聖王都到着
「……降りにくい」
ルーシャが出入り口の扉のところで項垂れている。リィケはそれを眉間にシワを寄せながら見ていた。
これ……見たことがある……。
リィケとルーシャが乗った汽車は、無事に王都リルディナの駅に到着した。それがつい数分前。
まるでクラストの町へ行く時に、ルーシャが汽車からなかなか降りられなかったあの光景である。
あの時は一等客車から降りるのがはばかられてしまったせいだったのだが…………
「ルーシアルド・ケッセル様、リィリアルド・フォースラン様。ホームの準備が完了いたしました。さ、お降りになってください」
「「……………………」」
汽車の出入り口には、何故かホテルによくいるドアマンのような男性が立ち、ルーシャたちのためにドアを開けようと待っている。
しかし、二人はなかなか降りることができない。
「そりゃあ……王女様が用意した切符なんだから、一等客車は覚悟していたけど…………でも、これは、聞いてない……聞いてないぞ……」
「お父さん、降りよ? なんか、後ろのおばさんが怖い顔でこっち見ているし…………」
ルーシャたちの少し後ろでは、あちこちに羽根をあしらった帽子やピンクのドレスを着た貴族らしい婦人が、降りる順番を待っていた。
なかなか降りないルーシャたちに苛ついているのか、苦々しい表情を浮かべながら、手に持った扇子をパチンパチンと打ち鳴らしている。
「うん……あ、一回、深呼吸しておく…………」
……………………。
「よし、行くぞ……!」
「はい、お父さん……」
ガチャ。スト…………
扉を開け、ホームに降り立った瞬間、
パラッパラッパパパパ――――――ンッ!!
わぁああああああ~~!!
「「――――――――~~っ!!」」
トランペットの盛大なファンファーレが鳴り響いた。
真っ直ぐ敷かれた深紅の長いカーペット。その両脇には管楽器を手にした兵士らしき者たち。
さらにそのうしろには、どういう理由で集めたのか一般人だと思われる人々がひしめき歓声をあげて手を振っている。
「トーラストよりいらっしゃった、ルーシアルド様、リィリアルド様~~!!」
「ようこそ! 聖王都リルディナへ!! 長旅の疲れを癒し、ごゆるりとお過ごしください!」
まるで勝どきをあげるように、豪華な刺繍の派手な服を着た貴族のような二人の中年男性が、手に羊皮紙の巻物を広げ読み上げている。
こんなので、ごゆるりと過ごせるか――――!!
叫びが心の中だけで響いた。
ルーシャとリィケは顔を青くしながらカーペットを早足で歩ききり、端で別の男性から荷物を受け取ってから、今度は全速力でホームから走り去る。
…………パパパーン……
背後から再びファンファーレが響いたのが聞こえた。
………………。
「「はぁ~~……」」
なんとかホームを出て、二人は乗り合い馬車の待合室の片隅でぐったりと座る。予定では連盟本部の迎えの馬車が来るといわれていた。
「お父さん、王都って何か分からないけどすごいね……」
「いや、いくらこの国の首都でも、あんな出迎えはない…………何だったんだ、あの派手な演出は……?」
ルーシャも何度か王都へは来たことがある。
そのうち二度くらいは、ラナロアや支部長に付いて一等客車を利用したことがあったのだが、ホームであんな過度な歓迎を受けたことはない。
「一体、何が……」
「……明日、王宮で仕えている力のある貴族が、王都の屋敷で子息の誕生日パーティーをするらしい。今日は一等車両を完全に貸しきって、招待客を一斉に乗せてきたそうだ……」
………………。
急に横から入ってきた説明に、ルーシャとリィケが振り向くと、ひとりの青年が項垂れてベンチに座っていた。
まるで二人に謝罪するかのように、顔を上げることなく話をしている。
決して派手ではないが上質な、上下で揃いの茶色のベストとスーツパンツ姿。濃い金髪を短くきれいに揃えた、真面目そうな身なりの二十歳くらいの男性。
