『裏の世界』、そして……?
礼拝堂から出ると、ライズはすぐにルーシャから離れて歩き出した。
「ライズ?」
「俺は街の西側から南側を見てくる……逆の方を頼む」
「え? おい……!」
「……………………」
スタスタスタスタ…………
ルーシャの声を振り切るように、ライズは足早に歩き始めた。
角を曲がり、やっとルーシャの姿が見えなくなると、ライズは軽くため息をついた。
ルーシャと一緒にはいたくない……早く、ここを調べて帰る方法を考えよう。
リィケが連れ戻しに来てくれることも考えてはいたが、能力が不安定の面を思えばこちらにしばらくいることになるかもしれない。
それならば、リィケやミルズナのために少しでも、この世界の特徴を覚えた方がいいと考える。
集中するためにもルーシャとは離れたかった。
ふと、空を見上げると何もない平面的な白い、空のようなものが広がっている。
この空を改めて見ていると、ライズにはある疑問が浮かんできた。
「陽の『光』は……?」
太陽も雲も見あたらない空。
では、建物に入ってくる光はどこからくるのか?
そして、教会の礼拝堂に入るまでは何もなかった。悪魔が現れた時、ルーシャは光が集まる場所に立っていなかったか?
ライズはキョロキョロと周りを見て、その辺の適当な建物に入った。元々は店であろう廃屋には、店内を明るくさせる大きな窓も備え付けられている。
「暗い……」
廃屋の中は薄暗く、窓からの光は枠に当たっている程度で奥までは射し込んではいない。
ライズはすぐにそこから出て、隣の建物に入っていった。
その後、建物を見付けては入り、部屋の明るさを確認して出るということを繰り返す。どの建物の室内も、光が当たらない曇り空の時のように暗い。
やはり、光が関係している……でも、なぜ?
確認しながら進むと、街の西側の端にある墓地が見えてきて、自然と足取りは重くなる。
墓には……行きたくない。
この五年、ライズは一度も墓へ行ったことがなかった。
それどころか、事件から一ヶ月ほど入院をしていたライズは、家族の葬式にも出ていない。
精神的なショックからなのか、手足がまったく動かず起き上がれなかったからだ。
ルーシャもそれが分かっていて、ライズに復帰を促すことはなく、事件後は一人で仕事を取り出掛けていった。
ライズが入院していた間に、ルーシャが見舞いにきたのはたったの三回ほど。それもライズが寝ている時だった。
……俺が街を出て行く時も、あいつは何一つ言ってこなかった。
ライズが本部へ行く時も、最後に見たルーシャは汽車にも近付かずに、ホームの片隅で俯いているだけだった。
ここ二年は事情を知っているミルズナから『トーラストに一度里帰りをしてみてはどうか?』と、勧められることが何度かあった。それをずっと断り続けている。
「まぁ……こんな形で街を見るなんて思わなかったが……」
廃墟ばかりのトーラストの街。『裏の世界』だと解っていても、こんな状態の街に苦いものが胸に込み上げてきた。
色々考えているうちに、歩みは遅くとも墓地の前までたどり着いてしまう。
ライズが知っている限り、トーラストの墓地は公園かと思うくらい整備されている場所のはずだった。しかし、今見えているのは、草が延び放題で、石畳や墓石が崩れかけた無残な光景。
まさに廃墟の街に相応しい場所になっていた。
陽の光が関係しているなら、ここは関係ないはず。
そう、自分に言い聞かせて、通りすぎようとした時だった。
タタタッ!
「っ……!?」
軽い足音が辺りに響いた。
ライズはハンドガンを反射的に手に収める。
動きを止めて辺りの気配を探ることに集中した。
タタタタタッ!
すぐ近くで音がする。それは足音で間違いないように思える。
ルーシャ……にしては『軽い』。
子供の足音か……? また、悪魔の幻影じゃないよな?
もしかしたらリィケかもしれない……ライズがそう思い至って顔を上げた時、少し離れた墓地の入り口の門から『小さな影』が飛び出して、大通りを走り去っていくところだった。
遠ざかる『金髪の子供』の後ろ姿。
…………リィケ?
背格好がよく似ていて、思わずあとを追い掛ける。
しかし、子供はどんどん遠くへ走っていく。
タタタタタッ!
ライズは『銃使い』であり『武闘僧』でもある。どちらも素早さが売りであり、彼自身も幼い頃から足は速かった。
な……何で追い付けない!?
