リィケの事情
聖書にある創世記より。
『千の心を持つ神は九九九個で命と世界を作った』
この世界は神の一部であり、全てである。
【命】というものが神の一部【自然物】に宿れば、それは創世の神の子どもであるということ。
つまり、人間も悪魔も自然界にいる精霊も、命ある全ては神の恩恵を受けることができる存在なのだ。
しかし宗教とは常に、人間の解釈によって【命】の定義を変えてしまうものである。
「【生ける傀儡】…………って……」
「“義肢”みたいなものだ、って言われた」
首のチョーカーを戻しながら、リィケは寂しそうに目を伏せた。
今までリィケが店に来たときに、いつも料理を持ち帰りにしていたことや、出された水を全く飲まなかったことなど合点がいく。
人形の身体は食べ物を摂取しないのだ。
「……五年前のこと、覚えていたりするのか……?」
「覚えてない。身体を盗られた記憶も無いし……僕は性別も解らないくらいに、“魂の情報”が少なかったって。リーヨォとイリアが言ってた」
「やっぱり……リーヨォとイリアが製作者か……」
リーヨォは連盟の中にある『研究課』に属する人形使いである。
イリアも『研究課』にいる死霊使いだ。
この二人は、ルーシャが神学校の学生の時からの付き合いで、二人とも妻のレイラと同級生であり、彼女の親友だった。
街道を歩きながら、リィケはぽつぽつと話をした。
「僕は“魂”だけで家の中を漂っていたところを保護されたの。全然しゃべれないし、何も覚えてない。本当にルーシャとお母さんの子どもかも解らない。その時ひとつだけ分かったのは、僕が“死霊”じゃないことだけ……」
そこから三年、自我が目覚めるまで研究者たちにより、封印された水晶の中で毎日毎日調べられた。
四年目はやっと話せるようになり、今度は身体を造るために試行錯誤が繰り返され、人間の日常の事を色々教えられた。
さらに五年目、与えられた身体にも慣れた頃に「何がしたい?」と聞かれてリィケは答えた。
「お父さんと一緒に、お母さんの仇を討ちたい」と。
多少、身元や年齢を操作してもらい、見習いの退治員として登録してもらった。しかしパートナーは、なかなか決まらない。
事情を知らない退治員とは組めず、リィケを知る者は退治員としては現場に行かない者ばかり。
訓練だけの日々、悪魔を探しに行くことも許されず、ただ変化を待つしかないように思えた。
「……だから、直接オレのところへ来たのか……」
「お父さんなら……解ってくれるかな……って」
「……………………」
だが、実際のルーシャは何一つ、リィケのことは知らされていなかった。それどころか自宅にもほとんど居らず、聖職から離れた生活を送っていることが分かったのだ。
ルーシャのところへ行きたいと訴えても、許可は全然下りることはなかった。
だからリィケは自分で調べあげ、周りに『内緒』で宿場町へ通ったのだという。
「…………ちょっと待て。『内緒』…………?」
「うん、みんなにはルーシャの所へ行くって言ってない。だって、絶対『行くな』って言うんだもん!」
「………………それは……」
周りの人間がどのようなつもりだったのか、ルーシャにはその意図が分からない。だが、彼らはまだルーシャとリィケを会わせられないと判断していたようだ。
ルーシャはため息をついた。
もしかすると、この状況は非常にまずいのではないか。
何かあった場合、事情を知らないルーシャは、リィケを助ける術が見つからない。
さらにリィケの身体にも問題がある。
この事を知っていて、尚且つ連盟での居場所や本人が動ける自由を与えられる人物――――。
「お前の今の保護者は、“ケッセル”か? それとも“ラナロア”か?」
“ケッセル”とは、ルーシャの実家だ。
ルーシャの本名は『ルーシアルド・ケッセル』
トーラストの街では知らない者がいない悪魔退治の名門の家系である。
しかも、【聖職者連盟】トーラスト支部では、ルーシャの祖父母が支部長とその補佐官の役目を担っていた。
