必要だった時間と存在
お読みいただき、ありがとうございます。
この話で三章は終了です。
「その『レイシア』で私を斬りなさい」
ラナロアの声は低く穏やかだったが、表情からその台詞が冗談ではないと解る。
「ラナ!! 何を言って……」
「黙っててください、サーヴェルト」
またもサーヴェルトの言葉を遮り、ラナロアはさらにルーシャに言う。
「別に殺せ、と言っている訳ではありません。私だって死にたくないので。致命傷にならない程度にお願いします」
「…………な……何で……?」
ルーシャにはラナロアの意図が解らない。
「私を刺してまで復讐をやり遂げたいと言うなら、私はもう止めたりしない……そういうことです。どうしますか?」
「………………」
「怒りませんよ? 傷だってそんなに深くないなら、少し休めば治りますから」
「………………」
「ルーシャ、忘れましたか。私も【悪魔】なんですよ」
「…………っ!?」
ラナロアは悪魔と人間のクォーターだ。しかも悪魔の血の方が多い。今は金髪で人間にしか見えない姿をしているが、普段は肌の色も青白く、わし鼻でスキンヘッド、若干尖った耳の悪魔寄りの姿になっている。
二つの姿は両方ラナロアであり、共通しているのは金色の瞳だ。しかし、この国では金色の瞳を持つのは、上級の悪魔か【魔王階級】だけである。
「ラナロア、冗談なら後悔するぞ? オレは何をしても……」
「かまわないと言っています。それとも止めますか?」
まるで挑発のようにルーシャを煽っている。
ルーシャは宝剣を構えた。本当に斬るといっても、大事にはならない場所を考える。
「はい、では遠慮なくどうぞ。あ、そうだ、ひとつだけ忠告しておきますが……」
「……何だ?」
「司祭の資格、無くなりますが本当にやりますか?」
「覚悟のうえだ……」
それは聞かれるまでもなくあたり前の事だった。ラナロアが許可しても聖職者の行為ではない。
「仇が討てるなら、もうオレは神父じゃなくてもいい」
「そうですか。ではもう、死者に祈りを捧げることもありませんね?」
「え…………?」
「どの顔で墓参りに向かうつもりでしたか? あなたは『死者』よりも『悪魔』と関わる方を選びました。覚悟、できていたのでしょう?」
別に司祭ではなくても墓参りはできるだろう。
司祭ではなくても悪魔を倒すこともできるだろう。
「それとも、あなたは死者に祈ることを忘れていたのでしょうか?」
「っ…………!!」
ルーシャの中で問題だったのは復讐に駆られて、死者を弔うことを忘れ、レイラたちへの想いを顧みなかったことだ。
追わなくてはならないのは敵討ちの悪魔であり、それを見つけるために悪魔を殺していた。しかし、いつの間にか『人間に害のある悪魔の排除』『悪魔がいなくなれば人間は殺されない』と極論になり、『家族の敵討ち』よりも優先になってしまっていた。
構えている宝剣の切先が震えていることに、本人ではなくサーヴェルトが気付いた。ルーシャの顔がみるみる青ざめていく。
そこへラナロアが畳み掛けた。
「仕方ありません。動かない時のとまった『死者』よりも、次々に憎悪の対象を与えてくれる『悪魔』と関わった方がずっと楽ですから。怒りと憎しみは忘れたい寂しい気持ちを隠してくれますからねぇ」
「………………違……」
「いいのではないですか、忘れていても。聖職者でもなくなれば、誰にも咎められずに安心して悪魔を狩っていられます。他の生きた人間にも感謝されますよ。『悪魔を倒してくれてありがとう』って……」
「……やめ…………違う……」
ラナロアは今までにないくらい、優しい笑顔でルーシャを見ている。ルーシャはその顔から目を放すことができず、宝剣を構えながら立ち尽くす。
「ルーシアルド・D・ケッセル。今のあなたはただの殺戮者です。私を殺さずに斬ることはできないでしょう」
「殺戮者……」
「レイラが見たら何と言うでしょうね?」
「………………」
宝剣を構えていた手が下がった。
ルーシャが膝を折り床に崩れると、握っていた宝剣は十字架に変わる。
ラナロアが側にしゃがみ覗き込むと、ルーシャは呆然と前を見ていた。
「ルーシャ、大丈夫ですか?」
「オレは……レイラたちに何もできなかった……悪魔も探せない……祈ることも……」
まるで、確認のようにルーシャが呟く。
ラナロアは片手をルーシャの頭に置いて髪を撫でた。
「祈ることなら、まだできますよ」
「祈ったら……死んだって……」
言い終わる前に、ルーシャはその場で意識を放棄してぐらりと倒れ込む。ラナロアは咄嗟にルーシャを抱き抱えた。
