トーラストの領主
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世界の北方に位置する大陸にある国、【リルダーナ王国】には“国家公認の悪魔”がいる。
彼の名は『ラグナロク・ロアルド・レイン・ディ・トーラスティ』
地位は『伯爵』であり、トーラストの街の領主。
トーラストの住民は彼を『ラナロア』と愛称で呼んでいる。
悪魔だということはトーラストの街ではほとんどの者が知っているが、住民は誰一人として彼を排除しようとは思わない。
彼らが産まれた時から伯爵は当たり前に街を歩いており、トーラストの街を国で三本の指に入るくらいの豊かな場所にした。
その領主に住民は親しみさえ覚えているほどだ。
【聖職者連盟】本部長執務室。
先ほどから比べると、かなり落ち着いたリィケがラナロアとソファーに向かい合って座り話していた。
「…………ラナって本当に『悪魔』なの?」
「はい。正確に言うと、私の祖母にあたる方が人間でしたので、魔界に住む純粋な悪魔とは違い、人間としての実体がある存在ですね。だから、この世界でも人間と同じように活動できます」
悪魔という存在が人間の世界で生きていくには、自然界で流れる魔力を吸収して魂を保つ必要がある。
多いのは人間の世界で動物の体を媒介に、悪魔として繁殖する方法だ。自然界にはこの手の悪魔が大小沢山いる。
他にも人間界の生物として親に宿り生まれてくる方法もあるが、これはごく一部の上級悪魔にしかできない。
魔界から流れてきた悪魔で手っ取り早いのは、人間や他の生物の生命力や身体を奪って世界にしがみつく方法である。しかし、これはほぼ必ず退治の対象とされた。
ラナロアのように自前の身体がある場合には、魔力の回復や生命維持も体内で循環させることができるので、普通の生物のように食事や睡眠で補うことができるという。
「ラグナロクはこの国ができる前から、現在のトーラストの場所に住んでいたのです。その頃から人間と共存し、土地の浄化や悪魔たちへの説得などにも尽力したため、この国ができた時に正式な居住権と街の統治が認められました」
リィケの隣にはミルズナが座り、二人のやり取りの補助を買って出る。
「リルダーナより前から……? じゃあ、ラナは何歳なの?」
「そうですね、正確に数えなかった時期もありますが……だいたい『500才』と少しですかねぇ」
「ご、500……?」
途方もない数字に、リィケは口を開けたまま固まった。
ラナロアが経緯を説明するなら彼が生まれてすぐよりも、魔界から出奔し、数名の召し使いと共に人間の世界へ来た頃を話した方が解りやすい。
現在の【聖リルダーナ王国】が建国する前、この土地は荒れ果てた広大な土地だった。
もともと五百年前、まだ国がなかった頃のこの土地には、人間はほとんど住んでいない状態だったという。
「あの時代のトーラストの土地は自然発生した『魔力栓』が大小あちこちに多数存在しましてねぇ。その付近はほぼ【魔界】と変わりなかったのです」
例え土地に人間が来たとしても、悪魔に食われるか【魔界】に迷い込んでしまうか。どちらにしても、生身の人間は生きてはいられない土地であった。
ラナロアの祖母にあたる人間は【魔界】に迷い込んでしまったようで、そこにいた祖父にあたる悪魔に見初められて子供を産んだそうだ。
「悪魔は人間に寄せることができますから、意外に大昔は悪魔と人間の間の子供はけっこういたのですよ」
「ラナだけじゃない?」
「えぇ。うちの屋敷の執事と料理人、それと庭師は先祖に人間をもつ血筋の悪魔ですよ」
「えっっっ!? 『カルベ』も『シン』も『セルゲイ』も悪魔だったの!?」
「「「………………」」」
ここで、ラナロアの屋敷をよく知る面々は、リィケの発言に遠い目をして絶句した。
『カルベ』は執事で名を『カルベリッヒ・ケルー』という。
耳が長く、子供の背丈よりも小さな老人であり、普通の人間とは少し異質な存在だ。
『シン』は屋敷の料理人。
パッと見た感じは普通の青年に見えるが、耳が狼のものであり、ふさふさのしっぽも生えている。
『セルゲイ』は庭師。
大きな身体を持っているが、本来の首の在るところに頭がない。ずんぐりむっくりとした胴体の上の方に顔がある。
