朝の街道にて
カラァ――――ン……
カラァ――――ン……
トーラストの街に朝一番の鐘の音が響く。
最初の鐘は毎朝六時に鳴る。この鐘から三時間おきに夕方の六時まで鳴るようになっていた。
トーラストの街は、この国では王都に次いで栄えている場所である。街の中心には【聖職者連盟】の支部があり、そこにある大聖堂の鐘が時間ピッタリに鳴っているのだ。
ルーシャはこの一番の鐘が鳴る時に家を出ることにしている。
街道から宿場町まではかなり遠い。日帰りで働くとなると、朝早く家を出て夜中に戻るというサイクルになった。
出掛ける前に玄関でカバンの中身を確認する。
水筒と簡単な筆記用具にタオル、携帯用のランプ。それに護身用の銀のナイフ、これはベルトの横に取り付ける。他に入っていたのは、ルーシャの顔の大きさほどもある、大きな『金の十字架』だった。
「………………」
無言でカバンを閉めて背中に背負う。
ここまではいつも通りの朝だったが、ドアを開けた瞬間、今日は一筋縄ではいかないと悟った。
朝一番に目にしたものは、家の格子門にへばりついていたリィケである。一体、何時から居たのか? という疑問を持ったが、まずは言いたいことだけ言うことにした。
「……………………朝から来るな……」
「今からお店に行くんでしょ? 僕も後から行くから、どうせなら一緒に行く!」
リィケは憎らしいくらいに人懐っこい笑顔で、顔をひきつらせて立ち尽くすルーシャを見ている。
「…………お前、何でオレの出勤時間を知っているんだ。ついでに出勤の日も分かってるだろ……?」
「出勤の日は店長から教えてもらったよ。行く時間は近所の人が知ってたよ!」
「………………うそだろ……」
子供に甘いハンナやご近所の人々によって、ルーシャの個人情報は駄々漏れになっていたようだ。しかし、ルーシャがそれを極秘にしていない以上、彼らを責めるわけにはいかない。
ルーシャは門を開けてリィケを一切見ずに、すたすたと大通りへ歩き出した。リィケはその後ろを小走りで付いていく。
「えっと……ルーシャは宿場町まで馬車?」
「…………徒歩だ」
「え!?」
街道沿いにある宿場町までは、街の入り口から出ている乗り合い馬車か、自前の馬車に乗って向かうのが普通である。徒歩で行こうという者は、街の外すぐ側に農地を持っているか、近場の森へ採集などに行く者だ。
その他に用が有るとすれば、連盟の退治員が定期的に街道の悪魔を浄化する場合などになる。
徒歩で宿場町まで行くのはルーシャの日課だ。
毎回、乗り合い馬車に乗ることは経済的に無理だというのもあるが、今まで退治員として日々訓練していた名残りでもある。
ルーシャの自宅から二十数分ほど歩いて、街の入り口になる大門へたどり着いた。
ここでは街への出入りをする際に身分証や、国から旅人に発行される通行許可証の提示が求められる。
窓口がいくつか有り、朝早くだが人の往来がかなり多い。
ルーシャはほぼ毎日のことなので、門番の青年たちとも顔見知りのようだ。外出の手続きも簡単なサインだけで、あっさりと許可がおりる。リィケは連盟の身分証を見せたが、少し引き止められて二、三質問をされた。
リィケは慌ててルーシャを追いかけ、門を出る所でやっと捕まえる。ルーシャは屈伸や足首を回して、軽く準備体操をしていた。
「途中の街道の森…………悪魔が居るから、徒歩は危ないって言われたけど…………」
「お前は馬車で行けばいいだろ。無理に付いて来るな」
今は朝であるため、陽の当たる場所は悪魔に出会す心配は殆どない。しかし、街道沿いでも森深くの薄暗い場所には、朝でも悪魔が潜んでいることがある。
「……だいたい、昼間の悪魔が怖いなんて、そんなことじゃ退治員なんかやっていられないぞ。じゃあな」
「えっ! あ、待ってルーシャ!!」
あっという間に、ルーシャは街道を東へと向かって走って行ってしまった。
は……速い!?
