王家の【サウザンドセンス】
二年前。ある場所である事件が起きた。
突然、起きたのだ。
そして『彼』はいなくなったという――――。
――――二年前と少し前。
リ――――ン……ゴ――――ン……
リ――――ン……ゴ――――ン……
朝の九時を報せる鐘の音が王都に響く。
この日、公爵令嬢であるミルズナは、再び王宮の敷地内の屋敷へ足を運んだ。
堅く装飾の施された扉の前で深呼吸をする。
「…………よしっ!」
コン、コン、コン…………
「ミルズナです。入ってもよろしいでしょうか?」
『よく来たな。入れ……』
「はい。失礼致します」
重苦しい扉は見かけよりも、静かに軽く開いていく。
客間のテーブルの更に奥、他より少し豪奢な肘掛けのイスに、ひとりの黒髪の少年が座っている。
「おはようございます、レイニール王子。早い時間に、しかも急に訪問してしまい申し訳ありません」
ここへ来ることは、朝一番の鐘と共に決めた。そこからすぐに使いをやったが、彼へまともに伝わったのかは怪しいものだ。
おそらく、レイニールのところへ伝達されたのは一時間くらい前になっただろう。
「いや、構わぬ。お前も神学校の卒業が間近で、何かと慌ただしいだろう。わざわざ、ここまで来てくれたのだ。余の時間は特に気にしなくていい……」
レイニールの身仕度は完璧であり、部屋に茶の用意もされている。ミルズナが今朝、訪ねて来るのを前もって予想していなければ、ここまで調えてはおけないだろう。
……やはり、この方はお見通しでしたか。
ミルズナは改めて淑女の礼をする。
動作はゆっくりで深く長い。頭を下げたまま、
「王子……今日、ここへ参上したのは、先日のお返事をするためです……」
「………………」
息を大きく吸い込んで決意を口にする。
「お受け致します。私に王家の『神の欠片』を覚醒させてください」
顔を上げ直立したミルズナは、真っ直ぐにレイニールと対峙した。
「……私は王家の【サウザンドセンス】として、次期国王候補に名乗りをあげ、レイニール王子……あなたの対抗勢力となり敵対致しましょう」
「……………………」
「そして、あなたが望む通り、私欲のために私に取り入ってくる愚か者どもを炙り出し、全て排除してみせます」
「…………フッ……」
レイニールが口の端を上げ声を洩らす。ミルズナの言葉に思わず笑いが込み上げてきたようだ。
「ミルズナ……お前は普段から余計なことを言わない。お前をたまたま国王候補になった大人しい娘だと思って侮った真似をする者は、さぞかし恐ろしい目に遇うのだろうな…………フフ……」
「笑わないでください。私はいつも大人しい娘ですよ?」
ぷぅっと頬を膨らませるミルズナに、レイニールは苦笑している。だが、少しするとスゥッと真顔に戻った。
「そうか、すまぬ…………では、準備はよいか?」
「はい。いつでも」
「…………ならば、ここへ」
「はい」
レイニールの二歩前で、ミルズナは床に膝を突いて頭を下げる。目は開いたままだ。
下げた頭の上にそっと手の平が置かれた感触がする。
「一瞬で終わる。この一瞬で、お前は余と同じ『次期国王候補』だ。もう、余に気を遣う必要はない。存分にぶつかってきてもらって構わない」
「えぇ、手加減致しません」
「もしも、余に何かあった時は、お前が王になってこの国を導いてくれ」
「あなたに何かあってはいけない。私はあなたに王になっていただくつもりで励みます」
「………………」
沈黙が訪れてすぐ。
パリッ…………
小さく弾ける音が聞こえ、ミルズナの目の横を赤く細い稲光が走っていった。
――――現在。
【聖職者連盟】本部。本部長の執務室。
執務室の応接のソファーにはミルズナがいて、その向かい側にはルーシャとリィケが並んで座っている。ライズはミルズナから少し離れた場所に立って、ミルズナが話す様子を黙って見ていた。
「――――と、これが私が正式に【サウザンドセンス】として覚醒した日の話です。私の『神の欠片』は三つ。ひとつはそれと気付かず過ごしていましたが、残り二つはレイニール王子によって起こされた“王家の神の欠片”というものです」
厳密に言うと、ミルズナはすでに七歳の時に能力を持ってはいたが、それが王家特有の『神の欠片』とは異なっていた。そのせいで幼い本人も周りの大人も分からなかったそうだ。
「私があなたたちの前で使った『絶対なる聖域』も、最初は魔法だと思われていたくらい、私は国王候補とは程遠い位置にいる王族でした」
「でも、王女様ですよね?」
「いいえ、ちゃんと公式に【サウザンドセンス】だと名乗り上げる前は、ただの『公爵令嬢』にしか過ぎません。陛下に直接目通りが叶ったのもつい最近でしたから」
ミルズナには正式な王家の婚約者がいる。しかし現在の国王陛下は、婚約という繋がりがあるだけの末端の王族ていどでは、ほとんど謁見を許すことはないという。
「それで……他の二つの神の欠片は、どんなものなんですか?」
リィケがキラキラと目を輝かせている。
「ふふ、ごめんなさい。これはそんなに簡単に発動させて、見せられるものではないの。説明も難しいので…………」
「そうなんですか……」
少しがっかりしたようなリィケの様子に、ミルズナは苦笑いを向けた。
「でも、いつかは見せられると思いますよ? レイニールも一つは同じものが使えますし……」
「会えば、教えてもらえる!」
「ええ。たぶん、同じ子供同士で通じるものもあると思いますよ。もしかしたら、まだリィケの中にある、神の欠片を起こす手伝いもしてくれるやもしれません」
楽しそうに話す二人の横で、ルーシャが首を傾げていた。