無理をし続けた身体は、ルーシャの意志が折れたことで簡単に力を抜いたのだ。
「……祈れば、レイラたちが死んだことを認めなきゃいけませんから…………辛かったですね、ルーシャ」
ラナロアは倒れたルーシャを支えながら、天を仰いで目を瞑った。
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「……ルーシャはその後、ケッセル家でしばらく静養をしましたが、またフォースランの家に戻ると言い出しました。連盟を辞めたのはそれから直ぐです」
なんとか司祭の資格は残したが、それはルーシャにとって最大の足枷となった。司祭でいる限り、勝手に悪魔を倒しには行けない。
仇も討てず、自分から悪魔と接触する道も絶たれたのだ。
そこまでで五年前の話が終わる。
ライズは目の前のジュースのグラスを空にして息をつく。
ラナロアは緊張が解けたライズににっこりと微笑む。
「ライズ、他に訊きたいことはありますか? この際です。私が教えられることなら、何でも構いませんよ」
「あの……では、ラナロア様。ルーシャには聞けなかったことですが……もう一つだけ聞いてもよろしいですか?」
「はい、何でしょう?」
「何で、ルーシャは家に戻ったのですか? フォースランの家は…………」
――――あの家は家族が殺された場所だ。
ライズは気持ちの整理がついたから戻る。それでもまだ、何も思わないと言えば嘘になるだろう。
しかし、五年前にルーシャが戻ったということは、まだ現場の記憶が生々しく残る頃。例えキレイに部屋を直されたとしても、そんな場所でなぜルーシャは暮らそうと思ったのか。
「それは、私も不思議でしたが…………たぶん、ルーシャはあの家を離れたら、レイラたちと切れてしまうと思ったのかもしれません」
辛い場所。しかし奥の部屋を除けば、ルーシャにとっては幸せな記憶があちこちに、残り香のように留まっているのだ。
「ルーシャがフォースラン家を好んだのは、レイラだけでなくフォースラン夫妻と、結婚前から交流があったからでしょう」
「両親が?」
「ランディはルーシャの父親の『ルーベント』と、退治のパートナーでしたから」
「えっ?」
「ルーベントが新人の頃、少しの間ですがね。でも、そのこともあって、ランディはルーシャのことを連盟でよく気に掛けていましたよ」
ライズにとって初耳だった。
今まで、父親からルーシャとの交流はあまり聞かされてなかったからだ。もちろん、父親のパートナーの話も。
「サーヴェルトも、ルーシャがランディには気を許しているのを知っていましたので、レイラと結婚した後にフォースランの家に住むことを了承したのです。もちろん、サーヴェルトが現役の間だけですが」
「そうだったのですか……」
ライズは改めて五年という時間の長さを思う。
当時、やはり自分は子供だったのだ。
ルーシャの事情も、姉や両親の行動もよく知らずに過ごしていたのだから。
もしも、五年前に自分がトーラストを出ていかなかったら……と、その考えは無意味な事だと気付く。
俺が王都に行ったこと。
あいつがトーラストのあの家に残ったこと。
そのどちらも必要なことだったのだろう。
「私は……俺は、あいつに全部押し付けて出ていきました。自分が出て行ったせいで、ルーシャを墓守りのようにしてしまったのではないかと……」
「ライズ、それは……」
「いえ、大丈夫です。今ならあいつが、それだけで過ごしていた訳じゃないと分かります。それに、リィケが側にいるのだから、五年前より頼りになると思っていますので……」
ルーシャがトーラストに残ったから、自分はまたあの街に戻れる。
自分が王都へ行ったから、今度は二人の助けになれる。
ライズは立ち上がり、ラナロアへ一礼した。
「ラナロア様、貴重なお時間ありがとうございました」
「もう、良いのですか?」
「はい。どうせまだ丸一日は汽車に乗っていますし、トーラストへ戻るまでリィケも交えて、これからのことや色々な話をするつもりです」
「そうですか……それなら、今日はもうゆっくり休みなさい」
「はい、失礼します」
ライズが挨拶をしながら個室から出ると、廊下にマーテルが立っていた。
二人とも顔を見合わせると、お互いにひきつった笑みを浮かべる。
「…………まさか、あなたがこんなに早くトーラストへ戻るなんて思いませんでしたわ」
「何か、俺に不服でも?」
「えぇ、あなたがいると、気軽にぼっちゃまやリィケ様のお世話をしにいけませんので……」
実はライズとマーテルは、神学校時代の同級生である。
