ケッセル家の『魔王殺し』
ブクマ、評価、誤字報告等、ありがとうございます!
早朝。まだ一番の鐘が鳴る前。
「…………行くか」
ある屋敷から人目を気にするように、ひとりの人物が音も立てず門をくぐり、足早に細い通りへ移動していく。
大柄な男性で服装は青を基調にしたローブ、それに丁寧に織り込まれた白いマントを羽織っていた。
ローブに施された刺繍や装飾はシンプルではあるが質が良く、彼が連盟の『司祭』よりも上等な『司教』だと物語っている。
“サーヴェニアルド・D・ケッセル”
愛称は『サーヴェルト』今年で70才だ。
彼は【聖職者連盟】トーラスト支部、支部長補佐官という立場と、この街の領主に次ぐ権力を持つ悪魔退治の名門『ケッセル家』の当主を両立させている。
本来、この国では彼くらいの高齢の者は、息子や孫の世代に任せて、とっくに隠居をしているのが一般的だ。しかし、ケッセル家は彼の後継がうまくいかなかった。
……………………
…………
サーヴェルトと、妻のアルミリアの間には『ルーベント』という一人息子がいた。
顔は若い頃のサーヴェルトにそっくりであったが、髪の毛と瞳の色はケッセルの血筋では珍しい“黒色”である。しかし、本人はそれをまったく気にすることはなく、両親にも友人にも優しく誠実に接する人物だった。
ルーベントは何をやらせても人並み以上に上達し、ケッセルの血筋で求められる剣術や法術、成績や人柄なども後継者には申し分ない。
だが、性格が穏やかな彼は、例え相手が悪魔でも傷付けることに抵抗を感じ、退治員になることを嫌がったのだ。
そんな息子に、サーヴェルトたちも退治員になることを強要しなかった。
何故なら、彼はケッセル家の家宝であり、家系の二つ名である『魔王殺し』の象徴――――“宝剣レイシア”を使うことができなかったからだ。
宝剣が使えなくても、『魔王殺し』ではなくても、彼は神学校でも連盟でも優秀な成績を修めていく。
ルーベントは連盟での配属を『退治課』ではなく『祭事課』と希望してきたが、その事に親戚を含め誰も文句を言うものはいなかった。
サーヴェルトの後継者はルーベントだと、誰もが疑わなかったのだが、それは突如として崩れていく。
“僕は退治員になります”
ルーベントはそう言うやいなや、勝手に転課をして仕事に出掛けてしまったのだ。
この行動力にサーヴェルトをはじめ、周りの者たちは驚くと同時に慌てて彼を止めようとした。
しかし彼は“自分には使命ができた”と言い、頻繁にトーラストから出掛けるようになった。
奇しくも、ルーベントがトーラストを留守にし始めたのは、サーヴェルトにとっての初孫の『ルーシャ』が生まれて半年も経たない頃だった。
…………………………
………………
結局……あいつの“使命”とやらが何だったのか、誰にも教えてはくれなかったな。
――――二十年前、そのルーベントは25才という若さで逝ってしまう。
退治員として、出掛けた先で不慮の事故に遭遇したのだ。
ずっと親孝行だった息子は、ある日突然すべてを棄てるように何処かへ行ってしまった。
哀れだったのは残された妻子。
妻はまだ若かったため親類にすぐに再婚を勧められた。まだ幼かったルーシャは、ルーベントの忘れ形見としてサーヴェルトたちに託され、彼女は我が子に別れを告げて屋敷を出ていった。
サーヴェルトが細い通りを抜けた先に、黒い格子状の柵が続く大通りが見える。彼はその通りを進み、柵の途中にある門をくぐり抜けた。固く大きな石畳がそこから奥へ続く。
大きいもの、小さいもの。
人間の人生に多少の差はあれど、死は平等に訪れていつかはこの『墓地』へ住まいを移す。
ピタリと、足を止めてサーヴェルトは目の前を見上げた。
歴史を重ねた石碑は、一族の最期を受け入れ続けてきたものだ。この墓石の下には先祖と、その他には…………
「……あの時、ルーシャはまだ5才だった。父親を亡くして、さらに母親とも別れた。屋敷にいる間、普段はほとんど笑顔を見せることもなくなって、オレは可愛い孫にとことん嫌われてしまったんだぞ?」
ルーベントが死んだことにより、ケッセル家の次期当主の座はルーシャへ移った。
そのことは、当時のルーシャにはまだ理解できなかっただろう。しかし、ルーベントの時よりもずっと重い期待を、幼いルーシャは周囲から掛けられることとなった。
