懺悔と救い
勢いよく開けた扉は、その力で金具が壊れて廊下へ倒れた。その拍子に床に積もった埃が舞い上がり、ゆっくりと煌めきながら落ちていく。
開かれた部屋は陽の光が全ての窓から入り込み、部屋の中心は先程の礼拝堂の光の集まりのように照らし出されていた。
コツ、コツ、コツ……
ルーシャは部屋の中へ進む。
「ライズ……?」
「……………………」
部屋の中心では、ライズが青ざめた顔で床に座り込んでいた。
――――“記憶に引きずられた”
あの謎の“創造者”という男性はそう言っていたのを、ルーシャは思い出して眉間にシワを寄せる。
――――“この街の記憶を整頓して……”
『街の記憶』というのは『その場で起きた過去の出来事』だと解釈できると思った。
ライズが引きずられた記憶……この家の、この部屋での記憶といえば、それは『あの出来事を見たルーシャの記憶』ではないのだろうか?
ルーシャはライズの横にしゃがみ、肩を叩いて呼び掛けてみた。
「ライズ……大丈夫か……?」
「……………………」
「ライズ……ライズ……」
「……………………」
「ライズ……おい、戻ってこい!!」
「――――――っっっ!!」
バシィッ!! ガッ!!
肩を掴んだルーシャの手が思い切り払われる。それと同時と思えるほどの早さで服の首もとを掴まれ……
ドサァアアアアッ!!
「…………ぐ……」
「………………」
次にルーシャが見たのは……天井だった。
ほんの一瞬で、ルーシャはライズに引き倒され、床へ叩き付けられていたのだ。
ライズはさすが、王女に仕える『上級護衛兵』といえた。
相手がライズで油断していたとはいえ、ルーシャは完全に仰向けにされてしまっている。さらに胸の上に馬乗りになられ、両方の二の腕を彼の膝と足で踏みつけられていた。
背中を強く打ち付け、上に乗られて押さえ付けられているので、上半身で動かせるのは首と指だけ。脚は動かせるが、じたばたともがくのが精一杯だった。
「ライズ……?」
「なんで……」
「え?」
掴まれている首もとの手に力が入る。
「なんで……俺に何も言わないんだ!!」
「…………何が……」
下から見るライズの表情が苦しそうにひきつっていく。
「聞いてない、なら…………教えてやるよ。五年前、俺が何でトーラストの街を出ていったのか……」
「…………っ!?」
ゴリッ……
手のひらに握られた小さなハンドガンを、ライズはゆっくり押し付けた。
ルーシャの喉元に冷たい金属の感触が伝わる。
「五年前のあの出来事の後。俺はこうやって………………お前のこと、殺そうとしたんだよ……」
……あぁ、そうか。
ルーシャは自分でも驚くほど冷静に、銃口を向けるライズを見上げていた。
…………………………
………………
「……ライズさんが、お父さんを逃がしたって?」
しぃん……とした無人の屋敷の廊下。
壁にもたれて、リィケ、ミルズナ、リーヨォの三人は、神妙な面持ちで話を始めていた。
「それをもう少し突っ込んで話すと、ライズはルーシャのことを『殺す』つもりだったんだ」
「殺っ……!?」
「リズ、ちょっと……子供に言うなら言葉を選んでください……」
目を丸くするリィケ。ミルズナがリーヨォに抗議するように、下から睨み付ける。
「選べって……そのまんまだ。さらに具体的に言うと、ライズは『ルーシャを殺して、自分も死ぬつもり』だったんだな。これが……」
「死っ……!?」
「リ~ズ~!! あなたには“配慮”という、言葉はないのですか!?」
完全に動きを停止させるリィケ。ミルズナのリーヨォへ向ける視線は、恨みがましいものへと変化していく。
「だぁああっ! 他に言いようがねぇだろ! それに、ルーシャもライズも生きてんだし、大丈夫だろーが!」
ブツブツと「タバコ吸いてぇ」などと呟き、リーヨォは大きくため息をついた。
「ま……絶望した奴によくある話だ。ルーシャばかりじゃねぇ、ライズは実の両親と姉を殺されたんだ。残された義兄を道連れにしようとして…………我に返って、さらに絶望したはずだ」
それはライズに限ったことではない……と、リーヨォは天井を仰ぐ。
「そうですね。明日は我が身です。きっと誰でも…………特にライズは真面目ですから。そんな行動を取った自分自身から逃げた、ということです。ルーシアルドを助けるためには、自分が遠ざかるしかないと考えたのでしょう」
そして、ライズはパートナーを解消し、本部への移動を申し出た。周りはその事実をルーシャには伝えず、現在に至ったというわけである。
「……何でお父さんは、それを教えてもらえなかったの?」
「それは……リィケの時も危惧……悪い方向に行かないための、予防策だったんだ。たぶん、ライズがそんな状態だとルーシャが知れば、あいつはもっと無茶をして仇を探しまわったはずだ」
――――生きている唯一の家族を守るため。
「おそらく、今なら大丈夫だと思いますが……」
「そうだな……」
「そうなの?」
ミルズナが首を傾げるリィケ見て優しく微笑む。
「誰にも平等に……五年という時間が経ちました。時間は物事の解決そのものではありませんが、物事を和らげることはできると私は信じています。今回も、できればあの二人で話し合ってもらう予定を組むつもりでした」
「……あぁ、それは俺も思ってた」
「もっと早く、二人っきりにしてあげられれば……」
「今、二人っきりだね……」
「どこ行ったかわかんねぇだろ……」
「『裏の世界』は?」
