命令と呪い
各地の【聖職者連盟】の支部の支部長は、その支部によって選定は様々である。
最終的に本部や他の支部からの承認が得られればよしとされるので、ほぼ自由に適任者を選んでいるといっていい。
ここ、トーラスト支部は世襲制と思われるほど、ある一族が支部の運営に携わっていた。
現在の支部長は、
『アルミリア・M・ケッセル』
そして、支部長を支える支部長補佐官は、
『サーヴェニアルド・D・ケッセル』
二人はルーシャの実の祖父母だ。
夫婦である二人は実に三十年以上、トーラスト支部の支部長と補佐官を担ってきた。
退治の名門でトーラストの街では、伯爵で領主のラナロアに次いで古い血筋でもある『ケッセル』の家。
支部長アルミリアはケッセルへ嫁ぐ前から、連盟のシスターとして働いていた。サーヴェルトはケッセル家の現当主であり、元魔王殺しでもある。
「本当なら昨日、話を聞こうと思ったが、アルミリアが休みを挟めと言うからな……」
「あら、だってルーシャたちは夜中に帰ってきたのよ。昨日は初めてリィケと一日一緒に過ごす日だったのだもの…………ゆっくりさせてあげても良いじゃない。ねぇ?」
ゆったりしたひとり掛けソファーで、アルミリアは紅茶を口に運んだ。
その横、別の椅子には不満そうな顔のサーヴェルトと、並ぶように腰掛けたラナロアがいる。
リィケ、ルーシャ、ローディスは、アルミリアの向かい側の長いソファーに座り、リーヨォはリィケの側に椅子と小さなテーブルを置いて、筆記用具とノートを用意していた。
「……おおよその話は聞いています。先ずは無事に戻ってきてくれて嬉しいわ。三人とも、大変でしたね」
「ご心配、ありがとうございます。支部長」
「………………ありがとう……」
「あ、ありがとう……ございますっ!!」
ローディスが頭を下げながら静かに答える。同時にルーシャもボソリと言い、リィケは二人の後に慌てて礼をした。
アルミリアは目の前の三人三様の挨拶にニコリとしながら、夫のサーヴェルトへ視線を向ける。
「……さて、サーヴェルトも、もう一度報告をお願いします」
「あぁ、俺からたいした報告はない…………今後のクラストの街の教会の調査は、本部から人員が派遣されてが行うことになった。それに関してはお前たちも知っていると思う。正直、俺が駆け付けた時にはほとんど終わっていたと言っていい」
ふぅ……と、サーヴェルトは少し困ったようなため息をついた。
「今回のことは本部長と話し合った末、悪魔によるクラストの町の乗っ取りだという結論に達した。クラストは大昔に曰くのあった土地であり、密かにそれを継続していた異端者も歴史の中でいたのかもしれない」
サーヴェルトの眉間にシワが寄る。
「……それは、これからの本部の調査次第ですね。あとは……リィケ。あなたが神の欠片を使ったと、報告書にはありましたが本当ですか?」
急にアルミリアに問われ、リィケはビクッとしながら何故かルーシャの方を向く。リィケの目は『言っていいの?』と、聞いているようだ。
「……本当のことだから、言っていいんだよ」
「うん! わかった!」
元気に返事をすると、拙いまでもリィケなりにアルミリアたちに起こったこと……主に『裏の世界』について話す。
サーヴェルトとアルミリア、ラナロアは静かにリィケの話をきいている。
ルーシャがふと横を見ると、顔を蒼くしたローディスが、紅茶のカップとソーサーを手に持ちカチカチ……と小刻みに震えていた。
「あ、あの……リィケ君って……まさか、さ……【サウザンドセンス】なので……しょうか……?」
「……言ってませんでしたっけ?」
「聞いてません……」
「すみません……それも他言無用でお願いします」
「うぅ……わかりました……」
リィケがルーシャの子どもであることと、人形の身体であることは教えたが、【サウザンドセンス】であることはまだだったらしい。
まぁ、ここまで話せばもう同じだな……。
またひとつ巻き込まれたローディスに対しもはや焦りもなく、ルーシャも紅茶が淹れられたカップに口をつける。
「……他にその場所で何かありましたか?」
「はい。えっと、お父さんがお母さんに……【魔王マルコシアス】に“ちゅー”されました!」
「ぐふぉっ!? ゴホッ……なんっ……リィケ!?」
「「「っ!?」」」
ほ、本当のことだけどっ……!!
