誰もいないはずの街
ルーシャは『裏の世界』へは、クラストで二度ほど来たことがある。
あとはリィケの証言により、その特徴を知っている程度だ。
「……空が白い」
「普通に曇り空じゃないだろうな……」
「……そう、だな………………」
「……………………」
ポツリとこぼしたライズの言葉に思わず反応する。しかし、二人とも空に興味を持っていた訳ではないので、それ以上会話は続かず黙りこくった。
レイニール王子の手掛かりを探すはずだったのに……何で、俺たちがここにいるんだ?
リィケもミルズナも、リーヨォもいない……。
急にルーシャとライズだけが飛ばされたようだ。
「……………………」
「……………………」
立っているだけだと天気以外の話題もなく、いつまでもお互いに話すことはない。
最初に沈黙に耐えきれなくなったのはルーシャだった。
「と、とりあえず、ここが何処か調べないと……」
「あぁ……あ、いや…………あれは……」
「え? 何だ?」
「あそこにあるのは……」
ライズが何かに気付いて指さす。
いくつかの家々の向こう、大きな建物とそこに建つ高い塔が見えた。
「教会だな」
「あの時計塔は……トーラストの?」
トーラストの街は【聖職者連盟】の建物が街の中心にあり、そこには時刻を報せるための鐘突き堂を備えた、大きな時計塔が建っている。
ルーシャもライズもトーラストの人間であり、生まれた時から馴染みのある建物だ。
「トーラストの『裏の世界』……か」
「鐘突き堂が見える位置なら…………じゃあ、ここは……」
ルーシャが後ろを振り向くと、大きな門構えと長い格子の柵が路に沿って続いている。
背の高い雑草に覆われた広大な庭のその向こう、石造りの白く大きな建物は、ルーシャが知る限り外観は実際のものとあまり変わらない。
「やっぱり……ラナロアの屋敷だ。ここはトーラストの北側だな……」
トーラストの領主であるラナロアの屋敷は、街の北側を覆うように存在している。元々が古い屋敷のためか、『裏の世界』でも少し汚れている程度だ。
『神の欠片』の仕組みや理屈は分からないが、トーラストの街の造りや配置は本物に忠実なようである。
「とりあえず、まず教会へ行ってみるか……」
「……何故?」
「オレも二度目だが、『裏の世界』は教会に行くとだいたい何か起きてるみたいだ」
「…………」
適当か? と、言わんばかりの視線がライズから送られた。しかし、動かないことにはどうにもならないため、ルーシャはそれを無視して教会を目指して歩き始めた。
不満はありそうだが、ライズも結局はついていくしかないようだ。ルーシャの二歩ほど後ろを歩いている。
ざっざっざっ……
「………………」
「………………」
ざっざっざっ……
教会の入り口までは少し距離があるが、そこまで二人は無言で歩き続けた。
無人の街並みに、砂や雑草で荒れた敷石を踏む音が響く。
お互いの足音しか聞こえるものがないので、ルーシャはライズがついてきていることは分かっていた。しかし、すぐにこの沈黙で足取りは重く感じてくる。
やっぱり、何か……気まずい……。
ルーシャはそう思いながら、後ろを振り向くことなく進んだ。
しばらく歩き、二人は教会の前にたどり着く。向かって右側が連盟の建物であり、左には礼拝堂の大扉が見える。
扉は植物で覆われているが、少し払えば中へ入れそうだった。
ギ……ギギ……
錆び付いた音をたてて開いた扉の先は、イスや机が倒れて荒れてはいるが、紛れもなく見馴れた教会の礼拝堂であった。
しかし、中に入るなりライズが辺りを見回して顔をしかめる。
「この礼拝堂、こんなに明るかったか?」
「いいや、実際と違う。ここは全部の方向の窓から、光が中に向かって入ってるんだ……」
確か、リィケが『裏の世界』のクラストの教会で、光が全ての窓から入ってきていたのを見た……と、報告書に書いてあったのをルーシャは思い出す。
