『名家の当主』で『支部長補佐官』
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今回は後半はサーヴェルトの回。
「ただいま!」
「あ、イリアさん、おかえりなさい」
ドタドタと慌ただしく扉を開けて入ってきたイリアは、すぐに机に紙の束を積んで何かを書き始めた。
そんな彼女の様子に、棚の整頓をしていたアリッサは首を傾げる。
「イリアさん? 何か急ぎの仕事でも入りましたか?」
「急ぎも急ぎよ! 早いところ仕上げて支部長に報告! あ。アリッサは定時で終わっていいわよ。今日は早番だったでしょ?」
「はい。分かりました」
「それと、夜食用のエッグタルト三個!」
「はい! 毎度ありがとうございま…………ん?」
元気よく返事をしたアリッサがふと、イリアを見つめたまま眉をしかめ再び首を傾げた。
「……………………?」
「ん? 何、アリッサ?」
「あ、いえ……イリアさん、旧堂で何かありました?」
「えっ!? な、何で?」
「いえ、その……何か、フワッとしてる? ……というか?」
「何?」
アリッサの抽象的な表現に、今度はイリアが首を傾げる。
「う~ん……イリアさん、悪魔とか精霊に会いませんでしたか?」
「へっ!? な、何で!?」
連盟に入る際の検査で、アリッサには魔法の才は無かった。それは本人も分かっていることで、悪魔や精霊とは縁遠いと思っていたのだ。
「あの……私、小さい頃から母の店を手伝ってて、いろんな人を見てるので何となく分かるんですよね。旅人さんとか、道中に悪魔や精霊に会っている人って、全体的にこう……モワッとというか……フワフワしたようなものを周りに感じるというか……」
「そっか~。うん、いたよ精霊。でも旧礼拝堂じゃ、珍しいけどたまにあるわよ? その子たち、すぐに消えちゃったし……」
「あ、そうですよね。じゃあ無害ですね」
どうやら、悪魔や精霊の気配のようなものは、一度触れると少しの間は残っているものらしい。アリッサの話にイリアはとても感心する。
「ねぇ、アリッサ。よかったら時間のある時に、悪魔学や精霊学を勉強してみない? 意外に、あなたはそっちの分野の研究に才能あるかもよ?」
「え? 私が、ですか!?」
アリッサは今のところイリアの助手だが、ゆくゆくは一人の研究者として育てるつもりだった。
「うんうん、アタシもリーヨォも悪魔学の専門だから、精霊学に詳しい研究員も欲しいところだし。図書室で資料借りてきて読んでみなよ。分からない事があれば、精霊学に詳しい人に教えてもらえるように、ラナロアと支部長に話を通しておくから」
「は、はい! よろしくお願いします!!」
アリッサは目を輝かせながらお辞儀をすると、イリアの研究室を出て図書室へ向かう。一度帰ってから、また配達に来ると言って手を振っていた。
ふふ、素直な子ね。
イリアはメモ紙に『アリッサの勉強を見る人を捜す』と書いて、連絡用のボードに貼り付けた。
そこでふと、旧礼拝堂で精霊と戯れていた【精霊使い】の姿が脳裏に浮かぶ。
あの人、報告書通り精霊を完全に味方にしていたなぁ。
本当ならば報告書を書くよりも、すぐに支部長に言ってルーイを捕まえた方が良さそうだとも思ったが、おそらく彼は捕まらない。
クラストの報告書にも、ルーイに関しては“神出鬼没”の文字が書かれていたからだ。そんな【精霊使い】を捕まえることは、事前の作戦なしには無理なことだとイリアは考えた。
でも……あの人に精霊のこととか聞いてみたいわ。
きっと貴重な話を聞けるはず。そんなことを考えたが、彼がレイラの姿をした【魔王】と仲間だったという事実を思い出し、イリアは頭を振った。
いけない、いけない……あの人は敵かもしれないんだ。だから、早く報告しないと……!!
