別れの言葉
例え廃墟でもここは聖堂であった。
今は夕方を過ぎ夜であるはずなのに、この世界のステンドグラスの大窓は朝陽を通したように、白い光が様々な色彩を通して祭壇を照らしている。
まるで、そこにいる二人を祝福するように。
リィケはよく、トーラストの教会の大聖堂で行われる結婚式を、窓の外からこっそり見るのを楽しみにしていた。
やはり、教会と言えば結婚式は一番のイベントだと、リィケはいつも思っている。
前日は聖堂のあちこちに白ゆりやバラが飾り付けられいく様子を眺めて、当日は花嫁の美しさにため息をつきながら過ごす神聖な時間。
神父の言葉が終わると、互いに誓いあって花嫁のヴェールが上げられる。
その光景をリィケは一緒によく遊ぶ子供たちと、キャーキャーと見ているのだ。特に女の子の友達はうっとりと、憧れの眼差しを向けている。
自分の両親も結婚して夫婦になったというのを聞いた時、「いいなぁ……お母さんたちの結婚式、僕も見たかった!」と発言して、メイドのマーテルやマリエルが笑いながら写真を見せてくれた。
それは聖堂の祭壇の前に立つ、ルーシャとレイラの幸せそうな二人の姿。
――――結婚式だ…………
リィケの瞳には、そう見えた。
ここが異様な空間の廃墟の教会であることは理解している。
ルーシャが傷だらけで座っているのも。
レイラが金色の瞳を持った悪魔だということも。
あの時の幸せそうな笑顔とは違うと、頭では理解しているのだ。
それでも……とても美しいと感じる。
とても長く思えた一瞬の出来事だった。
やがて、レイラの顔がゆっくりとルーシャから離れ、再び見下ろすように立ち尽くす。
ルーシャは目を見開いたまま、しばらく微動だにしなかったが、我に返った瞬間に慌てて立ち上がろうともがいた。
「……レイラっ!?」
「魔王殺しよ、戯れ事は終わりだ。残念だが、今の我は貴様の妻ではない。人間であったレイラは契約を結び、【魔王】である我に身体を明け渡した」
冷ややかにルーシャを射抜くような視線は、リィケがアルバムで見たレイラの表情ではない。
悪魔、それも金の瞳を持つ【魔王階級】としての威厳に満ちた姿。
「何で、レイラが……【魔王】に……?」
ルーシャは血の気の引いた顔でその場に凍り付く。
「『自分を害した者は自分ひとりで探す』この身体が…………自身が望んだのだ。貴様は邪魔だ、レイラは貴様を必要とはしなかった」
「………………」
「貴様が退治員を続けたくば続ければ良い。しかし、我と我の仇を追うことは決して許さぬ。これを行った場合、貴様は更に喪うことになるだろう……!!」
レイラはリィケとライズの方へ顔を向けた。数秒、二人を見つめた後に目を伏せる。
沈黙したルーシャは、完全に床に座り込み抗うこともしなくなった。
しばしの静寂が廃墟の聖堂を支配する。
聖堂全体の光が弱くなり、いつの間にか夜のように暗くなっていた。
「失礼致します。そろそろ、戻らねばなりません……」
緊迫した空気を動かしたのは、狼の面を被った精霊使いのルーイだった。彼はいつの間にかリィケたちの後ろに立っている。
「……時間か?」
「はい。もう、ロアンが限界かと……」
そう言ったルーイの前には、彼に寄り掛かり眠そうなロアンが立っていた。支えがなければ倒れそうだが、それでも目を擦り、何とか起きようと努力はしているらしい。
レイラはヴェールを被りながら、ルーシャに背を向ける。
「ロアン、もう良い。『表』へ行くぞ」
「はい……ははうえ……」
ピシッ……!