教会の礼拝堂は光の入りを計算して造られている。
トーラストの礼拝堂は、クラストの教会のような大きなステンドグラスは無いが、昼間であればどの時間でも陽の光が射し込む構造になっていた。
そして、この『裏の世界』の礼拝堂は、陽の当たる位置に関係などないようだ。全部の窓の光が中央に集まって、演劇の舞台の主役に当てられた照明みたいに見える。
もしかしたら、一見めちゃくちゃに見えるこの『裏の世界』にも、何かの法則性があるのかもしれない。
特に光が多く集まって重なっているのは、ちょうど主祭壇の前、司祭が説教をする教台のあった場所である。
本来あるはずの教台はなく、石の床に光溜まりができあがっているのだ。
ルーシャは何となく、その場所に立って上を見上げると、真上の円形窓から光が静かに降り注いでいる。
ライズはそこへ行かず、じっとルーシャを遠巻きに眺めているだけだった。
「……特に何も起きないが?」
「そうだな」
教会の中も外も、何の気配も物音もしない。
二人とも黙って礼拝堂に居たが、ここではこれ以上、変わったことは起きないと思った。
「他の所も……」
ルーシャがそう言いかけて後ろを向いた時、開かれていた大扉のところに影が立っている。
「え……?」
「何だ……」
コツコツ……コツコツ……
それは扉からの光を背に二人に近づいてきた。
『貴様ら、ここへどうやって入った!?』
「なっ!?」
「お前は……!?」
怒りの形相で近付いてきたのは、クラストの町を貶めた悪魔。
痩せて神経質そうな中年の男の姿であり、手には体格に不釣り合いなゴツゴツとした大剣を握っている。
人間に化けていた時は僧侶長と言われ、その名は『ベクター』であったはずだ。
「こいつ……確か『シザーズ』に吸収されて死んだはず……」
「っ!? ルーシャ、上に……!!」
ガシャガシャガシャガシャガシャガシャ!!
突然、ルーシャの頭上から不快な金属音が響いた。
慌てて振り仰ぐと、天井の丸窓に無数の巨大なハサミや針が浮いている。
「『シザーズ』!? そんな、さっきまで何も……」
「ボーッとするな!! あいつは俺が相手にするから、お前はシザーズを何とかしろ!!」
「わかった……“レイシア”っ!!」
腰に差してあった金の十字架が一振の大剣へと変わり、ルーシャの周りには刀身から発生した青白い光が漂う。
「一気に祓う……!!」
ルーシャは宝剣に意識を集中させて法力を纏わせる。シザーズがこちらへ向かってくる瞬間に、全体を凪祓うイメージを浮かべて剣を振りかぶった。
『ぐぁああああああっ!!』
雄叫びをあげると、ベクターの姿がメキメキと音をたてて変形し、角の生えた牛のような姿へ変わっていく。
「このっ……!!」
ドンッ!!
ライズは両手にショットガンとリボルバーを持ち、姿を変えていくベクターに向かって一発だけ発砲する。これで相手の様子を見るつもりだった。
しかし、
――――チュインッ!
「っ!?」
ベクターの額の真ん中に撃ち込んだ弾は、何の手応えもなく後ろへ飛び、石の壁を跳躍した。
ドンッ! ドドンッ!!
さらに続けて三発ほど撃ち込むが、やはり結果は同じである。
『ぐぁああああああっ!!』
「………………?」
変形を続けるベクターを見ながら、ライズの中で何か違和感があった。目の前で化け物を見ているのに、そいつから何の殺気も感じられないことに気付いた。
カチャカチャ……バチンッ! ドンッ!!
リボルバーに通常の弾丸を装填し、試しに撃ち込んでみる。
――――チュインッ!
「…………まさか」
ダダダダダッ!
ライズは銃を腰に戻して、ベクターへ向かって突進していった。身体を低く構え、思い切り体当たりの姿勢をとる。
そのまま、勢いよくぶつかる――――――
ズザァアアアッ!!
