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Thousand Sense〈サウザンドセンス〉  作者: きしかわ せひろ
第三章 五年前と二年前
51/135

鐘、響く前に。

今回から三章になります。

 ――――五年前。


 コツコツコツコツ………………


【聖職者連盟】トーラスト支部。


 時刻は夕方。

 普段は白を基調にしている建物内の長い廊下は、窓から射し込んだ夕陽によってオレンジ色に染まっている。


 コツコツコツコツ………………


 人があまりいない廊下には固い靴の音が響いていた。


 夕方のこの時間は、支部の隣に併設されている神学校の学生はほとんど帰宅しているため、支部の廊下を歩いているのはここに勤めている職員だけである。


 コツコツコツコツ………………



「あ、お疲れ様で――――――ひっ……!?」

「………………」


 コツコツコツコツ………………


『彼』が廊下を進んでいく。すれ違う他の職員たちは、彼に道を譲り壁にもたれている。皆一様に青ざめたような顔で彼を見送った。


 なぜなら廊下を歩くその人物は、頭の先から服、ブーツに至るまで、べったりと“赤黒い血”で染まっていたからだ。


「………………」


 黙ったまま、彼は更に進んだ。

 しかし、中には勇気を振り絞って彼に話し掛ける者もいる。


「あ、あの! お待ちください! お怪我をしているなら、先に医務室へ…………」


 ピタリ。


 動きを止めて、彼は話し掛けてきた若い僧侶へ視線を向けた。


「………………大丈夫だ」

「でも…………」

()()()()()()()()()()…………」

「え……?」


 しゅううぅ…………


 服や頭から蒸気のようなものが上がって、血の色が引いていく。


「“悪魔の血”は、放っておけば乾いて消えるから…………」


 コツコツコツコツ…………


 声を掛けた僧侶は呆然と彼の後ろ姿を見つめた。


 “悪魔の血”が消えた姿は、全身が白を基調にしたコートのような退治員の制服。

 固そうな質の髪の毛の色は『銀紫』である。


 建物の外は陽が傾き、廊下を照らすのを止め始めている。


 薄暗くなった廊下に、ルーシャが歩く靴音が響いていた。









 ――――――現在。


 トーラストの街、深夜。

 ルーシャ宅。



 ぺたぺた……ぺたぺた……


 ガチャ……キィ……


「…………おじゃましま……す……」


 ルーシャの部屋はリィケと同じ二階にある。

 二階には部屋が四つほど在るが、リィケの部屋とルーシャの部屋はそれぞれ東側と西側の端だ。


 リィケは自分の部屋から、こっそりとルーシャの寝室まで来ていた。



 一度、ルーシャより早く寝たリィケだったが、一昨日も昨日も昼間は家の中で静かに遊び、身体のエネルギーもさほど消費していない。よって、思ったよりも早く目が覚めてしまった。


