そこに居たもの
例え夕方でもきちんと浄化されている街道には、普段なら旅人だけをちらほら見掛ける。
しかし、この日は全く違った。
ルーシャが街道を全速力で走り抜けている間に、実体の無い悪魔が、数体さ迷っているのが目についた。
『ギャギャギャッ!』
「邪魔だっ……!!」
煙のような悪魔の下をくぐり抜け、銀のナイフを振り回す。だいたいはこれで怯んで遠ざかるので、直接襲ってくる低級な悪魔はいなかった。
途中で悪魔憑きになってしまった旅人がいた場合は、福音を唱えながらビンの蓋を開け、中の聖水を振り掛ける。教会で行った方法よりも簡単だが、自力で町まで行けるなら大丈夫だろう。
「『主に向く者を前へ。福音を拒む者を地へ還せ』!!」
『ギャアアアッ……!』
出てきた悪魔もナイフで追い払っておく。
「ううぅ…………あ……あれ、おれは……」
「動けるなら大丈夫だな。聖水の効果が切れる前に、この先の宿場町の教会に避難していてくれ。無償で怪我も手当てしてくれるし、食事もできる。指示があるまではそこで休めばいい」
「あ、あぁ。すまない、ありがとう……」
「じゃ、気をつけて……!」
ルーシャは旅人と別れて、すぐにまた全力で走り出す。
まずい…………聖水がもう無い……。
空になったビンを、着ている上着のポケットに入れ、大きくため息をつく。
今、ルーシャが持っているのは銀のナイフ一本と、腰のベルトに挟めてきた『金の十字架』だけ。
聖水やその他の法術の補助に使えそうな備品は、避難してくる者や、町の防衛のために全て教会に置いてきた。
……まだここには実体の無い奴しかいないか。
もし、実体のあるのが群れで出てきたら、戦えない人間は一溜まりもない……。
ルーシャは軽く身震いする。
教会に逃げてきた退治員の話では、この先にいる大物の悪魔はスキュラだけではない。
もしかしたら、ここらの土地にいるはずの無い『何か』がいるのかもしれないのだ。
「っ!? あれは……」
ルーシャの遥か眼前、丘になっているところで、不規則に動く細長い影が何本も見える。
「あ…………!!」
その影の一本の先、小さな人間の輪郭がはっきりと見えた。
十数分前、宿場町の教会。
逃げてきた女性たちの連れがリィケだと知って、ルーシャとアリッサは顔色を変えた。
「リィケ……くん? そんな……本当に?」
「知ってるの? あの子……一応退治員なんだけど……」
「どこに……最後、アイツはどこに居たんだ!?」
ルーシャは精霊術師の女性に詰め寄った。
女性は少し考え込んでから、困った顔で話始めた。
「私たち、リィケと一緒にスキュラの沢に見回りに行ったんです。結界も特に異常は無くて…………でも、沢の近くに行ったら……」
「女の人が居たんですぅっ!」
「女?」
姉妹たちの話はこうである。
リィケを連れて三人で見回ることにした。街道から森に入り、スキュラの沢まで行き、この宿場町までが点検するコースだった。
街道から森の中までは何事もなく歩き、スキュラの沢に着いた時に、その沢の前にひとりの女性らしきローブを着た人物が立っていたという。
三人の気配が分かったのか、その人はくるりと振り向いた。
ローブに付いているフードを目深に被り、顔の上半分は仮面を付けている。
フードの隙間から出ている、長いウェーブの掛かった黒髪。白いほっそりとしたアゴと真っ赤な形の良い唇だけで、かなりの美人ではないかと想像できた。
「危ないですよ」と、姉妹が声を掛ける。
すると、女はニヤァと笑った。
そして、その手には干からびたようなものが……。
「……そしたら……その女……おばあさんのスキュラの首を掴んでいて…………あと、後ろに色んな悪魔が沢山見えて…………」
――――この女は人間ではない……!!