「お前、伯爵家の召し使いだろう? そろそろ“ルーシャ離れ”した方がいいと思うぞ?」
「ルーシャぼっちゃまは、旦那さまの子供も同じです。それよりも、あなたも“義兄離れ”されたら良いのでは?」
「は? 世話と称したストーカー行為をする奴が何を言うのか…………」
「まぁ? ブラコンを拗らせている男よりはマシですわ」
「…………………………」
「…………………………」
正直、反りは合わないようだ。
マーテルを通りすぎ二両目へ戻ると、今度は廊下にリーヨォが立っていた。
「よぉ、ちゃんと話は聞いたか?」
「はい。でも……リーヨォさん、ルーシャと一緒にいたんじゃ……?」
「あぁ、いや……それが覗いてみたら、リィケにつられたのかルーシャも寝ててな。邪魔しちゃ悪ぃから、廊下でタバコ吸ってたんだ」
客車の個室は禁煙なので、廊下の隅で吸っていたようだ。
「んじゃ、俺も戻るわ。おやすみ」
「あ、はい。おやすみなさい」
戻ろうと背中を向けたリーヨォだが、すぐに振り向いてライズの方を見る。
「あ…………なぁ、ライズ」
「はい?」
「ルーシャもお前も、リィケがいて良かったな。じゃ」
「へ?」
リーヨォが言った意味がよく解らない。
ライズは首を傾げながら、そっと個室の扉を開けた。
「………………?」
備え付けのソファーベッドで、ルーシャが倒れるように眠っていたのだが、先に眠っていたはずのリィケが起きている。
なでなでなでなで…………
そして、何故か眠っているルーシャの頭を撫でているのが見えた。
「リィケ……何を?」
「あ、ライズさん……」
なでなでなでなで…………
リィケに頭を撫でられているルーシャは、穏やかな表情でぐっすり眠っているように思えた。
「……お父さん、寝ているといつも苦しそうにしてるから」
「ルーシャが……?」
「クラストに行く時の汽車でも、うなされながら泣いてたんです……」
リィケが見ている限り、ルーシャは毎晩のようにうなされていた。涙を流して眠っていたこともしょっちゅうだった。
「でも、いっしょに住んだ日に、寝てるお父さんをなでなでしたら泣かなくなったの」
その日から、リィケは夜中にルーシャのベッドに潜り込んでは、ルーシャがうなされなくなるまで撫でている。そして、そのまま一緒に寝ているという。
「……………………」
『お前、昨夜はだいぶうなされてたぞ?』
ライズは本部の寮に入った時、同室の者たちにかなり心配された。きっと、自分も同じだったのだろうと思いを巡らせる。
司教になった現在は個室が与えられ、他から心配されることはない。しかし……
俺はちゃんと眠れていたのだろうか?
まだ、うなされているのかもしれない。
「…………俺も頼もうかな」
「え?」
「あっ、いや、別に……なんでも……」
思わずぼそりと、声が出ていたことにライズは慌てて否定しようとした。リィケが大きな緑色の瞳でじっと見つめてくる。
「ライズさん……夜、苦しいですか?」
「…………わからない」
「…………わかりました」
戸惑うライズに、リィケは大きく頷く。
「ライズさんも、僕がなでなでします!」
「へ!? いや、俺はいいから!」
しかしこの後、少しうとうとしたライズは、不本意ながらもリィケに頭を撫でられて深く眠り込んだ。
…………俺、もうこの子に強く言えないかもしれない。
ライズはふと、リィケの中に『絶対逆らえなかった姉』の姿が見えた気がする。
汽車の外は星の光だけが見える漆黒の闇が広がっていた。
…………………………
………………
――――この街の最後の鐘が鳴ってから、どのくらい経っただろうか?
ガシャン……
夜更け。
街外れ廃屋に身を隠し、人通りがなくなるのを待っている。
――――山の中なら動けたが、この場所でこんな姿では人を呼ばれてしまう。
ガシャン……
ボロを纏った金属の人形は身を屈めた。
――――ここはあの廃墟の街に似ている?
そう思った時、唯一彼と話した人間……いや『人間のような人形』の子供を思い出した。
――――『リィケ』と言ったか。確か……トーラストの退治員だと……【サウザンドセンス】だと言っていたな。
トーラストといえば、彼の中ではある人物が浮かぶ。
――――兄上はお元気だろうか?
人形はそっと窓から外を覗く。
その時、廃屋の前の道を一人の少女が走ってきたので、慌てて身を屈めた。
「え~と、あとはイリアさんにエッグタルトの配達ね。きっと今日も徹夜なんだろうなぁ……」
『………………』
少女は廃屋の人形に気付かずに通りすぎる。
――――ここが何処か、早く見極めないと……。
焦りばかりが募っていった。
四章をお楽しみに。