【死霊使い】と【精霊使い】
目が合った――――――イリアは反射的に思う。
対峙しているルーイは顔の上半分、狼を模した仮面で隠れていてその瞳は見えない。しかし、視線がぶつかったのは確かに感じた。
「…………あ……」
「えぇっと……?」
見えている口許が驚きで軽く開いている。
イリアから少しでも遠ざかるように、ルーイは二、三歩後ろへ下がるが、すぐに体は礼拝堂の台にぶつかり動けなくなった。
イリアも思いもよらない人物と鉢合わせしたために、思考が状況に追い付かないでいる。
…………ど、どうしよう?
まず、挨拶?
いや……戦う?
捕まえる?
ダメダメ! なら、助けを呼びに?
じゃ、交渉を…………何の?
ぐるぐると混乱寸前の頭を必死に働かせていた時、イリアの額に小さな黒い布が落ちてきた。
「え?」
『フシュ~~!』
すぐにつまみ上げる。それは手のひらほどのペラペラとした生き物…………ぺしゃんこのコウモリのような“闇の精霊”だった。
先ほど、ルーイの周りを飛んでいた精霊たちだ。
それは一体だけでなく、二体、三体とイリアの方へヒラヒラと飛んでくる。
『フシュ、フシュ!』
『シュシュ~!』
『ヒュウ~』
「あはっ、可愛い~! あはは!」
頭や肩に停まってペチペチとまとわりつく彼らに、イリアは愛らしさのあまり笑い声をあげた。
「…………フッ……」
「……ん? はっ!?」
イリアは精霊に気を取られて、一瞬でルーイのことを忘れていた。
そのルーイが、イリアの方を向いたまま口許を綻ばせている。
どうやら、イリアの精霊たちに対する反応が面白かったようだ。唯一見ている口許の微笑みが、とても優しそうに見えた。
……いい人、なの?
そう思った瞬間、イリアの脳裏にルーイの情報が甦ってくる。
クラストにいた【精霊使い】。
【サウザンドセンス】であり、【魔王マルコシアス】とロアンという少年と共にいた人物。
「あなた……“ルーイ”って人、よね?」
「………………」
ルーイの笑みが消え、口が固く結ばれる。しかし、彼は視線を逸らすことはしない。
「何で、こんなところに……?」
「………………」
やはり、答えない。
「………………」
「………………」
お互いに向き合ったまま沈黙が続いたが、急にルーイがイリアから目を逸らし、明らかにその背後へ顔を動かした。
え? 何?
その行動につられ、イリアがルーイから視線を外して振り返ろうとした瞬間、ルーイの姿が曖昧な輪郭になり消えてしまった。
「なっ!?」
イリアは慌ててルーイが立っていた場所へ駆け寄るが、そこには、最初から誰もいなかったように何の形跡もない。
その辺を何体も漂っていた精霊も、ルーイが消えたのと同時にいなくなってしまったようだ。
「なんなの……一体……」
その場で途方にくれ始めた時、建物の入り口からこちらに向かってくる足音が聞こえた。
「こんにちは。誰かと思えば『研究課』のイリアさんでしたか」
「……あ、はい。こんにちは……え~と、『祭事課』の…………?」
礼拝堂へ入って来たのは、細い杖と水瓶を抱え、黒い葬儀用の司祭服を着たローディスだった。しかし、祭事課の司祭が皆同じに見えるイリアは、名前が思い出せずに気まずい表情になる。
「あはは……ローディスです。何度か仕事の依頼を、イリアさんにしたことはあったのですが……」
「ご、ごめんなさい。アタシ、人の顔を覚えるのが苦手で……」
死霊だったら見分けつくんです……と、言いかけてやめた。以前、相手に『死霊以下』だと言ったと誤解されて、激昂されたことがあったからだ。
「いえいえ、私もいつも他の人に顔を憶えてもらえなくて……。同僚にちゃんと認識されたのも、連盟に入って半年過ぎた頃でしたし……ははは……」
「いや、それは怒っても良いと思いますけど」
違う課ならいざ知らず、同じ課の人がそんな扱いをするの酷いじゃないの?