ルーシャは茶を吹き出しそうになりながら、慌てて周りを見回した。
アルミリア、サーヴェルト、ラナロアは黙って目を見開き静止する。隣のローディスは先程から変わらず紅茶を手にしているが、その手が震えてほとんどがソーサーに溢れていた。
「ちゅー……って…………なっ!? ちょっと待て!! ルーシャ、お前【魔王】にキスされたのか!?」
「いや……それは、その……すまん……」
リーヨォは椅子から立ち上がり、ルーシャに掴み掛からんばかりの勢いでアルミリアとの間に入り込む。いつにもないリーヨォの迫力に、ルーシャは思わず謝ってしまった。
「マジか!? 報告書にねぇぞ!!」
「本当だよ。ね? お父さん」
「あ、うん……まぁ……」
「された場所は!? 額か、頬か……まさか、口にか!?」
「~~~~~~っ………………」
リィケに言われただけでも恥ずかしいが、リーヨォが更に場所を掘り下げてくるので、ルーシャは片手で目を覆って俯く。
「……あのなぁ……ルーシャ」
黙ったルーシャの上からリーヨォの声が降ってくる。しかしそれは、先ほどまでとは打って変わって、深刻で静かなものだった。
「俺は別にふざけているんじゃないぞ。これがどういうことか解っているのか? 相手はレイラじゃねぇ。【魔王】……つまり、お前は悪魔に口づけをされたんだぞ……?」
「…………あ……」
「問題は口づけだけじゃない。その後、何をされたのかだ」
リーヨォが言わんとしていることにルーシャは気付き、血の気が一気に引いていく。
――――――まさか…………
その様子を見て、リィケがルーシャの顔を覗き込むと、ルーシャが深く呼吸をしている。不安になり、思わずルーシャに尋ねた。
「お父さん、何ともないよね? 大丈夫だよね?」
「あ、あぁ……特に何も…………」
「何かあってじゃダメだろ。すぐにでも体内の魔力検査をする」
リーヨォの顔が完全に魔術の研究者になっている。
「“口づけ”ってのは、古来から強い魔法のひとつになる。善悪、強制、合意なども関係無いんだ」
結婚式での誓いのためのものと同じように。
騎士が主君の手に落とすものと同じように。
「『隷従』や『制約』が掛けられたりした場合、いざ悪魔と向き合う時にその命令……“呪い”が作動する。魔術によってはお前が操られて仲間が全滅……なんて事にもなるんだぞ!」
やはり魔術や悪魔の研究者だけあって、リーヨォはその脅威をよく解っている。いつも飄々としているリーヨォが、焦りを含ませた表情でルーシャに詰め寄った。
「支部長! ルーシャを今すぐ研究室に……」
「リーヨォ、魔力検査は必要ない」
ルーシャを連れて行く許可を取ろうと振り返ったリーヨォに、低く強めの命令口調の言葉が投げられる。
「えっ? でも、サーヴェルト様……」
「…………じいさん?」
「今のところ、ルーシャに特別何かがあるようには見えない……」
サーヴェルトは座ったまま腕組みをし、ルーシャを見据えていた。焦りの様子はどこにもない。
「ルーシャ……何もないな? それとも、身体におかしな点があるのか?」
「はい…………何も……ないけど……」
「そうか、わかった」
頷き、そのまま口を閉じる。
いつもなら、サーヴェルトに対してすぐに顔を背けるルーシャだが、この時は祖父の顔を凝視した。
「……調べなくても、いいのか?」
「お前が大丈夫だと思うなら構わない。話をつづけよう……」
サーヴェルトがアルミリア、そしてラナロアに少し視線を送り、改めてルーシャたちに向き直る。
「他にこの報告書に無いものがあれば言え。今後の判断に必要かどうかはこちらで選別する」
何事もなかったように始めるサーヴェルトを、リーヨォは納得できない様子で見ていたが、アルミリアに声を掛けられ振り向いた。
「サーヴェルトがそう言うなら大丈夫よ。リーヨォ、取り敢えず座りなさい。あなたにもまだ、聞いてもらう事がありますから」
「はい……」
