奈落の檻
時間は昼をだいぶ過ぎた。
ルーシャとリィケがクラストの町に到着してから丸一日が経とうとしている。
しかし人間というのは一ヶ所に留まっていると、その時間の経過もあやふやなものになるものだ。
まだ一日と過ぎていないはずの時間が、数日に感じられてもおかしくはないだろう。
「……ん?」
クラストの教会の会議室に、集団で押し込められたトーラストの祭事課の司祭レバンは、自分の耳が何かの音を捕らえた気がして窓の方へ近付いた。
最初ここへ入れられた時は、クラスト側の対応に憤慨していたのだが、それもとっくに通り越し暇を持て余している。
なので、少しの音や変化には敏感になっていたのだ。
しかし、窓の外は中庭が見えるばかりで、何も変化はなさそうに見える。
「気のせい?」
微かだったが、何か固いものをぶつけたような音がしたのだ。それがこちらの方向かもよく分からなかったのだが、とりあえずもう少し外を見てみようと思った。
「ふぐぉおおお~~……」
「ぷひゅうぅぅぅ~……」
すぐ隣でハーヴェ支部の退治員の男二人が、各々個性的なイビキをかきながら爆睡している。
「……ある意味、強いなぁ……この人たち……」
「す、すいません……緊張感の無い者たちで……」
ハーヴェの牧師カナリアが申し訳なさそうに床に座っていて、レバンは苦笑いしながら手を横に振った。
「いや……いざという時、二人にはボクらを護ってもらわないと。ちゃんと休める時に休んでいてくれるのは、強いなぁ……ってことで」
部屋を見渡すとトーラストもハーヴェも、若い僧侶たちは緊張と不安で昨夜から眠れないようである。先ほど、クラストの僧侶が持ってきた昼食も喉を通らない者がほとんどだ。
それは、班長のレバンも牧師のカナリアも同じである。
しかし、ハーヴェの退治員の二人は、よく食べよく寝ている。この様子に、上に立つレバンとカナリアはちょっと救われた気分になっていた。
「皆、これだけ眠れれば、スッキリして良い考えも浮かぶものですけどね……」
「そうですねぇ……」
レバンは笑いながら再び窓の方へ向き直る。外はやはり変化は感じられない。
しかし、司祭としての勘というか。
何かが来るという気配がしている。
…………こういう時にロディがいてくれれば、もっと分かるんだけどなぁ。てか、救けに来て欲しいんだけど。
はぐれてしまった同僚を思う。
彼は真面目で自分なんかより司祭らしい司祭だ。神学校から一緒だったレバンは、友人でもある彼を密かに高く評価している。だが、優秀なはずの当の本人は恐ろしく控え目で、常に目立とうとはしないのだ。
ここで君が救けに来てくれたら、皆が『英雄』扱いしてくるだろうな。頑張れ! というか、早く救けて!
窓の縁にアゴを乗せて、深くため息をついた。
その時、
ガリッ! ガンッ!! ゴトンッ!!