イリアはほんの少し自分を棚に上げ、普段からあまり良く思ってない『祭事課』の不遇に憤る。
「あ、そういえば! 神父がここに来る時、誰か怪しい人を見ませんでしたか!?」
「え? いいえ、連盟の建物からここまで誰にも。ここにもイリアさんしかいませんでしたよ?」
「狼………………えっと、背の高い男の人とかは?」
「いいえ。誰も?」
さすがに“狼の面をつけた男”を見れば分かるだろう。
イリアは相手が面を取った可能性も考えて訪ねたが、ローディスは首を傾げるばかりで、本当に誰にも会ってはいなかったようだ。
「……霊や低級悪魔でしょうか?」
「夢や幻……じゃないし、悪魔でもゴーストでもなかった……ちゃんと“いた”わ……」
【死霊使い】であるイリアが、“生きている人間”を霊や悪魔と見間違えることはほぼない。彼女はずっとこの研究をしてきたのだ。自分が誇れる分野での見間違いは許されないと考えている。
「………………う~ん…………じゃああれは一体…………」
「あの……イリアさん?」
「…………え? あぁ、何ですか?」
「いえ……ここに何か用事があったんじゃないのかな……と」
「はっ!! そうだ、魔力石! あれ? ローディス神父は何をしに?」
ぶつぶつと考えに浸ってしまったイリアは、ローディスに呼ばれて現実に戻ってくる。
そして、普段ほあまりこんな所に来ない、『祭事課』の司祭の存在に疑問を持ち始めた。
「あぁ、私はこれを……」
そう言うと、ローディスは持っていた水瓶の蓋を取って、礼拝堂の聖水を受ける皿へ移す。
蒸留水は聖水や魔力水の素になった。
連盟の礼拝堂では聖水を作り、魔力の満ちた離れのこの場所では、聖水とは反対の性質をもつ魔力水ができるのだ。
「ここの魔力水、たまに入れに来ないと必要な時に使えなくなっているのですよ。だから、時間がある時はたまに来るようにしてます」
ここで少し問題があった。
連盟の礼拝堂の瓶に入れておけば神父が聖水を作る。
これは『祭事課』で当番制になっていて、聖水も需要があるために在庫を切らすことはしない。
しかし、この離れに来る人間はあまりおらず、度々、魔力水が切れている時があった。
魔力水は『研究課』が実験に使用したり、『祭事課』や『退治課』が法術の訓練に使用したりするためのものだ。
本来なら使用した分を、使用した課の人間が補充するのが望ましいが、ここはごく稀に低級の悪魔がいることがある……と、新人の僧侶たちは怖がって近付かないことがあった。
「蒸留水の補充? 神父って班長ですよね? それって新人の僧侶とかがやる仕事じゃないですか?」
いつも補充しているのは、魔力水をよく使う『研究課』と『退治課』の者である。だから、『祭事課』の新人僧侶が来ないことも多少は目を瞑っていた。
しかし、新人の僧侶が来ないのに、その雑用を司祭……しかも僧侶を束ねる班長が行っているとは、イリアには少々考えられない。
「いえ、誰とも決まってませんよ。気付いた人がやればいいのですから。それに、今日はこれも置きにきました」
ローディスはポケットから小さな布の袋を取り出す。紐をほどくと、中には磨かれたの大小の天然石が入っていた。
「昨日お亡くなりになった方の遺族が、故人が生前、集めていたきれいな石を連盟に預けたいと仰っていたので、私に受け取ってもらいたいと…………全部魔力石にできそうなものだったので、ありがたく寄付としてもらい受けてきました」
「うわっ、こんなにたくさん!」
いわゆる、パワーストーンと呼ばれる磨かれた準宝石だ。装飾用の宝石と比べれば安価だが、魔法の実験の媒体に使えるので、トーラストの市場でもそこそこの値で売れるはずである。
「この数を無償でくれるなんて……神父、その故人から信頼されてたんですねぇ」
「さぁ……どうでしょう。あ、これ、この石の在庫記録です。後で『研究課』に持っていこうと思っていたので、イリアさんがいて丁度良かったです」
「あ、どうも。じゃあ入れるついでに、できてる魔力石を少しもらっていこ……」
備え付けの金庫に石を入れて二人は旧礼拝堂を出た。
「あの……神父、事件のあったクラストの町に行ってましたよね?」
「えぇ。あまり役には立ちませんでしたが……」