さすがに並走するのは無理だろうと考えた。しかし、ぐんぐん遠ざかっていく背中を見ながら、リィケは目を輝かせてニンマリとしてしまう。
「やっぱり……お父さんはスゴいなぁ…………よし!!」
リィケは両手を握り締めると、出来る限りの全速力で街道を走り始めた。
街道の坂から、ルーシャは何気なく後ろを振り返る。遠くでリィケがこちらに向かって走って来るのが見えた。
はぁ……と、ため息をついて再び前を向く。
引き返さなかったか…………参ったな……。
ここでさらに引き離して行っても、目的地は同じなので店で会うことになる。しかし、それよりもルーシャが気になったのは、この先から街道の一部が森の中に入ることだった。
「……………………」
森の入り口からは薄暗い街道が見える。
いつものルーシャなら、この森を抜けるのに十分もあればいい。リィケの足だとしても三十分も掛からないだろう。
ルーシャは眉をひそめて、早歩きで森の街道の奥へ消えて行った。
「あれ……もう見えないや……」
ルーシャから遅れること十五分。
リィケは森の街道にたどり着いたが、やはり足の遅いリィケを置いていったようだ。目の前の真っ直ぐな道にはルーシャが見えない。
森の中の街道は、リィケが思ったよりも薄暗かった。今日は天気が良いため、木々の隙間から入る光はこれでも多い方だが、曇りや夕方には真っ暗になりそうだ。
リィケはペースを落とさないように走った。だが、十分ほど走ってもまだ森の中にいる。
その時、リィケは単調な街道の脇に、獣道のような細い草を踏んだ小道があるのを見つける。
ここに来るまでにも分岐はあったが、集落への案内の立て札があり、関係ないので気にもしなかった。
しかし、今回はその道が妙に気になり、静かにその小道の前で足を止める。
暗い。
獣道の先は何も見えない。
「……………………」
無意識にリィケが一歩、そこに近付いた。
――――その時
「……そっちはやめておけ、帰れなくなるぞ」
「え? ルーシャ?」
いつの間にかリィケの背後には、腕組みをしてブスッとした表情のルーシャが立っている。
「もしかして、待っててくれたの?」
「…………ここに引っ掛かるんじゃないかと思っただけだ。別に待っていた訳じゃ……」
「えへへ。待っててくれて、ありがとう。お父さん」
「待ってない。あと、そう呼ぶな…………」
リィケがニコニコと見上げてくるのを無視して、ルーシャは顔を獣道に向けた。
「ここに結界が張ってある。普通の人間ならこの道に気付かず通り過ぎるが、魔力を感知出来る人間は誘われやすい…………今、そっちに行きそうになっただろ?」
「うん……何か気になった……」
ルーシャは足元を指差す。そこには小さな石の柱が、獣道に門のように置かれていた。
「退治員になるだけの奴なら、この道が気になるはずだ。この先には“スキュラ”っていう悪魔がいる」
「あ、知ってる。水辺の近くの洞窟に住み着く、中級の悪魔だね。悪魔辞典に載ってた!」
この先には小さな沢と滝がある。
よく見ないと分からないが、滝の後ろには洞窟が存在し、十年ほど前からスキュラという悪魔が住み着いてしまったのだ。
この悪魔は近付く人間を捕まえ、生命力を吸い取って殺してしまうという。
「……何で退治しないの?」
「人が近付かないように、物理的な結界が張ってある。そのおかげで誰も被害にはあっていない。滝の近くにも注意喚起の立て札があるし、基本的に近付かなければ襲ってこない悪魔だからな…………」
連盟の聖職者が周りの土地の浄化もしており、あと数年もすれば大人しく消滅すると言われている。
つまり、特に被害が無ければ、悪魔といえどむやみに倒すことがない。
「これを覚えておくのも退治員の仕事だ。ただ単に悪魔を倒せば誉められるってことじゃない」
「ふ~ん、そっかぁ。ルーシャは凄いねぇ、これなら復帰はいつでもできるね!」
「……………………」
やっぱり、そうくるか……。
ルーシャは眉間にシワを寄せると、くるりと向きを変え街道の先へ歩き出した。
「ほら、さっさと行くぞ。オレは遅刻はしたくない」
「うん! 一緒に行く!」
どうせ付いて来るなら、面倒な事にならないように、宿場町まで見ておくべきだろう。
そう考えて並んで歩き始めたルーシャだったが、いざ隣にいられると何となく気まずくなってきた。森を抜けた頃に仕方なく、リィケに話題を振ってみることにする。
「…………そういえば、いつもはどうやって来ていたんだ?」
門の外出の手続きに戸惑っていたところを見ると、一人で出たことはないと思った。おそらく、いつもは誰かと一緒に来ていたのだろう。
「えーと、友達になった郵便の人の馬車に乗ってたよ。徒歩で行くのは初めてだった。歩くのって遠いけど楽しいね!」
「楽しい……?」
ピタリ、と足が止まる。
ある事に気付いて、ルーシャはリィケの顔をまじまじと見詰めた。
「ルーシャ?」
「お前…………疲れてないのか?」
リィケの息は全く乱れていない。それどころか、汗ひとつ顔に浮き出ておらず、疲労している特徴が見当たらない。
いくら退治員が日々訓練しているとしても、トーラストの街から宿場町まで、大人が走ってもきつい道のりである。
森の中で一度は止まったが、ここまで来るのは子供の体力では到底無理なはずなのだ。よく考えると、走ってくるペースも落ちてはいなかったのではないか。
「あ……そうか、普通は息が苦しくなるって聞いたっけ……」
ぼそり、と呟くのが聞こえた。
まるで『普通』ではないように。
「リィケ…………お前、何なんだ……?」
ルーシャは思わず銀のナイフに手を掛ける。
連盟の退治員とは言っているが、ちゃんと確かめたことはない。もしかしたら、身分証だって偽造したものかもしれないのだ。
リィケは自分をルーシャの子どもだと言う。
しかし、そんな突拍子もないことを、ルーシャは信じる訳にはいかない。復帰してパートナーになれと言うのも納得できはしない。
ルーシャの子どもは、もし生きていればまだ5才だが、どう少なく見てもリィケは十二、三歳の姿だ。
「まさかお前、悪魔だったりしないだろうな…………」
「…………それを……言われると……」
リィケが急に困ったような表情をした。
視線をずらし、おろおろとしている。
「………………オレの前に来た目的は?」
ルーシャの声は低い。
「僕は………………うん……分かった……」
何が分かったのか、リィケは上着を脱ぐと服の首もとを引っ張り、そこにあるチョーカーを外した。
子供らしい白くて細い首が露になる。
リィケは自分の首に指を掛け、首の皮膚を一気にめくった。
「うっ……………………え?」
ルーシャは咄嗟に声を出して目を瞑りかけた。
めくられた皮膚の下、普通は肉や血が有るはずのところに見えたのは……――――――銀色の金属板。
「僕の身体は人形なんだ。【生ける傀儡】って、言うんだって……」
「人形………………?」
「あの日……生まれたばかりの僕の身体は、悪魔に持っていかれたんだって…………」
「な………………」
ルーシャは泣きそうな顔で微笑むリィケから、しばらく目を離せずに立ち尽くしていた。