そのライズが追い付くどころか、引き離されていっているのだ。相手が子供だからと遅く走ることはせずに、全力に近い速度で追い掛けているはずなのに。
子供は大通りをまっすぐ走ったかと思うと、右に左にと曲がりくねり、裏路地や空き地、他人の家の庭なども突っ切ってゆく。
どこまで行くんだっ……!?
前に回り込んで捕まえようと思っても、素早く逃げられて、気を抜けば見失いそうになった。
トーラストの街はよく知っているはずなのに、めちゃくちゃに走られて、自分が今いる場所が分からなくなってくる。
「くそっ……いい加減に……!!」
何度目かの他人の家の庭木を抜けた時、子供は広い通りの真ん中で横を向いて立ち止まっていた。
「え…………?」
ライズはその場に固まる。
背が低く少し華奢に見える体型に、白を基調にしたコートのような服。この服はトーラストの神学校の制服だ。
短く整えた濃い色合いの金髪。
顔立ちはリィケによく似ているが、瞳の色は完全な青色である。
途中からリィケではないだろうと、予想はしていたのだが、その子供の横顔にはあまりにも見覚えがあった。
「………………『俺』か?」
紛れもなく『数年前のライズ』だ。
今でこそ身長も伸び、体格も筋肉質でがっちりとはしているが、本部に来たばかりの頃はまるでリィケのような見た目だった。
『おい! 早くしろよ、汽車に遅れるぞ!』
急に少年のライズが視線の先に声を掛ける。腰に手を当てて、イライラしている様子で前方を睨んでいるのだ。
『あぁ、悪い悪い……急ぐから』
不意に、別の場所から男性の声がした。
「……ルーシャ!?」
ルーシャが少年のライズのところへ歩いて近付いていく。
『ったく、俺だけ行っても意味ないんだからな。年上なんだからちゃんとしろっての!!』
『あー……分かったよ……』
ずんずんと歩き出す少年の後ろを、ルーシャが苦笑いしながらついていく。
『早く終わらせて帰ってこないとな……』
『当たり前だ』
『帰ってきたら、お前も“叔父さん”だな?』
『言うな!!』
『ははは……』
歩いて行く二人の姿が薄くなり消えた。
幻が消えると、辺りは再び静まり返る。
あのルーシャは笑っていて、他の人間が聞けば楽しげに聞こえる会話を、ライズは凍り付くような思いで聞いていた。
今の会話は……ルーシャと出張に行った五年前のあの日のものだ。
体が本当に凍ったように動き難くなる。ライズはやっとの思いで、ルーシャが来た方向へ首を向けた。
「家……」
黒い格子門があり、その奥の家は蔦が絡まった廃屋だが、壁や扉はしっかりしているように見えた。
今はルーシャとリィケが住んでいる。
元々はライズも住んでいた家が目の前にあった。
「…………」
“実家”だと認識した途端、ライズの体が勝手に動いて格子門に手を掛け開ける。そしてフラフラと玄関の前まで到達した。
――――家には……入りたくない……
しかし、ライズは何度か壊れたチャイムを押し、扉に手を掛けていく。
――――入りたくない、やめろ、嫌だ!!
玄関に入ると、家の中は夜のように真っ暗になっていた。
足がさらに勝手に動いて前へ進むと、廊下に灯りが点いて奥へ続いていく。
その灯りを追うようにさらに進み、真っ暗な台所と居間を過ぎて、突き当たりの部屋の前で歩みは止まった。
――――ここ、は……姉さんがいた……
部屋のドアはほんの少しだけ開いていて、部屋の中は漆黒ともいえるほどの暗闇である。
――――嫌だ……!!
拒む気持ちを無視して、ドアノブを持つ手はゆっくりとドアを開いていった。
…………………………
………………
「……他に異常はないか」
教会で悪魔の幻に襲われはしたが、それ以外はなにも起きず、ルーシャは何となく拍子抜けした気分だった。
ライズと分かれて街を見て回ったが、どこを見ても廃墟ばかりの町並みにルーシャは少し飽きてきたところだった。
慣れというのは怖いものである。
しかし、歩いていくうちに、気になる場所をいくつか見付けた。
ルーシャの実家である、ケッセルの屋敷の近くを通った時、その通り沿いにある店を見て首を傾げる。
…………この店、オレが子供の頃に閉店したな?
