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Thousand Sense〈サウザンドセンス〉  作者: きしかわ せひろ
第三章 五年前と二年前
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【聖職者連盟】トーラスト支部

 ――――五年前。


「これ……今回の報告書……」

「はい、確かに。あの……ルーシャ、ちょっといいですか?」

「何……?」


 夕方……いや、もはや夜に近い時間。

 終業時間はとっくに過ぎていたのだが、退治課の事務室にはラナロアとルーシャの姿があった。


 トーラストの領主であり伯爵のラナロアは、ほぼ無報酬で趣味として退治課の事務員をしている。服装も白いシャツに茶のベストとパンツ、腕には黒いアームカバーという、なんとも事務員らしい格好だ。


 ルーシャは退治の仕事から帰ってきたばかりで、退治員個人が持つ戦闘用のコートを羽織っている。

 しかし他の退治員は退治から戻ってくると、真っ先にシャワーを浴びたりなどして着替えるのが普通だが、ルーシャは着替える前に報告書をまとめて提出してきた。



「もし、次に遅くなるようでしたら、報告書は後日で構いませんよ。それと、もう少し仕事の数を減らした方が――――」

「この依頼、まだ退治員は決まってないよな?」


 ラナロアの言葉を遮るように、ルーシャは壁に貼り付けてあった退治課への依頼書を差し出す。依頼主はトーラストから離れた町からで、内容は町外れに出没する悪魔の駆除……退治である。


「今から最終の汽車に乗れば、明日の昼には着く場所だ。オレが行ってくる……」


「待ちなさい、ルーシャ……!」


 依頼書を持って部屋を出ようとするルーシャを、ラナロアがやや強い口調で呼び止めた。その声に振り向くルーシャの顔は何の感情も無い。


「ルーシャ、今日はもう仕事は終わりにしなさい」

「……………………」


 ラナロアは退治員全員をよく見ている。

 どの退治員がどの仕事へ行けば良いのか、その退治員がレベルアップできる内容や得意分野、その日の体調なども考えて依頼書を渡すことも多い。


 しかし、ルーシャの場合は指名の仕事以外は、自分で仕事内容を選び数も調整している。それについては、これまでラナロアが口出しをしたことはない。


 だが、この日は違う。


「あなたは今さっき戻ったばかりです。しかも、今日まで複数の悪魔退治の仕事を連続で入れて、ここ何日も休んでいない。次の依頼を受けようと思うのなら、充分に休養をとってからにしてください」


 ルーシャの目の下には薄く()()が出ている。睡眠もあまりとっていないのだろう。


「……“あの一件”以来、あなたは仕事を隙間なく入れています。それこそ寝る間も惜しんでいる。このままでは、あなたも倒れてしまいますよ?」


 ラナロアは机に座ったまま、じっとルーシャを見上げた。


「お願いです。今日は……」

「この依頼は“至急”と書かれているのに、昨日貼り出されてから誰も手をつけていない。何故なら、依頼はここから離れた村で、悪魔も下級のうえ報酬もそんなに高くないからだ」


 ドンッ!


 ルーシャはラナロアの前に依頼書を叩き付ける。


「こうしている間に被害が出たら? 村人が悪魔の力量を計り間違えて、いたずらに悪魔を刺激するようなことをしていたら? 聖職者もいない村は一溜りもないだろうな」


 ルーシャが一気に捲し立てた後、しぃんと辺りは鎮まりかえる。既に他の職員のほとんどは帰っているため、そんなに大声ではなかったルーシャの声が退治課の事務室に響いた。


「オレはすぐに行く。悪魔の被害者が出る前に」


 一方的に告げると、ラナロアの返事を待つ間もなくルーシャは事務室を出ていった。


 …………参りましたねぇ。


『被害者が出る前に』


 そう言われてしまうと、ラナロアも強くは止められない。いくら彼でも、悪魔被害と依頼主の希望を盾に取られてしまっては『のんびり休め』と言えない。



 ラナロアはため息をついて天井を仰いだ。

 基本的に彼は、大昔から懇意にしているケッセルの家系の者には甘い。しかし、今回ばかりはルーシャを止めなければならないと感じていた。


 ……レイラが殺されてまだ一ヶ月も経っていない。ルーシャが落ち着かないのも解ります。


 ルーシャのパートナーであるライズも、まだ病院にいて復帰がいつになるか分かっていない。彼はまだ子供であり、実の両親と姉を殺されたショックから、簡単には立ち上がることはできないだろう。



 ラナロアはすっかり暗くなった事務室で、机の上の灯りだけを灯して思案していた。


 強制的に休ませる。そんなことをしたくはありませんが……。


 丸いレンズの眼鏡を外し目頭を強く押さえる。最近はこの事が気になって、ラナロアもあまり良く休めてはいない。


 ルーシャを止めるなら、充分に納得させないといけませんね。


 頭の痛い問題に、ラナロアはもう一度ため息をついた。








 ――――――現在。


 このまま、自分は悪魔と戦えるのだろうか?