 しかし、今はまだ深夜だ。このまま起きて活動すれば、一日で使う身体のエネルギーを変な時間で消費してしまい、仕事から帰る前に倒れるなんてことになりかねない。


 なんとか二度寝しようと思ったのだが、新しい環境に来てからまだ二日。

 なかなか眠れないうえに、ルーシャが同じ屋根の下にいるのが嬉しくて、どうせなら一緒に寝ようと枕を持参で忍び込んで来た。



 さすがにこの時間はルーシャも深く眠っているようだ。

 きっとこれが退治の仕事中だったら、とっくにリィケは気配で気付かれているはずである。


「……………………」


 よし……お父さん、寝てるよね。


「よいしょ……」


 ポフッ。そっとルーシャの隣に枕を置いて、潜り込もうと隣に座った。

 朝起きたらビックリするだろうかと、わくわくしながら寝ているルーシャの顔を覗きこむ。


「………………ぁ……」


 リィケは小さく声をあげると、数分の間、ルーシャの顔を黙って見つめていた。






 東の空が薄藍から白く光を広げている。


 この街で一番高い建物は、【聖職者連盟】の建物にある時計塔であった。その先端、小さな窓から中年の男が外を覗き込むと、手にした懐中時計を掲げる。



 男が再び顔を引っ込めてしばらくすると、


 カラァ――――ン……

 カラァ――――ン……


 朝六時、トーラストの街には朝一番の協会の鐘が鳴り響いた。

 この街の者は鐘の音と共に一日を始めている。





 その音はそこからさほど離れていない、ある一軒の家にも届いた。




「…………びっくりした……」


 起きたルーシャはまだ眠たそうにポリポリと体をかいている。ベッドにはルーシャが座っているが、その側のシーツの中から脚が二本飛び出していた。


 一番の鐘が鳴る少し前、ルーシャの顔面に蹴りが飛んできた。

 たいした威力はないが、自宅の寝室ですっかり油断していたルーシャは、寝耳に水…………ではなく、蹴りで飛び起きる羽目になったのだ。


「夜中に潜り込んできたか…………でも、なんで逆さに……?」


 ペラリとシーツをめくると、枕のようなまん丸のペットの仔悪魔『ムゥ』を抱いたリィケが、ルーシャに足を向けて熟睡していた。


 どうやら、リィケはかなり寝相が悪いらしい。


「…………起きるか……」


 ルーシャはパジャマから簡単なシャツに着替えると、リィケをベッドに残したまま、下のキッチンへと朝食を摂りに向かった。

 人形のリィケは食事を摂らないので、その分を少しでも睡眠に充てて連盟での活動に余裕を持たせようと思ったのだ。



 ――――リィケはもう少し寝かせておこう……


 ルーシャはあくびとともに背中を伸ばした。

 その時、体が少しだけいつもと違うことに気付く。


「あれ……体、軽い……?」


 そういえば、いつもより目覚めがはっきりしている気がした。


 調子が良いなら、良いにこしたことはない……か。


 仔悪魔用のパンだけ取り分けて、ルーシャはコーヒーを煎れるために台所のストーブに火を点けた。







 朝二番の鐘が鳴るころには、二人は連盟の退治課の事務室へ到着していた。

 ルーシャにとっては復帰して初めての出勤になる。


 与えられた机はリィケと共同であり、必要な文具や退治の仕事の書類は既に揃えられていた。

 その中にリィケのものであろう、幼児用の単語練習のノートがある。



「そういえば……リィケ、お前……文字とか書けるのか」

「少しだけ。でも、ちゃんと文字は読めるよ!」


 よく考えれば、リィケはまだ5才だ。

 普通の五歳児というのは、簡単な読み書きくらいはできるものなのだろうか?



 さらに、書類に混ざって何冊か絵本が置いてあった。


『そうせいの神さまが世界をつくった日』

『こども あくまじてん』

『こども お仕事の本。そうりょの仕事』



 たぶん、これで勉強しているのかも……?


 ルーシャは自分の記憶を辿ってみたが、例え読み書きができていたとしても、連盟の事務仕事ができるとは思えない。


「…………リィケ、退治が終わった後の『報告書』の書き方とか……分からない、よな?」

「えっと……一応、僕もルーシャの手伝いはしたいから、練習はしてるよ。ほら!」


 どうやら、この間のクラストの事を書いたらしい。


 説明欄に『ピカッとひかったら、べつのばしょにいました。あくまはみんなでたおしました。たいへんでした。』


 ………………。


 正式な書類じゃなくてよかった。


 きっと、簡単な読み書きははラナロアが教えたのだろうから、ここは問題ないかと思われる。しかし、書類の書き方……もとい、文章の書き方などは五才の子供がすぐに理解できるものではないだろう。