キャンディを売る小さな店。
ルーシャが子供の頃に近所の老夫婦が営んでいて、よくこづかいを手に近隣の子供たちが通っていたのだ。
ルーシャの記憶では、高齢を理由に店をたたんだはずであった。
閉店したのは、十五年くらい前だったか。その後、店は取り壊され、跡地にはすぐに住宅が建ったことも知っている。
「………………?」
その近く、やはり子供の頃に空き地だった場所も、現在では何軒もの家が連なっていたはずなのだが…………雑草に覆われたただの荒れ地がある。
「家が……ない?」
ここ十年か二十年で変わった街並みが、昔に戻っていることにルーシャは奇妙さを覚えた。
……現在のトーラストじゃないのか?
ルーシャは『裏の世界』とは、リィケが作ったイメージのようなものだと思っていたが、どうやら違うようだと感じ始めてきた。
五歳のリィケでは、ルーシャが見付けたものの詳細は知らないはずなのだ。『忘却の庭』の街は、リィケが創ったものではないと確信する。
……じゃあ、『裏の世界』とは何なんだ?
ルーシャの中で疑問が膨れ上がっていた時、
「君、何処から来たの?」
「へ……? うわっ!?」
ルーシャは驚いて飛び退く。
さっきまで、ルーシャの近くには誰もいなかったはずなのに、すぐ隣にフードを目深にかぶり、顔のほとんどを布で覆った人物が立っていた。
「な、ななな……?」
「ん……君、その顔…………あぁ、どこかの【サウザンドセンス】に飛ばされてきたのか。そーか、そーか。そりゃ、災難だったねぇ。こんな時に」
「……………………」
人物の声は低く、ルーシャとあまり変わらない身長と体型。おそらく男性ではあるのだろうが、雰囲気が柔らかいように感じられた。
…………見た目より気さくな感じだな。
いや、そんなことよりも……『こんな時』?
「あなたは? こんな時って?」
「うん、今日はちょっとこの街の記憶を整頓しててね。あ、僕はこの『世界』の“持ち主”だよ。よろしくね」
「“持ち主”!?」
まるで『アパートメントの大家やってます』というように、何の緊張感もない口調である。
「君たちが来た影響かな? この街以外の記憶も混在していたね。悪魔の記憶なんて、しばらく振りに見たよ!」
「はぁ……」
「しかし、たいしたものだね。君を飛ばした人間は、何度もここへ出入りしているようだ。空気で伝わるから分かるんだ。いつか今日みたいに会えるかなぁ?」
「はぁ……」
心なしかウキウキとした様子の男性は、聞いてもいないことを次々に話してきて、ルーシャは考えが追い付いていかない。
「『忘却の庭』の世界がすでにある場合は必ず“創造者”がいて、その他人の世界に入り込んでくるには『渡り人』という神の欠片が必要なんだよ」
「『渡り人』……?」
「ここは“瞬きひとつずれた世界”だからね。少しでも『渡り人』と創造者の波長がずれると、ここには来られない」
「あ…………」
――――ここ……は……『ディメンション』の、ちからがつくった……“まばたき、ひとつ、ずれたせかい”……
確か、ロアンがそんなこと言っていたような……
ルーシャが一瞬だけ考えに耽っていると、男性がルーシャの肩をポンポンと叩いた。
「あ、そーそー、さっき『こんな時に』って言ったよね?」
「へ? あ、はい……」
「油断していると、整頓していた“記憶”に引きずられることがあるんだよ」
「はぁ……」
「さっき、赤い服の金髪の子が引きずられて、フォースランさんの家に入っていったよ」
「えっ!?」
まさか……ライズのことか!?
フォースランの家とは、現在のルーシャが住んでいる家である。
「ここは【精霊界】の影響も受けるから、放っておくと廃人になったり……」
「そんな!!」
ルーシャは大通りの方を振り向く。自宅はこの道をまっすぐに行けばいい。
「じゃ、僕はここで。頑張って連れ戻しておいで……」
「っ……!?」
目を逸らしていた一瞬、次にその場を見ると“創造者”の男性の姿は消えていた。
しかし、その事を気にする余裕はルーシャにはない。
「ライズ……!!」
全力で通りを駆け抜けて、自宅の前へ到着する。
すぐに格子門を抜けて玄関の扉を開けた。
家の中は埃とカビの匂いはするが、窓から光が射し込み、奥の部屋まで明るくなっている。
「ライズ!! いるのか!?」
たぶん、奥の……『あの部屋』だ。
ルーシャは意を決して奥へ進み、勢いよく部屋のドアを開けた。