街の中でもその姿は驚かれるので、馬車を使って外出する時は全身に布を被って“シーツのオバケ”のような姿になって出掛ける。
そのため、彼らはひと度トーラストの外へ出てしまえば、退治員に追われる身になってしまうので、市外へは細心の注意を払っていた。
リィケはそんな彼らと、自我が目覚める頃には一緒にいて当たり前になっている。元々“人間”という定義も曖昧なリィケにとっては、街で暮らしている人型の者は全て“人間”だと認識していたのだ。
「あー……当たり前になるって怖ぇなぁ……。俺もトーラスト住まいが長いから何にも感じなくなってたわぁ」
「オレも子供の頃、リィケと同じこと言ってた気がする…………」
「……私も本部で王女に指摘されるまで、ラナロア様のトーラストの姿が当たり前になってました」
「…………皆様、油断しすぎですわ」
リーヨォ、ルーシャ、ライズの三人が天井を仰ぎながらため息をつく。横に控えているマーテルはそんな彼らに呆れているようだ。
「まぁ、私の話は長くなりますので……今日はこれくらいで」
「えぇ。とにかく、ラグナロクはトーラストでは“悪魔族の姿”を。その他、正装をする場面などでは“人間の姿”をしていることが多いのです」
「今はラナの正装なんだね。だから髪の毛が生えたり、顔が変わったりするのも“正装”だからだね!」
「はい。そうですね、リィケ」
「「「………………」」」
正装だけでは説明がつかない部分も多数あるが、リィケが納得したのでそれ以上は誰も異議を唱えなかった。
「分かりやすくすると、オレたちはいつものラナロアを“白ラナ”。正装の方を“黒ラナ”って呼んでるな……」
みんな、ルーシャの言葉に苦笑する。どうやらトーラストの住民は本当にそれで区別しているらしい。
「リィケ、ここまでで少し私のことを解っていただけましたか?」
「うん。瞳の色も……金色だけど、ラナはラナだね!」
「はい。ありがとうございます」
「コホン…………リィケも解って良かったですね。では、ラグナロク……あなたにも聞いていただきたいことがあります。お話してもよろしいでしょうか?」
「えぇ、もちろんです。ミルズナ王女」
ラナロアとリィケも落ち着き、ミルズナは改めて問題の本筋に戻ることにした。
本部にずっと待機していて、状況を知らないラナロアに追って説明をする。
まず、ルーシャとリィケが本部に来てから起きたことを順に話し、そこへミルズナとリーヨォがレイニール王子の捜索について付け加えた。
最後にルーシャとライズが『裏の世界』に飛ばされた時、廃墟のトーラストの街へ行った話も簡単に説明する。
「……リィケの神の欠片は【渡り人】だと? 王女はお考えなのですか?」
「えぇ、他の能力も見えますが、それが一番出ているかと……」
「「「……………………」」」
本当はリィケの能力は【千の心】の可能性が高いのだがそれは当面秘密にする。
今は、たぶんこれだろう……とボカシて言っておく。
リィケのことでラナロアに内緒にすること。
ルーシャは内心、ラナロアにリィケの能力を教えないことには、親として少しの優越感さえ感じていた。
しかし、いざラナロアを前にして嘘をつくことに抵抗感が出てきてしまう。それは罪悪感ではなく、彼にはすぐに見破られてしまうことが高いと思ったからだ。
…………思えば、子供の頃からラナロアには色々見透かされてきたな。オレがすぐ顔に出るからバレるんだけど……。
今回はミルズナとリーヨォが誤魔化してくれる。
しかし、今後はルーシャももう少し上手く立ち回れるくらいの器用さが必要になるだろう。
「ルーシャ」
「…………え?」
「今後の本部での予定ことですが……」
「え……あぁ……何?」
「…………聞いてませんでしたね?」
「あ……ごめん」
ルーシャは深く考えに浸ってしまって、ラナロアに声を掛けられたことに気付かなかった。
話はルーシャとリィケの滞在中のこと。
レイニールの捜索は続けるが、本部に出入りを頻繁にすることで余計な詮索を受けないよう、何かもっともらしい理由をつけようということだった。
無難なところで、ルーシャたちは退治課と研究課の見学という理由だろう。
「お前とリィケはもう少し本部に滞在するんだろ? 俺はラナロアと一緒に、明日の朝には汽車に乗って帰るつもりだ」
「うん? リーヨォ、ずいぶん早いんだな?」