ロアンが返事をすると同時に、何かに亀裂の入ったような音が響いた。
同時刻、クラストの大聖堂。
すっかり陽が落ちて、内部では壁に付けられたランプが頼りなく辺りを照らしている。
「……痛て……あれ? 私は何を?」
「あぁ、やっと目が覚めましたね」
ルーシャや悪魔たちの姿が消えてから、残されたレバンとミルズナは呆けていたクラストの僧侶たちの回復と、聖堂の大扉の解錠に奮闘しているところだった。
ギィギィイイイ…………
錆び付いたような重い音をさせながら、レバンと僧侶数名が大扉を押して開け放つ。
「ハァハァ……おかしいなぁ、こんなに扉が重いことなかったんだけど……ハァ……」
クラストの若い僧侶は息を切らせている。
「たぶん、効果は切れかけているけど、物理結界のせいだと思うよ。ずいぶん頑丈に閉めていたんだね」
レバンが扉の縁を指でなぞると、薄く紫色の煙が発生した。これは魔力によるものだと判断でき、レバンは顔をしかめる。
「えっと……皆さん目が覚めたなら、すぐにここから外へ。この聖堂はもう一度閉めさせていただきます!」
ミルズナに促されて、クラストの僧侶たちは全員教会前の広場へ集まった。そこには、先に外へ出ていたトーラスト支部やハーヴェ支部の者たちも揃っている。
「では、ミルズナ様も外へ。ここはボクが見張っておきますので……」
「いいえ、私もここへ残ります。私の側近であるライズもいませんし、この教会で起きている事は全て把握しておきたいのです!」
レバンは軽くため息をついた。
自分が言ったところで、ミルズナは動きそうにないとすぐに察したのだ。
「分かりました。それなら、扉は開けたままで…………カナリア牧師!」
「はい! どうしました!?」
レバンの呼び掛けに、広場にいたハーヴェ支部のカナリアが進み出る。
「教会の周りに浄化の結界を。もしかしたら、まだ悪魔がいるかも…………」
「動くなっ!! 人間どもっ!!!!」
「きゃああっ!!」
突然、カナリアが羽交い締めされ、喉元に短剣を突き付けられた。カナリアを押さえ付けている男は、クラストの僧侶の姿をしている。
広場にいる僧侶や退治員たちは、後ろへ下がるように命令された。
レバンとミルズナは各々の手に、数珠とメイスを握りしめる。
「どうやら、クラストの僧侶に紛れて悪魔の残党がいたようですね……さて、どうしましょう?」
「ミルズナ様、申し訳ありませんが……ボクは攻撃や回復の法術は使えません…………そちらは?」
「私も似たようなものです……」
二人は教会の大扉の所で一歩も動けない。
カナリアを押さえている僧侶の体が膨れ上がり、牛頭の悪魔の姿へと変化していくが、人質を放す様子は見られなかった。
「本部長ミルズナ!! 貴様だけ聖堂へ入れ!!」
「…………私が言うことを聞けば、その方を放していただけますか?」
ミルズナは真っ直ぐに悪魔を見据え交渉を持ち掛ける。しかし、そんな態度が癪に障ったのか、悪魔は興奮気味に叫んだ。
「黙って早く入れ、この女を殺すぞ!! そこの赤毛の神父は扉から離れろ!! それから、そこの退治員の男二人は武器を置いて地面にうつ伏せになれ!!」
「カナリア牧師……くそっ!」
「うぅっ…………」
自分たちのリーダーを盾に取られてしまったハーヴェ支部の退治員たちは素直に従う。
「ぐずぐず、するな! 本部長は早く中へ――――」
ヒュッ…………ズドゥ!!
