握られた手と覚悟
ガラガラ……ガラガラ……
昼を少し回った頃。
小さめだが堅固な造りの馬車が二台、王宮を背に連なって走っていく。
「確実じゃねぇが、バレない自信はあったんだよなぁ……」
「……たいした役者振りだったぞ。オレの緊張していた時間を返せ」
「ぎゃはははっ!! 悪ぃ悪ぃ!!」
二台のうち一台には、ルーシャとリィケ、それとリズウェルト王子…………もとい、リーヨォが乗り込んでいる。
リーヨォは眼鏡を掛けただけで王子の服装はそのままだが、ルーシャたちの前ではすっかり気を抜いて、姿勢も崩れ猫背になっていた。
「どこからバレないと思ったんだよ?」
「整髪して髭も剃ったし、眼鏡掛けてないだけで、本部の連中は気付かねぇんだよ。これが……」
「いつものリーヨォより、何か……『ビシッ』として、王子様っぽいよね!」
「いつもが如何にだらしないか……だぞ?」
「はいはい。でもお前、昨日は全然分かってなかったじゃねぇか?」
気付いたのはリィケである。
ルーシャは眉間にシワを寄せて、恨めしそうにリーヨォを睨む。
「まぁ…………王子様の顔をじろじろ見るわけにはいかないし、雰囲気でも本当に分からなかった」
「そりゃあ、いつもより倍増しで気を遣ったからな。お前の性格も考えたし……」
「オレの性格って……」
今回はルーシャという古い知り合いの前で『研究員リーヨォ』から『リズウェルト王子』に化けなければならないため、リーヨォはだいぶ気をつけて作戦を練った。
まず、いつものように身なりを全て整え、猫背と歩き方や仕草も常に意識して変えた。
さらに最初の面会を限りなく夜中に設定し、ルーシャとライズが疲れで思考が下がるのを見越し、リィケが眠気で来られないのも計算に入れてバレる確率を低くした。
それに加え、人見知りをするルーシャはあまり親しくない者の顔を凝視したりはしない。初対面でリーヨォだと思われなければ、王子という立場を利用して距離を取ればいいのだ。
ライズの場合は常に王宮におり、ミルズナという強力な口止めがいるのでバレてもさほど気にならないと想っていた。
ちなみに、このリーヨォの正体を知っているのは、ラナロアと屋敷の者たち、トーラスト支部長のアルミリア、支部長補佐官サーヴェルトだという。
「何で、トーラストで研究者に……?」
「細かい事を言うと長くなるからはしょるけど、俺はこの国の王子なのに『聖職者の気質』というのが全く無くてなぁ……」
リーヨォは子供の頃から頭は良かったが、周りから求められるものが自分の本質とは違うことに気付いて鬱々として過ごしていた。
そんな十歳の時に、たまたま王宮に来ていたラナロアに出会い、一緒に【聖職者連盟】の研究課を見学していくうちに興味を持つ。
魔術師や悪魔研究を自分で調べて更に興味を持った彼は、半ば強引に王宮から出奔。ラナロアに後ろ楯を願い、トーラストの神学校で好きなだけ勉強させてもらうことになった。
そこで身分を隠した『リーヨォ』が出来上がり、神学校でもその上の専門機関でも彼の実力は認められ、迂闊に連れ戻すことができなくなっていく。
それを見越していた王宮では、トーラストへ行ってしまった王子を繋ぎ止めるために、王家の血を引く公爵家のミルズナ……当時生後数ヶ月を、彼の婚約者として、年に数度は帰ることを促した。
しかし、本来ならリーヨォをリズウェルトに引き戻すはずのミルズナも、すっかり婚約者に同調してしまい、果ては【聖職者連盟】の本部長になって悪魔研究に力を入れて取り組むようになってしまった。
ラナロアに加えて、ミルズナも『リーヨォ』の強力な支援者になっているのだ。
今ではミルズナの方が『次期国王候補』になってしまい、他の貴族や王族も『リーヨォ』を『リズウェルト』に戻すことを諦めかけている。
元々【サウザンドセンス】ではなかった第一王子に、周りはそれほど期待をしていなかったせいもあるかもしれない。
「一応、帰った時だけは王子になる。子供の時の下地があるおかげで、トーラストでもリルディナでも今まで正体はバレなかったわけだ」
「いや……それでも、立ち振舞いが……トーラストにいる時の態度と全然違うし」
「トーラストにいる方が自然だな。俺は『聖職の国の王子』なんかより『悪魔研究者』が向いているからな。ははっ!」
ケラケラと笑うリーヨォの姿に昨夜のリズウェルトらしさは一つも感じられず、ルーシャは顔をひきつらせてため息をついた。
これが、この国の王子なんて……最初、リィケに言われてもピンとこなかったぞ……。
「……まさか『別世界』で顔をじっくり見られているなんて思わないだろ。しかも、何の気も張ってない素の姿なんだから」
「やっぱり、あれは本当のことだったの?」
「あぁ、あんなことはしょっちゅうだった。レイニールの母親の『メリシア』様は、いつも隠れて泣いていらした……それを、息子のレイニールはちゃんと解っててなぁ」
「レイニール……こっそり見て、泣いてたよ……」
「そんで……よりにもよって、メリシア様に頻繁に嫌がらせをしていたのは、俺のおふくろ……つまり正式な王妃さ……」
そこでフッと、リーヨォの顔に影が差した。
「“正妃”であるうちのおふくろは政略結婚だったから、陛下とはそこまで仲睦まじいわけでもなかった。若くて美人な“寵姫”という立場のメリシア様のことを、相当面白くなかったんだろう……」
「そうか……」
静かに話を聞いていたリィケが首を傾げる。
「…………ねぇ、お父さん?」
「ん?」
「“ちょうき”って何?」
乱暴に言ってしまえば『王の愛人』だけど……それを、子供に言ってしまって良いのか?
