最強の子供と神の魂を持つ子供
――――――二年前。
【聖職者連盟】本部長、執務室。
「……まだ、犯人につながるものは見付かりませんか?」
大きな机の正面。神学校を卒業し、前本部長からの引き継ぎを終えたばかりのミルズナは、自分よりも年上の連盟配属の兵士に『ある事件』の調査報告をさせていた。
「王女、こちらも調査しております。しかし、現地を仕切る調査員からは“王女はこの事件のことはお忘れになられますよう”にと……」
兵士の言葉にミルズナは眉間にシワをよせた。
「あなたまで『王女』と呼ぶのはやめていただけますか? 私は『本部長』です。忘れろ……と? 私は第一発見者ですよ。あの光景をまともに見た人間ですよ!?」
ダンッ!
ミルズナは立ち上がり、執務室の机に強く平手を打つ。
最近使い始めたこの机は想像以上に硬く、ヒリヒリと痛む手のひらに彼女は軽く悲鳴をあげそうになった。
しかし、そんな彼女の内心を知らぬ兵士は、その少女らしからぬ圧に顔をひきつらせる。
……これが王宮側の親切心なら質が悪いですね。
悲惨な事件のためか、それとも『レイニール王子』関係のためか、王宮側は年若い王女がこの『事件』に深く関わることに難色を示していた。
「も、申し訳ございません……本部長」
「いえ……こちらも感情的になってしまいました。ごめんなさい。――――とにかく、これは【聖職者連盟】本部長の命令だけではありません。王家……ひいては国の問題でもあります」
「しかし、本当にこれ以上は何も。私たちも本部長に『調査団』を拝命され、全力で事件に向き合ったと思っております」
深々と頭を下げる兵士に、ミルズナは顔を曇らせて椅子に座り直した。
「では、もう一度……犠牲者の数と、現場の状況をまとめた資料を読み上げていただけますか」
「…………はい」
――――『報告書』。
王宮敷地内の『寵姫メリシア様の住居』にて事件、又は事故が発生。
犠牲者は、主である『メリシア妃』及びその子息『レイニール様』、屋敷の使用人十五名。
計十七名が“死亡”又は“不明”である。
発見者は『ミルズナ王女』、兵士の『ライズ・フォースラン』
「………………」
ミルズナの脳裏に『あの屋敷』での光景が過る。
広い応接間は余すことなく血が飛び散り、カーテン、壁紙、絨毯はズタズタにされていた。
応接間だけではない。他には、台所、使用人の休憩所、馬舎、中庭…………屋敷のあちこちで、その惨劇は行われたようだ。
そして、各所の床に転がっていたのは『人間』だったものであった。
「……う……」
さすがのミルズナも、鮮明に蘇る映像や匂いに軽い目眩と、吐き気が込み上げてくる。
「本部長、続きを……読み上げても?」
「こほん……ええ、お願いします」
何とか押し寄せる不快を飲み込み、ミルズナは顔で冷静さを保つ。兵士は少し顔をしかめたが、息を吸い込んだあと言葉を続ける。
「『メリシア妃』を含む十六名は“死亡”。遺体の損傷が激しく本人と思われる一部からの推測ということです……」
「……レイニール王子に関しては?」
「『レイニール様』は『不明』とのことですが、現場から血痕の付いた衣服の一部が発見されています。おそらく、王宮では“死亡”と見なすかと思われます」
「まだ……分からないでしょうに…………」
「しかし、もしも犯人が『悪魔』の場合……その、申し上げにくいのですが…………」
――――レイニールの存命は絶望的。
これが普通の見方である。
「もし、存命の場合でもレイニール様がまともでいられるかは分からない……と」
「そう……でしょうね」
ミルズナと兵士は落胆する。どうやって彼を捜せばいいのか、皆目見当がつかなかったからだ。その時、
――――コンコンコン。
部屋の堅い扉がノックされる。
「『退治課』退治員、ライズ・フォースランです。入室、よろしいでしょうか?」
「どうぞ、入りなさい」
「失礼致します」
扉が開かれ、本部の僧侶の制服を着たライズが入ってきた。
「ライズ、体調はいかがですか?」
「問題ありません。ご心配おかけ致しました」
「そう。無理はしないでね」
「はい」
そういえば、ライズが本部に来た経緯は…………
