守護者ロアン
「――――リィケ!?」
光に飲まれる瞬間、ルーシャは目の前のリィケの腕を掴んで引き寄せた。すると、リィケが退いた場所に黒い影だけが残り、それは徐々にハッキリしてロアンの輪郭をとる。
それが一瞬の出来事。
――――バチンッ!!
弾ける音と共に、ルーシャが立っている場所は廃墟の聖堂に変わった。
「……ロアン?」
「リィケの『ほごしゃ』……ぶじ?」
「あぁ、まぁ…………」
「……う、あ……え? ロアン?」
ルーシャがロアンに曖昧に返事をした時、腕の中で支えていたリィケが呻いて顔を上げた。
何も身体に変わった様子がないことを確認し、ルーシャはホッとしてリィケを腕から放す。
――――オレたちの他にはいないのか……?
廃墟の聖堂を見回そうとした時、
ガシャ……
近くで金属の音がして、ルーシャがハッとして振り向くと、顔をひきつらせたライズが近付いてくるところだった。
「ライズ……」
「…………何だ、ここは……?」
「えっと……ここが現実と違う『裏の世界』です」
「これがあの時言っていた『忘却の庭』という神の欠片か……」
リィケの言葉で理解はしたが、ライズは警戒を解かない。銃を持つ手は上に構えたまま移動している。
しかし、ライズはルーシャの隣に立った瞬間、目を見開き銃を下ろした。
「――――レイニール様っ!?」
今までリィケの前で冷静な表情を崩さなかったライズが、声をあげて動揺している。
その視線の先にいるのは…………ロアンだ。
「「…………へ?」」
「…………………………」
「……ご無事、だったのですね。ミルズナ様がどんなに心配していたか……」
王宮で王女であるミルズナに仕え、上級護衛兵という立場のライズが膝を折り頭を下げた。
理由が解らないルーシャとリィケは、ライズとロアンを交互に見つめる。
『レイニール』という名に聞き覚えはない。
「レイニール様……?」
「……………………っ!」
ライズに『レイニール』と二回目に呼ばれた瞬間、ロアンは無表情から一気に睨み付けるような怒りを含んだ顔になった。
「……ちがう、ボクは『レイニール』じゃ、ない」
ロアンはそれだけ言うと素早く向きを変え、音もたてずに走り出して主祭壇の上へ跳ぶ。
まるで鳥が降り立つようにふわりと台の上に着地すると、ステンドグラスの赤い光を背負って佇んだ。
「ボクは『しゅごしゃ』……この、せかいのひずみに、ときをうがつ、もの…………」
「な……!?」
リィケが驚いたように声をあげた。
「リィケ、どうした?」
「……何か知っているのか?」
「………………それ……」
「……………………」
ルーシャとライズは、向き合うリィケとロアンを見守るしかない。
神妙な空気が流れた……と思われたが、リィケが明後日の方角を見ながら難しい顔で悩み始めた。少し間を置いてロアンに向き直る。
「…………どういうこと?」
「…………しら、ない。ルーイが、いってた」
考えても言葉の意味が理解できなかったであろうリィケに、ロアンはくきんと首を傾げて答える。
言った本人も解らなかったようだ。
「本人が……知らないって……」
「解ったように深刻な顔をしないでくれないか」
「ご、ごめん……何か難しいこと言われて焦っちゃった」
ルーシャとライズが子供二人に軽く不満をぶつけ、リィケはそれに申し訳なさそうに肩をすくめた。
その三人の様子に祭壇の上から見ていたロアンは、ぷぅっと頬を膨らませている。
「ルーイのことば、むずかしい。でも……ボクのやくめは、ここで、あくまをたおす、ことだけ。それは、わかる」
「っ!? そうだ、聖堂にいた悪魔は!?」
「いま、くるよ」
「「「え?」」」
ロアンの言葉に三人が上を見上げたと同時に、
ガシャガシャガシャガシャガシャ!!!!
