山の悪魔退治にて
「本部で張った結界。特に異常は無し…………か」
ライズが何かを手帳に書いて仕舞う。
登り始めてからさほど掛からず、ルーシャたち三人は岩山の頂上に近い場所まで来ていた。
周りをキョロキョロと見て、ルーシャは軽く息をつく。
「道の雰囲気からだと、この辺は悪魔はいないな……」
「分かるの?」
「ほら、道がきれいに均一に続いているだろ? 争った跡もない。悪魔との交戦がない証拠だ」
登る道も何度か人が通っているため、分かりやすく轍になっている。人間が何度も通るのに、人間の生命力につられてくるはずの『物質系』の悪魔が一度も襲ってこないのは不自然だ。
「……その代わり普通の動物も近くにはいない。たぶん、この先は悪魔が多いってことだな」
結界を張っていても、そこから流れてくる気配までは隠せない。人間などよりも敏感な野生動物なら、岩だらけのこの辺りに敢えて近付くことに得は無いはずだ。
「この先…………」
岩山の上へと延びている道の両端には、小さな石で出来た柱のようなものが立っている。これは街道の脇道で見かけたものと似ていることにリィケは気付いた。
「スキュラがいた所にあったね」
「あぁ、あれのもっと大掛かりなものだと思っていい。スキュラの所にあったのは法術師一人分だが、ここは複数人だろうな……」
本部、又は王宮に仕える優秀な法術師が何人も関わっているなら、この山一つ覆えるくらいの結界も容易だろう。
「じゃあ、ここから結界を越えるから。二人とも、武器は直ぐに使えるようにしてくれ……研究と訓練以外、下見もしていないからな…………」
ライズの言葉にルーシャは眉間にシワを寄せる。
「どのくらいの間、この上に人が立ち入らなかったんだ? 定期的に見回りには来ないのか?」
「この辺りは街道や鉄道も無いし、王都までの間に平原もあって見通しもいい。だから放って置かれた……おそらく、いや……二年以上は山に入っていない。この山に『魔操人形』がいると報告があったのも、山には入らずに遠くからの観察だったようだし……」
「だから、レイニールは見付からなかった?」
「本当の王子であるなら、二年前にいなくなっている。一応、辻褄は合う。でも、実際に王子を見付けても人形の姿で声も聞こえないなら、悪魔として判断されていた。下手をすれば退治されていたかもしれない……」
逆に、見付からなかったことで生き長らえていたとも言える。
「……人里に近付きたくても、人形の姿なら結界も越えられなかっただろうな。ただでさえ山は魔力が多いから、結界も強力なものだし」
「レイニール……ずっとこの山にいたのかな……?」
リィケはあのボロボロの布を纏った、錆びかけの人形の姿を思い出す。
なぜ、行方不明の王子がこの山にいたのか?
なぜ、人形の身体になっていたのか?
そもそも、二年前に何が起きたのか?