「王子の神の欠片は……覚醒をさせる能力なのですか?」
「いいえ、厳密に言いますと、彼が使う能力は『感情の檻』というものです。それを使って、私の感情に揺さぶり掛けました」
「感情? 神の欠片は感情によって覚醒するんですか?」
「えぇ。確定、ではありませんが、その場合が多いですね」
『感情の檻』
相手に“仮の感情”を与える能力。与えられた者は己の意思とは関係なく、感情の起伏を抑えることが出来なくなる。
「過去の王家には、この能力を使えた者も存在したそうです。しかし、本当に使ったという記録は無く、レイニール自身もあまり外に公にはしていませんでした」
人間だけでなく、動物、精霊、悪魔までも、その心を操ってしまう能力だという。
「使い方によっては無敵だ……」
“【サウザンドセンス】はその能力次第で、神にも魔王にもなる”……ルーシャの頭に過ったのは、昔の伝承だった。
「……レイニール王子を知る者の中には、彼を【王家最強のサウザンドセンス】と呼ぶ者も少なくありませんでした」
「何で……その王子が行方不明に……?」
「………………」
ミルズナは静かに目を伏せ、大きく息を吸い込んだ。
「それを知るために、リィケに手伝っていただきたいのです。本部へ呼んだのは、あなたの神の欠片を調べることはもちろん、王子の行方を捜すための糸口を見付けるのが目的でした」
ミルズナの雰囲気がスッと変わる。話が本題に入るのがリィケにもわかった。
「あなたはレイニール王子に会っていますから」
レイニール王子…………って……
「クラストにいた、ロアンですか?」
「そうです。他人の空似にだと無視できる範囲ではありませんので」
「でも……ロアンは自分が『レイニールじゃない』って、言っていました」
「そう、中身は……ですね」
ミルズナは軽く頷くと、テーブルに紙の束を乗せる。それは、この間のクラストで起こった事をまとめた報告書だった。
「先日のクラストでの事、報告書を見てロアンという少年が似たような能力を使った……と。ルーシアルドとリィケは直接見たのですよね?」
こくりと二人は頷く。
裏の世界でロアンが泥人形に向けて、使った力が『感情の檻』だと推測されていた。
「……もうひとつ、ロアンは持っているのですよね。あなたにも使った『ミストルティン』という能力……」
ロアンが自分とリィケの額を宛て、リィケの身体を操って逃亡を手伝った。その時、確かに『ミストルティン』という能力を使ったのだ。
――――『ミストルティン』……ほかのヒトのからだに『はいる』のうりょく
その能力を使って、ロアンはリィケの身体の主導権を握ったはずだ。
「本部の記録にあるもので『魂の宿り木』という神の欠片があります。相手の能力を身体ごと乗っ取る能力です」
「まさか……王女は『身体はレイニール王子』で『中身がロアン』だと?」
「ちょ……ちょっとまって!! じゃあ、中身のレイニール王子は……!?」
「それは確かめに行くしかありません」
コンコンコン……
突然、扉がノックされる。
ライズが扉を開け、そこにいた本部の僧侶らしき若者が話し、一枚の紙を渡してきた。僧侶はライズが持ったそれに何か印を書き込むと、一礼をして扉を閉めていく。
「ミルズナ様、リィケが『見た』という森や崖に酷似した場所が見付かりました。馬と案内人の用意も整いましたので、いつでも出発できます」
ミルズナは大きく頷き、その場に立ち上がった。
「リィケが今朝、体験したものが“神の欠片による現実”だとしたら、その人形は本物のレイニール王子だった可能性があります」
「直接、その場に行って確かめるしかないな……」
ルーシャとリィケも立ち上がり、ライズやミルズナに付いて執務室を出た。
今朝、リィケが目覚めた後。
リィケの見たものについて、ミルズナは疑うこと無く地理に明るい者に、王都周辺の地形からそこに似た場所の特定を急がせた。
その間、ルーシャとリィケは時間潰しも兼ねて、ミルズナにレイニールについて話を聞いていたのだった。
王都の北側の門の前。
リィケが見たという場所へ、ルーシャとリィケ、それにライズと従者二人が同行する。
その場所は狭い道が多いため馬車は通れず、途中まで馬で直接行くことにした。
門の近くには馬が四頭用意されていて、リィケはルーシャと一緒に乗馬することになっている。
「本当なら、私も行きたいところですが……本日の予定は少々外せない内容なので……」
「いえ、王女が……本部長が不確かな場所へ、ホイホイ行くわけにも行かないでしょう。オレたちだけで調べてきます」
「はい! 大丈夫です!」
「ルーシアルド、リィケ、二人とも気をつけて。ライズ、二人の護衛など、よろしくお願いします」
「はい。ミルズナ様……」
それぞれ馬に乗り、リィケもルーシャ引っ張り上げてもらい、抱えられるように前に収まった。そして物珍しそうに、馬のたてがみをいじって喜んでいる。
従者二人が少し先を行くことになり、順に並んでゆっくりと格子扉が上がるのを見ながら開門を待った。
「では、みなさん、頑張ってくださいね」
「僕……もう一度、王子を見付けられるでしょうか?」
「分かりません。でも“能力者は能力者を呼ぶ”と云いますから。あなたなら王子やクラストの少年と、必ず会えると私は思っております」
単純な考えですが……と、ミルズナは困ったように笑う。
「出発準備、整いました。いつでも行けます!」
先頭にいる従者が全員に声を掛ける。
「では王女、いってきます」
「えぇ、ご武運を……」
門を出た一行は徐々にスピードを上げ、目的の場所まで一気に馬を走らせた。