反射的にそう感じた姉妹は、リィケと共に後ろへ下がろうとした瞬間――――四方から咆哮が聞こえた。
『アァアアアア……!!』
『ゲゲゲェ!! ギャギャ!!』
彼女たちはグルリと周りを、大小様々な悪魔に取り囲まれていたのである。
「――――ねぇ?」
「「ヒッ!?」」
いつの間にか、女が三人にピッタリと寄り添っていた。
目を離したのはほんの一瞬、女が立っていた場所までは岩がゴロゴロしていて足場も悪く、歩けば砂利の音もするはずだ。
「アタシ退屈なのよ。あなたたち、アタシと遊ばない? ほら、ここにオモチャもあるし……ね?」
女は赤い唇を三日月のように吊り上げる。
そして、ぐったりとした老婆の顔を三人の前に突き出した。
「「きゃあああっ!!」」
「わあっ!?」
「あーごめんごめん……これじゃただの干物よねぇ。ちょっと待って、今『戻す』から……」
女は老婆を持った手とは反対の手を高く掲げた。手には蔦で編んだような四角い小さな籠を握っている。
……しと……しと……しと……しと……。
籠の隙間から、滔々と細くて黒い煙が流れ落ちて、老婆の頭に染み込んでいく。
「さぁ、お嬢さんたちが遊んでくれるわよ。存分に楽しんでらっしゃい」
『ギィ……』
老婆が顔を上げる。
虚ろな顔が、みるみる狂喜の表情に変わった。
――――あの二人は無事だろうか?
ぼんやり頭の中でそんなことを考えながら、リィケはスキュラの触手の先にぶら下がっていた。胴体を貫かれて『モズの速贄』の状態である。
銃も無く、先ほど片足も付け根からもがれ、触手から外れても逃げることは不可能だった。
――――ルーシャに……お父さんに会いたいなぁ……。
数十分前。
あの女がスキュラに『何か』を与えたのだ。
包み込むような煙はスウッと老婆の体に吸い込まれてく。煙が全て無くなると、小さな老婆はあっという間に女の背丈の倍ほどに膨らんだ。
シワだらけの皮膚は艶のあるものになり、ひしゃげた身体はどんどん骨格がはっきりしていく。
中級の悪魔『スキュラ』
蛸の足のような触手が生えている胴体は、六体分の狼の頭と前足がぐるりと繋がっている。そしてその上には本体、人間の若い女の上半身が乗っていた。
『ギャギャギャギャ!!』
「「きゃあっ!!」」
スキュラは吼えながら、触手で辺りの岩を砕いた。
「あははは! 気分はどう?」
『ギギギギ…………』
女は高笑いをしながらスキュラに語り掛ける。
「…………これが……悪魔……?」
リィケは辞典で、スキュラのことを少しは勉強してきたつもりだった。しかし、実際の悪魔は巨大で獰猛である。
「リィケ……あなただけでも逃げなさい」
「え?」
「リィケくん、まだ悪魔と戦ったことないでしょ?」
姉妹がリィケをスキュラから庇うように、自分たちの後ろへ隠す。しかし、リィケは首を振った。
「ダメ……僕だって退治員です。こんなことじゃ、ルーシャに呆れられる……」
「ルーシャって……宿場町にいる人?」
「その人、元退治員だったよね?」
「はい。ルーシャならたぶん…………」
スキュラを、倒せる。
「ちょっとぉ~何あんたらヒソヒソしてんのぉ!?」
「「……………………」」
「…………」
リィケが二人よりも前にでた。手に握った少し大きいリボルバー銃を、女とスキュラに向けて構える。
「さ、下がってください……。悪魔がこちらに攻撃……の意思があると見なせば、僕は、あ……あなた方を退治します……!!」
銃を持つ手と、警告する声が震えていた。
その様子に女は、唯一露出している口元を大きく上に歪める。
「え~坊や、かーわいいーっ! 何何何? もしかして悪魔と戦うの初めてなの~!? きゃあ~、お姉さんが教えてあげようかぁ?」
「……………………っ……」
「もしかしてアタシも? アタシも坊やに攻撃されちゃうの!? あははははははははっ!!!!」
女は心底、愉しそうに笑っている。
リィケは頭の中の悪魔の記憶を探った。しかし、女と一致するものが見つからない。悪魔ではないのかとも思ったが、人間と認めるにはあまりにも女の言動が常軌を逸している。
「――――ふぅ…………笑った笑った。おかし過ぎるわ、あんたたち。でもねぇ…………」
口元から笑みが消え、女はスキュラの体に片手を掛けた。
「何、企んでるの……殺すわよ? そこの女ども!!」
女の声に反応するように、スキュラの触手が三人に向かって次々に向かってくる。
その時、急にリィケは首根っこを掴まれ、後ろへ引き倒された。
「うわっ!?」
「よし!! 火の精霊よ! 貫け!!『炎牙』!!」
「今っ……逃げるよ!!『信仰の盾』!!」
法術で作られた盾が触手の攻撃を防ぎ、同時に矢のような炎が、次々にスキュラと女、辺りの悪魔たちへ向かって放たれた。
『ギャギィイイイイイッ!!』
『グォオオオオオッ!!』
『アァァアアア!!』
スキュラと悪魔たちの悲鳴が響く。
辺りが精霊の炎で照らされた。この炎は対象のものにしか熱を発せず威力はそこそこだが、全体に行き渡るため、悪魔たちの足止めには十分だと思われた。
「「行こう!」」
「はい!!」
三人は一斉に森を抜けて街道を走り、宿場町の方へ向かった。しかし途中で姉妹は立ち止まり、森を睨んでいる。
「リィケくん! 宿場町へ行って、教会に知らせて!!」
「たぶん、今ので悪魔は全部倒せてない。トーラスト支部に連絡を入れて、すぐに戦える退治員をお願いして!!」
二人はここで漏れてくる悪魔を倒すつもりらしい。宿場町への路を守り、その間にリィケを向かわせるようだ。
「はい! 二人とも気をつけ…………」
リィケが走ろうと振り向く。
しかし、すぐにリィケの目の前の道は塞がれた。
ドォオオン!!