ライズはベクターをすり抜けて、大扉の所で滑りながら勢いを止めた。
すぐに体勢を立て直し振り向くと、ベクターの姿が透けてゆらゆらと不安定に立っているのが分かる。
すると、中心からまるで穴が拡がるように消えていく。
「これは…………幻覚か? ルーシャ!!」
ライズが祭壇近くのルーシャを見ると、やはり向かってきたシザーズが半透明になり、ルーシャの手前で消えていった。
「なんだ? これは……」
悪魔たちが消えると、再び礼拝堂の中は静寂が訪れる。
「悪魔は……?」
「たぶん、最初からいなかった……」
ルーシャは光の場所から、入り口までを歩きながら確認していく。
ベクターのいたはずの場所には埃が積もり、ルーシャとライズの足跡以外には踏まれた形跡がなかった。
…………………………
………………
「…………………………」
「まぁ、言ってても仕方ねぇだろうな……」
「とりあえず、落ち着きましょうか…………」
リィケとミルズナ、そしてリーヨォは屋敷の廊下で座って、簡単な休憩を取っていた。
ルーシャとライズが消えてまだ十数分。
さっきまで取り乱して泣いていたリィケにとっては、この間の時間が数時間にも感じられる。
リィケは二人から少し離れた位置で、背中を丸めてうずくまるように座っていた。
「お父さん……ライズさん……」
あれから幾度も『神の欠片』が使えないか試したが、能力の発現どころか、空気さえも動かなかった。
慌てても埒が開かないということで、一先ず様子を見ようということなのだ。
「「「……………………」」」
一度、黙ってしまうと余計に落ち込みそうになる。
「…………あ、リズ。クッキー食べます?」
「いや……それより、タバコ吸っていいか?」
「私、気分が悪くなりますので、ここではやめていただけます?」
「え~? 今、外に迂闊に行けねぇだろうが…………え~と……」
「そう……ですよね~…………」
「…………………………」
「……リィケ、大丈夫ですか?」
「気だけはしっかりしろ。な?」
あえて普通にしている二人のやり取りに、リィケは遠い目をし始める。
さすがのリーヨォも心配になり声を掛けてしまう。
「ま、あいつらなら大丈夫、元々がパートナー同士でお互いの性格も解ってる。ライズもこの五年で、ルーシャと実力は並んだたろうしな……」
「……………………」
「えぇ、ライズは本部で頑張りましたから。どんな場合でも、努力を怠っていませんでしたし……」
「……………………あの」
「はい?」
「…………何で、ライズさんはお父さんのパートナーを辞めたんですか?」
「それは……」
リィケがライズに会ってからずっと、疑問に思っていたことだ。
「ライズさんはお父さんのこと、嫌いになったから離れたの? それとも、お父さんがライズさんのこと、嫌いになったの?」
「……何で、そう思った?」
「ライズさん、お父さんとあんまり目を合わせてなかったから。必要なこと以外、話もしてないし……本当にパートナーだったのかなぁって思うくらいで……」
「「………………」」
ミルズナとリーヨォが、リィケをじっと見詰めて黙り込んだ。二人とも口を固く閉じて苦いものを噛んだような顔をする。
「ミルズナ。お前、ライズからは聞いているか?」
「……えぇ、大体の経緯は……とても、辛そうに話してくれました」
リーヨォは大きくため息をつく。
「俺はラナロアから聞いた。たぶん……ルーシャは聞いていない。ルーシャの奴は、自分のせいでライズに愛想尽かされたと思ってるしな……」
「えっと……何が……?」
「ライズはルーシャを嫌ってなんかいない。むしろ逆だ」
「……逆?」
「ライズはこれ以上、家族を喪いたくなかったから、ルーシャを自分から逃がしたんだよ」
「どういう……?」
「俺は又聞きだから、簡単にしか言えないがな……」
リーヨォはポツポツと話し始めた。
ルーシャが知らない、五年前のことを。




