聖なる地の悪意
「ミルズナ様……トーラスト支部はこの子と、ラナロア様が来ていると聞いていましたが……?」
「あら? 私、変更を伝えていなかったようですね。直前に、ルーシアルドが復帰して、多忙な伯爵の代わりに来たのですよ」
ミルズナはニコニコと悪びれもせずライズに言う。その様子にライズもため息をつきながらも、それ以上の不満は口にしなかった。
もしかしたら、こういう事は初めてではないのかもしれない。
リィケはライズを見上げる。
「僕の……叔父、さん……?」
「そう……みたいだな。ラナロア様からは、そう聞いていたから。お前の母親のレイラは、俺の姉だ」
ライズはリィケから目を逸らしてボソリと言った。
叔父さん……って、親の兄弟ってことだよね? お母さんの兄弟?
――――――……あ!
「【聖弾の射手】!! 僕の顔のモデルになった人!?」
その時、ライズは微かにビクリとしたように見え、
「………………あぁ」
と、ぶっきらぼうに答えた。
「ライズ……さんは、いつ、お父さんのパートナーになったんですか?」
「……俺が新人でまだ学生の時だ。訓練を兼ねて手伝っていて、仮のパートナーだった。神学校を卒業してから正式に組む予定で…………」
ライズは言葉を詰まらせて口を固く閉じる。
そこから、正式にルーシャのパートナーになる前に、ライズはトーラストの街を出たのだと分かった。
ライズは五年前、神学校卒業直後に姉と両親を殺されたのだから。
でも……この人が本当にあの男の子?
リィケは首を傾げる。
今から数ヶ月前。
リィケが連盟の研究室でアルバムをめくっていると、父親であるルーシャと母親のレイラの次に、よく目に入る人物がいた。
短く整えた髪の毛、服装もどれもピシッと隙がない。まだあどけない少年のはずなのに、どの場面でも固く真面目そうな表情。
白黒の写真で、髪の色や瞳の色はよく分からなかったが、顔つきはほぼ今のリィケとそっくりであった。
「あぁ、そいつはレイラの弟だ。お前の顔はそいつの顔に一割ほど女顔の平均を足して計算してだな……」
身体を作ったリーヨォの説明はよく解らなかったが、この人が顔のモデルであり、父母の次に自分に近しい人物であるとリィケは理解した。
母親レイラの家系、フォースラン家。
代々、優秀な聖職者を輩出し、銃使いとしても有名だと言われていた。
【聖弾の射手】
歴代のフォースラン家の当主を務める銃使いはそう呼ばれ、トーラストの街では魔王殺しのケッセル家にも引けを取らないほどの退治員の家系である。
リィケの母レイラも一度は父親から聖弾の射手を名を継承させられた。
しかし、レイラは銃使いとしてよりも、武闘僧としての活躍が目立ち、更にケッセル家のルーシャと結婚したこともあって、その二つ名は弟のライズへ継がれていったという。
「……ライズ、今じゃ本部に行ってバリバリ仕事しているって、ちょっと前にサーヴェルト様から聞いたわ」
「ま、『学校の成績も銃の腕も、自分よりも上だ!』って、レイラも言ってたことあったしなぁ……」
リーヨォとイリアが話していたのをリィケは横で聞いていたのだが、自分の叔父の名が『ライズ』ということをすっかり忘れていた。
しかも、リィケは思い切り勘違いしていたことに気付く。
いつかライズと会うことがあったら、友達になれるといいなぁ……などと呑気に考えていたのだ。
五年……人って五年でこんなに違うの?