ルーシャは考え込んだが、上手い言い方が思い付かない。
「……………………大人になったら解る」
「…………そう、なの?」
「…………まぁ……」
「……」
何となく腑に落ちないリィケではあったが、ルーシャが言い難そうにしているので突っ込むのを止めた。
『研究者の気質』を持ったリーヨォは、目の前の二人を観察していて思う。
最近のリィケは、ルーシャの態度でその心中を察することができている。たぶん、リィケの方がルーシャよりも人付き合いは上手いだろう……と。
「よし。ほら、リィケ! もう少しで着くぞ!」
「え、本当?」
「あの先に見える屋根がそう」
「へー」
リィケの注意が馬車の外へ向けられた。
リーヨォがちらりとルーシャを伺うと、ホッとしたような顔で下を向いている。
子供の方が親に気を遣ってるんだよなぁ……。
どことなく、今のルーシャの姿にメリシア妃が、リィケにかつてのレイニールが重なって見えた気がするリーヨォだった。
二台の馬車はある建物の庭先で停まった。
普通の家よりは大きいが、貴族の屋敷というには質素でやや小さい。
この庭はかつて、バラや様々な植物を植えていたのだろう。しかし現在は、王宮の敷地内の割には放置されているのが目に見えて分かるほど、花壇の植物は奔放に生えて散らかっている。
最近は全く手入れがされていないようだ。
リィケはその荒れた花壇の奥に目を留める。
そこにはレンガを積んで造ったと思われる人工の池があった。
「あれは……」
「少し荒れているな…………リィケはここに見覚えあるか?」
馬車を降りて建物を見上げたリィケが、驚きの表情を浮かべて立ち尽くす。その様子を見ていたルーシャはその意味に気付いて問いかけた。
…………夢で見た場所だ。
「ここに、レイニールがいた……」
「夢で見たのがここか……」
「そうだ。この屋敷であいつは育って……いなくなった」
二人の隣に来たリーヨォも建物を睨むように見上げる。
「…………二年前、か?」
「あぁ。昨日話した通りだ」
「……………………」
黙って立っている三人の元へ、馬車から降りたミルズナとライズも並び、計五人がこの屋敷の前に立っている。
「……あなたたちは、この先の庭師の休憩小屋で待機していてください。何か用がある時や調査が終わった時は、こちらから通話石で連絡しますので、いつでも動けるようにしなさい」
「はい、分かりました!」
「何かありましたら、すぐに参ります!」
馬車の御者台の部下へ命令を下し、ミルズナは関係のない者をこの場から引き離した。
「さて……これで、私たちは存分にここを調べる事ができますが…………最後に皆さんに確認を致します」
ミルズナが深く息を吸い込むと、ルーシャ、リィケ、ライズの順番に視線を流した。
「真実を見る覚悟はできましたか?」
「お前たち、もし無理なら……今のうちだぞ?」
ミルズナの言葉と共に、リーヨォが三人に視線を向ける。リーヨォの表情はいつもよりも神妙である。
「私の心配は無用です。覚悟を問うのなら二人だけ……」
やや俯きながらも最初に答えたのはライズだった。
「オレは、昨夜言われたことなら……もう、覚悟はできてる…………ですが……やっぱり、リィケじゃないといけませんか?」
「ルーシアルド?」
「王女、本当にリィケは『二年前を見る』ことができるのでしょうか?」
ルーシャは内心、この場に来ることに抵抗があった。
「……二年前の事が五年前と似ているというのなら、それは……子供に耐えられるものであるとは思えません」
「お父さん……」
“神の欠片を使い『二年前の事件』を見る”
今、リィケが求められているのはこれだった。
個人の感情は一先ず置いておいて、レイニール王子の捜索を優先させる。もし、ルーシャが【サウザンドセンス】ならば、きっと迷わずそうしただろう。
しかし五年前を知る者として、屋敷を目の前にルーシャは考えてしまったのだ。
自分の覚悟はできても、子供がそれを知ることへの覚悟ができていない……と。
「凄惨なものだと分かっていて、それを子供が見ることが…………」
「――――お父さん、僕は大丈夫だよ」
ルーシャの言葉を遮るようにリィケが声をあげる。
「もし、ここで上手く『神の欠片』が使えたら、僕は五年前も絶対に見る。みんなが止めても、絶対に見ると思う」
そう言ってルーシャの手を握るリィケの手は、いつもよりも力が入っている気がした。
「僕はレイニールを捜してあげたい。だから、怖いことでも僕は見なきゃダメなの」
濃い緑色の眼が下からルーシャを見据えている。
強い眼だ。レイラに似せて造られた人形の眼は、もうすっかりリィケの感情を映すものになっていた。
リィケはすでに解って覚悟している。
ここで臆して手を引かれているのは、リィケではなく自分の方だとルーシャは思った。
「……分かった。行こう」
「うん」
握られた手を離さずに二人で扉の前に進む。
「では……開けますよ」
ミルズナが鍵を取り出し解錠する。
――――――ガチャン。
まるで永い封印が解かれたように、扉は大袈裟な音を立てて訪問者たちを迎え入れた。