! こんにちは~!」
「あれ? マリエルちゃん、こんにちは」
「えっと……?」
「ラナロア様のメイドのマリエルちゃん。マーテルちゃんの妹だよ」
「あぁ、マーテルさんの……」
姉のマーテルは度々、ラナロアの側についてくるので連盟では知っている者が多い。
「ごめんなさ~い。ムゥちゃんが逃げちゃって~!」
「ん? ムゥちゃん?」
「ミキュッ!」
ボールのような物体は、ぶつかったローディスのマントにしっかりとしがみついている。白くて丸っこい小動物で、二本の角が生え、コウモリのような羽もある。
「………………これは?」
「し……白猫のムゥちゃんです!!」
「み、み……みムキュあ~ん!」
「まさか……悪魔でしょうか……?」
「白猫ですぅ~!!」
「いやいや、無理がある。これ、猫じゃないよね?」
「ミュウぅぅぅん!!」
「う~ん……猫……猫……?」
猫と言い張るには猫の要素がない。
レバンとローディスに困ったような温かな視線を送られ、マリエルも言い訳をやめた。うるうるとムゥと共に涙目になる。
「お出かけについてきちゃったんですぅ~! だから悪いことしてないし、リィケさまのお友達なんですぅ!! だから、浄化はダメなんですぅぅぅっ!!」
「あぁ、リィケくんの……じゃあ、ルーシャくんも知ってるね。大丈夫、浄化なんてしないから」
「よく見れば、けっこう可愛いですね」
「キュウ~」
安心だと伝えるとマリエルはホッとして、ローディスの腕に抱えらたまん丸の悪魔はちょっと嬉しそうに見える。聞けば、小動物ほどにもならないくらいの無害な仔悪魔だという。
「お昼の鐘の音にビックリして、廊下にでちゃったんですぅ。そうしたら、皆さんも休憩で出てきたのでムゥちゃんがパニックになっちゃいまして…………」
マリエルが大きめのビスケットを取り出す。ローディスに抱っこされたまま、ムゥは大人しくビスケットを頬張っている。
「そうなんだ。でも、マリエルちゃんが連盟に来ているのも珍しいね?」
「はい、研究課のイリアさんのところにお使いに来たのと、姉さまがラナロアさまと一緒にお留守なので、私が代わりに旦那さまの机のお掃除に来ました!」
マリエルの言葉にレバンは目を軽く見開いた。
「マーテルちゃんもラナロア様について行くってことは遠くに? どこまで行ったの?」
「王都ですぅ。連盟本部に用があるって言ってました!」
「ふぅん。じゃあ、戻るのは早くても二、三日掛かるね」
レバンがため息をついたのを、マリエルは小首を傾げて見る。
「もしかしてレバンさま、旦那さまか姉さまにご用でしたか?」
「そうじゃないけど、今日は『退治課』に誰もいないんだよね。サーヴェルト様もお休みみたいだし……」
「そうなんですかぁ」
少し立ち話をして、レバンとローディスは再び食堂に向かうことにしたが、その時、ローディスに抱えられたムゥがなかなか彼から離れなかった。
「ムキュ~……」
「ダメですよムゥちゃん。神父さまたちはランチに行くんですから。早く残りの御使いを済ませて、ムゥちゃんもお屋敷に戻りましょうねぇ?」
「キュウキュウ~♡」
仔悪魔ムゥが名残惜しそうに、スリスリとローディスの手に頬擦りをしてくる。
もっちりとスベスベの感触は気持ちいいが、仔悪魔に懐かれるのは神父としては複雑な気分である。
「わぁ♡ ムゥちゃん、神父さまのこと大好きですね~♡ リィケさま以外でこんなにスリスリするの、あんまりないんですよぉ~!」
「ロディっていつも動物に懐かれるよね?」
「動物って…………この子は悪魔なのですが……」
「キュキュ~♡」
「はい、ムゥちゃん行こうね~」
「あ! マリエルー! ちょうど良かったー!!」
しばらくして、ムゥがマリエルの腕に戻ると同時に、研究課のイリアがマリエルを見付けて廊下を走ってきた。
本当はマリエルがイリアの研究室へ行くはずだったので、彼女の姿にマリエルは目を丸くしている。
「もしかして、わざわざ迎えにいらしたのですか? わぁああ~イリアさぁん、待ってられなくなるほど遅くなって、ごめんなさいですぅ!!」