ミルズナは婚約者のリズウェルトに『ちょっと訳ありの新人が行くから、本部で会ったら様子を見ていて欲しい』と言われていたのだ。
確か、この人も家族を悪魔に殺されていましたね。
「ライズ、どうしました」
「ミルズナ様、ひとつ……お知らせしておきたいことがあります……」
「何でしょうか?」
あの屋敷で、ライズが真っ青な顔をしていたのを思い出した。おそらく、ミルズナが予想していることを彼は言うのだろう。
ミルズナは兵士を部屋から退出させ、ライズと二人きりで向き合う。
「話を。真面目なあなたのこと、無理をしてまでここに意味のあることを報告にきたと思っています」
「……私の、家族が亡くなった事件についてです」
「どうぞ……あなたの話せる範囲で教えてください」
奇しくも、ライズは『よく似た二つの事件』の関係者となったのだ。
…………………………
………………
現在。
「千の心……」
「神の魂の力……って……」
ミルズナが言ったものが何か、ルーシャとライズは一瞬計りかねた。
「そのままの意味です。リィケは使おうと思えば“全ての神の欠片の能力”を使える業を持っているのです。だって『神の魂』そのものを持っているのですから……」
ミルズナが大きく息をつく。その顔にはうっすら汗まで滲ませているのだから、説明する方も相当、気を遣ったのだろう。
「……ルーシアルド」
「はい」
「もしも……悪魔が、いえ【魔王】たちがリィケの能力の存在を知って向かって来ているのなら……時が経てば経つほど、状況は過酷なものになるはずです。あの子は【神】にも【魔王】にもなります……この意味がわかりますか?」
「…………それは」
ルーシャは言葉の意味を理解しているつもりだった。しかし、具体的にそれが何を指しているのか、その結果何が起こるのかまったく解らない。
「リィケはこれから、退治員としてもっと表に出ていきます。既に【魔王】に認知されているなら、悪魔たちの間でもリィケの存在は噂されていることでしょう」
「これからも狙われる?」
「もっと狙われます。それこそ、悪魔の低級上級【魔王】問わず……そして、悪魔信者などの人間にも……です。リィケを手に入れた者が【神】や【魔王】の力を使えるのですから」
「な…………」
世の中には悪魔の側に付き、人間を破滅させようとする人間がいる。
そういう輩は『狂信者』といい、信仰する【魔王】が望めばどんなこともするものだ。
それこそ、普通の善良な人間に紛れて、リィケを連れていこうとするかもしれない。
「特に気をつけなければならないことは、『大事な人を盾に取られること』、『洗脳や心理操作の術に掛かること』……この二つでしょうか」
「確かに……子供のリィケは簡単に悪魔に操られるだろうな。それか、お前や周りの人間を『盾』にして、言うことを聞かせようとするのも危ない……」
「あの…………それって……」
「ライズ、どうした?」
ミルズナとリーヨォがそこまで言った時、ライズの顔色が変わった。あることを思い出したようだ。
「レイニール王子の『神の欠片』は…………」
「えぇ……【感情の檻】です。感情を操り、人心を掌握することもできます……」
「人心掌握……」
「この屋敷で起きた『二年前の事件』は、ライズとルーシアルドの家族を巻き込んだ『五年前の事件』と似ているといいましたね?」
「まさか、犯人は同じで……リィケに言うことを聞かせるために、レイニール王子を拐った……?」
「可能性はあるかと……」
「リィケが【千の心】の能力者だと気付いた者が、レイニールを拐って【感情の檻】をリィケに使わせようとしている……か。俺から言わせりゃ、レイニールこそ言うことなんて聞かねぇぞ?」
リーヨォが灰皿を片手に、吸っていたタバコを消しながら階段を下りてくる。
「レイニールを利用しようとするよりも、リィケを拐ってきて騙すなり脅すなりした方が早い。ハッキリ言って、レイニールは悪魔でも手に負えない最強のクソガキだからな」
「リズ……あなた、実の弟にそんな言い方…………でも、確かに言うことは聞きそうにありませんね……」
ミルズナもリーヨォの言葉は否定できないようだ。
「レイニール王子って、どんな子なんだよ……」
