悪魔と子供と本部長
朝から昼へ移行する時間。
クラストの大聖堂は柔らかな朝の日の光の代わりに、強い昼間の光に照されていた。
この時間になると、ステンドグラスは真上からの光でガラス自体が輝く構造になっている。
しかし、それと同時に窓際は明るいのだが、聖堂の中心は朝や夕方から比べると薄暗く、まるで光の檻に囚われたような雰囲気を思わせた。
「くそ……一体、どうやって入り込んだ……!?」
美しい大聖堂に不似合いな、苛ついた声が響いた。
「やはりケッセル家の者か。我らの動向に気付き、邪魔しに来たのかもしれんぞ……」
大聖堂にいたのは、クラストの教会に勤めている男性の僧侶だった。人数は二人、祭壇の前でお互いに険しい顔つきで話している。
聖堂の真ん中には、昨日から司祭長であった老人の遺体がそのままの姿で倒れていた。しかし、周りには死骸を囲むように燭台や水晶などが置かれ、儀式を行う準備が整っている。
「……もういっそのこと、殺してしまえばいい。たしか魔王殺しには子どもがいなかったはずだ。あいつを殺ればいずれはケッセル家も滅んで……」
「……無駄だ」
二人の僧侶はハッとして声のする方を向く。
僧侶長のベクターが、一人の僧侶を伴って聖堂に入ってきたところだった。
「あの血筋はしぶとい。大昔にケッセル家を滅ぼそうとした悪魔がいたそうだが、結局は血筋に付き従う“守護者”にやられたと聞いた」
「“守護者”? 何ですかそれは……?」
「さぁ……我らが発生する前の大昔だ。『あの方』なら知っているかもしれないが……」
ベクターはそこまで話した時、ふと、聖堂に自分たち以外の気配を感じ辺りを見回す。
「僧侶長、どうしました?」
「いや、気のせい……か……」
「そういえば、あの男は此処へどうやって入り込んだか吐きましたか?」
「ふん……『気付いたら聖堂にいた』と言って他には何も話そうとしない。まだ活きが良いからな……もう少し思い知らせてから吐かせて……」
バタァンッ!!
「僧侶長っ! 大変です!!」
勢い良く内部からの小さなドアが開き、ドタドタと一人の僧侶が大聖堂へ飛び込んできた。
「……何だ? 騒々しいぞ。他の奴らが来たらどうする?」
「ハァハァ……ごほっ……ハァ、で、でも、大変なことになって……」
「……だから、何だ?」
僧侶は息を整えベクターに向かう。
「告悔室に閉じ込めていたトーラストの退治員の子供が、見張りを倒し脱走しました!!」
「何だと……?」
「先ほど、見張りを交代しにいった者が見付けまして……。しかし、鍵を壊した形跡はどこにも無かったとのことです……」
ベクターは僅かに眉を動かした程度だが、他の三人の僧侶は驚き、表情は焦りの色をあからさまに表す。
「告悔室なんてダメだろ。あれ、ただの部屋じゃないか! 何でもっと頑丈な場所に入れなかった!?」
「おい、お前だったろ。子供なんて部屋に鍵かければ大丈夫だって……!!」
「……っていうか、あの大人しそうな子供が? やっぱり子供でも退治員はナメたらダメだったんだよ!!」
僧侶たちは互いに怒鳴り合い始めた。
その姿は徐々に膨張して異形のものへと変わる。
「やめろ、見苦しいから戻せ……!」
悪魔の姿に変貌しかけた仲間たちに、ベクターが一喝するとすぐに元の僧侶に戻っていった。
「町を出た形跡は?」
「いえ、ありません。おそらく、まだ教会の近くにはいるかと思います」
「……今すぐ町の出入り口を塞ぎ、外への連絡手段を断つんだ。退治員でもあの子供は法術を使えないようだったから、通話石は全てこちらで押さえておけ。明日の朝までには捕らえるんだ」
「「「「はい!」」」」
「それと、地下にいるケッセルの小僧は今晩『使う』ぞ。必要な儀式の準備を進めろ。解ったな?」
「「「「はい!」」」」
ベクターが指示を出すと、僧侶たちは大聖堂を出ようとしている。ふと、ひとりが振り向きベクターに尋ねた。
「……この後、僧侶長は何を?」
「私はここに残って、コレを『灰』に戻さねばならない」
そう言って司祭長の遺体を横目で見る。
「戻した『灰』は、あの小僧に使ってやればいい。ちょうどトーラスト支部へ手下を潜らせておきたかったんだ」
ベクターは冷たい笑みを浮かべた。
遺体に歩み寄り、片足でそれを踏みつける。
ぼっ!!
