保護者
「アリッサ、頼みが有るのだけど……」
「えっ! ルーシャさんが珍しいですね、私にできることなら……何でしょうか?」
二階から降りてきたルーシャは、まだ店内に客が少ないことを確認して、厨房にいるアリッサを呼んだ。
珍しくルーシャが頼み事をしてきたことに、驚きつつもアリッサはニコニコとルーシャの近くへ寄っていく。
「すまないが、教会にある『通話石』を使わせてほしいんだ。リィケの“保護者”に連絡をして、迎えに来てもらおうと思って……」
「あぁ、それなら大丈夫ですよ。店が混む前に私も一緒に行きますから」
「ありがとう……」
この宿場町の中心には小さな教会がある。
アリッサは三年前にトーラストの街の神学校を卒業し、実家のあるここへシスターとして戻ってきた。今は教会に数人のシスターと共に住んでいる。
彼女はそこでシスターのお勤めをしていて、朝晩の店が忙しい時間だけ仲間の了解の下、実家を手伝いに来ている。
二人は正面の扉から入り、礼拝堂の中から奥へ進む。礼拝堂はとても質素でハンナの店よりも狭い。
本当に小さな教会だが、これがあるおかげで街に悪魔が近付くことがない。教会はそこに存在するだけで結界になるのだ。
「……というか、この町で『通話石』を使えるの、ルーシャさんだけだと思いますよ。私も含めて、法術が使える人はいませんから……」
連盟に所属している教会には『通話石』と呼ばれる魔法道具がある。これは離れた場所の相手と話ができる便利なものだが、法術を使える者でなければ作動は難しい。
特にこちらから話す場合、お互いに使える街までは遠く、司祭や法術師などの強い法力が使える者しか声が届かない。
「常駐が駄目なら、定期的に通える司祭を派遣してはもらえないのか?」
「無理でしょうね。人手不足だというし…………あ、じゃあいっそのことルーシャさんが神父になって、この町に住んでくれればいいのでは!? まだ司祭の資格ありますもんね!」
「あ……いや、それはちょっと……」
宿場町の教会は【聖職者連盟】トーラスト支部が管轄している。たぶんルーシャが普通の司祭として復帰をしても、ここへの赴任は許されず退治課へ放り込まれるだろう。
「じゃあ、ちょっと借りる……」
人一人がやっと入れる狭い部屋のテーブルに、石でできた洗面器のようなものがあった。その中心には片手で握れる程の水晶玉が置いてあり、ルーシャはそれを持ち上げ掌で包み込む。そして、石の洗面器に水差しでいっぱいに水を注ぎ入れた。
「では、どうぞルーシャさん」
「どうぞどうぞ!」
「ゆっくり使ってください!」
「ささっ、遠慮なく!」
「………………ごめん、集中させて……」
物珍しさに、後ろのドアからキャアキャアと見学してくるアリッサと、他のシスターたちには部屋から出てもらうことにした。
トーラスト支部に連絡を入れるのは、ルーシャにとって少々緊張することであった。
「……………………」
ルーシャは水晶を顔の前で握り締めて、祈るように意識を集中させる。手の中の水晶玉は薄く青い光を放ち始めた。
「……連盟、トーラスト支部……」
イメージが具体的になるように、通話する場所を呟く。
すると、手の隙間からボソボソと小さな音が鳴り始めた。それは段々と人の話す声に変わっていった。
『……ます……か? 聞こえますか? こちら、聖職者連盟トーラスト支部、受け付けになります。聞こえますか?』
何度も確認するような声が水晶から聞こえてきた。
「えっと、聞こえます……こちらは東カルドの宿場町の教会です。退治課の事務室に繋いでほしいのですが……」
『お名前と用件をどうぞ』
「…………ルーシアルド・ケッセルです。退治課のラナロアをお願いします……」
『あ! ルーシャくん!? うわ~、どうしたの!?』
「へっ……」
事務的な声色が急に砕けた。
ルーシャは思わず気の抜けた声になる。
