安心材料と不安要素
今夜は晴れて月も出ている。
下弦の月ならば、来週末はちょうど新月になるはずだ。
帰路につく途中、森の中の街道。
小さな携帯用のランプを携え、ゆっくりと石畳の上を歩いて行く。
木々の隙間からぼんやり夜空を眺めていたルーシャは、数時間前にラナロアに言われたことを思い返していた。
リィケはまだ、ルーシャの子どもだとは言いきれない。
「僕はあなたの子どもだ」と、リィケに言われた時には、冗談ではないと思った。しかし、いざ違うかもと言われても何だかしっくりしない。
――――自分はどうしたいのだろう?
今は忘れろと言われて、簡単に忘れていられるものか。
いつもの帰宅の道程なのに、足取りが段々重くなる。
リィケを連れて帰る前、馬車の前でラナロアはルーシャと話をしていった。その内容は主にリィケの事である。
一週間後、リィケは定期的に行われる街道の結界の修復や、浄化に関わる仕事を手伝うことになったということだ。
仕事の内容は街道の安全を確認し、問題箇所が見つかれば報告をするだけの、新人退治員が経験する簡単なものである。
「……退治の仕事って…………あいつはまだパートナーも決まってなかったんじゃないのか?」
「ええ。ですから、数人のパーティを組ませて、単独行動はしないようにさせます」
「それでも…………」
「心配なら、貴方も行きますか?」
そこでハッとする。
自分はリィケのことに口出しする必要はないのだと。
ルーシャは首を振って、ラナロアを睨み付けた。
ラナロアは小さく息を吐くと、馬車の入り口に手を掛ける。しかし乗り込む前に、再びルーシャの方を振り返った。
「言いたいこと……もとい、聞きたいことがあるのではないですか?」
「…………何で……」
「そんな顔されて見送られるのは、ちょっと心地悪いので……」
ルーシャの態度があからさまに不貞腐れたような、イライラしているようなものだったからだ。指摘されて少し気まずい顔になる。
「なら…………一つだけ、いいか?」
「一つでも二つでも、聞きたいなら聞いて下さい。答えられる範囲でお応えしますので……」
「……なぜ、リィケの事を……五年もオレに黙っていたんだ?」
もしも、例え可能性の範囲であったとしても、子どもが生きていると知らされていれば、自分はどうしただろうか?
すぐに復帰したのだろうか…………?
それとも…………。
「………………貴方が『復讐』に走る恐れがあったからです」
少し躊躇いがちに発したラナロアの答えはそれだけだった。
ルーシャがラナロア達を見送った後は、淡々と仕事を続け何事もなくの一日の勤務が終わった。
そろそろ日付も変わる時間になる。
また朝になれば、鐘の音と共に出勤するはずだ。
森の中を歩いていると、小さな二本の石柱が立っている小道にたどり着く。
半日以上前、リィケが危うく入りそうになった『スキュラ』がいる洞窟への道だ。
「………………」
無言でその石柱の間を抜け、どんどんと奥へ進んでいった。やがて、あまり大きくない滝と沢がある、岩だらけの場所へ出た。
森の中の水辺なのに、ここは木も疎らで草もあまり生えてはいない。しかし、ここは人の手を入れないようにしていて、周りから伸びる枝に頭上はほぼ覆われていた。
ランプが無ければ三日月程度の光は届かず、日が沈めば完全な漆黒の闇の中である。
滝から離れた場所、ルーシャはランプを平らな石の上に置き、その近くに適当に座り込んだ。
片手で顔を覆い、深く深呼吸をする。
ここの空気はとても澄んでいて、水辺の冷たい空気が胸に入り込んできた。
パキッ…………ジャリ…………。
ザァザァと鳴る滝の音に紛れて、枯れ枝と小石を踏む音がルーシャの耳に届いた。
『…………ギ……ギギギィ……』
小さな鳴き声まで聞こえる。
しかし、どうやら動物でもない。
「………………」
『………………ギ?』
ルーシャが顔を上げると、滝の側の大きな岩の所から、彼を覗いているような人影が見えた。
目が慣れてくると、それが何者か判ってくる。
暗闇の中に、痩せこけた“老婆”がひとり居た。
白い部分のない大きな黒目の老婆が、顔だけを出してルーシャをじっと見ていた。