 支部長たちとの話の後、ルーシャの胸の中には小さな()()()ができてしまい、それは終業まで続いた。


 出勤初日ということもあって、仕事の内容は書類書きや訓練のための道具の確認などの雑務ばかりである。

 しかし、仕事は仕事。気を抜いて簡単なミスをするわけにもいかず、何とか気持ちを押さえ付け淡々と業務をこなした。


「……今日はだいたい終わりだな。明日は仕事が終わったら本部に行くための準備をするから、退治関連の仕事は午後二時くらいで締め切る。その後は片付けと、できれば訓練場でリィケの武器などの最終確認。…………以上、質問は?」


「ないです!」

「はい、じゃあ本日はこれで終了。お疲れ様」

「お疲れ様でした! お父さん、帰ろ!」

「リィケ、連盟内では…………呼ばない」

「……でも……誰もいないよ?」



 退治課の事務室。終業時間は過ぎている。


 先ほどラナロアが帰ってしまったので、部屋にいるのはルーシャとリィケだけだ。他の退治員はほとんど出張に行っているので、出勤初日は二人だけで事務室で雑務をしていたのだ。


「仕事終わりだが、連盟の建物内にはまだ多くの職員がいる。誰かがドアの所にいて、話が聞こえていたら大変だろ?」

「う~~~…………」


 リィケは眉をギュッと下げ、『おあずけ』を食らった子犬のような顔をしてルーシャを覗きこんだ。


「……じゃあ、帰ったら抱っこして?」

「分かった分かった。家に帰ったらな」


 少しため息をついて、ルーシャは机の上の書類などを片付け始める。


 一緒に住むようになったら、急に甘えるようになってきたなぁ……。


 どう接するのが正解なのか、ルーシャは正直よく分からなかった。しかし、親子だと言われてから【魔王】には遭遇するわ面倒には捲き込まれるわで、リィケとしても落ち着かなかったのかもしれない。


 片付けている間、リィケはルーシャの服の裾を握っている。

 これくらいなら良いか……と、放っておく。



「……ちょっと、誰も居ないからって事務室で、イチャイチャしないでくれる?」

「「え?」」


 急に部屋の入り口から、呆れたような声が聞こえた。


 立っていたのは研究課の『死霊使い(ネクロマンサー)』のイリアだ。


「アタシだから良かったものの……今のあんたら、他から見たらすごく怪しい関係に見えるわよ?」

「……いや、それはないだろ」


 ニヤニヤしているイリアに、今度はルーシャが呆れたように言う。リィケは何故かイリアから視線をずらし、廊下の方をじっと見ていた。


「で? 何か用か……徹夜の手伝い以外なら聞くぞ?」

「え~、少しくらい手伝ってよぉ。まぁ……その事じゃないけど」

「じゃあ、何だよ?」

「いや、あんたたちにお客さん……」


「お姉ちゃん!!」


 イリアが言いかけた時、リィケは嬉しそうに叫んで廊下を覗きこんだ。リィケに手を引っ張られて、一人の少女が事務室へ入ってくる。


「あはは、見付かっちゃった」

「あ! アリッサ?」

「どうも。お久しぶり……という、ほどでもないですね。元気そうだし」


 アリッサはルーシャが少し前まで働いていた食堂の一人娘だ。

 宿場町で家の手伝いをしながら、小さな教会でシスターの仕事をしていたはずなのだが、何故か今ここに来ている。

 服装もいつもの店でいるジャンパースカートや、教会のシスターのものではなく、短めのマントがついたローブのような濃紺のワンピースである。


「トーラストにいるとは思わなかった……」


「はぁ、それが……ちょっと色々ありまして……あ、これ、いつもの母が作ったエッグタルトです。ルーシャさんには私が作った……マフィンも……どうぞ」


「あぁ、ありがとう……じゃあ、せっかくだから奥でお茶でもいれるか……」


 帰る前に軽くお茶の時間になってしまったが、アリッサに会えたリィケが嬉しそうだった。




 とりあえず、退治課の事務室に入ってもらい、奥の休憩場で簡単に淹れた紅茶をアリッサに出す。イリアもちゃっかり紅茶とエッグタルトを取り分けていた。


 アリッサはルーシャの真向かいに座ると、少しはにかみながら紅茶に口をつける。いつも接していた彼女と違う様子に、ルーシャは首を傾げたが、それ以上は特に気にすることなく会話を続けた。