『あぁ、ごめんごめん。ボクだよボク、レバン。今日は通話石の担当だったから……いや~、奇遇だなぁ! 久しぶりだけど元気? 何? 宿場町の職場で何かあったの? 愚痴なら聞くよ~!!』
「…………すみません、レバン先輩。ちょっと急いでいるので、ラナロアに繋いでください…………」
『あ、ごめん~。東カルドの教会にラナロアさんね。ちょっと待ってて、退治課に言ってくるから。じゃ、また今度。休みの日でもごはん食べに行こうね~!』
「はい…………」
ぷつりと、声がきえた。
急に親しい人が出たので、緊張感が切れて法力が途切れそうになったが、何とか連絡はできた。
ルーシャは水晶をテーブルに置いて腕組みをして待つ。
しばらくすると、今度は目の前の容器の水が光始めた。
これは水晶とセットの水鏡だ。
これは通話石専用の容器に聖水を満たして作るもので、向こうからの連絡を受け取る役目がある。水晶玉だけより精度が高い。
『……ルーシャ?』
水鏡からルーシャがよく知る声が聞こえてきた。声は低めのよく通る落ち着いたものである。
「…………ラナロアか? 今、周りに人は居るか?」
『いえ……一応、誰も来ない所で話してます。どうかしましたか? リィケのお迎えなら、もう少ししたら行こうと思っていたところですが…………』
「…………知ってたのか……?」
『えぇ、貴方に徒歩で付いていったことだけは。貴方が連絡してきたということは…………おそらく、リィケが眠ってしまって全然起きない……と、そんなところではないですか?』
「……………………」
ルーシャはそれ以上、何も言えなくなった。
内緒で来た……と、リィケは言っていたが、保護者であるラナロアは完全にお見通しだったようだ。
「分かっているなら早く迎えに来い…………お前が保護者だと聞いてなかったら、連盟に放り投げにいくところだったぞ」
『すみませんねぇ。少ししたら迎えに行きますから……ふふ……』
水鏡から聞こえてくるラナロアは、とても愉快そうな口調だった。
一時間後。
夕方から夜に掛り、忙しい時間帯のハンナの店の前に、黒く立派な馬車が停まった。道を行く人々は少し遠巻きに馬車を見ている。
カランカラン…………。
「いらっしゃいませ~! …………え?」
元気に挨拶をしたハンナは、来店客を見て動きを止める。他の客も思わず食事の手を止め、ドアに視線を集中させた。
ベルの音と共にドアから入って来たのは、普通の成人男性よりも頭ひとつは高い身長の紳士だった。帽子からマント、上着、ブーツまでの色は白一色である。
紳士の後ろには黒髪の若いメイドの女性が従っていた。
紳士はカウンターに近付き、帽子を取りながら中に居たハンナに声を掛ける。
「お邪魔します。ルーシャはいますか?」
「あ、はい! ちょっとお待ち下さいっ!」
帽子を取った紳士の顔にハンナは驚く。
開いているか分からない細い目に丸い眼鏡、異様に大きなわし鼻。頭はスキンヘッドであり、頬は痩けていて、顔全体が色白と言うより蒼白い。そして、よく見ると耳が少し尖っている。
ハンナは慌ててルーシャを呼びに向かった。
「あ、ラナロア様……」
店に出ていたアリッサがポツリと呟くと、紳士……ラナロアはニッコリと微笑み返した。
「こんばんは。貴女は……確かトーラストの神学校を三年前に卒業した方ですね。ここのお嬢さんでしたか」
「えぇっ!? 覚えていらっしゃるのですか!?」
「はい、卒業生は全員。ルーシャがいつもお世話になっています……」
「い、いいえ! こちらこそ…………」
ラナロアに柔らかく挨拶をされて、アリッサは顔を赤らめてペコペコとお辞儀をしている。
ラナロアはトーラストの街の伯爵であり、【聖職者連盟】や神学校にも深く関わっているので、トーラストに行ったことのある者はだいたい彼の顔を知っていた。
「……やっと来たか…………」