理由として、生まれ持ったルーシャの容姿が、代々ケッセルの血筋の特徴の『銀紫の髪』と『紫紺の瞳』だったこと。
そして何よりも『宝剣レイシア』の刀身をルーシャが発現させたためだ。
「今思うと、可哀想なことをしたもんだ……」
思い出すのは、幼いルーシャが泣きながら、訓練用の木剣を手に自分へ向かってくる姿。
祖父としては一番辛い孫の顔。
度重なる期待と厳しい躾せいで、元から内向的なルーシャはすっかり萎縮してしまった。
訓練と家庭教師との勉強以外は、自分の部屋からあまり出てくることもなく、同年代の友達を作る機会も逃してしまったように思う。
「でももう二十年だ。ルーシャはお前と同じ年齢になったぞ……ルーベント……」
この墓には先祖と年若い一族の者が眠っている。
カラァ――――ン……
カラァ――――ン……
街に朝一番の鐘が鳴り響いた。
その鐘に合わせて、サーヴェルトは墓に向けて目を閉じて祈りを捧げる。
「……………………」
サーヴェルトが知る限り、一族で若くしてこの墓に名を刻まれたのは、自分の息子のルーベント。そして、孫の妻であるレイラ。
ケッセル家の墓から少し離れたフォースラン家の墓に最近入った者も、サーヴェルトよりも若くまだ未来があった夫婦である。
「…………何で、こんなことになる?」
目を開けてひとり呟くと、背後に覚えのある気配がいた。
………………来たか。
「――――時間通りだな。墓地での待ち合わせは、少し遅れて来るくらいが礼儀だ」
後ろに立つ気配にサーヴェルトは文句を言う。
「………………ふん……」
少し間があり、微かにため息のような音が聞こえた。その音で、相手が至近距離まで来ていたことが判る。だいたい、サーヴェルトの十歩後ろだろうか。
相手が来たのが分かっても、サーヴェルトはそのまま振り向きもせずに会話を続行した。
「正直、お前が直接来てくれるとは思ってなかったが……」
「……………………」
「……最後に見掛けたのいつだったか? ルーベントが死んだ後も、お前は屋敷にたまに来ては、よちよち歩きのルーシャの遊び相手をしてくれたな。懐かしいもんだ……」
「……………………」
「あぁ、そうだ。オレがお前を最後に見たのは、レイラが身籠ったと知った直後だったか。そうなると、六年と少し前……」
「……………………」
「いや、違うか。つい最近、お前を見掛けた。あれは…………クラストの町だ」
「……………………」
「今まで、オレが何回もお前に呼び掛けたが、お前は一切返事を寄越さなかった。その間、何をしてた?」
「……………………」
「…………答えろ。この墓の前で偽りを言うことは許さない」
サーヴェルトの言葉に怒気が混じる。
「お前が答えないなら、それはルーベントへの――――」
「我は感傷に浸るほど暇ではないのでな。答えが欲しいのなら話してやる……」
遮るように、背後から言葉が投げられた。
「……………………」
その声にサーヴェルトの顔は苦しそうに歪み、その表情を直せないまま後ろを振り向く。
彼の想像した人物がそこに立っていた。
「……どんな形であれ、お前は“嘘をつかないのが信条”だったな?」
「さぁ……どうだろうな?」
真っ直ぐ腰まで伸びた美しい金髪が風に揺れる。対峙した人物の真っ赤なドレス姿は墓地にはそぐわない。
しかし、それ以上にこの者が街にいることが最大の問題だと、サーヴェルトは頭を抱えたくなった。
「“その姿”はどうやって手に入れた? 返答次第では、オレはお前と刺し違える覚悟がある…………」
「……………………」
「――――弁明があるなら聞いてやろう。だが、今日は質問に全て答えてもらうぞ!! 【魔王マルコシアス】!!」
「……………………」
ざわざわと、墓地に植えられた樹木の葉擦れがやけに大きく聞こえる。
「…………そうだな。元『魔王殺し』よ」
マルコシアスは形の良い唇の端を上げた。サーヴェルトを見詰める金色の瞳は、どこか愉快そうな機嫌の良い色を醸し出す。
「だが、此処では場所が悪い……ロアン」
「はい。ははうえ……」
「…………っ!?」
【魔王】の影からひょっこりと現れた子供に、サーヴェルトは再び顔を歪めた。
「……『ディメンション』」
ポツリと出た声に呼応するように、三人の周りに糸のような赤い稲光が発生する。
――――――バチンッ!!
激しい破裂音の後、赤い稲光は消え、墓地には誰もいなくなった。