「何でアリッサ、君が此処に?」


「実は……ルーシャさんが店を辞めた直後、母と一緒にトーラストへ引っ越してきたんです。店もこちらで開くことになって……」


「え? 店ごと!?」


「はい、あの……実はとても条件の良いトーラストの土地と店舗を、伯爵とサーヴェルト様から母に……と、無償で贈られたので……」

「ぐっ……!? ゴホゴホッ!!」


 思わずルーシャは紅茶で噎せる。

 この頃、飲み物を飲むときは油断できないと思ってしまう。


「ラナとじいさんが何で…………」

「あんたが世話になったお礼だって言われたらしいわよ。でも、それだけじゃ土地つきの店舗が釣り合わないわよね~」


 イリアが横から話に入り、こっそり後付けをしてくる。


 たぶん、お礼の気持ちは二割、あとの八割はリィケの事の『口止め料』と『監視』……ではないかと言う。


「土地つきの店をプレゼントなんて、さすがラナとケッセル家よ……で、この子は今日、入所の手続きと軽く見学に来ていたわけ」


「……『入所』じゃなく『移動』だろ? アリッサはシスターだから祭事課だよな? 何でイリアと一緒に?」


「あの……実は来週から、私は研究課に勤めることになりまして……」

「へ?」

「えっ!? お姉ちゃん、シスター辞めたの!?」


 思いがけないアリッサの言葉に、ルーシャとリィケは目を丸くした。イリアはエッグタルトを頬張りながら、その様子を愉快そうに眺めている。


「実はね、アリッサがこっちに移動するって話になったとき、法術が使えないことをラナロアに相談したらしいのよ。じゃあ、いっそのこと魔力量を調べて、魔術の適性検査をしようか……ってなってね」


「もしかして、魔術師に?」

「……いえ、私……魔術の適性もありませんでした……」


「「……あー…………」」


 ガクッと分かりやすく項垂れるアリッサ。ルーシャとリィケは同時に『残念』というように声を出す。


「でね、魔術師は無理だけど、研究課の事務員兼助手の席が空いているから、そこへの転課をお願いしたのよ」

「私、母の店も手伝いたいので、時間帯も融通してもらえることになって……」


『時間の融通』……つまり、二十四時間いつでも手伝えということではないのか?


 ルーシャはこれからのアリッサの勤務に不安を覚え、イリアをジト目で睨んだ。


「ちょっと~、別にこき使おうなんて思ってないわよぉ! この子は大事な助手よ。それにもしかしたら今後、魔力が無くても、魔術研究者としての道が開けるかもしれないじゃない。リーヨォみたいに!」


「そういえば、リーヨォは殆ど魔力はなかったな……」


 トーラスト支部の『研究課』研究員のリーヨォは人形使い(ドールマスター)の資格を持ってはいるが、魔術らしい魔術はほぼ使えない。


 それでも、研究の分野に関しては誰よりも熱心で優秀だ。


「基本的な魔力操作しかできないけど、仕事量と知識量ならリーヨォが一番だもんね」


「私もリーヨォさんや、イリアさんみたいに頑張ります!」


「いや、アリッサ……ほどほどでいいから。こいつらは異常だから……もはや仕事中毒者だから……」


「ちょっと! 中毒なのはリーヨォだけ! あたしは違いますぅっ!!」


「でも……イリアもよく徹夜してるよね?」


 ルーシャたちは帰宅前の何気ない休憩を楽しんだ。







 翌々日、ルーシャとリィケは汽車で王都へ向けて出発した。


 今回は退治の仕事ではない。そう思えば多少気は楽である。


 しかし王都では、ルーシャとリィケ、それぞれが避けることができない難問が待っているのだった。



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不死<しなず>の黙示録
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[一言] >「……じゃあ、帰ったら抱っこして?」 きゃわわわわわ( ˘ω˘ ) からの不穏な引き!!ww
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