こんな夜中の森に灯りも持たず、しかもかなり冷え込む水辺にいる老人は、おそらく……いや、絶対に人間ではないと言える。
「………………」
カバンを開けて中をランプで照らす。
まず、目に入ったのは金色の十字架だか、それを避けて中から大きなパンを取り出す。店で余った貰い物だ。
そのパンを老婆の三歩手前くらいまで投げた。
すると、老婆の視線はルーシャからパンに移される。
「オレはもう少ししたら帰るよ。何もしないし、それをやるから、独りにしてもらってもいいだろうか?」
『…………ギ……』
老婆のいる岩の脇から、シュルシュルと一本の蛸の足のようなものが伸びてきて、器用にパンを掴んで引きずっていく。
足が引っ込むと同時に、老婆の顔も岩の後ろへ消えた。
どうやら、老婆との交渉は成立したようだ。
――――あと、一、二年ってところだな……。
ルーシャは老婆がこの滝に住む『スキュラ』だと知っていた。彼女には何度か浄化の仕事で会っている。
年々、ここのスキュラは弱ってきていて、もはや人を襲う力もない。退治の対象外とされ、辺りの魔力の流れを絶ち、自然消滅を待っている。
連盟が結界を張っているのは、危険だということの他に、悪戯に人間が彼女を害さないようにするためでもある。
『何人も己の憎悪を他に向けること赦さず』
例え誰であっても、憎しみだけで他を害することはしてはいけない。
聖書の一文にはこう記されている。
――――オレはもう退治をする資格は無い。
五年前、ルーシャは家族の仇を討とうと、家族を殺した悪魔を探す目的のため退治に奔走した。
しかし、現実は残酷だった。
家族を殺した悪魔、その動機、種類、数…………何一つ分かる事は無かったのである。
最初は自分が悪魔に逆恨みされ、その報復の矛先が家族に向いてしまったものだと考えた。しかし、過去の退治の記録を調べても、それに結び付く事案が見付からない。
次に妻レイラの家系も退治員だったので、同じようにレイラや家族の退治の記録も調べた。結果は最初と同じ。
ならば、通り魔のような悪魔かと思った。だが、わざわざ大きな教会のある街に潜入し、ひとつの家だけを襲うことなどは目的が有っても難しい。
ルーシャは焦った。
このまま自分の生きている間に、家族の仇は討てないのではないか?
こうしている間にも、その悪魔は次の獲物を狙っていて、自分の家族と同じような犠牲者がでるのでは?
――――結果。
ルーシャは悪魔を片っ端から『殺した』のだ。
連盟に入ってくる退治の依頼を、他の退治員の倍以上こなし、それだけでは飽き足らず、自ら悪魔のいる場所を探し回った。
ルーシャに倒された悪魔は、まだ退治依頼がこなかっただけで、いずれ退治対象になるものがほとんどだった。しかし、連盟が退治対象にしないものを勝手に倒すことは、本部からその支部の不信を買うことになる。
何より、本来の聖職者が守らなければならない『何人も憎悪だけで他を害してはいけない』という、その教えを破っているのだ。
事件後から休む暇なく『殺し』続け、いつしかルーシャは連盟内でこう囁かれた。
『魔王殺しは大魔王に取り憑かれた』
半年にわたるルーシャの殺戮は、何とか司祭の資格を剥奪される前にトーラスト支部の者によって止められた。
理由が理由だけに、今回の咎への罰は無しとなった。
だが司祭のままでいることは、彼にとって最大の罰である。
連盟の聖職者であれば、悪魔を払う機会を得られる。
しかし、聖職者である限りこちらから仇を探せず、見付けても他の悪魔と同等に向き合うことになる。
だからルーシャは連盟を辞めて、悪魔から離れることにしたのだ。
自分が憎しみだけで動くことがないように。
ルーシャは顔を伏せて大きくため息をつく。
…………結局、オレは五年間変わってないと判断されたわけか。
リィケの事を知らされなかったのは、自分が再び自暴自棄になると思われたから。
もしくはそれ以上に、自分が親としてやっていけないと判断されたのかもしれない。
ラナロアが言葉を選ぶように答えたのは、ルーシャが思うよりもっと複雑な事情があったのだろう。
何で言わなかった?
