退治員ルーシャ
ジャララッ!! ドザッ!!
手首の枷が割れ、両手を自由にしたルーシャは身体を縛っている縄を法力を纏わせた手で無理矢理外して、枷の欠片や鎖ごと床へ転がった。
「もう少しオレの法力が強かったら、牢屋で拘束を解けたんだが……手枷を引っ張るのが精一杯だった……」
「な……なぜ手枷が……!? それには魔法封じの呪が……」
「は……こんな大昔の、牢屋に備え付けの手枷を使ったら当たり前だ」
体を引きずるように立ち上がったルーシャは、割れて落ちた手枷の欠片を掌に握りしめる。
「……魔法を封じる力はあった。でも、法力を吸って熱を帯びるせいで、土台の金属は軟らかく脆くなる。一か八か、熱くして引っ張って壊れるか試した。元々、ここ……クラストの町で大昔に拘束された者は、悪魔憑きの普通の人間だ。そんなに強力な魔法金属は使っていないと思ったからな……」
それでも、彼の手首はぐるりと火傷でただれていた。
法力を込めて金属を熱し、何度も勢いをつけて引っ張って負荷を掛けていたのだ。
「このっ……再び縛り上げてやる!! 取り押さえろ!!」
「「「おおっ!!」」」
「やれるもんなら……やってみろ!!」
「…………死に損ないの退治員がっ!!」
吐き捨てるように悪態をつくが、ベクターは驚愕の色を隠せない。
宝剣こそ手には無いが、目の前に立つボロボロの人間が曲がりなりにも【魔王殺し】と呼ばれる存在である……と、ベクターに突き刺さる殺気が物語っていた。
祭壇の脇に控えていた僧侶たちが、一斉にルーシャに向かってくる。十数名ほどがいるのだが、何人ずつかが同じ顔をしているので、この僧侶たちが『人間のように造られた手先の悪魔』だと想像ができた。
ルーシャは息を整えながら拳を握り、その集団を迎える。
「はあああっ!!」
「ぎゃあ!」
「ぐあっ……!!」
「うわっ!」
最初に近付いた者を金属を握った拳で殴り飛ばし、次に来た者は襟を掴んで後続に投げつけた。ぶつかった手先の悪魔は三、四人くらいを巻き込んで床へ転がっていく。
いつもは斬撃を主とする武器を携帯する剣士だが、丸腰のルーシャは素手での応戦しか術はない。しかし、都合よく手先の悪魔たちが人間の風貌をしているおかげで、対人武術で捌くことができた。
…………意外に戦えるものだ。
最早、必死の勢いで殴り付けただけだが、雑魚相手ならば十分に通用することにルーシャ本人が感心している。
これもレイラのおかげだろうな……結婚前はよく、組み手に付き合わされたっけ……。
そんな事を頭の隅で考えながら、向かってくる者たちの攻撃を素手で受け流した後に弾き返す。
「何をしている!? 距離を取って武器で叩き伏せろ!」
ルーシャの反撃に怯んでいた手先の悪魔たちは、ベクターの声で迂闊に前に出ないように間合いを取り始めた。
彼らは手にメイスや錫杖を持って、ルーシャの攻撃の間合いに備えているのが分かる。
……やっぱり、最後まで素手で闘うのは無理だな。
素手での戦いが本業ではないルーシャは、悪魔たちが距離を取る間に拳の代わりになるものを目の端で探そうと試みる。
しかし、聖堂の真ん中から道具の並んでいる壁際までは遠く、しかも間には礼拝用の長椅子が並び、呆然とした表情のクラストの僧侶たちが座っていた。
その時、ルーシャの視界の隅に長物を振り上げた手先の姿が映る。
「『贄』の分際で、大人しくしてろ!!」
――――っ!? まずい!!
ゴッ!!
「うっ……!!」
片腕でそれを受け止め、ルーシャはその場に止まった。
背後には座っている人間の僧侶たちがいる。
受け止めた錫杖を持ち主の手先ごと床に押さえ付けながら、必死に近くの僧侶に叫んだ。
「……おい!! お前ら、逃げろ!!」
座っている僧侶たちに向かって叫ぶが、彼らはまるで魂が抜かれたように動かない。
――――呼び掛けてもダメかっ!?