「あぁ、ルーシャ。直接会うのは久しぶりですねぇ……で、リィケは?」
「……階段上がって奥の部屋」
「そうですか。では、ちょっと失礼します」
ラナロアはハンナに軽く頭を下げ、奥の階段を上がっていった。その後ろを黒髪のメイドも付いて行く。途中、ルーシャと目が合うと微笑んで深々とお辞儀をする。
「ぼっちゃま、ご無沙汰しております」
「マーテルも一緒か……」
黒髪のメイドの名はマーテル。
ラナロアの屋敷に代々使える家系の人間で、ルーシャとは幼い頃からよく知った仲である。
ラナロアはケッセルの家と懇意にしていたため、マーテルの家族は屋敷によく出入りをしていたルーシャを『ぼっちゃま』と呼んでいた。
「えぇ、リィケ様のお世話の大半は、私が任されておりますので……」
「そうか、ありがとう……」
「あら? ぼっちゃまがお礼を言ってくださるなんて……何故でしょうね? ふふふ……」
「っ……!? ……いや、別に…………」
おそらく、彼女も全て知っているのだろう。リィケが人形であり、ルーシャの子どもだと言われていることも。
「……それでは……」
「あぁ……」
ラナロアの後ろを付いていくマーテルを見送る。ルーシャはどっと疲れが出た気がして、手で目頭を押さえた。
「リィケちゃんって、伯爵様の子どもだったの?」
不意にハンナがルーシャに尋ねてくる。
「……子ども……ではないですが、ラナロアが保護者になっているそうです」
「はぁ……でもやっぱり、お金持ちの家の子だったのねぇ。何だかおっとりしてるし、育ちが良さそうだなとは思ったのだけど……」
「育ち…………」
ルーシャの胸に何かがチクリと刺さった気がした。
少しして、眠っているリィケを腕に抱えたラナロアが店から出てきた。
リィケを馬車の中へ運び、マーテルがその隣に座る。
「では、ルーシャ。ご迷惑をお掛けしました」
「いや、別に…………」
ハンナたちが忙しい様だったので、ルーシャがラナロアたちを見送ることにした。辺りはすっかり暗くなり、空にはキレイな月が昇っている。
「…………ラナロア、ちょっと聞きたいんだが……」
「何でしょう?」
「リィケは本当に……オレとレイラの子どもか?」
「やはり……リィケは早々に話してしまったようですね……。我慢はできませんでしたか……」
ラナロアはため息をついて、考えるように視線を落とし黙りこんだ。
ルーシャはラナロアを睨み付けながら、その返答を待つ。
「……もし『そうだ』と言ったら、貴方は連盟の退治員に戻るつもりですか?」
「それは…………」
言葉に詰まるルーシャの様子に、ラナロアは薄く苦笑いを浮かべた。
「“子ども”だということは、今は忘れてください。この子は……まだ解らない事がたくさんあるのです」
「じゃあ…………違うかもしれないのか?」
「その可能性も捨てきれません……」
「…………そうか」
話しながら、ラナロアが馬車の中のリィケを眺めている。その顔は実の親のように穏やかだ。
――――ほら見ろ。やっぱりリィケの今の親代わりはラナロアだろ。オレが親だと言われても、こんな顔はできない。
そう思った途端、再び何かがチクリと刺さった気がして、ルーシャは顔をしかめる。
「ルーシャ、しつこいようですが、復帰するつもりはありませんか?」
「……ない」
「そうですか。でも一応、これは教えておきます」
何かを勿体ぶるように、ラナロアは間を作りながら話す。
「…………来週末、リィケは初めて退治員として、仕事をすることになりました。もちろん、悪魔に関わる事です」
「え…………」
馬車の中、ぐっすり眠るリィケに膝を提供しているマーテルは、外の二人が真剣な面持ちで睨み合っていることに気付いた。
しかし、伯爵の忠実なメイドは、その話に聞き耳をたてるつもりはない。
彼女は目の前にいる小さな主の睡眠を、ただただ静かに見守るだけだった。