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Thousand Sense〈サウザンドセンス〉  作者: きしかわ せひろ
第三章 五年前と二年前
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五年前の終止

いつもお読みいただき、ありがとうございます。


ここから五年前の、ルーシャの補足的なお話です。

 ――――――五年前。


 太陽が沈んでだいぶ経った空には、いつもより大きめに見える満月が昇っていた。


 よく晴れた夜の月明かりは、全てに満遍なく蒼い光を落としている。


 コツ……コツ……コツ……コツ……


 古城の石畳は、静寂の中で恐ろしいくらいに足音を響かせていた。かつての絢爛豪華であったであろう面影もなく、ただただ広い空間と化しているのだ。



 コツ……コツ……コツ……コツ……


 足音は徐々に城の奥へと進んでいく。


 コツ……コツ………………カツン。


 足音が止まったのは城の真ん中、建物三階分が吹き抜けになった大広間であった。


 広間は丸い大きな飾り窓を天井の中央に、くすんだ金の枠の大窓に囲まれていた。壁や手すりの灯りが無くとも、満月であれば隅々まで月明かりが照らす構造になっているようだ。


「……………………」


 コツ……コツ……――――――バタンッ!!!!


 足音が広間の真ん中まで進んだ時、入ってきた大扉が勢いよく閉じられた。


『フハハハハハハッ!! こんな夜に我が城へようこそ!! 歓迎するぞ人間よ!!』


 耳を塞ぎたくなるような大きさの声が広間で反響していく。その声を追い掛けるように、壁や柱の間を真っ黒な影があちこち跳んでいくのが中央から見えた。


「歓迎はいらない…………」


 広間の中央で彼は呟いて金の十字架を握り締める。


「――――――奈落へ、還れ」


 月の光よりも何倍も強い蒼白い光が辺りを包んだ。






 ++++++++++

 ++++++++++





 ――――現在。


 カタタン……カタタン……


 汽車の走る音が速度を増し、風景が夕方から夜に掛かる頃。


 コンコンコン。個室の扉がノックされる。


「はい」

「ライズです。ラナロア様、よろしいですか?」

「はい、どうぞ」

「失礼します」


 汽車の一等客車の一室。

 ラナロアとリーヨォがいた部屋にライズが訪ねてきた。


「おくつろぎのところ、申し訳ございません。少しだけ……ラナロア様にお聞きしたいことがあります」


「聞きたいこととは?」


「その……ルーシャのこの五年の話です」


「そうですか。えぇ、いいですよ」


 王都では金髪で中年の【人間】の紳士の姿だったラナロアだが、今はトーラストではお馴染みの、スキンヘッドで大きな鷲鼻の蒼白い顔をした【悪魔】の姿に戻っている。


 ……やはり、ラナロア様はこちらの方が落ち着く。


 ライズだけではなく、トーラストの住民にはこちらの姿のラナロアの方が馴染み深い。



 リーヨォとラナロアは簡素な部屋着を着ていたが、寛いでいても眠る気はなかったのだろう。部屋のテーブルには飲み物と簡単なつまみが置かれていて、給仕のためにマーテルが部屋の隅に待機していた。



「俺はルーシャの所にでも行くか……」

「では、私も退室致します」


 何やら神妙なライズの表情に、リーヨォとマーテルは邪魔をしないために部屋を移動しようと立ち上がった。


「っ!? いえ、リズウェルト様が宜しければ、そのままでも……!!」


 リーヨォを追い出す体になってしまったことに、ライズは慌てて彼を引き止めたが、手をひらひらと振られて拒否される。


「あぁ、いいって別に。それと、ここはもう王都じゃねぇ。俺は『リズウェルト』じゃなくて『リーヨォ』な。ちゃんと昔のように呼ばねーと、お前のことミルズナに突っ返すからな!」


「はい、分かりました。()()()()()()


 元から真面目で堅いライズは、トーラストにいた時にも姉の友人であるリーヨォを呼び捨てにしたことはない。息苦しくてたまらないが王子扱いよりはマシだと、リーヨォは『さん』付けまでは許しておくことにした。


