悪魔祓い
――――街道に悪魔が出た。
この宿場町ではその話が瞬く間に広まり、小さな商店の通りでは次々に店じまいが始まる。
「負傷者は何人いるんだ?」
「すみませんっ! 私、ルーシャさんを呼んでくるように言われただけで……はっきりしたことは分からなくて……」
ハンナの店から、ルーシャとアリッサは町の教会まで走った。
どうやら、怪我人は複数いるようで、他のシスターたちもテンパってしまっているようだ。やはり、ここで冷静に指示を出せる司祭が居ないというのは、小さな教会にとっては深刻な問題である。
「オレが行っても何も出来ないかもしれないぞ? オレは法術師じゃないし、回復術も使えない……」
「それでも、私たちだけよりいいんです! トーラストに連絡できるのはルーシャさんだけですから!」
応急手当てだけでも手伝えるだろうか?
ルーシャはハンナや近所の雑貨屋から、有りっ丈の救急の薬や包帯を借りてきていた。教会の備品では足りないかもしれないからだ。
それと、念のために自分のカバンも持ってきている。
中にあるものが不要であることを祈りながら。
街道、悪魔、退治員…………。
一週間前は何も問題は無かった。
街道でよく見掛ける小物の悪魔こそいたが、退治員が怪我をするほどの悪魔がいる痕跡は無かった。
まさかトーラスト支部の者ではないのか。
その中にリィケがいるかもしれない…………?
いや、もしもリィケがいるなら、アリッサが直接話しているはずだ。だから、教会にリィケは居ない。
ずっと頭の中で嫌なことを考えては打ち消す。思考の堂々巡りは教会に着くまで続いた。
教会の狭い礼拝堂には、男女二人ずつ計四人の退治員が、毛布を敷いた床に横になっていた。
リィケはいない……な。
四人とも大人で、教会に駆け込んできたのはこの者たちだけだと聞き、申し訳なくもルーシャは少し安心した。
「うぅ……いてぇ……」
「あだだだだ…………助けてぇ~……」
まずは屈強な戦士風で、四十歳前後の男二人。
ルーシャの見る限りは物理的な怪我だけに見える。痛さのあまり言葉を発しているが、意識は有りそうなので大丈夫だと判断した。
ルーシャはアリッサに必要な薬を渡して手当てを指示する。その間に残りの二人の様子を見るとこにした。
こちらは長いローブを着込み、体のあちこちに魔法補助のアクセサリーを着けた若い女性二人。おそらく法術師か魔術師だろう。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
「やだやだやだやだやだ…………」
外傷は見当たらないが、まるで悪夢にうなされているようにずっと何かを呟いている。
「これは…………」
ルーシャが眉をしかめる。
「ルーシャさん? 何か……」
「たぶん悪魔憑きだな。状態異常……“呪縛異常”だ……」
「え?」
悪魔との交戦は身体や武器を使う物理的な攻撃の他に、体に取り憑かれたり、魔力を無理に注がれたりする。
悪魔が魔力を使う場合は、体に負担を掛けるものや精神的に追い詰めるものがあり、それらを“状態異常”と呼んでいる。
悪魔憑き。でも、魔力に抵抗のある、法術師や魔術師がやられるのは珍しいな…………。
「……おい、そこの男二人、お前ら話せるか? 連盟の退治員だな? トーラスト支部か?」
女性二人はまともに話せる状態ではないと思い、ルーシャは意識のある、男二人に状況を聞くことにした。
「……あ、いいや。となりのハーヴェ支部だ……」
「退治員だが、聖職者じゃない…………あんたは?」
いきなり話し掛けてきたルーシャを訝しむように見ていた二人だが、アリッサが「この人、司祭ですよ」と言うと、目を丸くして慌てて座り直す。
「二人とも楽にしてくれ……。街道で会った悪魔のことは話せるか?」
「はい……少しは……覚えていることなら……」
「俺たちは臨時でトーラストの街道の浄化に来ていた。さっきは……そこの姉ちゃんたち助けるので、必死だったから……いてて…………」
傷の手当と即効性のある痛み止めの薬が効いてきたのか、先ほどより二人とも落ち着いてきている。
「街道にいた悪魔が何だったか、種類は判るか?」