踏みつけた所から黒い絹のような炎が上がった。
「あのルーシャという奴…………悪魔にすれば相当強いぞ。あいつでトーラストを潰してやる。そうすれば、私も上級…………いや、【魔王】も夢ではない…………ククク……」
「もちろん、我らもついていきます。僧侶長……」
悪魔たちの不穏な笑い声が、遺体が燃える黒い煙と一緒に聖堂を漂っていく。
教会の中心が闇に汚されるように。
――――『リィケ』はスゥッと両目を開く。
「…………きいた? リィケ」
『聞いた…………』
“リィケの姿をしたロアン”と、その中にいる“リィケの意識”は、廃墟の大聖堂で悪魔たちのやり取りの一部始終を見ていた。
『やっぱり、お父さん……僕のこと黙っているんだ……』
リィケはルーシャがどんな目に合っていたのか、恐ろしさで想像もできない。
堅く施錠のされた大聖堂へ入れたのは、神の欠片である【ディメンション】の能力だ。
この能力は廃墟からであれば、どこへでも侵入や逃亡ができる。さらに今のように、堂々と相手の話も盗み聞きができてしまうのだ。
誰よりも有利に情報を握る能力。
悪用すれば、敵うものはない。
しかし、リィケにはそんな考えは浮かんでもこなかった。今はルーシャを救いたい一心で、ロアンと共に動いている。
リィケ (ロアン)は重なって見える柱時計を見たあと、崩れたドアを跨いで教会の廊下へ出る。とりあえず、聖堂から離れておこうと教会の奥へ走り出した。
『とにかく、地下に居るって言ってた!』
「うん、さがす……ちか!」
『早く見付けよう! そうじゃないと……』
心に冷たい感覚が過る。
『あいつら、お父さんを……悪魔にするって…………』
意識だけのリィケの声は、今にも泣きそうに震えた。
「リィケ…………よる、まえに、みつければ……だいじょうぶ……」
『うん…………』
「それに、ははうえ……が、あいつらのこと……ゆるさない」
『え…………』
“ははうえ”という言葉にリィケはドキリとする。
そうだ……少しだけ、ロアンに聞いてみよう……。
『……ねぇ、ロアン。なんで、僕のお母さんが君の“ははうえ”なの?』
「…………?」
ロアンは足を止め、クキンと首を傾げた。
「“ははうえ”は、リィケのおかあさんじゃない、よ?」
『……でも、あの人はお母さんだよ?』
「……???」
腕を組み、黙って上を向くロアン。
彼は考え事をする時は上を向く癖があるようだ。
「リィケのおかあさんは…………レイラ?」
『っ!? そう、レイラ! 僕のお母さん!』
「じゃあ“レイラ”は……“ははうえ”じゃない」
『……???』
まるで、なぞなぞを出されたように、今度はリィケが考えてしまった。
『なんで……君の“ははうえ”は、お母さんと同じ顔……してるの……?』
「……レイラのすがた、ははうえが、つかっているからだよ」
『姿を…………使う?』
「それは――――」
ロアンが言いかけた。その時、
ガタン!!