「ん。よろしい……んじゃ、ごゆっくり」

「私は廊下に控えております。旦那様、何かありましたらお呼びください」


 リーヨォはニヤッとした後、片手をひらひらと振りながら個室を出ていく。マーテルも一礼するとリーヨォの後に続いた。


 ……パタン。


 扉が閉じられ、部屋にはラナロアとライズの二人きりになる。


「申し訳ありません。こんな夜遅く……」

「いえ、眠れなかったので構いませんよ。今リーヨォとお酒を飲みながら、他愛もない話をしていましてねぇ」


 笑いながら、ラナロアはライズの前に赤い飲み物を入れたグラスを置いた。一等客車は飲食がサービスで置かれている。


「これはジュースですよ。ライズは『司教』ですからアルコールは抜きにしましたが……今日くらいは呑みますか?」


「いいえ。私は酒を嗜んだことはありませんので……」


 本来ならば客車には酒が多く用意されているが、ミルズナが手配したこの汽車は、聖職者用にアルコールがないものも置いてあった。


「あなたの父親のランディも、自分の結婚式以外は呑みませんでしたねぇ。あなたは本当に立派になりました。ランディがいたら、喜んでいたと思います」


「ありがとうございます。いただきます」


 ライズは軽く頭を下げてから、グラスの飲み物に口をつけた。色だけは葡萄酒によく似ているが、やはり普通のジュースである。



「…………で? ルーシャは五年前の“退治員を辞めた日”を私に話してもらえ……と、いったところでしょうか?」


「は、はい。自分は細かいところは覚えてないと…………申し訳ありません……」


「別にあなたが謝ることはありませんよ。ルーシャも、あの時は正気ではありませんでしたから」


「正気じゃない……?」


「悪魔を殺そうと躍起になって、自分の身など顧みなかったのですよ。想像はつくと思いますが……自暴自棄になって、危うく聖職者でいられなくなるところでした」


 ライズは小さく頷く。

 彼はルーシャを道連れに死のうとした。でもそれは一度だけ。

 あとは街を出るまで入院していたので、他から隔離され冷静さを取り戻すことができたのだ。


 ……もし、自分があのままトーラストに残っていたら?


 ふと、疑問が過ったが、今はラナロアの話に集中することにした。


「ルーシャは当時、ある森の古城へ()()()退治をしに行っていました……」






 ++++++++++

 ++++++++++





 ――――――五年前。



 ラナロアとサーヴェルトは、トーラストから汽車で三日掛かる土地を歩いていた。



 夕方に近くの村を出発して森に入り、そして現在は月明かりを頼りに草木の生い茂る道を進んでいる。


「満月でもこう、森の木が繁ってると足下なんか全然見えないな……ラナ、お前さんはこんな所でよく歩けるもんだ……」


 サーヴェルトは動きやすい退治用の制服だ。しかし、ラナロアはぞろりと長い厚手のコートとマントを着ている。


 さらに彼の服は、真っ暗な中でその闇に溶けそうなほど全身は漆黒で覆われていた。唯一見えるのは色白の顔と、色素の薄い腰まである金髪だけだった。


「まぁ……私は『悪魔』ですから。夜目は人間よりも利きますし、森に漂う魔力も負担になりません」


「そうか……確かに、この辺は空気が重いな。つまり……近い、か……?」


「えぇ。ほら、あの城ですね」


 それは急に現れる。


 満月の明かりにぼんやりと浮かぶ古城。

 本来は白い石造りの立派な城壁であったであろうものも、今では夜の森に不気味に佇む緑色に苔むした建造物だ。


 ザァアアア……


 葉擦れの音が四方から一斉に迫ってきた瞬間、


『――――ぎゃあああああああっ…………』


 波のような音に逆らうように、別の音が古城から発せられた。


「…………一足遅かったか」

「まだです。すぐに“現行犯”で押さえましょう」


 ラナロアとサーヴェルトはお互いに頷き合うと、城の門扉を静かに開きエントランスホールへまっすぐに向かう。


 入り口の広間は思ったほど荒れてはいないが、埃と血生臭さを含んだ空気が奥から外へ抜けていく。空気の出所は廊下の突き当たりに見える大扉だろう。



「…………奥ですね。あの大扉は……おそらく開きませんね」

「だが、気配がする。上から様子を見よう……」



 二人は脇の階段から細い廊下を進み、吹き抜けになっているホールの二階へ出た。



 ――――あぁ、やはりいましたか……本当に、残念です。


 手すりから身を乗りだしホールの中央に視線を向けると、中央に蒼白い光の塊が見えた。


 光っているのは一振の剣であり、それはラナロアやサーヴェルトが見馴れていたものだ。


「……………………」


 光に手を掛け、ルーシャが黙って立っている。


「…………ルーシャ」


 孫の名を呼んだサーヴェルトの顔には『絶望』の二文字が現れていた。


「……現行犯ですね」


 呟くラナロアの視線はルーシャの足下で固定される。

 ルーシャを中心に絨毯のように広がっているのは血だ。



 ケッセル家の『宝剣レイシア』は倒れている【悪魔】の身体に深々と突き刺さっていた。





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