渋々ながらという顔で、リーヨォは座っていたイスへ戻る。
各々がもとの席に落ち着き、再び報告が続けられた。
ルーシャの件以外はほぼ、まとめた報告書通りで特に新たに加わる出来事は無かった。
「……以上、トーラスト支部ではクラストに関して、ここから更に調査することはないはずだ。来週には本部の研究員に引き継がれ、うちの司祭……レバンも引き上げてくるからな」
サーヴェルトがリーヨォに書類をまとめファイルを渡す。リーヨォはそれを仕舞い、今度は別の書類を出してルーシャとリィケの前に差し出した。
何かのレポートの束と、よく見ると汽車の切符が置いてある。
「リーヨォ、これは……?」
「本部の研究課の『【サウザンドセンス】に関する研究』を一部抜粋したものだ。今回のことで本部長がリィケに、連盟本部の研究課へ来るように要請してきた」
ルーシャたちが帰ってきたと同時に、この資料と汽車の切符の入った封筒が送られてきたという。
「まぁ、【サウザンドセンス】の研究機関への出向要請ですが、リィケに是非遊びに来てほしい……と、ミルズナ王女からの伝言もありました。難しく考えずに気楽に訪ねてはいかかですかね」
「そうなんだ……うん、行きたい!」
ラナロアがリィケに笑いかける。
クラストでの一件で、リィケはミルズナとすっかり仲良くなっていた。封筒にはリィケの名前があることから、おそらくルーシャは保護者ということで、今回はオマケに呼ばれているようだ。
「では……リィケ、それにルーシャ。あなたたちは明後日、本部のある王都リルディナへ向かってもらいます。期間はだいたい一週間。ルーシャは復帰したばかりなのに落ち着かないとは思うけれど……」
「大丈夫です……分かりました」
「はい! いってきます!」
……報告はこれで終わりのようだな。
ルーシャとリィケは支部長室の扉を開ける。ルーシャの視界の端に、ローディスとアルミリアが何かを話しているのが見えたが、祭事課の用事らしいので関係ないと思い、リィケと一緒に部屋を後にした。
「おい、ルーシャ!」
「ん?」
支部長室から退治課への途中の廊下で、ルーシャはリーヨォに呼び止められた。苦いような表情から魔力検査の話だと、ルーシャはすぐに察する。
「サーヴェルト様は必要ないと判断したみたいだが……俺は調べた方が良いと思う。お前だって、その方がいいだろ?」
「確かに……」
普通なら、少しでも危険があるなら調べるはずだ。
だが…………
「少し……様子を見てもいいか?」
「あ? 何でだよ?」
「いや、何か……じいさんの様子が変だったなぁ……って……」
「…………サーヴェルト様の?」
「おじぃちゃんがどうしたの?」
あの場所……クラストの教会で、じいさんも【魔王マルコシアス】を直に見ていたはずなのに……。
「じいさんが、あの日からマルコシアスのことを一言も言わないんだよ……いや、じいさんだけじゃなく、ラナロアも支部長も何も言わなかった」
「確かに……」
ルーシャの言葉にリーヨォも考え込んだ。
「……分かった。でも、ひとつだけいいか、ルーシャ」
「何だ?」
「お前、マルコシアスに何か『命令』等されていないか?」
口づけで魔法を掛けられたのなら、その後に『制約』を課せられる。
「それは、少し思い出してみる。色々あって思い当たるものがわからない」
「……そうか。何かあったら言えよ」
「分かった」
リーヨォはため息をつきながら研究室へ戻っていく。
それを黙って見送っていたが、服の裾をリィケが引っ張っているのでルーシャは顔を向ける。
「お父さん、本当に何ともないよね?」
「…………ない」
――――――たぶん……
実を言うと、ルーシャには思い当たる言葉がある。
それは、レイラもマルコシアスも『同じこと』を言っていたのだ。
『私といては駄目』
『我と我の仇を追うことは決して許さぬ』
これが“呪いの言葉”ならば…………
――――――オレは、レイラの仇を捜せない。