耳障りな金属音が天井から鳴り響いた。
聖堂の天井、ほぼ中心にあたる場所に光の球体が現れる。
「……まさか、さっきの悪魔があの中に?」
「あくま、ここへくるの、すこしおそい。じかんさ……」
ガシャガシャガシャガシャガシャ!!!!
――――ガシャンッ!!
球体を割るように黒い塊が飛び出して、ロアンとルーシャたちの間に落ちた。
「――――何だ、ここは!?」
ベクターが驚愕の声をあげて廃墟の聖堂を見回す。
人間も悪魔も信じがたい場面に遭遇した場合、同じことを言うものなのだなと、ルーシャたちは思った。
この悪魔もこの場所は始めてらしい。
「ええい! この場が何処でもいい、お前たちを殺すまでだ!!」
ベクター背後に、細かい金属が集まって出来た太い棒が現れた。それは半円を描くように先端の向きを変えると、そこには三日月を半分にした刃が鈍く光っている。
「鎌だ。すごく大きい……まるで…………」
――――死神みたい。
リィケがそう思った時、ベクターが大鎌を片手で掴む。もう片方の手には先ほどの小箱が握られていたが、ベクターはそれを頭上に掲げて握りつぶす。
砕けた小箱から真っ黒の灰が吹き出し、それはベクターの頭から足先までを覆った。
『「グルォオオオオオッ!!」』
複数の声が重なった雄叫びを発し、ベクターの身体が膨れ上がっていく。身体の骨格は人間というより熊などの猛獣を思わせ、背丈はルーシャの倍はある。
肌の色は褐色に変化していき、太く鋭い牙や角が異形の姿に拍車をかけていった。
リィケがルーシャの服の裾を強く握る。
「お父さん……シザーズ、あの悪魔の武器になっちゃったよ……」
「……詳しい説明は戦いの後でしてやる。今は殺られないことだけ考えろ」
「う、……うん」
ルーシャは悪魔の説明を省いた。
時間が掛かるというのもあるが、リィケがこの悪魔に対して必要以上に恐れを抱かないようにするためである。
シザーズだけならば中級悪魔だが、ある条件で上級悪魔に変化するのだ。
ある条件。
拷問器具に悪霊が憑いた物質系悪魔を、一般的に『シザーズ』と分類する。
そこからさらに魔力を大量に吸い、複数のシザーズが集合、合体したのが『デス・シザーズ』と呼ばれた。
そのデス・シザーズが強力な悪魔の使い手を得て、それの魔力と完全に融合した場合、全体を指す呼び方がある。
『「殺すゥゥゥゥゥッッ!!」』
キ――――ンッ!! と、辺りの空気が震えた。
巨大なコウモリの羽が広がり、紅く輝くステンドグラスとの対比でより漆黒に見える。
――――大鎌を携えた死の象徴。
「【死神の大鎌】か…………」
処刑場や忘れられた昔の墓場などに、よく現れる悪魔だ。系統としては物質系よりも魔族系に分類され、倒し方もそれに近い。
ルーシャはリィケを自分の後ろに隠すように立ち、錫杖を強く握った。法力ならば有効だからだ。
しかし、ルーシャたちのさらに前に、両手に銃を構えたライズが立ち塞がる。
「……そんな棒、効くわけないだろう。リィケと物陰にいろ! ここは俺が…………」
「“モア”! “ダグ”!」
ライズの声にロアンの声が被さった。
その瞬間、デス・サイズのコウモリの両羽が、血飛沫をあげて宙を舞う。
『「ギャアアアアアッ!!」』
ザンッ!! ザザンッ!!
デス・サイズの叫びの後、聖堂の石の床に鉈のような大剣と二本の大振りなダガーナイフが突き刺さった。
しかし、刺さった武器は勝手に床から抜けて、ふわりとロアンの近くまで飛んでいく。
「知性の剣……そういえば、大剣が浮いているのは見たが、ダガーもだったのか……」
“モア”と“ダグ”と叫んでいたのは、あの子たちの名前なのかな……?