「まぁな。実はレイニールのこと以外は、調べられるもんは調べたつもりだ。王子と研究者を使い分けて王都にいるのも疲れるしな……」
「そうか……」
リーヨォは大袈裟にパキパキと首や肩を鳴らす。
「慣れない場所に数日いるのも気を張りますからねぇ。ルーシャは疲れていませんか? もし良かったら今日だけ、リィケの本部での訓練は私が付き合いますよ?」
「え……?」
「あなたも一日くらいは休みにして、市街を回ってきても……」
「あ、いや、オレは大丈夫だ。リィケの訓練にも出来る限り付き合うつもりだから……ラナロアは気にしないでくれ」
ダメだ。ボーッとしてる場合じゃない。
しっかりしなければと思ったばかりなのに。
「……………………」
スゥッと目を細め、ルーシャを見るラナロアの金色の瞳。
ルーシャは自分の行動の反省で頭がいっぱいで、ラナロアが向けている視線に気付かなかった。
………………
……………………………………
「では、本日のリィケは私と一緒に、その『謎の本』について調べましょうか?」
「はい!」
結局、ルーシャはライズと一緒に本部の退治員の訓練に混ざることとなり、ミルズナがリィケの勉強に付き合う予定に決まった。ラナロアはリーヨォと、帰る前に本部の研究課の資料を読み込んでいくという。
早速、ミルズナはリィケと一緒に、執務室で研究を始めることにした。
「しかし、これは一体何の本でしょうね……?」
「ああ、それな。古代文字かと思ったんだが、それでもなさそうなんだよなぁ……」
ミルズナがパラパラとめくっている本は、リィケがクラストの町でロアンに渡されたものだ。
トーラスト支部でリーヨォやその他の研究員にも解読はできず、未だに何について書かれているか一文字も解らなかった。
「ふふ……リズが解けなかった書物……実にそそられますね……うふふふ……」
「ミルズナ、目が怖いぞ。俺やイリアが解読できなかったものを、お前に解かれたらプライドがズタズタになるんだけど……」
すっかり研究員のスイッチが入ったミルズナは、本を片手に怖いくらいのにんまりを顔に浮かべている。
「あら、私にはリィケがいますので二人で解読するのです。ね? リィケ」
「は、はいっ!」
「解読できれば必ず皆さんにお知らせします。絶対に……」
「…………」
ミルズナは何か考えがあるように、ルーシャに向かって小さく頷き笑う。
「では、私は退治課の方に。ルーシャ、案内する」
「あぁ、頼…………」
コンコンコン!
急に、執務室の扉が叩かれた。その音には緊張感が混ざっている。
『本部長。伯爵に急ぎお知らせしたいと、トーラスト支部支部長から通話石に連絡が入っております!』
「えっ?」
「トーラスト支部長? 分かりました、入りなさい!」
『はい』
扉が開かれ、一人の兵士が手に水鏡と石を持って入室してきた。
「水鏡をこちらへ。ご苦労様、あなたは下がっていいわ」
「はい、では……」
兵士が去ったのを見て、ミルズナが通話石を持って目を閉じる。石を持つ手の周りに、淡く白い光が纏わりつく。
ピシャン……
水鏡の表面が波打つと同時に、そこからガヤガヤと雑音のような音が発生し、それが大きく反響し始めた。
「こちらは【聖職者連盟】本部、本部長ミルズナです」
『まぁ! ミルズナ王女……まさかあなた様が……! トーラスト支部支部長アルミリアでございます』
トーラスト支部支部長のアルミリアはルーシャの祖母である。
「アルミリア、どうしましたか? まさか、貴女が本部に掛けてくるなんて…………」
『あぁ、ラナ……もしかしたら、ルーシャたちもそこに?』
「いるよ、おばあちゃん!」
「…………はい。います。どうかされましたか?」
急ぎの連絡がある場合、いつもなら支部長ではなく、補佐官であるサーヴェルト……ルーシャの祖父が通話石で掛けてくるのが通常だ。
どことなく焦りを滲ませる祖母の声に、ルーシャは嫌な予感で鼓動が早くなっていく。
『ルーシャとラナも……いえ、皆さん、落ち着いて聞いてください。あの人が…………補佐官のサーヴェルトが倒れました』
「「「えっ!?」」」
部屋にいる全員が声をあげる。
「そんな……何で、じいさんが……?」
『今朝、意識不明で倒れているのが発見されて…………あぁ……』
水鏡の向こう、アルミリアが泣き崩れるのが分かった。