父親と身長もほとんど変わらない、立派な退治員の青年。
それが、かつては自分と顔も体格も変わらない少年だったということに、リィケはすぐに納得ができなかった。
聖堂への廊下はそんなに長くはなく、リィケも『裏』からだが一度は通ったので迷わず走っていく。
現在、リィケたちは聖堂への扉の前。
扉は立派で頑丈な木製で、案の定、しっかりと施錠されていた。
「やはり閉ざされていますね……」
「それで、あいつ……ルーシャの場所は知っているのか?」
「“地下”にいるって聞きました。あの聖堂にいる、僧侶長って人は悪魔が化けています……夜に何かするって……」
「では、今すぐ片付けてしまいましょう……! ライズ、解錠を。そのために何をしても、本部長である私が許可します!」
「はい、了解しました」
「あ……!」
パリッ……。
ミルズナがライズに何か言った時、ライズの両方の肩に赤く細い稲妻が走った。
ライズの両肩は露出していて素肌が見えるのだが、そこにはタトゥーのようにユニコーンの紋章が描かれている。それが光ったように見えた。
赤い稲光。これまでの経験で、それが神の欠片を使った際に出るものだということをリィケは知っている。
「今の……」
ズガガガガガガガガッ!!!!
「――――うきゃあっ!?」
突然の重低音に、リィケは思わず叫んでしまう。
いつの間にか、ライズはショットガンよりも小振りの連射式の銃を手にし、扉のノブと止め金具を跡形もなく弾で飛ばしていた。
ゴガッ!! ズ……ズズゥンンン…………
錠も支えも失くなった分厚い木の扉を、ライズは無言で蹴り倒す。
「…………………………」
倒れた扉の風圧を感じながら、リィケは遠くの空間を見つめる。
「ミルズナ様、開きました」
「えぇ。では、行きましょう! ……ん? 行きますよ、リィリアルド!」
「……………………はい」
リィケは深く考えるのを止めた。
どうやら、規律第一のような真面目な顔をして、ライズは思い切りのいい性格のようだ。ついでにミルズナも、かなり大胆な発想の持ち主だと思う。
リィケがひきつりながら薄くわらっていると、
「姉さんは…………お前の母親は、俺なんか比べ物にならないくらいの女傑だったぞ。ルーシャ以外の男は恐れて近寄らなかった」
ライズはそう言ってリィケの横を歩いていく。
「じょけ……つ……?」
その時リィケの頭に浮かんだのは、普段は物静かに思える父親のルーシャが、どうやって強気だったであろう母親のレイラを射止めたのか? と、いうこと。
無事に会えたら聞いてみよう。
リィケは思わず口の端を上げた。
ジャラン……ガッ……ジャラン……ガッ……
手首に付けられた鎖を引っ張ること数百回。
ヤバイ……力、入らなくなってきた…………
ルーシャの手足には相変わらず魔法を封じる枷がつけられ、更に顔や体のあちこちには殴打された痣や出血が見られた。
アイツら、遠慮なく人のこと殴る蹴るしやがって……
早朝、僧侶長のベクターと取り巻きと思われる僧侶がルーシャの牢屋まで来た。
彼らはルーシャに『どうやって施錠した大聖堂へ侵入したのか』を聞き出そうとしていたのだ。
ルーシャはその質問に完全黙秘を貫いた。
リィケが『神の欠片』を使って、結果として入ってしまったのだが、それを馬鹿正直に言うわけにはいかない。
ベクターの取り巻きの僧侶に、完全に拷問される形で痛めつけられたが、口を割らないルーシャの様子に一旦諦めて引き上げていった。
「ゴホッ……」
ルーシャはここへ入れられてから、水も与えられていない。カビ臭い空気が直接、乾いた喉に貼り付くようで気持ちが悪くなって咳き込むが、蹴られた胸が痛むのでそれもままならない。
頬が腫れているため、きっと言葉も発し難くなっていることだろう。切れた口の中に溜まった血を吐き捨てながら考えるのはリィケのことばかりだった。
ひどい目に合ってはいないといいが……。
あいつらはリィケのことに関しては何も言ってはいない。でも、オレと一緒に聖堂にいたのだし…………
そこでふと、聖堂に籠っていたという司祭長……に、化けていた悪魔の死体を思い出した。
あの悪魔たちは聖堂で何をしていたのか?