左の耳には小さな金色の十字架のイヤリングが揺れていた。
「…………ライズ?」
「すまない……こちらの落ち度だ。迎えは大仰にならないように、俺が一人で来たつもりだったんだが…………まさか、下車から既に始まっているなんて…………」
ポツポツとライズの口から説明された。
今日のルーシャたちは本部が呼んだ客という扱いらしい。
一等車両を使うことはミルズナから言われていたので、普通に迎えに来たのはいいが、ホームは歓迎のために用意された集団で埋め尽くされ近付けなかった。
パーティーの招待客ではなかったはずのルーシャたちも、ミルズナが手を回して歓迎のファンファーレを浴びるリストに入れられていた。
これはミルズナの悪戯だという。
彼女の面白いもの好きだという性格が、時々親しい者に向けられてしまうというのだ。
「…………王女があんなにニヤニヤとしていたから、何かあるとは思っていたのだが…………本当にすまない……」
「いや……大丈夫、下車だけだったから…………」
「う……うん! 面白かったから大丈夫だよ!」
……あの王女様、かなりの変人かもしれない。
面白いものに傾倒してしまうところに、ルーシャは何となくリーヨォを思い浮かべる。
ミルズナは本部では研究課にも力を入れているらしいので、もしかしたらリーヨォと似たような人種なのでは……と、こっそり思ってしまった。
「えっと……迎えに来てくれたんだよな?」
「あぁ……連盟の馬車で。外が落ち着いたら乗ってくれ……」
かなり落ち込んだ様子で、ライズはなかなか顔を上げなかった。どうやら、真面目な彼はルーシャといえども、客人に恥をかかせたと考えたらしい。
……こういうところは相変わらずだ。
ルーシャは思わず口元を緩めてしまう。クラストではほとんど会話はできなかったため、今のライズのことを知ることは叶わなかったからだ。
若いくせに年寄りのように真面目で堅物。
僅かなやり取りだが、根本的な性格は変わっていないと確信し少し安心してしまう。
歓迎の式典……のようなものは、しばらく待つとすぐに終わった。派手な馬車が次々と駅の周辺から出発し、残ったのは一般的な乗り合い馬車がほとんどだった。
ライズが表に用意したのは黒のシックな、あまり大きくない馬車。しかし立派な造りであり、専用の御者と使用人がついている。
「……じゃあ、まずは本部まで案内するから。荷物は先に宿泊先へ届けさせておく」
「あぁ、お願いする……」
「よろしくお願いします!」
言葉にクラストで聞いたような固さはなかったが、ライズはルーシャと視線を合わせることはしない。
「………………」
「「……………………」」
街を走る馬車の中ではほとんど会話もなく、三人は本部の門をくぐっていった。
同時刻。【聖職者連盟】トーラスト支部。
「おい、イリア。すまん、ちょっと良いか?」
『研究課』のイリアの研究室。
壁は全ての面が本棚になっており、普通に収まっている本の他に隙間や床にも本が積み重なっている。本来ならそれなりに広い部屋だが、あちこちに置かれた魔導具が床の面積をやっと歩ける幅に狭めていた。
その魔導具の陰からイリアが顔を出す。
「ハイハイ…………って、何よ、その荷物は?」
イリアを呼びつけたリーヨォは、少し大きめな旅行用の革の鞄と四角い固めの布鞄を持ち、今まさに出掛けようとしている様子で立っていた。
「俺、これから連盟の本部に行ってくるから。戻りは……そうだな、ルーシャたちよりは早いと思う。あっちの研究課に用事だ」
「出張? なによ、ルーシャたちと一緒に行けば良かったじゃない」
「………………いや、俺は別でいい……」
リーヨォは眉間にこれでもか、というほどの深いシワを作った。そしてボソリと言葉をこぼす。
「王女が用意した汽車なんか、何されるか分からないからな…………」