悪魔のカナリアを掴んでいた腕と、短剣を持つ手が地面に落ちた。
「…………ぐわぁああああっ!!」
一瞬、何が起きたのか、周りにいる者も、悪魔自身も判断が遅れる。我に返ったカナリアは悪魔から飛び退くように離れた。
「カナリア様!!」
そこを退治員の男がすかさずカナリアを横からさらう。
悪魔の両腕は肩から切り落とされている。ちょうどカナリアには当たらないギリギリの位置だ。
しかし、悪魔の真後ろには誰もいない。
「ぐぉおお……誰が、こんな…………出てこい!!」
「あ~あ、弱い悪魔ほどよく吠えるもんだ」
いつの間にか、広場にいるトーラスト支部の僧侶たちが、ハーヴェ支部の僧侶を引っ張って二手に別れ、真ん中に道を作っていた。
そこを悠々とひとりの人物が歩いてくる。
肩に片刃の銀の大剣を担ぐ、大柄で筋肉質な年配の男性。
硬そうな頭髪はほとんどが白髪であるが、街灯の光に透けると所々薄い紫色で瞳は紫紺。
服装は青と金色を基調にしたコートのようなものであり、左の肩に近い場所には、十字架をモチーフにした【聖職者連盟】トーラスト支部のエンブレムが縫い付けられている。
「何だ、お前は……!?」
「………………」
男性は悪魔の問い掛けに目を閉じ、ポリポリと頭を掻いていたが、ふと横を見て突然のことについていけていないハーヴェ支部の僧侶と目が合う。
「あの……貴方は……?」
「ん? あぁ、オレか。オレは一応、【聖職者連盟】トーラスト支部の元退治員だ……名前は……」
「……このっ!! 死ねぇぇえええっ!!」
無視された悪魔は怒りの形相で男性の方へ体を向けた。
両腕を失くして自棄になっているのか頭から突っ込んでいく。
退治員の男性は避ける気配がない。
しかし一瞬、悪魔の視界から男性が消える。
ザンッ……!!
飛び込んできた悪魔の体が、縦に真っ二つに分かれた。
「うるせぇぞ、低俗野郎が」
片手で大剣を振ると、刀身に付いた血が地面に飛ぶ。
ズザァアアアッ!!
男性の両脇に悪魔の体が滑り落ち、蒸気をあげて消滅を始める。
わぁあああっ!!
広場に歓声が上がった。
トーラスト支部の僧侶たちは拍手や手を握り喜んでいる。
しかし、ハーヴェ支部の者たちのほとんどは、今の出来事に呆然とし、男性の方を見ていた。
若い僧侶が恐る恐る男性に話し掛ける。
「あの、ありがとうございます……貴方は……」
「ハーヴェでオレのことを知っているのは、そこのカナリア牧師だけだもんな……」
男性は大剣を腰に挟めていた布でくるみ、大きく息をつく。
「自己紹介をしよう。オレは【聖職者連盟】トーラスト支部、支部長補佐官の『サーヴェニアルド・D・ケッセル』だ」
「サーヴェルト様!!」
「サーヴェルト!!」
レバンとミルズナが笑顔で広場まで駆けてきた。
「おぅ、本部長もレバンも無事か?」
「はい! まさか貴方がここにいらっしゃるなんて! トーラストからは急いでも汽車で一日は掛かりますのに…………」
「それなら、昨日のうちに、ここの異変に気付いた者がうちの支部にいたのでね」
サーヴェルトが首をすくめてレバンを見る。
「もしかして……?」
「あぁ、トーラストに連絡をしたあと、オレが来るまでに町で色々調べて駅まで迎えにも来てくれた。だから、だいたいの事情は…………って、あれ? あいつ何処に行った?」
キョロキョロとサーヴェルトが周りを見回した時、教会から爆発したような光が発せられた。
「何だ!?」
「教会の中!?」
ミルズナがいち早く反応して大扉に駆け寄る。サーヴェルトとレバンが後に続いた。
「っ!? リィケ!! ライズ!!」
「ミルズナさん……?」
「……ミルズナ様」
ミルズナが最初に見たのはリィケとライズである。二人の姿にホッとしたが、奥に見える人物たちに一瞬で体が硬直した。
「どうした!? なっ……!?」
「そんな…………」
隣に立ったサーヴェルトとレバンも、奥を見据えたまま動きを止める。
リィケとライズよりも向こう、聖堂の主祭壇の前には傷だらけで座り込むルーシャ。そして、三人の人物。
「…………レイニール、王子?」
「レイラちゃん……?」
「……………………」
入り口に立つ三人を一瞥すると、レイラはヴェールを下ろし上に跳ぶ。
バサッ!!
レイラの姿が一度消えて、祭壇の上に大きな何かが着地した。
聖堂の正面……薄明かりの中に白い大きな『狼』が、白い翼を広げて座っている。
「我が名は【魔王マルコシアス】。我が声を聞くがいい、人間たちよ…………」
朗々とした声が外まで響きわたった。