“呪縛異常”の魔術を掛けることができる悪魔は、そんなに多くはない。しかし、魔力が高い個体が多いため、近くに居るならば直ぐにでも取り押さえないと、この町全体が危ない。
「え? あー……確か…………えーと……」
「ほら、あれだ……スキュラ……だっただろ?」
「スキュラ!? いや、それはないだろ!?」
スキュラは魔法らしい攻撃はしない。
悪魔学を習った退治員ならば、知っているはずだが……。
男二人は顔を見合わせた後、戸惑いながら揃ってルーシャを見た。
「いや、でも……スキュラだった……」
「森の中にいるっては聞いていたけど…………急に街道に現れて…………そこの姉ちゃんたちが、そいつに捕まってたんだ……」
森にいるスキュラ。それが街道に現れて、この退治員二人と交戦したのだと言う。男たちはスキュラに捕まっていた彼女たちを何とか引き離し、負傷しながらも町まで逃げてきた。
「あのスキュラが……?」
一週間前、今にも倒れそうな痩せこけた老婆のスキュラが確かに森にいた。だが、あの彼女は魔法を使うどころか、水辺から出ることも難しいだろう。
だったら…………他から別の奴が来たのか……でも……。
「とにかく……彼女たちの呪縛を祓ってから、話を聞くしかないか……。アリッサ、大量の聖水と、聖油か無ければ香油は有るか?」
「すいません……聖油と香油は有りません……聖水もあんまり……量は無いというか…………」
「…………これが終わったら、連盟に人材と物資不足を訴えた方がいいな……。じゃあ、空の樽を貰ってきてくれ。そこに井戸から水を沢山入れる。聖水はオレが作るから…………ほら、急げ!」
「「「はいっ!」」」
礼拝堂にルーシャを残し、アリッサと他のシスターたちは外へ跳んでいった。
ルーシャは直ぐに自分のカバンから、銀のナイフとタオル、携帯用のランプを取り出した。
ランプの燃料入れを外して、裂いたタオルにオイルを染み込ませる。それは寝ている二人の周りに円を描くためのものだ。
「お待たせしました、ルーシャさん。樽と水、用意できま…………え? 何これ?」
ぐるりと礼拝堂いっぱいに描かれた円。さらに円の中には複雑な草の蔦のような模様もある。
動ける退治員の男二人は円の外に出されていた。
「思ったより早かったな……やるか……」
入り口に置かれた樽には、水がなみなみと注がれている。
ルーシャは片手を水に浸け、もう片方の手には――――。
「…………よし」
手に持つ、顔の大きさほどの『金の十字架』を自分の胸に押し付け、目を閉じて深く息を吸い込む。
発するのは聖書に記された、福音の言葉である。
「『主は云われた。私は地であり、天であり、人であると。私の全ては世界の全てであると。万物に祈れ、祝福こそ我が最高の供物であると知れ』」
水に浸した手から青白い光が発生した。
その光は樽の水全体に広がり、水の中から細かい気泡が次々と浮かび上がってくる。しかし、泡は直ぐに消えて光も徐々に収まっていった。
「……凄い……一瞬で聖水ができた……」
アリッサはため息をつきながら樽の水を覗き込んだ。何だか水の透明度まで増している様にも見てえくる。
「ふぅ…………祭事課の司祭なら、もっと上手く作れるんだが…………ま、これくらい有れば充分かな…………」
普通の水から聖力を込めて聖水を造れるのは、司祭以上の聖職者だ。ルーシャは元退治員だが、司祭の資格も持っている。
だが、悪魔退治の訓練に重点をおく退治課の司祭に比べて、聖水造りや結界を張る法術を常に訓練している、祭事課の司祭の方が専門であり優秀だろう。
もしこの教会に常時、祭事課の司祭がいれば聖水やその他の備品の補充は万全だったはずだ。
「聖油が有れば、円を描くだけで済んだんだけどな……仕方ない…………」
――――とりあえず、二人の呪いだけでも切り離す。
ルーシャは礼拝堂の入り口近く、寝ている二人の足元の方へ座り込み、銀のナイフを円の一部の上に置く。
片手をナイフの柄に掛け、高々に声をあげる。
「『主は云われた。彼の者が求めるのは地であり、水であり、天の光である。彼の者が恐れるのは奈落であり、毒であり、己の暗黒である。闇の眷属よ、彼の者から退け。退かぬのならば、我が聖霊は汝を打つ雷となるだろう』!!」