ルーシャが背後に気をとられている間に、正面から別の者が嬉々としてメイスを振り下ろしてきた。
「ハハハッ!! 死ね!!」
「……っ!?」
「『信仰の盾』っ!!」
ガキィイイインッ!!
急に目の前に白い光の壁が現れる。それはルーシャを打とうとしたメイスを弾き返した。
「……これは……」
光はルーシャの周りから、背後の僧侶たちをすっぽり包んでいる。まるで薄絹でドームが造られたように。
ルーシャの足下で押さえられていた手先が、悲鳴もなく蒸気になって四散する。どうやら、この光は聖力を含む法術の結界のようだ。
ルーシャは残った錫杖を広い上げ振り向く。
「ルーシャくん!! 大丈夫!?」
長椅子に座る集団の中で、他の僧侶を押し退けるように赤銅色の髪と右目に片眼鏡を掛けた、ひとりの神父服の人物が立ち上がる。
「レバン先輩!」
「良かった。近くに来てくれたから、結界を張れたんだ……!」
トーラスト支部の神父レバンは、腕に巻き付けていた長い数珠を弛めながら、ホッとした顔でルーシャを見た。
「き……貴様! どうして……」
「先輩……?」
「さっきまでこの人たちに、トーラストとハーヴェの僧侶は監禁されていてね。親切な人……が、開けてくれてやっと出られたんだ」
レバンは閉じ込められていた部屋から出た後、聖堂に続く廊下を隠れながら進んでいった。
途中、大勢の人影が移動しているのを見たので、物陰から様子を見ているとそれがクラストの僧侶たちであり、様子がおかしいことに気付いたのだ。
…………正気を失っている?
それはレバンにとって好都合である。
集団に紛れて聖堂に侵入し、長椅子と人の足の隙間に無理矢理隠れて、悪魔たちの一部始終を見ていた。
レバンは険しい表情でビシィッ!! と、ベクターを指差す。
「こいつが悪魔から人の姿になるところも見たよ! ボクはこの数年、毎年この祭りに来ていたけど……こうやって仲間を増やして、翌日の祭典にかこつけて浄化を行って誤魔化していたんだね!?」
つまり、ベクターは毎年、クラストの僧侶から『贄』を選んで悪魔とすり替えていたのだ。
その魔力的な痕跡は、次の日の“鎮魂祭”の儀式を執り行うと同時に揉み消していたことになる。
「……“魔女の墓標”は過去の話じゃない。現在進行形で使われていたってこと。そして、今年はルーシャくんに目をつけた」
「だから……『シザーズ』が居たのか……」
『シザーズ』は、ハサミや鎌などに悪霊が取り憑いた物質系の悪魔だ。
人間の負の感情が道具などに長い年月を掛けて染み付き、魔力を得て悪魔化したもの。
そのハサミや鎌……それらの多くは、拷問や処刑に使われた『曰く付き』の道具たちである。
かつてクラストの町は、悪魔憑きのただの人間を悪魔や魔女として拷問に掛けた歴史があった。
その時の“負の感情”は長年の鎮魂祭ですでに浄化されていなければならない。そのために教会が建てられたのだから、そこにシザーズが存在することは普通ではあってはならないのだ。
「でも、ルーシャくんがそんなにボロボロじゃなくて良かったよ。ちゃんと動けているし……」
「きっと、今回は悪魔にしたオレをトーラストに帰すために、そんなに拷問をしなかったと思います…………」
――――そして、たぶん、オレの近くの牢にいたのは『前回までの犠牲者』……なのだろう。
人としての原型をとどめていない者もいたくらいだ。
少なくとも数年は、このような事が行われていたのだと、ルーシャはゾッと背筋が寒くなっていく。
「先輩、後ろの護り……お願いします」
「任せて。結界張るだけなら得意だから!」
レバンは呆けている僧侶を押し退けて、長椅子の背に足を掛け両手で数珠を胸の前に掲げる。
「……ルーシャくん、君が出たら結界を強化して踏ん張るから、思いっきり暴れていいよ…………あぁ、もう、邪魔。ちょっと退いてね」
踏みつけていた僧侶を床に転がし、レバンは長椅子の上に立ち上がった。ルーシャに向かって頷くと、目を閉じて意識の集中を始める。
ルーシャはレバンを背にして錫杖を構えた。
「……お前たち全員、不当な人間への干渉と殺害容疑で退治対象とする。覚悟してもらうぞ……!」
薄い結界の向こうに集まっている手下の悪魔たちを睨み付け、結界の外へ一気に駆け出す。
「死ねェッ!!」
「人間のくせに!!」
手下たちの人間の姿が膨れ上がり、次々と殻を破るように牛の頭の悪魔に変わった。
――――悪魔に戻れば戦い易い!