「まだ本人とは限らない」と、ライズが険しい顔で呟いた。
「本人であり、見付かって話を聞ければ良し。もしも悪魔であり、王子の名を語り人間を謀ろうとしたのなら、その理由を聞き出さなければならない」
「どちらにしろ生け捕りか……よし、行こう」
「うん」
リィケの身体の表面に、結界を越えるための簡単な法術を施す。これで、レイニールが通れなかった結界をリィケは通ることができる。
三人は石の柱から一歩、山道へ踏み出した。
ザッザッザッ…………
「…………――――――うわっ!?」
数歩進んだところで、リィケは思わず声をあげた。
「何…………これ……」
きっと、呼吸をしているなら『息苦しい』という感覚になるだろう。山は魔力が多い……と言われた通り、空気の中に魔力の圧を感じて気持ち悪さを伴う。
まるで、大量のゼリーを頭から被ったようだとリィケは思った。
これを結界で抑えていたんだ……。
だが、この感覚を感じられる生身のルーシャやライズは、少しも表情を崩していない。これは悪魔に触れた経験の差だ。
「リィケ、大丈夫か?」
「うん…………でも、こんな感じ、朝にはなかった……」
「なるべく山頂までは、陽の光が当たる場所を歩け。ここは昼間でも暗がりにはいるからな」
「わかった……」
よろよろとルーシャの後に付くと、後ろにライズが付いていた。二人はリィケを守るように前後にいるらしい。
「そこから森に入る……そんなに大きくない森だが、気をつけて進んでくれ」
森に入れば自然と明かりは少なくなる。
「うわっ……!?」
リィケが手前の草むらで何かに躓いた。
しかし、転がる寸前でライズに腕を掴まれて起こされる。
「……と……。大丈夫か?」
「はい、すみません…………あ」
リィケか草むらを掻き分け、躓いたものを持ち上げた。
「………………腕だ」
確かに腕である。
木材か、木の粉でこねて作ったような人の腕を模したもの。
…………さわさわさわさわさわ。
風でそよぐ葉擦れに似た、草を撫でる音が地面の上を連続で移動してきた。
「リィケ、銃は構えて移動……」
「う、うん……」
ルーシャが腰の十字架を手にして宝剣へと変化させる。
リィケの後ろでも、ガシャンと銃を構えた金属音が響いた。
「――――――来た」
三人は目の前の森を見据える。
木立の影に並んで、幾つもの『人影』がこちらを見ていた。
…………
……………………
ルーシャたちが山を登っているのと同時刻。
【聖職者連盟】の本部、本部長の執務室。
「………………ふぅ…………」
部屋にひとりきりでいるミルズナは、本日何度目かのため息をついていた。
…………こんなに早く仕事が終わるなら、私も行きたかったです。
与えられた今日の事務的な仕事も午前中で終わってしまい、執務室で先ほどまで使っていた調べもののファイルを眺めて、暇を持て余しているところだった。
暇とは言ってもさすがに、一番上の者は判子だけ押せばいい……というような簡単な仕事ばかりではない。
何か予想外の事態が起こった時はミルズナの判断が必要になるし、それ以外でも特に何も無くてもポンポン外へ出られれば下の者が困るのだ。
クラストに行った時も、その前後の仕事の処理が大変でしたからね…………私の我が儘ばかりを通す訳にはいきませんか……。
「はぁ…………」
再びため息をついて、今度は机に突っ伏した。
「リズウェルト、時々あなたの自由が羨ましいわ。同じ王族ですのに……」
部屋の中でも聞こえないくらいの囁きで独りごちた時、部屋の扉がコンコンコンとノックされる。
「ミルズナ本部長、お客様がいらっしゃいました」
「あら、どなたかしら?」
「トーラストからいらっしゃった、ラナロア伯爵様です」
「まぁ!! それは、直ぐにこちらへお通しして!!」
さっきの緩慢な動きとは打って変わり、ミルズナはテキパキとファイルを仕舞い机の周りを整えた。
「うふふ……なんてタイミングでしょう。やっと何も遠慮せずに私と話せる方がいらっしゃいました」
ラナロアなら、リィケのこともルーシャのことも、そしてレイニールのことも話ができる。クラストでリィケと逢ったのも、彼が手配をしていたからだ。
「さて、お茶も頼んでおきましょう。あまり大行にならないお菓子と、カップを三つですね……」
ミルズナは満面の笑みを浮かべて給仕係を呼び出し、訪問者を歓迎するため『茶会』の準備を始めた。
……………………
…………
「祓え!! レイシア!!」