「何それ?」
「今頃、ルーシャたちは『面白い歓迎』を受けているはずだ。そういう悪戯をするの好きなんだよ、あの王女は…………」
まるで王女の性格を知り尽くしたようなそのセリフに、イリアは小首を傾げてリーヨォを覗き込んだ。
「あれ? あんた、王女様……本部長に会ったことあるっけ?」
「…………ある。本部の研究課には何度か行ってるから、今の本部長にも会った」
「そうなんだ? ここ何年も、あんたが出掛けたの見なかった気がしていたけど……」
「そりゃ、その…………年に一度くらいは俺も出張してるだろ。お前だって、トーラストだけにいたんじゃ、研究の幅は広がらないぞ?」
「まぁ、そう……よね……」
どことなく、納得のいかないイリアだったが、いつも研究で成果をあげている、優秀な同僚であるリーヨォの言葉に反論する気はない。
「あ、そうそう。ラナロアも俺とは別の用事で王都へ行く。何か大事な用がある時は直接サーヴェルト様か、急ぎじゃなければ俺やラナが戻るまで待っててくれ」
「えー? ラナロアも王都へ行くの? あんたと一緒じゃなく?」
「いいや、別の要件で行動も違う」
「ふーん、分かった。留守中の仕事はあたしが引き受けるわ」
「おぅ、すまない。他の研究員のことも頼んだぞ! じゃ、行ってくる!」
言うやいなや、リーヨォは急ぎ足で去っていく。
「ん~、あいつはいつも急だなぁ……」
おそらく、リィケ絡みの【サウザンドセンス】の研究だろうとイリアは考えて、それ以上疑問を浮かべることはなかった。
ため息をついて部屋の中を覗くと、黙々と本の整理をしていたアリッサに声を掛ける。
「あ、アリッサ~、今日は早あがりで帰っていいよ。あたし今夜は徹夜してくわ。リーヨォがいないから明日から忙しいし、今の仕事は今日のうちに片付けるから」
「え? お独りで大丈夫なんですか?」
「うん、あなたも家の仕事あるでしょ? ……で、良かったら、夜に出前お願いするわ。エッグタルト三個!」
「はい、毎度ありがとうございます!」
アリッサと笑いながら何事もなかったように、イリアはそのまま自分の仕事へ戻っていった。
リーヨォは他の職員の目を避けるように、連盟の建物の裏へ回った。そこには小さな馬車が待機しており、ラナロアの屋敷のメイドであるマーテルが立っていた。
「リーヨォ様、お待ちしておりました」
「よぉ、わりぃな。急かして……」
片手を上げて挨拶をし、すぐに馬車へ乗り込む。
リーヨォに続いてマーテルも乗ると、馬車は街の入り口ではなく街の奥へと走り出した。
その方向にはラナロアの屋敷がある。
「……正装の準備は屋敷に用意しております」
「あぁ、今回も急に王都行きを決めてすまなかった。ラナロアにも謝んなきゃなぁ……」
「旦那様でしたら大丈夫かと。ちょうど、リィケ様のことも心配していらしたようでしたし……」
「あいつはルーシャより親バカだよな……」
「あら? ぼっちゃまもだいぶ父親らしくなりましたよ?」
リーヨォとマーテルは他愛もない会話をしながらも、馬車の中から周りを歩く人間を気にする。幸い、ラナロアの屋敷までの道のりはあまり人通りがなく、馬車は誰にも見られることなく門を抜ける。
屋敷の入り口へ到着すると、執事のカルベリッヒがリーヨォを出迎えた。
「……最終が終わった後、臨時で汽車を出す予定です。それまで屋敷でおくつろぎくださいませ。お着替えの手伝いは必要でございますか?」
「着替えくらいは自分で…………いや、これだけ頼むわ。普段、整髪なんてしねぇから自分じゃ上手くできねぇんだわ」
リーヨォは伸びっぱなしの髪の毛を摘まみ上げる。
「かしこまりました。不自然にならぬように、少し散髪もしておきましょう」
「頼む」
「はい。では、こちらへ」
カルベは恭しく頭を下げ、最上級の客を招くようにリーヨォを屋敷の奥へと案内した。