トーラストではケッセル家の名が大きすぎる。ルーシャが聖職から離れるためには、街の外で仕事をするしかなかった。
「今は、ラナのお家にいる。でも、おじいちゃんたちも僕の事は知ってるよ」
「ラナロア……か」
そして“ラナロア”
トーラストの街では、彼に意見を言える者はいないだろう。
「伯爵で、トーラストの領主だもんな……。確かにお前を隠すなら、うってつけだ…………」
その保護者、ラナロアに内緒で会いに来た。
ついでに、自分の本当の正体と身体の秘密まで、ルーシャにバラしてしまっている。
本来ならば、リィケはトーラストの街から出てはいけない存在なのではないか。
そして【生ける傀儡】について、聖職者が関わるのは非常にまずいことがある。実際に生ける傀儡という、同名の物質系悪魔がいるからだ。
物質系の悪魔は主に、作られた道具などに悪霊が憑いて生まれるものだ。つまり、人工的に作ることも可能な悪魔だと言ってもいい。
大抵は負の感情を持った死霊が宿っているので、まず間違いなく人間の命を取りに襲い掛かってくる。ほぼ百%、退治の対象になるのだ。
同じような感じで精霊が人間の物に宿ることもあるが、そういう彼らは人間好きが多く、協力関係になるためこれは歓迎される。
故に、悪魔に関して僧侶の半数以上は「物質系悪魔は創世の神を冒涜した存在である」と認識している。
そのせいで人形使いや死霊使いなどの魔術師は、聖職が強いこの国では肩身が狭い思いをしていた。
いくら死霊ではなく悪魔ではないとは言え、リィケを作ったのは連盟に所属する人形使いと死霊使いだ。
そして、全て知っていて製造を容認したのは、聖職者であり退治の名門の当主であり連盟の支部長である。
さらに聖職が盛んな街の領主まで協力している。
これが意味する事。それは…………
「何か……色んな人にバレたら、みんな『しっつい』するって言ってたの。何だろ?」
「……『失墜』だ……。つまり、今の生活ができなくなってしまうという意味だ…………」
「そうなんだ……じゃあ、絶対バレないようにしないと!」
「…………………………」
たぶん、周りの破滅だけでは済まされない。
もし連盟の上層部に知られることとなれば、リィケ自身は何処かの研究施設へ送られ、人間ではなく悪魔として一生扱われてしまうのではないか?
胸に苦いものが込み上げてくる。
ルーシャは遠い目をして黙り込んだ。
何だか足下までふらつく気がしている。
そんなルーシャの横で、リィケは無邪気に宿場町までの道のりを楽しんでいるようだった。
途中からかなり急いだが、二人は宿場町まで無事にたどり着いた。
「珍しいこともあるものねぇ……。ルーちゃんが遅刻ギリギリで来るなんて……しかも、リィケちゃん付き」
「いいじゃない、母さん。ルーシャさんだってそういうこともあるわよ」
いつもは勤務時間前に余裕で店に着き、時間まで裏で雑用を手伝うルーシャが、勤務時間五分前にリィケと駆け込んで来た。こんなことは、ルーシャがこの店に勤め始めてからあまりない。
現在、朝の忙しい時間が過ぎ、ハンナはテーブルを拭きながらニヤニヤとリィケを見ている。厨房では朝晩だけ手伝いに来る、ハンナの18才になる娘のアリッサが皿を洗っていた。
アリッサは焦げ茶色の髪を三つ編みにし、同じ色の大きい瞳が可愛らしい小柄な女性だ。知り合いたちは何も言わないが、大柄で屈強なハンナとはあまり似ていない。だが、ちゃんと二人は本当の母子である。
「あの……ルーシャさん、どうかしましたか?」
ルーシャが厨房の隅の壁に項垂れるように寄り掛かっているので、視界に入ってしまうアリッサは気になって尋ねた。
「…………あれは脅しだ……」
「えっ!? 脅迫ですかっ!?」
「あ……いや、何でもない。気にしないでくれ……」
脅迫とは『弱味を握られて』いることである。
逆に『弱味を握らせられて』いる状態はどうなのだろう?