それでも、ペンを握る手ははたと止まる。
「…………精霊って『残り香』みたいのでもあるのかしら?」
くんくんと腕を嗅いでみたがよく分からない。
「ダメダメ、集中集中……!!」
イリアは再び机に向かい、忘れないうちに旧礼拝堂で会った“ルーイ”や精霊のことを書き記す。
集中し始めた彼女は、少しのことでは周りに気を向けたりしない。
だから、気付かなかった。
彼女が着ている真っ黒な服の裾が、風もないのにはためいたことを。
………………
…………………………
同時刻。
【聖職者連盟】トーラスト支部 支部長室。
「……はい。えぇ、それは……はい、こちらこそ。どうかよろしくお願いいたします。はい……」
支部長アルミリアは、部屋の一角に設置された『水鏡』と『通話石』に向かって話し掛けている。
「はい、では……失礼いたします」
アルミリアが通話石を水鏡の側に置き立ち上がった。その顔はどことなくホッとした様子だ。
「良かった……ルーシャとリィケは無事に本部に着いたようね」
「そりゃ、行くだけなら大丈夫だろ。リィケだけで行ったわけじゃあるまいし。明日にはラナロアとリーヨォだって王都に着く」
アルミリアが執務の机に着くと、その傍で書類をまとめていた補佐官のサーヴェルトが呆れたような視線を向ける。
「それでも、孫たちの心配をしたっていいではありませんか。あなただってクラストから戻ってきてからすぐに、ルーシャの様子を聞き出していたのですから」
「別に……オレはただ、ルーシャが【魔王】と対峙した後だと思ったから。何も変化は無いか、帰宅直後を見ていたマーテルに聞いただけで、心配など少しも……」
「それを世間一般では“心配”というのです。あらあら、なんて素直じゃないお祖父さんなのかしら?」
「……………………」
ぐぅ……と呟くように唸ったあと、サーヴェルトはアルミリアから視線を逸らして立ち上がった。
「あら、お出掛けですか?」
「少しばかり『退治課』に行ってくる。ラナロアもいないし、きている依頼におかしなところがないか、確認だけしてこようと思う」
サーヴェルトは『退治課』用の上着を羽織る。
基本的に支部長と支部長補佐官は、それぞれ『祭事課』と『退治課』の指揮権と最終決定権を持つ。
今回の場合はいつも『退治課』にいるラナロアが不在のため、補佐官のサーヴェルトが退治員に細かい指示を出さなければならない。
「わかりました。もし何もなければ、そのままお帰りになってもいいですよ。こちらの仕事はほぼ完了しているので」
「いや、何かあった時のために、定時よりも少し遅く帰る。お前が帰ったら屋敷の者に伝えておいてくれ」
「わかりました。いってらっしゃい」
「おう。じゃあな」
支部長室を出て、サーヴェルトは『退治課』の事務室へ向かう。
この時間はちょうど、併設している神学校の授業が終わったばかりで、放課後の活動のない多くの学生たちが廊下を歩いている。
「ごきげんよう、サーヴェルト様」
「サーヴェルト様、さようなら!」
「気をつけて帰れよ」
すれ違う学生たちがサーヴェルトと挨拶を交わしていく。
……十年とちょっと前は、ルーシャもまだ学生だったなぁ。
ルーシャは今年の末には26才だ。彼が神学校を卒業したのは15才の時。
まだ十年と少しの月日でルーシャは学生から大人になり、仕事をしながら家庭を持った。だが、それはある日突然壊されたのだ。
あいつが何よりも大事にしていたのはレイラたちだ。
ルーシャが復讐に走った気持ちは、サーヴェルトには痛いほど理解できる。しかし立場上、サーヴェルトは力強くでも孫のルーシャを止めなくてはならなかった。
優しい言葉だけ、あいつに掛けていられるならどんなに楽だったか……。
