悪魔への道程
――――――五年前。
トーラストの街の北部。
伯爵ラナロアの屋敷。
夜中……とまではいかない時間、屋敷の応接間のひとつでは二人の人物が険しい表情で座っていた。
座っているのは、
支部長 アルミリア・M・ケッセル
支部長補佐官 サーヴェニアルド・D・ケッセル
【聖職者連盟】トーラスト支部のツートップだ。二人は夫婦であり、この街の古い血筋の一族『ケッセル家』の当主でもある。
その二人が思い詰めた様子でいるのだ。
屋敷の執事であるカルベリッヒが淹れた良い香りの紅茶も、彼らが手を伸ばすことなくゆっくりと冷めていく。
しばらくすると入室のノックがされ、この屋敷の主が顔を覗かせた。
「お待たせしました。わざわざ二人揃って屋敷まで訪ねてくるなんて…………」
「ああ、悪いな……仕事も終わったのに……」
「そうね。ごめんなさい……」
軽い挨拶も何処か疲れきっている。
ラナロアは二人の顔を交互に見てため息をついた。
「サーヴェルトもアルミリアも…………そうとう追い詰められていますね」
「「………………」」
「…………ルーシャのことですね?」
「あぁ……」
サーヴェルトの声にアルミリアも小さく頷く。
「レイラが死んで二ヶ月…………ライズも街を出ていって、今やルーシャは完全に歯止めが効かなくなっている……」
「えぇ、もう私の言うことも聞きません。最近は連盟を通さずに、勝手に退治の仕事を見付けてくるようなの……」
事件依頼、祖父母である二人にルーシャはまともに顔も合わせなくなっているらしい。
「そうですか……それは私も気になっていたことです。出張中に依頼された以外の悪魔も倒していると、他の支部から警告もあったばかりですから……」
最近、ルーシャがほとんど休みを取らずに、悪魔退治ばかりしているのは連盟内でも問題視されるようになった。
それに加えて、トーラスト支部の管轄以外の地域でも悪魔退治の依頼を受けたらしい。そこの支部へ仕事が回される前に、ルーシャによって悪魔が倒されたという事態も起きていた。
「あと……今日、俺が私的で雇った調査員から、とんでもない報告を受けてしまってな……」
「とんでもない報告とは……一体、何でしょうか?」
「ここから北西、悪魔のハーピーが巣を作っていたんだが……」
「ハーピー……ですか……」
『ハーピー』は巨大な鳥の身体に人間の顔を持つ中級の悪魔である。岩山などに集団で巣を作り、巣から近い人間の集落などを荒らすことがあった。
「でも、そのハーピーたちの巣はかなり人里から離れていて、奴らの狩り場も自然の中にあった。だから連盟では監視だけをする対象になっていたんだ……」
それが数日前、『ハーピーの巣が何者かによって壊滅させられた』と近くに拠点を構える監視役の者から【聖職者連盟】宛に連絡が入ったのだ。
本部や他の支部では原因が分からなかったようだが、サーヴェルトとアルミリアは揃って顔を蒼くした。
そして、連盟の調査が入る前に、私的に法術師を雇って現場の痕跡を調べさせていた。
「ハーピーの巣のあった場所には、明らかに“法術”を使った痕跡があって、それがルーシャの持つ法力と質が一致した。それを連盟本部で追及されたら言い逃れはできない……」
退治員が悪魔を倒すこと自体は罪にはならない。
連盟に所属しないフリーの戦士が、村や町から依頼されて退治することも多いからだ。
今回問題になったのは、ルーシャが【聖職者連盟】に席を置く司祭であり、そのハーピーたちを連盟が退治対象にしていなかったこと。
そのハーピーたちがただの一度も、人間の集落を襲ったことがなかったのも大きい。
「……連盟の裁判に掛けられれば、ルーシャは確実に司祭の資格を剥奪されるでしょうね。しかし、二人が心配しているのは資格云々ではありませんね?」
ラナロアの言葉に、サーヴェルトは大きなため息をつく。
「あぁ。資格なんてなくても生きてはいけるからな。一番の懸念はその後だ……」
「連盟を辞めるだけでなく、聖職者としての足枷が外れれば、遠慮なく悪魔を倒し放題ですからねぇ」
「うぅ…………」
アルミリアは両手で顔を覆うと、我慢できずに嗚咽を漏らす。隣のサーヴェルトも目を閉じて押し黙ってしまった。
「わかりましたよ。二人とも……」
ラナロアは部屋の端に控えている執事のカルベリッヒに、何か指示を出すと、彼は手帳を取り出し何かを指で追って、それをラナロアに伝えていた。
「今週にも、ルーシャに無理やり休みを取らせましょう。それに合わせて、私とサーヴェルトも予定を空けておきます」
「…………すまない」
「こちらも本気を出して止めましょう。ルーシャが【絶対の魔王】の怒りを買う前に……」
『何人も己の憎悪を他に向けること赦さず』
聖書の一文が頭の中で思い起こされた。
ラナロアの丸い眼鏡の奥、普段は細く閉じたような形の瞳がスゥッと薄く開く。
部屋の灯りに揺れる『金色の瞳』が静かに天井を仰いだ。
――――――現在。
王都から少し離れた平地。
王都を出発してしばらくは穏やかな平原を馬で駆けていたが、途中で小さな林を抜けた後、目の前の風景は一変した。
前方の彼方には赤茶の岩山があり、そこまでは荒野でかなり見通しが良い。
王都の北西はあまり人の手が加えらていないようだ。整備した路らしいものは見受けられず、微かに轍になっている場所を一列になって馬を走らせている。
……あの山の上か。
目の前の岩山は想像していたよりも低く、その山頂だけに木が生い茂っているのが見えた。