あの剣たちはロアンの言うことを聞いているようだ。
「な、なんだ……あれは……」
「たぶん、精霊憑きの武器だ」
「レイニール様はあんな技は使えない……」
ライズは苦いものを噛んだように、顔を歪めてロアンを見ていた。
「違うのか……でも『王子』とそっくりだ……」
「『王子』?」
「ロアンは王子様なの?」
あの子、王子様というより野生児だよなぁ。
ルーシャは何となくだが、彼の言動から王族らしさは感じられないと思った。
「…………別人……でも」
ぶつぶつと考え込むライズ。
ルーシャには分からないが、レイニール王子とロアンは相当似ているのだろう。ライズはまだ別人として納得したようには見えない。
三人は特に手が出せず、ロアンが“モア”と“ダグ”を使ってデス・サイズの本体を切り刻み、ベクターの部分の悪魔を床へ縫い付けている様子を見守った。
ロアンはシザーズと戦った時とは違い、自ら手を下すことなく、勝手に動く武器たちに時折何かを指示するだけである。
おそらく最初の時に、攻撃範囲の広い武器の悪魔には生身の攻撃よりも、同類の知性の剣の方が有効だと学んでいたのかもしれない。
やはり、ロアンは戦闘に慣れている。それも、実戦から学ぶスピードが並ではないのだ。
――――もし、ロアンが見た通りの年齢なら末恐ろしい。
ルーシャは内心、ヒヤリとしたものを感じた。
『「このっ……ガキがぁあああっ!!」』
床に伏せたデス・サイズは血塗れの体を起こそうともがくが、悪魔の胴体の真ん中には大剣が、大鎌には二本のダガーがしっかりと床ごと突き刺さっている。
まるで、昆虫採集の虫のように。
「もう、おまえはおわり。おまえたちが、もっている『はい』は、かえして、もらう……」
ロアンが言う『はい』とは、イントネーションから『灰』だと聞き取れた。
デス・サイズは目を大きく見開き、祭壇のロアンを見上げた。
『「……っ!? 貴様、それをどこで……」』
「ルーイと『ははうえ』が、いってた。おまえには『はい』は、“ぶんふそうおう”だ……って」
分不相応。『ははうえ』という単語に、ルーシャとリィケはドキリとする。
「おまえが『はい』を、つかいきるまえに、とどめを、さす……」
ロアンはそう言うと、服の懐から何かを取り出した。
大事そうに両手に握り胸の前にかざす。
「「あっ!?」」
ルーシャとリィケが同時に声をあげた。
その手には『宝剣レイシア』の十字架があったからだ。
「ロアン!! それ、お父さんのだよ!?」
「おい! 何をする気だ!?」
「……だいじょうぶ、ちょっと、かりるだけ」
「借りるって……それは、お父さんしか使えないよ?」
「うん、しってる。このこにも、そう、いわれた」
「…………この子?」
三人はロアンの不思議な言い回しに首を傾げた。
祭壇の下、床にはデス・サイズが今にも抜け出しそうな勢いで暴れている。一方、マイペースなロアンは自分の服の白いマントの裾で、十字架をキレイに磨いていた。
「ねぇ、リィケ。このこ、なまえは?」
「へ? なまえ……名前? えと……“レイシア”だよ。『宝剣レイシア』」
急にロアンに話を振られたリィケは、ばか正直に答えてしまう。
「レイシア…………そう、いいなまえ……」
ロアンは十字架を撫でながら呟いた。
そして、おもむろにそれを両手で握り、
「レイシア、ボクをたすけて……」
言いながら上から勢いよく振り下ろす。
シャン……!
まるでガラス細工が揺れたような音がして、ロアンの手元が青白く輝く。
「…………そんな、嘘だろ……?」
ルーシャは呆然と祭壇を見上げる。
ロアンの手には、いつもよりも短い刀身の『宝剣レイシア』が握られていた。