ルーシャは手元の錫杖に法力を込める。
何の細工もしていないただの錫杖は、すんなり法術の聖力を含む。
「清き光絲よ、『信仰の槍』!! たあっ!!」
「ぎゃあっ!!」
法術師ではないルーシャが生み出した法術の光は弱々しい。しかし悪魔へは充分な威力をもっており、ルーシャの杖の打突一撃で敵の頭を切り飛ばした。
最早、意地だけで向かってくる手下悪魔たちだったが、普通の錫杖とはいえ武器を持っている司祭のルーシャに敵うはずもない。
浄化の法術を纏った武器によって、次々と打ち倒されて残りは二体だけになった。
「……ひっ!! こいつ……法術を絡ませて戦ってくるぞ!」
「ただの錫杖なのに……!? べ……ベクター!! 何とかしてくれ!!」
「ちっ……喋れても、やはりお前らは下級悪魔か……」
悪魔の死体が消えていく時の蒸気の向こう側、少し離れたところにいたベクターは味方に苦々しい表情を送る。
「『道具』に徹している分、あいつらの方がずっとマシな仕事をしてくれるな……」
ベクターが片手を頭上へかざす。
「来い、我が手足!!」
ベクターの叫びに併せて、辺りの壁や床に紫色の光の円が現れ一斉に強く光り始めた。
ズズズ……
地鳴りのような音がすると、円の中から何かが突き出てくる。
「…………何?」
「これは………………あっ!! 先輩、結界を強くし……」
「えっ?」
レバンが上を仰いだ。その瞬間、
ガチャガチャガチャガチャ!!
金属の騒音を響かせて、聖堂に何体もの巨大なハサミや針を持つ半透明なヒト型……『シザーズ』が浮かんでいる。
「いけ! 全てを切り刻め!!」
ズシャアアアッ!!
シザーズたちは壁を蹴ったように聖堂の中心に向かって飛び、敵味方関係なく切り刻みながらまっすぐな軌道を描く。
「べ、ベクター!? ぐわぁっ!?」
「がっ!! なんで……!?」
手下の悪魔が真っ二つになり、ルーシャやレバンの張っている結界にも襲い掛かった。
「うわっ!!」
「先輩!!」
ルーシャは自身に結界の法術を掛けて防御する。一方、レバンは礼拝の席を全て包む結界を張っており、その幕はルーシャのものより広く薄い。
ビシッ!!
どこからか、ぶ厚いガラスに亀裂が入ったような音がした。
ビシビシビシビシッ…………!!
「わ……あ、あぁ…………!!」
シザーズたちがレバンの真上から、連続で結界に体当たりをしてくる。そのせいか、大きなヒビから小さなヒビが枝分かれて広がった。
ルーシャが助けるため近付こうとすると、別のシザーズが進路を妨げるように周りを飛び交う。
「先輩!! この、退け!!」
「け、結界を……強化…………」
レバンの周りの空気が、鉄の塊で押されるように圧を掛けてくる。堪らずその場に片膝を突く。
ビシビシビシビシ………………バリッ!!
ガシャアアアン!!
ガラスの砕けるような音だけが聖堂内に反響して、破片の代わりに降ってきたのは多くのシザーズだった。
「……う、うわぁああっ!!」
頭上のシザーズを確認した。
「せん……」
ルーシャはシザーズを弾いて駆け寄ろうとしたが間に合わない。思わず目を閉じかけた……が――――その視界に、レバンを掴んで引き倒す人物がいる。
頭上を仰ぎ“眼鏡の少女”が不敵に微笑んでいた。