ルーシャは正直、リィケの身体の事までは知りたくなかった。知ってしまえば、普通の子供として接することはできない。只でさえリィケの扱いに戸惑っているというのに、トーラストの街の命運まで掛かっている。
「ねぇ、ちょっと……ルーちゃん」
「……え? はい」
「リィケちゃん、お願いできる?」
「へ?」
すっかり考え込んでいたルーシャは、ハンナに声を掛けられ顔をあげた。ハンナの指差す方を向くと、いつもの奥のテーブル席でリィケが突っ伏している。
「…………寝てる?」
ルーシャが近付くと、リィケからすやすやと寝息が聞こえてきた。息を必要としない人形の身体が、息の音に合わせて微かに上下している。
「きっと、ルーちゃんに合わせてきたから疲れたのね。このまま昼になると店も混むし…………上の休憩室に寝かせてあげましょうか。運んであげてちょうだい」
「……分かりました」
ルーシャはリィケを横に抱き上げた。やはり分かりやすく寝息をたててはいるが、感触でリィケに体温が無く、人形の無機質な硬さが腕に伝わってくるのが分かった。
その体温もリィケが人形だと知らなければ、厚手の服装で充分誤魔化すことができる。
人形って眠るのか……?
体温以外は人間にしか見えないな……。
きっと寝息はわざと付けた機能だ。見た目に寝ていると分からなければ、人形とバレる前に死んでいると思われて大騒ぎだろう。
うっかり他人の前で気を失った時などには、この小細工は必要なものなのだ。
生ける傀儡がどういう構造かは知らない。しかし、人形使いのリーヨォがこういう細かい細工を施す人物だと、ルーシャはよく知っていた。
休憩室までリィケを運び、仮眠のためのソファーに寝かせておいた。リィケは幸せそうな顔で、むにゃむにゃと寝返りを打っている。
「呑気なもんだな……退治員のくせに……」
ポツリと言葉が漏れた。
ルーシャの子どもが生きていれば5才。
リィケはどう少なくみても12、3才。
単体で退治員として登録しているのなら、おそらく年齢は15才と偽っているのだろう。
しかし、人形の身体ならば中身の年齢をいくら偽っても、簡単にバレはしないと思われる。身分さえきちんと証明されるものがあれば、本人に根掘り葉掘り聞くということはされないはずだ。
ケッセル家や伯爵家が後ろ楯なら、急な登録も文句一つ言わせないだろう。
リィケは仇を取ると言っていたが、中身5才の子供がどのくらい戦えるものなのか。
なぜ、周りの大人たちはこの子の無謀な申し出を止めずに、むしろ協力しているのだろうか。
ルーシャは顔を歪める。
何も分からないやりきれなさに、思わずリィケの寝顔をじっと見てしまう。
「ルーちゃん、ずいぶんリィケちゃんと仲良くなったのねぇ。何かあったの?」
「っ!? な……何でもないです……」
いつの間にかハンナがルーシャの背後に立っていた。ニヤリとした口元に手を当てて、面白そうに尋ねてくる様子に、ルーシャは慌てて仕事に戻っていった。
――――五時間後。夕方。
「で…………ルーちゃんが何回か起こしに行っても駄目でね……」
「リィケくん、起きる気配ないんだ?」
店の厨房ではハンナと、夜の手伝いに来たアリッサが心配そうに向き合っていた。
二階の休憩室。
店が食堂から酒場に切り替わる時間になっても、リィケはソファーでぐっすりと眠っている。
「これは…………“保護者”の出番だよな……」
休憩室でルーシャは大きくため息をついた。