パンッ! という音と共に、床の模様がオレンジ色の光を発した。それは遠目から見ると炎のようにも思えるが、礼拝堂の空気は変わらない。
ナイフを握り振り上げると、刃先を床へ……オレンジ色の光に突き立てるように振り下ろす。
刃先が触れた瞬間、光は油を注がれた炎のように広がった。
ルーシャは円の全体に光が行き渡ったことを確認すると、立ちあがり、アリッサから小さな桶を受けとる。
桶で樽から聖水を汲み取ると、円の中の二人に向けてそれを浴びせかけた。
『イィギャアアアアアアッ――――――!!!!』
「キャッ!」
「うぉっ!?」
「ひっ……何だ!?」
円の中からつんざくような悲鳴が礼拝堂に響く。
アリッサや退治員の男たちは、その声に怯んで壁にへばりついた。
「出てきたな……」
寝ている二人から、黒煙のような禍禍しい靄が立ち上った。それは教会の低い天井に引っ掛かり、ルーシャのちょうど頭の位置で塊になって蠢いている。
『ギイィイィ………………』
靄から低い声が聞こえた。
「う…………うぅ……あ……?」
「ん…………ここ……あれ……私……?」
円の中、女性二人が正気に戻り、体を起こそうと身動いだ。
「おい、そこの男二人! 彼女たちを円の外へ!!」
「へ? お、おう!」
「あ、分かった!!」
男たちに指示を出す。二人は彼女たちを引きずるように円から出そうとした時、頭上の靄がみるみる凝縮していくのが見えた。
『ギャギャギャ――――ッ!!!!』
「“クイックシルバー”……か……」
まとまった靄は巨大な人の顔を幾つも象る。それはまるでヒステリックに叫ぶ女性のものだった。
『クイックシルバー』
悪魔としては実体を持たない下級のもの。物を動かすポルターガイストと同じ悪霊の類だが、耳障りな声や音なども発生させる。
これに取り憑かれると、身体の中から騒音を起こされ、精神に異常をきたす。
アリッサや他の者はルーシャの後ろへ下がり、ルーシャは円の中の悪魔と対峙する。
ルーシャは床に置いた銀のナイフを掴むと、腕ごと聖水の樽に突っ込んだ。ナイフを引き抜き、悪魔を睨み付ける。
「ここは祈りの家だ。人間に取り憑いたお前たちを冥府へ戻す!!」
言うと同時に、ナイフを悪魔へ向けて横一文に振り切った。ナイフから細い三日月のような閃光が生まれ、真っ直ぐに悪魔の真ん中へ飛んでいく。
パァアアン!! 閃光がぶつかり四散する。
『ギッ、ギシャアアア――――…………!!!!』
甲高い断末魔を最後に、クイックシルバーはあっさりと消滅していく。後ろにいる者たちは、ポカンとした顔で成り行きを見ていた。
「すっげぇ……ナイフだけで祓った…………」
「兄さん……あんた退治員か……?」
「今は違う。それより……そっちの二人は? 話せるか?」
ルーシャの問に女性二人はおどおどとしているが、視線がしっかりしているので、見る限りもう大丈夫だと思われる。
「トーラスト支部の退治員か?」
「は……はい、トーラストです。私たちは姉妹で…………私は精霊術を……こっちは妹で法術師です……。あの、ありがとうございました……」
「ありがとうございますぅ……」
座ったままペコリと頭を下げる二人に、アリッサはにっこりと微笑んだ。
「二人とも、たいした怪我もないし大丈夫そうですね。良かったぁ!」
「うん。それで……街道で何があったのか……」
「ああっ!! そうだっ……!?」
急に法術師の女性が声をあげる。
「あ、あのっ! あと、もうひとり……私たちの他にいましたよね!?」
「……そうよ、さっきまで一緒だったわ! あの子、大丈夫ですか!?」
「あの子……って?」
ルーシャの鼓動が少し速くなった。
姉妹はお互いに手を握りあってガタガタと震えている。周りを、そこにいる人間を見回して、絶望的な表情になった。
「いません……でしたか? あの子……今日が退治初めての子で…………スキュラが見てみたいって、一緒に森の中に…………」
「あ……あぁ……どうしよう……悪魔に捕まってるんじゃ…………」
「………………まさか……」
ルーシャの口の中が一気に乾いた。
次の言葉を絞り出す。
「……リィケ?」
姉妹が揃って頷いた。