巨大な火の玉が街道に落ちたのだ。
落ちた衝撃で炎は飛び散り、中心に居たものが前に出てくる。
焼け焦げた触手、ただれた顔が這い出てきた。それと共に手で煙を払いながら、出てくる人の影。
「……ったく、派手にやるわねぇ……」
「あ、あ……あ…………」
「うそ……」
「なんとも、ない……の?」
炎に巻かれたはずの女は髪の毛一本も燃えていない。
おそらく、スキュラが女の盾になったのだろう。
「でも……良いじゃない。行けと言われた時はツマラナイ用事だと思ったけど、ここにも暇潰しがあるって分かって良かったわ」
女は再び片手の籠……――――蔦でできた小箱を掲げる。
黒く細い煙がスキュラに流れ込む。
精霊の炎で焼かれた傷がみるみる消えていき、スキュラは何事も無かったように起き上がった。
さらに辺りには霧が立ち込め、その中には巨大な人の顔が幾つもリィケたちを覗いている。
森の中とは違い街道は開けているため、リィケたちも悪魔たちもお互いに姿を確認できていた。つまり、彼らを遮る物は無く、お互いの攻撃は当たり易い。
『ギギギィ!!』
スキュラの触手が三人を凪ぎ払い、悲鳴をあげる隙もなく、それぞれ路の上に飛ばされる。
「いやぁあああっ!!」
「きゃああっ!! やだ! やめてぇ!!」
法力の多さの違いか、実体の無い悪魔たちが姉妹に群がり始めた。リィケは銃を構えて立ち上がるが、何処に狙いを定めて良いのか分からない。
「うぁ……やだ、ダメだ……そっちは……!!」
スキュラがぐったりした姉妹を触手に絡めて、街道を東へ……宿場町の方へ向かって移動を始めた。
慌てるリィケだったが、急に自分の周りの空気が重苦しくなったことに気が付く。
リィケも一応、退治員なのだ。
すぐにそれが『殺気』だと分かる。
ザリッ……。
リィケの背後に『誰か』が立った。
それは一人しかいない。
「坊やは、アタシと遊びましょう。ね?」
「う…………あ…………」
ポン……と、リィケの両肩に手が置かれた。
やっとの思いで首を後ろへ傾ける。
すぐ真横、背の低いリィケを覗き込む顔。
女は顔の上半分に着けていた仮面を外し、フードを下ろしていた。
背中までのウェーブがかった艶のある黒髪。色白でとても繊細に整った顔立ち。すぐ近くに顔があるので、左の目の下にホクロが在るのまでが分かる。
それよりも、リィケは一点を見詰めて硬直した。
「金色の眼…………」
この国では“金色”の瞳を持つ者は人間ではない。
人間と意思の疎通ができるくらいの、賢い知恵のある悪魔か、強力な魔力を持つ悪魔。
上級悪魔、もしくはそれ以上の存在…………
「…………【魔王階級】…………」
リィケは女の眼を見詰めたまま震える。
「偉いわねぇ、知ってるの? ご褒美、何がいい?」
恐ろしいくらい美しい笑顔がリィケへ向けられた。