「う~ん、その確率は高いですねぇ」
リィケたちはルーシャとライズが『裏の世界』へ行ったとは知らない。しかし、その可能性はあると思うことにした。
「『裏の世界』に行っているなら安心……していいのか分かりませんが……」
「『裏の世界』なら悪魔いないし、その面では安心だろ。意外に今頃、二人であーだこーだ言って、仲直りしていたりしてな……ははは……」
リーヨォは笑おうとしたが、一瞬だけ顔がひきつった。希望的観測を言っておかないと不安になるからだ。
「レイニールのこと、調べられるかと思いましたが……こうなったら、本日は二人が無事に戻ることを祈るしかないでしょうね」
「しょうがねぇよなぁ。もう少し待ってみて、どうしようもなかったらラナロアに相談だな」
「相談? 通話石で?」
「いや、実はラナロアは俺と一緒に、トーラストから王都へ来ている。今は本部で待機してもらってるんだ」
「え!? ラナいるの!?」
ラナロアは【サウザンドセンス】ではないが、何かしらの知恵は貸してくれるだろう。
「確かに。ラグナロクなら、何か良い案も思い付くかも知れませんね」
「よし、あと一時間待ってみよう。良いか、リィケ?」
「え……う、うん!」
いざとなったら、ラナロアが来てくれる。リィケはそう考えたら気が楽になった。しかし、何故か胸の奥にもやっとしたものがへばりついている。
「お父さん……ライズさん……」
本当なら、レイニールのことで力になれると思って来たのに。今は待つしかできない。
これじゃ……僕はただの役立たずじゃないか。
二人を飛ばしたのは自分の能力。
それを思い通りのできないこと。
自分の蒔いた種を回収できないもどかしさが、リィケに重くのし掛かっていた。
…………………………
………………
――――殺そうとした。
そう言われて銃口まで突き付けられても、ルーシャには実感がなかった。
あの事件の日から、ライズとはまともに向き合っていなかったからだ。
ライズはルーシャを押さえ付けたまま動かない。口を固く結び、ルーシャの顔を見ずに俯いている。まるで、ルーシャの反応を恐れているようにも見えた。
「………………いつ?」
ルーシャは思わず聞き返す。
びくりと体が揺れた。口が薄く開く。
「……あの日、病院に運ばれて……」
「うん…………」
ポツリと小さく声が発せられる。
「夜中……目が覚めて、病室で……隣に」
「うん…………」
ゴトリ……と、ルーシャの顔の横にハンドガンが転がり落ちた。
「隣に、お前が、うなされながら、寝てて……」
「うん…………」
首もとから手が離れ、腕を踏みつけていた脚が退いていく。
「最初は起こそうと思った……でも、気付いたら銃をお前の頭に向けてて……」
「うん…………」
ライズがルーシャから退いて、床に力なく座り込んだ。
「もう少しで引き金を引くところで……見廻りに来ていた、連盟の神父に止められて、我に返った……」
「うん……そうか……」
ルーシャが体を起こすと、ライズは倒れそうなくらいに項垂れて震えている。
「俺、は……お前を殺したら、死のうって……」
「うん…………」
「そんなことを一度でも考えたら、もう……一緒にはいられない」
「だから、トーラストを出た?」
「………………」
ライズは微かに頷くのがやっとだった。
顔を上げなくても、ルーシャが黙ったままじっと見ているのがライズには分かる。
「人を殺そうとした奴が、今は司教で上級護衛兵だ……笑えるよな?」
「……………………」
「俺は……何もかもお前に押し付けて一人で逃げた。父さんや母さん、姉さんの仇も追うことなく……自分のことしか考えなかった。そんな奴が聖職者を続けているんだぞ? お前は、辞めたのに……!」
「……………………」
「他の司祭の懺悔を聞いたり、王女の側で他の聖職者の管理なんてやっている…………自分のことも、何もやれてないのにだ!!」
「……………………」
だんだん、自分の声が荒くなっていくのを抑えられずに、ライズが顔を上げた時、
「――――ライズ、すまなかった……」
「……っ!?」
コツ。
ルーシャが自分の額をライズの額に押し当てる。
「……もっと、お前を気遣ってやれば良かった。お前が追い詰められているのに、オレは正面から向き合おうとはしなかった。オレは現実から逃げていたんだ」
「……………………」
「……オレは敵討ちという大義名分を掲げ、お前から逃げて悪魔を殺して回った。愛想を尽かされたと、勝手に思い込んでお前の思いやりにも目を瞑って……駅でちゃんと見送ることもしなかった。だから、聖職者を辞めることにもなったんだ。自分の責任だ」
「……………………」
「……他の人間の言葉も聞かず、悪魔を追っていれば許される気になっていた。あの日から他人のことなんて、ほとんど考えてこなかった。リィケと一緒に戦うまでは……守るものも分からなかった」
「……………………」
「……お前はどんどん成長して子供ではなくなっていくのに、オレはいつまでも子供扱いして、いつもお前がすることを危なっかしく見ていた…………本当に、ごめん……」
「……………………」
当てられた額が離れて、正面からルーシャがライズを見据えている。
「ライズ、頼みがある」
「………………え?」
「オレとリィケを……助けてくれないか?」
真っ直ぐこちらを見ているその顔が、微笑んでいるはずなのに酷い泣き顔に思えて、ライズは自然と言葉を発した。
「――――わかった」