ルーシャは横にいるライズに視線を移すと、ライズの方もルーシャを見ながら気まずそうな表情をしている。
「前にも少し言ったが……『大人が太刀打ちできないほど、聡明で賢く、抜かりのない人物』だ。良く言えば…………」
「良く言えば、か……」
付け足された言葉に真実が見える。悪く言えば『クソガキ』で相違ないのだろう。
そうこう話しているうちに、時間はかなり経っていたようだ。
「……今日はこれで終わりにして、一度帰ろうと思います。ライズ、通話石で迎えを呼んでください」
「はい」
ミルズナが小さなランプに火を灯しながら、ライズに携帯用の通話石を手渡した。ライズはそれを持って庭先へ出る。
気付けば外の空は、オレンジから藍色のグラデーションを作り出していた。外が明るさを失えば、ひと気のない屋敷はすぐに暗くなっていく。
「……リィケも起きないんじゃ、今日はダメか」
ルーシャが寝ているリィケの側に座ってため息をついた。
「いや……レイニール捜しは一旦中止だ。リィケをこれ以上、表に連れ回すのは良くない……」
「でも、リーヨォ……それは……」
「ルーシャ、とりあえずお前はリィケのことだけ考えてやれ。レイニールのことは……その次でいい。本来なら、俺たちで何とかしなきゃならなかったんだから……」
リィケのことが判った今、ルーシャたちはリィケを護ることに重点を置いた方がいいとリーヨォは判断する。
「それは……リィケのことを考えればそうだが。でも、リィケはレイニール王子を捜したいと思うぞ。オレだって、捜索は続けたいし……」
「犯人が同じ可能性があるもんな……やっぱり、レイニールのことは捜したいか……」
「いや……そうじゃなくて……」
確かに、事件が類似していることから犯人が同じだと思った。
しかし、それ以上にルーシャは、レイニールのことをどうにか見付けてやりたいと考えるようになっていた。
これまで聞いた彼が置かれた環境は、王子という立場からかけ離れた厳しいものだったからだ。
リィケはレイニール王子と同じでも、まだ人に恵まれていたと思う……このまま、誰にも見付けられないなんて……
「リーヨォや王女だって、リィケのことを助けてくれただろ。レイニール王子はまだ子供だし、その子供がどこかで困っているのなら、今度はオレが助けてやりたい」
ルーシャは思ったことを口にしたのだが、目の前のリーヨォは驚いたような顔でじっと見詰めてくる。
「ルーシャ……お前、変わったなぁ。以前なら、子供だけじゃなく、他人に自分から関わるのが苦手だったのに」
「そうか? あんまり考えたことはないけど……」
「いや、良い意味で聖職者らしくなった」
「何だよ、それ……」
お互いに苦笑する。
リィケが起きたら、レイニールの捜索をもう一度考えようということになった。
陽はすっかり落ちて、ミルズナが灯したランプだけが頼りの中、迎えに来た馬車が屋敷の前に停まった。
「帰りましょう。今日は色々とありましたし……」
それぞれ来た時の馬車に乗り込み、一先ず連盟の宿へ戻ることになった。
ルーシャが馬車に乗り込む時、抱えられたリィケがパチリと目を開けた。
「…………あれ?」
「あ、今起きたか……」
「えっと……お父さん?」
「何だ?」
「レイニールは?」
おろおろとした顔がルーシャを見上げた。ルーシャは首を横に振り、見付からなかったことを伝える。
リィケは一瞬だけ泣きそうになったが、ぶんぶんと頭を振ると自分でペチペチと両手で頬を叩いた。
「僕、絶対にレイニールを捜すから」
「そうか……」
「見付けたら友達になってくれるかな?」
どうやら、レイニールの捜索は有無を言わさず再開されるようだ。にっこりと笑うリィケに、ルーシャとリーヨォはただ黙って頷いた。
――――次の日。
連盟の執務室へ向かうルーシャとリィケの背後から、リーヨォが猛スピードで迫ってくる。
それも物凄く悔しそうな顔で。
「だぁあああっ!! あいつ、やっぱり『クソガキ』だったぁ!!」
「えっ!? 何!?」
「何があった!?」
やはり、レイニールは悪魔でも手に負えない。
ルーシャたちがそう実感するのは間もなくであった。