「ううん、違う違う。アタシ、早めにお昼に行こうと思って出てきただけだから……」
イリアが神父二人に軽く会釈をし、二人もそれに会釈で返す。
「神父とお話し中にごめんね! はい、これ。そっちのカルベリッヒさんに頼まれてた『万能修復魔法薬』! これでカーペットの色落ちが直るわよ!」
「ありがとうございますぅ♡ はい確かに、お預かりいたします! 報酬は経理の方に届けておきますね!」
魔法薬を受け取ったマリエルは、ムゥと薬品の瓶を抱えてニコニコと手を振って帰っていった。
イリアが満足して振り返ると、神父二人が立ち去らずに立っている。
「ええっと、さて……アタシはここで…………」
「あ、イリアちゃんも昼だよね? 一緒にどう?」
「え……でも、アタシと一緒でも大丈夫ですか?」
レバンとイリアはルーシャを通して知り合いではあったが、イリアは“『祭事課』は『研究課』とは反りが合わない”と言われていることに、なんとなく気が引けてしまっていた。
「あはは、イリアちゃんなら平気だよ。ねぇ、ロディ?」
「えぇ。かまいません」
「あ、一昨日の――――…………え~と…………」
「………………ローディス、です……」
「そうそう、ローディス神父。一昨日はどうも」
「ん? 一昨日?」
一昨日、イリアはローディスと旧礼拝堂で会ったという話をした。もちろん、その前にルーイを見たという話はしていない。
「へぇ、そうなの。旧礼拝堂ねぇ…………あそこ、うちの班のシスターたちは怖がって行きたがらないんだよねぇ……なんだか、ごめんね二人とも……」
だんだんと混み始めた食堂で、三人は一緒の席に着いて食事をする。
「んー、まぁ……一番あそこに行くのは『研究課』ですから、そこまでは気にしてませんけど」
「私も今回はついでに行っただけですし……でも、確かに新人のシスターや普通の職員じゃ、あの場所は少し怖いかもしれませんね」
旧礼拝堂はこの敷地内では唯一、悪魔が必要とする『魔力』が自然と湧き出る場所だ。
たまに低級の幽霊が漂っている場合もあるが、魔力に耐性のある連盟の制服か、連盟から配られているアイテムを身に付けていれば差程の脅威はない。
「幽霊なんて、アタシにとってはその辺でミミズやゴキブリを見かけたものみたいなんだけど――――」
「ごほんごほんっ!!」
思わず言ったイリアの言葉に、隣の席の中年の男性職員が反応して咳払いをした。フォークに切った肉を刺しながら睨んでくる。
イリアも今の言葉は食堂で言うものではないと気付いて慌てて口を押さえた。
「……あ…………ごめんなさい」
「…………こほん……」
イリアが隣に向かって小さく謝ると、男性職員は渋い顔をしながらも食事を再開する。ローディスとレバンも男性に軽く頭を下げていた。
「……お二人も、すみません」
「いやいや、気にしないで。それもイリアちゃんらしいし」
「らしい、っていうのも…………いつもリーヨォに怒られるんですよね。『お前は少し周りを見て気を遣え』って……」
「リーヨォくん、けっこうちゃんとしてるからねぇ」
一見、普段は適当に見えるリーヨォだが、人付き合いや表向きのマナーに関しては大人の対応ができている。
「今日はそのリーヨォもいないから、朝から実験の他に書類処理が多くて…………まぁ、簡単な実験くらいなら、他の研究員に任せてますけどね」
「え? リーヨォくんも、いないの?」
「はい。なんだか、本部の方に用があるって……たぶんあと二、三日で帰ってくるとは思いますけど」
「えぇー? じゃあ今、トーラストは支部長以外の責任者のほとんどが留守ってことだよね?」
現在、トーラストの街は【聖職者連盟】と領主であり伯爵のラナロア、支部の指揮とその他施設の運営しているケッセル家が動かしていると言ってもいい。
その頭とも言えるラナロア、サーヴェルト、そしてその二人のサポートや下への指示を出すことの多い、『研究課』の室長のリーヨォが不在なのである。
「珍しいですよね? ここまで揃って皆さんが留守にしていらっしゃるの。特にラナロア様やサーヴェルト様とか…………」