手にした宝剣を真横へ薙ぐと、法術を含んだ斬撃は魔操人形七、八体ほどを一瞬でバラバラにする。
本来なら決まった急所を狙ってトドメを刺すのだが、ルーシャの攻撃は胴体ごと砕いてしまうので一度で終わっていた。
しかし、いくらルーシャといえど目の前、雪崩のように迫ってくる悪魔を一掃できる訳ではない。当然、攻撃の範囲外にいる悪魔を取り零すのだが、それを後方にいるライズがきっちりと回収する。
…………お父さんもライズさんも何の合図もしてないのに、次々に倒していってる。
ルーシャが接近で攻撃、ライズが後方からサポート。
元パートナーの二人は既に役割が決まっているように、言葉も目配せもなく自然にその流れをつくっている。
そしてライズは必ず一体を残してリィケに撃たせた。どうやら、リィケに実践の訓練をさせているつもりらしい。
「魔操人形は個体にもよるが、急所はだいたい同じ場所……鳩尾よりやや上、胸のパーツの真ん中が多い…………そっち、行ったぞ」
「は、はい!」
そういうと、ライズはこちらへ向かってきた複数体を、同時にも取れるくらいのスピードで撃ち抜き、一体だけをリィケへ回す。
ズドン! とリィケは急所の近くに当てる。
リィケのリボルバーに装填されているのは法力を持つ退魔弾であるため、真ん中に当たらなくても十分に“核”は破壊できた。
ライズの銃は二丁。ひとつは大きく撃ち抜くショットガン、もうひとつは大きめのハンドガンである。
ショットガンは破壊力があり、急所の周りを大きく抉るが、ハンドガンは人差し指が入るほどの穴しか空かない。
しかし、それだけで魔操人形は地面に倒れ、ピクリとも動かなくなった。
そして、さらに複数体が迫ってくるが、それらは次々に倒れていく。リィケ用には今度は二体残される。
「急所は“核”として宝石や魔石が多い。それさえ的確に貫通させれば、銀の退魔弾を使わず、聖水で磨いた通常弾でも十分に倒せる…………行ったぞ」
「わわっ!? は、はい!」
リィケの方へ二体が同時に向かってくる。
ズドン! ズドン!
しかし、二体目はリィケが慌てて撃ったためか、狙いは大きく外れてしまった。しかし、
ドンッ!! タンッ!!
連続した二つ銃声が響き、向かってきた魔操人形の頭と片脚の膝を弾き飛ばした。
「急所を外したと思ったら、冷静に頭や脚を撃ち飛ばし、視覚や機動力を削いで動けなくしてから倒せばいい。焦って攻撃しようとすると、かえって間を詰められて銃使いには不利になる。いいな?」
「はい!」
「………………二人とも、何やってんだ?」
ルーシャが眉間にシワを寄せた顔で立っている。
前方で一人で悪魔を倒していたルーシャだったが、何気なく後ろを振り向くとリィケとライズがまるで生徒と教師のようになっていた。
確かに、リィケは同じ銃使いだけど……
既にクラストで合って、ミルズナと共に仲良くなっていたのは知っている。しかし、いつもルーシャにべったりだったリィケが、ライズにすっかり懐いているのだ。
自分だけ仲間外れにされたようで、少しだけ寂しい気分になっていたのだが、そんなルーシャの様子にライズが呆れるようなため息をつく。
「…………文句が有るなら言え。俺は睨まれる覚えはない」
「べ、別に、文句なんて…………リィケに銃のレクチャーをしてもらっても問題ない。この子もお前と同じ、フォースランの家系の一人なんだし…………」
「じゃあ、もういいな。さっさと奥へ行くぞ」
ライズはルーシャたちに背を向けて、スタスタと森の奥へ進んでいった。
「…………あー……」
やっぱり、オレとは目を合わせないな…………。
ルーシャは文句を言うつもりも、睨んだつもりもなかった。
それ以上に、顔を逸らされたのがショックである。昔のライズなら、ケンカ腰になったとしても正面から見据えてきたものだったのだ。
クラストで再会して以来、まともに会話をした気がしない。朝に鉢合わせた以外、ほとんど顔を正面から見ていないし、必要な話しかしていなかった。
「……どうしたもんかな…………」
くいくいくい…………
ルーシャの袖が引っ張られる。
「うん?」
「お父さん。僕、ライズさんも好きだけど、お父さんのことも大好きだからね! 大丈夫だからね!」
「…………………………あ……あぁ……」
ルーシャの顔をまっすぐ見た後、リィケは大きく頷いてからライズの方へ歩いて行く。
………………子どもに気を遣われた。
この時点で、ルーシャの今日一番のショックはこれに決定した。