「えっ……!?」
レバンの真後ろ、入り口のドアから急に激しい音が発生した。
見ると、ドアのノブの辺りが周りの木ごと、大きくくり抜かれて床に落ちて転がっている。まるで、クッキーの生地を丸い型で抜かれたようにキレイに。
「あ……」
正面にドアを見たレバンは、ドアに開いた穴の向こうに誰かが立っているのを確認した。
穴から見えたのは、その人物の腰の部分らしい。布を紐で固定した、民族衣装のような服の一部だ。
その人物が移動する。
向きを変えた一瞬、黒く長い髪の毛の先が見えた。
「あ!! 待っ……!!」
レバンは慌ててドアに飛び付き、素早くドアを押し開ける。ノブのなくなったドアは、ただの開閉式の板と化していた。
「あのっ……!!」
人物が進んだ方向を見ると、そこには背の高い男性とおぼしき姿がある。その人物が少し振り向いた時、レバンと目が合う。
布を巻き付けたような服、腰まで伸びる固そうな黒髪。
何より目を引くのは顔を上から覆う、狼を模した被り物。
この男性はロアンと一緒にいた人物でルーイという名だが、この時のレバンは知る由もない。
「……外へ」
「え?」
「今すぐに外へ。もう、この教会は悪魔の傘下にあります」
「何を……」
冷たく淡々とした、低い声がルーイから響く。
レバンはその声に気圧されて、一歩だけ後退りをする。
「この町の本当の式典は今夜です。あなた方は明日の陽が登るまで、ここへ近寄ってはいけない」
「でも、ボクの仲間がここにいて……」
レバンの脳裏にルーシャの顔が浮かぶ。
殺人の容疑者にされているのだ、相手が悪魔だというのなら、きっと酷い目にあっている。
「魔王殺しなら心配いりません」
「なんで…………」
「彼には、守護者が付いています」
「守護者? 何、それ……」
「……………………」
ルーイはレバンを見つめると、スゥッと煙のように消えた。
残されたレバンは思わず目を擦って、もう一度前を見据える。
「何なの……今の奴……?」
疑念と警戒を濃くして廊下に佇んだ。
今のが幻ではなかったということは、床に転がるキレイにくり抜かれたドアノブが証明してくれている。
もし、これが人体に向けられていたら……? そう思うと、背中にゾッとしたものが走っていく。
味方……だと思いたい。
ひとり空間を見つめるレバンの後ろで、人が近付く気配がして振り向くと、カナリアと数名の僧侶が心配そうにレバンとその先を覗き込んでいた。
「あの……レバン神父? どうされました?」
「いえ、開けてくれた方が、名乗らずに消えてしまって……」
「まぁ、それは謙虚な方……後で見掛けたらお礼を言わないと」
「…………たぶん、この教会の人間じゃないと思います」
カナリアは『消えた』という単語を、語感で『走り去った』と解釈しているようだ。
人間かどうかも怪しいよ……。
少なくとも、今の人物には実体というものが感じられなかった。
釈然としないレバンだったが、何時までも突っ立っているわけにはいかない。
後ろでは、カナリアが退治員二人を叩き起こし、他の僧侶たちは各々のグループ毎に固まって指示を待っていた。
レバンは廊下の向こうを見ながら、ひとりため息をついて呟く。
「はぁ……残念だな。ロディは優秀なのにもたもたしているから、どっかの誰かに手柄取られちゃったよ……」
今頃何をしているのか? たぶん自分達を助けようと、彼は独りで奮闘しているのだろう。
レバンはカナリアと少し話し合い、今後の動きを決めた。
「みんな、このまま外へ! なるべく教会から離れて、カナリア牧師の指示に従って隠れてて!!」
「「「はいっ!!」」」
若い僧侶のグループは、すぐに出口へ向かって移動する準備を始めた。
レバンは隣の部屋に自分の持ち物があったのを思い出し、警戒して扉を開ける。そこには昨日から、自分たちを見張っていたクラストの僧侶がいたはずだ。
しかし見張りのはずの僧侶たち数名は、床に倒れピクリとも動かない。レバンが慌てて脈を採ると、気絶しているだけだと分かりホッとする。
「レバン神父、この人たちは……」
「たぶん、魔法を掛けられてますね……」
倒れている僧侶の首筋に触れた時、指先に痺れるような感覚があり、それが魔法によるものだとレバンは判断した。