「なーんか、嫌な予感がするよねぇ……」
「「え?」」
ローディスとイリアは同時に声をあげた。レバンは声量を落として話をする。
「…………五年前、あの事件の時も……たった一日だけど、ラナロア様とサーヴェルト様が揃って不在だったんだよ。ついでに言うと、ルーシャくんも今みたいに出張中だったし」
「……………………」
「……イリアさん、大丈夫ですか?」
途端に、イリアの顔がみるみる青ざめていく。ローディスは心配そうに覗き込んだあと、レバンへ向けて人差し指を自分の唇にあてる仕草をした。
「レバン、この話はやめましょう。人も多くなってきましたし、食事時の話題にするには……いささか……」
「あ……そ、そうだね。ごめん、イリアちゃん。あ……何か温かい飲み物買ってくるから、二人は座って待ってて!」
レバンが席を立ち、二人はテーブルに残された。イリアは青い顔のまま俯いている。
「すみません。レバンはケッセル家の人間ですし、事件のこと……まだ色々調べているみたいなので…………」
「………………アタシ…………たら……る……のに」
「え?」
聞き返すつもりはなかったが、ローディスは思わずイリアの言葉に反応してしまった。
「アタシがもっと強かったら、レイラの仇……とるのに……」
「………………」
『恐怖』というよりは『怒り』と『悔しさ』を滲ませたイリアの表情。
イリアは魔術師であり一時期は『退治員』でもあった。レイラのパートナーもしていたが、悪魔とまともに戦えたかというと、あまり自信はない。
「あの……イリアさん?」
「はい?」
「イリアさんは、今でもレイラさんのことを親友だとおっしゃってましたよね?」
「はい……」
旧礼拝堂からの道すがら、ローディスにそんなことを言ったな……と、イリアはぼんやり思い出した。
「それは、敵討ちよりも大事なことだと思いますが?」
「え……?」
「きっとレイラさんも、敵討ちを考えて青くなっているイリアさんよりも、レイラさんのことを楽しく話しているイリアさんの方が安心していられると思います」
「……………………」
真っ直ぐに顔を見詰められながら言われ、イリアは思わず固まってしまった。
「……………………」
「……あの?」
「……………………」
「イリアさん? あ…………すみません、余計なことを言ってしまって…………」
「…………へっ!? あぁ! 違います! 大丈夫です、余計なことなんて何もありませんから!!」
イリアは慌てて両手を振る。今、一瞬だけ仇よりも別のことに気持ちが捕らわれていた。
――――危なっ!! うっかり神父に惚れそうになったわ!!
イリアは自分でも『惚れっぽい』と思っている。
ローディスのようなタイプは、あまり異性と目を合わせて話さないと思っていたため油断していたのだ。
「えぇっと……ローディス神父って、いつもそういう感じで話を……?」
「そう、ですね。人と話をする時は顔を見て話さないといけませんから……それより、イリアさん大丈夫ですか?」
…………そうだ。この人、まともな神父様だったわね。
ルーシャやサーヴェルトのような、悪魔退治専門の神父ばかり見ていたので、人間に向き合う聖職者を忘れかけていた。
……ダメダメ。やっぱり【死霊使い】なんかが聖職者とは釣り合わないわよ。
「心配ありがとうございます。そうですよね、レイラのことは笑って話していないと……あの子、じめじめしたの苦手だったから……」
「いえ、何か不安な時は言ってくださいね」
不思議と先ほどまでの不安がなくなり、イリアは戻ってきたレバンと三人で楽しく昼休みを過ごすことができた。
「たまには『告悔室』に行くのも有りよねぇ……」
ローディスと話してから、イリアは何となくだが気分が軽くなっていた。午後はアリッサと仕事を片付け、この日も徹夜はせずに自宅へ帰る。
サーヴェルトのことや、ルーイのこと…………それに、レイラのこと。リーヨォも不在の中、心配事を抱えて独りで研究室にいるのが心細かったのだ。
しかし、この翌日。
機嫌良く過ごしていたイリアを、再び不安にさせる出来事が舞い込んでくるのだった。