サーヴェルトはぼんやりと考えながら歩き、気が付けば退治課の事務室の前まで来ていた。
コンコンコン。
事務室の扉は開いていたが、念のためノックをして入室する。しかし部屋には誰もおらず、サーヴェルトは奥のいつもラナロアが座っているイスに腰掛けた。
壁に掛けられた、退治員の予定を記した黒板を見上げると、ルーシャとリィケのところには“出張中”の文字が書かれている。
「はぁ……」
事務室に誰もいないためか、思わずため息を洩らした。
ふと、先ほど廊下ですれ違った学生たちを思い出す。それと同時に、同じ空間にいてもまともに顔を合わせない孫の姿も浮かんだ。
あいつがオレを避けるようになったのは、ルーベントが死んでからか……。
ルーベントとはサーヴェルトの息子であり、ルーシャの実の父親だ。二十年前、とある事故に遭い亡くなっている。
ルーベントが亡くなったため、ケッセル家の次期後継者はルーシャになり、サーヴェルトはその時から厳しい態度で彼に接するようになった。
幼いルーシャは剣を握るよりも、本を読んでいる方を好む大人しい子供だったが、将来は退治員になると決まっている者がそんな軟弱なことは許されない。
彼の一日の半分は剣術と法術の訓練になり、同じくらいの子供と遊ぶ時間はほとんどなくなった。
そうなると、周りの大人たちも『ケッセル家の次期当主』としてルーシャに接し、気軽に自分の子供を近付けない雰囲気が出来上がっていく。
友人ができにくいルーシャは、ますます日々の稽古をやらざるを得ない状況になった。
神学校に入学する時も、ルーシャ本人が『祭事科』を希望しても、当たり前のように『退治科』への選択しか用意されなかった。
サーヴェルトの他に『宝剣レイシア』を扱えたのも、ルーシャの選択を有無を言わさず決めた要因でもある。
“退治の名家の次期当主として”
期待をされた分、のし掛かるものは大きく、子供には理不尽以外の何ものにも見えなかっただろう。
結果、ルーシャは厳しい祖父を避けたのだ。
それからというもの、ルーシャのサーヴェルトへの苦手意識は現在も続き、必要な時以外は近付くこともしなくなった。
そのルーシャが唯一、サーヴェルトと正面から話し、許しを求めたのはレイラとの結婚のことだった。
どうやら、ルーシャは他の人間のためならば、サーヴェルトと対峙する覚悟を持つようだ。
……レイラがいてくれれば、ルーシャとも話せたか?
サーヴェルトもフォースランの家族とは懇意にしており、レイラのことは子供の頃から気にかけている。
五年前も度々、出産間近のレイラをフォースランの家まで見舞っていた。もちろん、ルーシャがいない時にだが。
『きっと子供が生まれたら、ルーシャもサーヴェルト様たちの気持ちが少しは解りますよ』
そう言って、レイラと母親のフォースラン夫人が笑っていたのを思い出す。
もしも、レイラが生きていたら……
もしも、リィケが普通に生まれてきていたら……
ルーシャは家族と一緒に、ケッセルの屋敷の門をくぐってくれただろうか?
「いや……無理だろ……」
オレがいる限り、ルーシャはケッセル家に近付きもしない。
自嘲めいた笑みと共に、先ほど妻のアルミリアに言われたことが頭を過る。
――――なんて素直じゃないお祖父さんなのかしら?
「今さら素直になんて……」
無理だ。
しかし、そうも言っていられない。
……あいつとはちゃんと、話さなければならないことがあるんだ。
サーヴェルトは再び黒板を仰ぎ見る。
ルーシャたちのところに書かれた“出張中”の文字を睨む。
少しずつでいい。二人が帰ってきたら……自分の思っていることと『知っていること』を話そう。
「たとえ、憎まれても話さないと……」
この日、サーヴェルトは暗くなるまで、誰もいない事務室でずっと考え込んでいた。