でも、言われたら受け止められたか?
実際、オレはリィケに言われても信じられなかった。
オレは復帰するつもりはない。
だから、オレの代わりにたった5才の子供が、悪魔と戦うことになるのか?
「どうしろって言うんだ…………」
――――お父さん
リィケの言葉がまだ、頭の中で響いていた。
しばらくスキュラに気を遣われながら、独りでボーッとしていたルーシャだった。だが、さすがにそろそろ帰宅しなければならないと感じて、早歩きで街道の森を抜けた。
この街道は定期的に連盟が浄化をしているので、道から外れなければ、例え夜でも悪魔を見掛ける確率はかなり低い。
来週末、リィケが参加するという街道の浄化に、ここは含まれているだろう。
あのスキュラが大人しくしているのなら、リィケは他の退治員と少し様子を見に来るだけで良いはずだ。
「…………大丈夫そうだな…………」
遠ざかる森を振り返りながら、ホッと出した息が安堵からくるものだと自覚する。それに気付いた瞬間、ルーシャは歩く速度をさらに早め、トーラストの街まで全力で走りきった。
街の門に着いた時は疲れよりも、無性に恥ずかしいような気持ちに駆られてしまっていた。
――――これじゃまるで『下見をするリィケのための下見』ではないのか?
門の前で赤面して項垂れる様子に、夜間の門の見張り番が心配して声を掛けてくる。
「何でもない、疲れただけ」と答えて、ルーシャは慌てて自宅へ向かって行った。
そこから一週間はあっという間に過ぎた。
「リィケちゃん、昨日も来なかったわねぇ……」
「……黙って来ていたのがバレたから、頻繁にここに来るのも難しくなったんじゃないですか…………」
店で寝込んでしまった日以来、リィケはハンナの店に来ることはなかった。もちろん、ルーシャの家にも来ていない。
リィケを気に入っていたハンナは少し寂しそうだったが、ルーシャは内心、会わないことに安心している。
「それに…………今日は退治員としての初仕事だっていうし、色々準備もあったはずです。遊んでる場合じゃない……」
「あらぁ、そうなの? よく知っているわね。うふふ」
「…………たまたま聞いただけです」
笑うハンナから顔を背けながら、ルーシャは店の外を窓から伺った。
まだ夕方になるには早い時間である。朝に始まり、トーラストからここまで丁寧に見回ったとして、そろそろ宿場町で休憩でも入れる頃だろう。
もしかしたら、ついでに店へ来るかもしれない。
「どう? リィケちゃん、休憩にここへ来そう?」
「……………………」
すっかりハンナに見透かされている。
ルーシャは眉間にシワを寄せて、無言で『関係ない』と目で訴えてみた。その様子はハンナのツボにハマったのか、彼女は口を押さえてプルプルと震えている。
「……ったく……仕事中に来るわけ…………」
その時、
バタンッ!! ドタドタ!!
荒々しくドアが開き、ガランガラン! と、ドアのベルがけたたましい音をたてて揺れた。
「母さん!! ルーシャさんっ!! た……助けて!!」
「えっ、アリッサ!? どうしたの!?」
店に飛び込んで来たのはアリッサだった。
「い、い、今……教会に、連盟の退治員の人がっ…………怪我人がっ!!」
「怪我人!? どうしてなの!?」
ハンナに支えられ、アリッサは息切れを起こしながらも、近くにいたルーシャの腕を掴んだ。
「街道に……大きな悪魔が出たって……!!」
「な……!?」
ルーシャの背中に冷たいものが走った。