 五才じゃ『普学』も通えないもんな……。



 この国では、最初に通う学校は『普学』……【普通基礎学校】と呼ぶ。

 通常の子供は、八才から十五才までの間でのどこか二年間、簡単な教育を国の補助で受けられるようになっているのだ。


『普学』を卒業後、その後は任意で『神学校』や『教育学校』に進む。更にその上は分野別の『上位学専門学校』もあり、医者や学者などを目指す者が入る。


 『普学』や『神学校』の他は多大な学費が掛かるので、進学する者はよほどの金持ちか、奨学金を貰えるくらい優秀な者だろう。


【聖職者連盟】に入所できる者は、ほとんどが聖職者になるため、学歴は圧倒的に『神学校 卒業』だ。


 ゆえに平民は『普学』や『神学校』、貴族は『神学校』や『教育学校』までの就学が多く、【聖職者連盟】には平民や貴族が混ざって働いている。





 他の職員や退治員がいないのを確認して、ルーシャは小声でリィケと会話をする。


「取扱説明書のお前の設定……『神学校 卒業』になっていたけど……」


「卒業じゃないと、Aランクのルーシャと組むのが()()()だからって……ラナやおじいちゃんが……」


「……ラナロアもじいさんも、肩書き気にしなくてもいいのに……習ってないものを習った振りは厳しいだろうが……」


 おそらく、ルーシャの復帰を周りに納得させるためだ。他の人間にケチをつけられないように、パートナーであるリィケの学歴をかなり大胆に詐称してしまっている。



 少しだけ気持ちは分かるけど、これじゃリィケが苦労するじゃないか。この子が勉強始めてどのくらいなのか知らないが、すぐに繕えるものじゃないだろ……。



 リィケがこれから退治員をする過程で、他の人間から学力などで不審がられないようにしなければならない。


 ほとんどの場合、他の支部から一緒に仕事をする人間が来た時など、リィケの事情を知らないのだ。覚えていて当たり前、ということで接してくる者もいるはずである。


 しょうがない。リィケには、これから少しずつ勉強も教えてやるしかないか……。



 しかしパートナーを組んで一緒に仕事をし、ルーシャが勉強まで教えるとなると、今度はルーシャの鍛練の時間が取れなくなる。さらに、ルーシャは司祭の資格もあるので、祭事が関わる仕事にも喚ばれる場合があるかもしれない。


 できれば、勉強だけは別の人間が交互に教えてくれるのが理想だが、協力してくれそうな人は…………


 ルーシャが考え込んだ時、入り口のドアがノックされた。最初から開いていたので、ノックの主はちょっと顔を覗かせた。


「あの…………ルーシャくんとリィケくんは、出勤していらっしゃいますか……?」

「あ、えーと……ローディス神父……?」


 祭事課の司祭のローディスが半分隠れるように立っている。その後ろから、黒い人影が遠慮なく割り込んできた。


「よう、来てたな。お前ら今すぐ取り調べだ! この神父さんと支部長室まで来い!」


 研究課の人形使い(ドールマスター)のリーヨォである。



「……ったく、お前らが動くと何かしら面白くなるな。おかげで俺とイリアは今日から徹夜だ」


 リーヨォは皮肉めいた笑みを浮かべて、事務所から出るようにルーシャとリィケを促した。






 リーヨォを先頭に、四人は廊下を進んで支部長室へ向かう。


「……だいたいは解ると思うが、支部長にはクラストでの出来事は報告書であげている。お前たちやローディス神父にはそこに書かれてないことや、細かい事、気になった点などを報告してもらうようになるな」


 廊下には他の職員たちも歩いているせいか、リーヨォはやや小声で説明する。


「ねぇ、僕の話ももう一回全部するの?」


 リィケがリーヨォの横へ並び見上げながら尋ねると、リーヨォは小さくため息をついた。


「一応な。ちゃんと聞いたのは俺とイリアだけだし、ローディス神父は何も知らないだろ?」


 チラッとリーヨォはローディスを見たので、ローディスは軽く顔をひきつらせている。


「…………あの、私はどこまで聞くことになるのでしょうか……?」


 ローディスが尋ねた時、ちょうど一行は『支部長室』の前に到着した。


 リーヨォはローディスの肩に手を置く。


「神父……」

「はい?」

「“毒を食らわば皿まで”……って、知ってますね」

「……………………」


 別に悪事に手を染めているわけではないが、リーヨォの目が『諦めろ』と言っていることに、ローディスの顔には絶望の色が滲み出ている。


 完全に巻き込まれたな……この人……。


 ルーシャとリィケは静かにその光景を眺めた。




 コンコン。


「支部長、ルーシャたちを連れてきました」


 リーヨォが扉を控えめに叩く。


 中から『どうぞ』と落ち着いた声が聞こえ扉が開かれた。



「ありがとう、リーヨォ。これで全員かしら?」


 部屋の奥の正面、大きな机の向こうに年配の女性が座っている。


【聖職者連盟】トーラスト支部支部長。

『アルミリア・M・ケッセル』は、ルーシャたちを見て優しく微笑んでいた。




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きしかわせひろの作品
Thousand Sense〈サウザンドセンス〉

不死<しなず>の黙示録
― 新着の感想 ―
[一言] やっぱリィケがヒロインやな( ˘ω˘ )
[良い点] 『ピカッとひかったら、べつのばしょにいました。あくまはみんなでたおしました。たいへんでした。』 可愛い報告書に萌えました。 [一言] でも、一人前として仕事をしようと思ったら……大変です…
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