「魔法……法術でなく、魔術ですか?」
「えぇ、この教会が悪魔に支配されていれば……」
『この教会は悪魔の傘下にあります』
さっきの人物はそう言っていた。
本当の式典は今夜…………
「なぜ……こんなことに。クラストの祭はいつから……」
「いつからかは……でも、今回だけじゃない。毎年、僕たちを昼間の式典まで追い出して、何事もなかった振りをしていたんだ……」
「毎年……ですか……?」
「それも今年で終わりにする……!」
レバンはカナリアにトーラストの僧侶たちを託すことに決め、自分は教会の内部を見回ることにした。
「……たぶん、ルーシャは悪魔たちの正体に気付いたせいで、捕まって動けないのだと思います。このままじゃ、何をされるかわかったもんじゃない」
レバンは自分の鞄を見付けると、必死に中を探り何かを引き出す。
「レバン神父、せめて一人くらいは退治員を連れていった方がいいのでは……?」
「そうですよぉ! 俺たちだって、兄貴や坊が心配だ!」
「連れてってくだせぇよ!!」
カナリアと退治員の二人が本気で心配する様子に、レバンは苦笑しながら首を振る。
「僕ひとりで行かせて貰えますか? 自慢じゃありませんが、僕は攻撃と回復の法術は使えない。その代わり、結界と危険回避の術なら得意なので、自分だけなら何とかできるんです」
ジャラン。
レバンの手には腕の長さ程の、小さな十字架のついた白い石の数珠が握られていた。彼の武器がそれであるということから、攻撃ではなく、完全に防御や補助を得意とする司祭だと一目で分かる。
「悪魔がいても、戦わずにやり過ごします。ルーシャたちを見付けたら、すぐに逃げてきますので…………じゃあ」
にっこりと笑みを浮かべると、数珠を片腕に巻き付けカナリアたちに背を向けた。
リィケが“目を覚ます”と、そこは真っ暗な場所だった。
いや、真っ暗ではなく、真っ黒と言った方がいいのか?
何故なら、真っ暗であれば何も見えないのだが、上半身だけ起きて座っているリィケの隣で、ロアンが猫のように丸くなってスヤスヤと寝ているのが見えるからだ。
「何……ここ……?」
また『ディメンション』の能力で“裏の世界”に来たのかと思ったが、それにしては何も無い。天も地もなく真っ黒なのだ。
「……ロアン、ロアン。ごめん、起きて!」
「ぬ~…………ふぁ…………」
状況を把握するには、寝ているロアンを起こさねばならない。リィケは本能的に、ロアンならばここがどこか知っている気がしたのだ。
ロアンが片方だけの目を擦り起き上がる。だいぶ熟睡していたようで、意識半分は夢の中のという顔をしている。
「ふゃ…………どう……したの?」
「ロアン、ここ……どこか分かる?」
むにゃむにゃと辺りを見回して、ロアンは大きくあくびをした。さも当たり前のように言う。
「いしき……の、くうかん。リィケ、きぜつしてるね……?」
「きぜつ? そっか! 僕、聖堂まで行ったのに、変なところに落ちてきっと気絶したんだ!」
「なら、リィケがおきれば、いい……」
「僕だけ? どうやって?」
「……じゃあ、リィケおこす。ボク、もうすこし、ねてていい?」
「いいよ。でも、起こすって…………」
リィケが言いかけた時、ロアンはリィケの胸ぐらを掴むと、もう片方の手を床と水平に凪ぐ。
スパァアアアアンッッッ!!!!
リィケの頬にキレイな平手打ちを決めた。
「――――痛ったあっ…………あれ……痛くない?」
平手打ちを受けた片方の頬を押さえ飛び起きたリィケは、途中まであった痛みが急になくなり二度驚く。
「何、ここ……?」
二度目の台詞が出た。
リィケが居たのは大きな石を積み上げたような壁と、ゴツゴツと居心地の良くない床の部屋。
リィケは大量に積もった砂に埋もれるように座っていた。
薄く上から入る光で辛うじて周りが見え、すぐ近くにミルズナが、少し離れた床にライズが倒れている。
リィケはその部屋の入り口を見て確信した。
「ここは、牢屋……?」
おそらく、地下にあると思われる。
三人が入るには、かなり大きな牢獄。
視線の先にある幾つもの錆びた格子が、リィケには別の世界との境目に見えた。