急に扉が乱暴に開かれた音がした。
『何……?』
「だれか、ここにいる…………このせかい、【サウザンドセンス】に、はんのうする……」
近くに【サウザンドセンス】がいて、この『裏』の世界に影響がでる……と、言っているらしい。
「ルーイじゃ、ない。べつの、けはい……」
『誰かの気配……』
両目が閉じられる。
――――写し出される『表』の世界。
どうやら、リィケの身体は目を閉じて集中すれば、表と裏の世界を切り換えて見ることができるらしい。何度か練習してできるようになったのだ。
音がしたのは教会の外へ向かう通路の方だった。すぐ近くではないようなので、一度目を開けて移動して再び目を閉じる。
すると、教会の狭い廊下で僧侶らしき男二人が、各々手に杖を構え、通路を塞ぐように立っているのが見えた。
水の中から見聞きしているように、場面は揺れて音もくぐもって聞こえる。
『まさか、貴女様がいらっしゃるとは……』
『どうぞお戻りください。この先の聖堂では、明日の式典の準備がされていますので……』
二人の口調は丁寧だったが、杖を握る手には筋が浮かび、辺りに仄かに殺気が漂う。
『あら? この教会はいつから密教の系統に宗派を変えたのでしょうか? 私の幼少の頃、少なくとも十年くらい前は準備中でも見学はできましたよ』
リィケたちのすぐ横から、青み掛かった髪の少女が僧侶たちの近くへ進み出た。
『お退きなさい。私は【聖職者連盟】の本部長として、教会の不審は調べなくてはなりません!』
眼鏡のズレを直しながら、ミルズナが一歩も引かずに僧侶たちへ詰め寄る。たった一人、絹のローブを身に纏い、手には装飾が付いた細身のメイス一本を構えて。
『さあ、退きなさい……! これ以上、祈りの家で好き勝手なさるなら、私はあなた方を退治いたします!!』
『くっ……!! こいつ、我らのことを……!!』
『この、小娘がっ!!』
僧侶二人の身体が膨張し、着ていた法衣が中から裂けていく。肌の色はどす黒く変色して、顔のパーツが人間とは異なる位置へ移動していった。
『まぁ……随分、小さく収まっていらしたのですね』
ミルズナは感心したようにそれを見上げた。
毛髪のない大きな牛の頭、はち切れそうなほどに盛り上がった筋肉。背丈は倍近くになり、二体並んだだけで通路は完全に塞がられる。
『【牛頭の魔王】…………いえ、その派生の小物悪魔でしょうか……。外側は大きくなっても、中身はさほど変わらないようですね』
『黙れ、小娘っ!!』
『貴様も儀式の“贄”にしてくれる!!』
牛の悪魔二体は同時に、ミルズナに向かってメイスや槍を振りかざす。
その光景にリィケは思わず、聞こえない声で叫んだ。
『ミルズナさんっ!!』
「…………きた……」
ダッダンッ!!
ロアンがポツリと呟くと同時に爆発音がして、ミルズナへ武器の先が届く前に悪魔は二体とも、後ろへ弾かれるようによろめく。
『な、何だ!?』
『他にもいるぞ!?』
悪魔は各々身体の一部を押さえて、ミルズナの方を驚いたように見ている。
『残念ですが、私はあなた方ほど愚かではありませんので、独りでここへ来たわけではありませんよ。ねぇ、ライズ?』
『……あまり前へ、お出になりませんように』
ミルズナの前へ青年が進み出た。
『あの人は……』
リィケはその青年に見覚えがある。
濃い金髪に、深い青色の瞳。整っているが真面目で固い表情。左耳には小さな金の十字架のイヤリングが揺れている。
ミルズナと一緒にいた青年だ。
教会の前で会ったあの時は、シックな茶のベストとスーツパンツの服装だったが、今は赤と白を基調にしたピッタリとした動きやすいもの。
そしてその手には、鈍い銀色の小銃が握られている。
『ライズ、お願いします』
『承知しました』
『たかが人間が! 死ねェェェッ!!』
『我ら大悪魔に逆らうなぁ!!』
突進してくる悪魔たちにライズが小銃を片手に構え、
タタンッ!!
軽い音が二発連続で響く。悪魔たちは武器でその銃弾を弾き、その勢いを止めようとはしない。
そしてそのまま、武器を振り下ろし――――
『っ……!?』
悪魔たちの視線の先からライズが消えている。
『ここだ』
ズドンッ!! ――――ゴトッ!!
『ひっ……』
ガシャンッ!
一体の頭が落ちたと同時に、ライズがもう一体の背後から首に硬い銃口を充てていた。
悪魔は武器を強く握り締めたまま、振り向けないでいる。
『小物風情が、大悪魔とは随分な大口を叩いたものだ。命乞いの代わりに言ってもらおう。この教会で、お前たちは何を企んでいる?』
『ぐっ……うぅ…………』
悪魔の首に押し充てられたもの、それは小銃ではない。
ライズはいつ持ち換えたのか、大振りなショットガンの銃口が二体目の悪魔を屠らんと向けられていた。