考えられるのは、明日行われる式典だ。
あの様子だと、今年だけ何かをしようとした訳じゃない。何年かは分からないが、ずっと式典にかこつけて何かを行っていたのではないのか。
廃墟の聖堂で戦った『シザーズ』という悪魔。
もし、あの廃墟が現実と何かしら繋がった世界だというなら、シザーズはこの教会で生まれた悪魔かもしれない。
シザーズは拷問の道具に悪霊が宿った悪魔だ。
あの悪魔がいるということは、ここで拷問によって人が死に、穢れが生じたということ。それも、現在進行形で。
じゃあ、アレはその犠牲者かもな……。
向かいの牢屋、ボロボロに朽ちた布の主を思う。
ルーシャはクラストへ来る途中の馬車で、レバンと話したことを思い出した。
――――“魔女の墓標”
このクラストの別名だ。
かつて悪魔憑きになった人間を処分して、この地に葬った事からきている。
そして、葬られた人間の中には【サウザンドセンス】も居たという。
しかもそれは、彼らが悪魔憑きではないと解って、わざと殺していたらしいということをレバンから聞いた。
ルーシャの眉間に深いシワができる。
もしリィケが【サウザンドセンス】だと分かれば、奴らはどう出るのだろうか?
『この子、アタシにちょうだい』
街道で会った【魔王ベルフェゴール】の姿が頭をかすめる。
『貴様は【サウザンドセンス】ではなかったはずだが……』
それと同時に、金の瞳のレイラの姿をした悪魔も。
近頃、上級の悪魔ばかりと出会う。
特に【魔王階級】などは、普通に生活する人間なら、人生で会うことなどほとんど無いと言ってもいいはずだ。
どんなベテランの退治員でも、上級以上の悪魔に遭遇することは稀である。
それをこの数日で立て続けに、まるでルーシャを待っていたかのように。
――――いや、きっとオレを待っていたんじゃない。
悪魔たちは、リィケを待っていたのだ。
ルーシャの顔からスゥッと血の気が引く。
ベルフェゴールはあの日、何故かあの街道で条件に合う者を探していたと言っていたと思う。
そして、レイラの姿をした悪魔は、ルーシャがあの場に居たことは驚いていたようだったが、リィケのことに関しては何も言わなかった。
つまり、どちらも何かしらの目的が有って、リィケもしくは別の【サウザンドセンス】を狙っていたことにならないだろうか。
まさか、五年前、家族が殺されたのは――――
「……産まれる前から、リィケが能力者だと判っていた……?」
トーラストに戻ったらもう一度、五年前の事件を調べ直さなければならない。今度は、当時とは違う視点で。
「なんとしても……ここを出ないと……」
ジャラン……ガッ……ジャラン……ガッ……
頭の隅では無駄だと思っているが、ルーシャは再び手首の枷から伸びる鎖を引っ張った。
「……いない……?」
扉を破壊し聖堂に足を踏み入れた三人だったが、そこには誰も居なかった。
「リィリアルド、ここにその僧侶長とかいう者が居たのですよね?」
「はい……。廊下には出てこなかったと思います」
「う~ん……」
リィケとミルズナが祭壇の前まで進み、全体を見渡したがどこにも気配は感じない。
中央に敷かれた赤い絨毯も、シミひとつついていない。死体があった形跡もないのだ。
「外への大扉は中から施錠されています。窓も嵌め殺しになってますね……」
ライズは壁沿いに扉や窓を調べている。
リィケはステンドグラスを見上げ首を傾げた。ミルズナは隣でアゴに手を当てて考え込む。
「……どこから出たんだろ?」
「いえ……廊下からの扉にも、中から鍵が掛けられていました。まさか…………」
ミルズナがステンドグラスを振り仰いだ。その時、
『聖者気取りの小僧どもが!!』
聖堂全体に耳を覆いたくなるくらいの大声が響いた。
「へ?」
「きゃあっ!?」
「ミルズナ様!!」
聖堂の床全体が真っ暗な闇に変わり、三人は一瞬の浮遊感の後、光が遥か頭上へ遠ざかっていく。
「――――うわぁあああっ!!」
三人は完全に床の闇に消えた。
すると、聖堂の床は霧が晴れるように、椅子や机、赤い絨毯までも何もなかったように元の姿にもどる。
三人が居なくなった聖堂を恐ろしいほどの静寂が支配した。