リィケが見たと思われる地点は馬を使っていけばすぐに行ける場所だ。今回は丸一日、日が暮れる前までとミルズナと約束してやって来たのだ。
ほどなく、その岩山の麓に到達すると、そこには一軒の家が建っている。小屋というよりは立派で、屋敷と呼ぶには質素なそこそこ大きい家だ。
一行は家の敷地に入って馬を停める。
「ここは本部が管理している建物です。普段はそんなに使ってはいませんが、この付近の監視や訓練、それと研究や実験などにを行う施設でもあります」
馬から降りながら、従者の一人がルーシャに向かって説明をする。
「つまり……この先は、悪魔が出るってことか」
「えぇ。そういうことです」
ルーシャに手を借りて馬を降りたリィケは、従者との会話に首を傾げた。
「……どういうこと?」
「普段、人がいない。おそらく山の入り口に悪魔を通さない結界が張ってある」
街から離れた荒野や岩山、そして森。
こういった所には自然発生した悪魔が多数潜んでいる。
その悪魔が間違って人里へ行かないように監視するのも、【聖職者連盟】の仕事のひとつだ。
自然の中で主に生息しているのは、動物系、植物系、鉱物系が多い。魔力や聖力のバランスによっては闇精霊系などいうものも確認されることがあった。
こういう建物は、その悪魔がこれ以上人里へ近付かないための監視や、退治員や兵士の対悪魔の訓練、研究者の観測地にもなっている。
「悪魔が……」
「たぶん、この山を生息地にしている悪魔なら、普通は鉱物系か? 森も在るなら動物系も…………」
「いや、目撃されているのは“物質系”だ」
ライズが何か紙を広げながら言う。どうやらこの辺りの地図のようだ。
「リィケが見たのはここより少し上の、森になっている所だろう。その付近ではよく『魔操人形』の目撃情報の報告がある」
「魔操人形? 普通はこんな所にはいないはずだろ……」
『魔操人形』と呼ばれるもののほとんどは、人形に悪霊を宿らせて人工的に造る悪魔である。
造った魔術師の言うことを聞いたりするため、悪魔を造っている人間が潜伏している人の居る場所か、かつて住んでいた廃墟などで主を失いうろうろしていることが多い。
「僕、地面に落ちてる人形の部品をいっぱい見たよ」
リィケはバラバラになった人形らしきものを、森の中で多くみつけている。
「……誰かが不法に棄てたか、故意に放ったか、どちらにせよ回収はしないといけない。『魔操人形』は倒しても魔力が溜まれば、何度でも動くからな」
「バラバラになっても?」
「バラバラでも、魔力の回復や主人の命令の名残で再生する」
「主人って人間?」
「いや、悪魔の場合もある。よくあるのは『同種の悪魔』の格上が従えていることが多いな」
人間に造り出されることもある『魔操人形』だが、ほとんどの場合は高位の悪魔が操っている。
「リィケが会った人形は、悪魔の種類で言えば『魔操人形』より格上の『生ける傀儡』になるはずなんだ」
「あ! 僕と同っ…………むぐ!」
何となく想定していたルーシャは、すぐにリィケの口を塞いだ。
チラリと従者の方へ視線を向けると、ライズが指示を出しているようでルーシャたちの方を向いてはいない。
「とりあえず、ここから徒歩で上まで行かなきゃならない。聖水、補助器具、飲み水など、一人一人が持っていける量で準備をしてくれるか?」
「「はい!」」
ライズに指示を出された従者二人は、三人分の必要な荷物を用意するため建物の中へ入っていった。
それを見送ったライズが、ルーシャとリィケに「行ったぞ」と言うようにアゴを上げる。従者が戻ってくる前に、リィケへの簡単な悪魔の勉強が再開された。
「リィケ、周りに気をつける……」
「はい…………」
人差し指を口に当てながら静かに注意をすると、リィケはしゅんとして頷いた。
「お前も分かると思うが……『生ける傀儡』は自分で物事を考えて動ける悪魔だ。知性のある悪魔は度々、人の心を読み取って騙すことがある」
「じゃあ……レイニールの振りをした偽物の場合もあるの?」
「ある。でも……今回に関しては、本物のレイニール王子だと信じても良いと、王女が自信を持って言っていたんだよ」
「え……?」
「悪魔に【サウザンドセンス】はいないそうだ」
ミルズナが嬉々として研究内容を話す姿が、ルーシャの脳裏に浮かんで消えた。
数分後。
三人の荷物が揃い、岩山への入り口まで案内された。
ここから従者はさっきの建物へ戻り、何かあった場合の連絡役として留守番をすることになる。
リィケと自分の少し前を歩くライズの後ろ姿を見ながら、ルーシャはふと思った疑問を聞いてみることにした。
「そういえば……ライズ、お前も一緒に来て良かったのか? 王女付きの仕事も忙しいんじゃ…………」
「…………いや、しばらく王女の側近じゃなくなる」
「え?」
「えぇっ!?」
思いがけない言葉に聞いたルーシャよりも、横にいたリィケの方が大きく声をあげる。
「ライズさん、ミルズナさんのパートナーじゃないの? 上級護衛兵辞めるの!?」
慌てて横に来て必死に見上げてくるリィケに、ライズは少し目を開いて驚いたような表情になったが、すぐにいつもの真顔に戻った。
「……いいや、上級護衛兵は辞めないし、王女の側近という立場も少し離れるだけで、いずれまた復帰する。そういう約束で、しばらく本部で退治員に専念させてもらうだけだ」
「専念……」
その言葉に、ルーシャは何か苦いものを感じる。
…………ライズは一人で悪魔を倒すつもりだろうか?
すっかり大人になった義弟の背中に、ルーシャは五年前の自分が重なって見えた。