戻る建物が同じなので、必然的に並んで話しながら歩く。
ふと、ローディスの名前が、先のクラストの事件の報告書にあったことを思い出し、イリアはその話題を振ってみた。
「クラストで【魔王マルコシアス】や、その仲間は見てますよね?」
「少しだけ。私は到着が遅かったので、遠目から見ただけです……それが何か?」
「あ、いえいえ……報告書通りなのかなぁって……」
本当は先ほど会った、ルーイのことを聞こうかと考えた。しかし、ローディスの様子から、報告書以上のことは期待できないと思ったのだ。
「あの……じゃあ、【魔王マルコシアス】は……顔とか、憶えてませんよね?」
「あぁ、憶えてましたよ。あの【魔王】の顔、ルーシャくんの奥様だった方ですね。連盟で何度かお見掛けしたこともあったので……」
「お、憶えてるんですか!?」
イリアは期待せずに尋ねたため、ローディスの意外な返答に驚く。
ローディスは仕事柄、ミサや葬儀の関係者の顔を憶えるのが得意だった。イリアとはまるで正反対である。
レイラは結婚を機に、八年ほど前に連盟を辞めている。ローディスは十数年トーラスト支部に勤めているので、課は違ってもすれ違ったり、仕事で顔を合わせたことくらいはあったようだ。
「そっか……レイラのこと憶えている人もいるんだよね」
「お知り合いでしたか」
「うん、幼馴染みの親友よ。今でも……」
イリアはレイラのことを思い出すと、今でも泣きそうになるが、ローディスの前で泣くわけにもいかず、ニカッと笑って気持ちで踏ん張った。
「アタシ、今は『研究課』だけど、昔は『退治課』だったんです。それで、あの子と……レイラとはパートナーでした。レイラが強すぎて、アタシは荷物持ちや雑用でしたけどね。退治員ってA級にならないと一人で仕事できないんですけど、まだレイラがB級だった時、新人のアタシを無理やり引っ張っていったんですよ!」
現役時代のレイラは『鋼拳の淑女』の異名を持ち、更には一時的ではあるが、ライズの前に『聖弾の射手』を父親から継承している。
そんな彼女は在学中に退治員としての実績を上げ、卒業と同時にB級に昇格。数多くきていた他の退治員からの申し出を蹴って、新人の魔術師であるイリアをパートナーに選んだ。
「…………理由は『他の退治員と組むと好き勝手に闘えない』という、とんでもないものだったわ。あの子、ルーシャと結婚しなかったら、一生独身で悪魔退治してたと思う」
「そうなんですか。では、イリアさんが転課されたのは、レイラさんがお辞めになった後で?」
「そう。アタシはレイラ以外の人間と、パートナーを組みにくいの。みんな【死霊使い】の魔術師じゃ、悪魔に対してそんなに効果ないと思っているみたいだし」
リルダーナは魔力よりも、法力がもてはやされる国である。
魔力を使う魔術師の攻撃では、悪魔に通じないと考えている者も少なくない。
「それで『お前は研究畑の方が性に合ってる』って、リーヨォが転課を勧めてくれたのよね…………最初は抵抗あったけど、今は退治員よりは適職だと自分でも思うわ!」
「ええ。イリアさんのお仕事はいつも早いし、確実なので助かってます」
「ですよねー! アタシも依頼された仕事はリーヨォくらいこなして………………あ、すみません……」
「……どうかしましたか?」
「いえ……アタシったら、いろんなことベラベラと……」
いつもは『祭事課』に苦手意識のあるイリアだが、ローディスが会話を繋げるように聞いていたため、思わず色々としゃべっていたのだ。
「構いませんよ、楽しいお話でしたし。あ、もう建物に着きましたね」
気付けば離れから、あっという間と感じる時間で連盟の本社に到着していた。
「じゃあ、アタシこっちなんで。石とお水、ありがとうございました」
「はい。では……」
ローディスは丁寧なお辞儀をすると、イリアが行く方向とは反対の廊下へ歩いていく。
……必要以上に話してしまった気がする。まぁ、神父さんは聞き上手の方が良いか。
「あ! そうだ……“ルーイ”のこと報告しないと……!」
サーヴェルトなら信じてくれるだろう。
イリアは話をまとめるために、一度『研究課』の自分の研究室へ向かった。




