リィケとロアン
「ロ……ロアン!?」
「おきた……?」
クキンと、固い動作で首を傾げたロアンは、リィケの手を掴み引っ張り起こした。
リィケは複雑な面持ちでロアンを見上げる。
ロアンを見ると同時に、脳裏に紅いドレス姿の女性が浮かぶ。それは、悪魔に殺されたはずのリィケの母親のレイラだ。もちろん、リィケは実際に会ったことはないが、写真では何百回、何千回、日に何度もアルバムを捲っては思いを馳せていた。
僕はロアンに聞きたいことが山ほどある……。
リィケはロアンから手を放し、真っ直ぐ見据える。
ロアンはレイラを『ははうえ』と呼んでいた。しかしレイラは、リィケの他には子どもがいないはずであり、何故ロアンがそう呼ぶのか分からない。
聞きたい……でも、僕がここにいることは……。
リィケは拳を握り、気持ちを押さえる。
立っている場所の説明を聞くのが先決であり、問い詰める時間がないと分かっていたからだ。
恐る恐る口を開き、ゆっくりと声を発した。
「ねぇ、ここって……まさか……」
「うん……『うら』の……せかい……」
『裏』の世界。
リィケがいたのは告解室の小さな部屋だったのだが、周りの壁や床の木は表面がボロボロで埃が積もっている。
閉まっていた扉も金具が外れ、床に倒れていた。
「外に出られる……?」
そろそろと部屋から顔を出すと、長い廊下の先に外の景色が見えている。ロアンの他には誰もいないようだ。
「……ここから、そとにでて。そのまま……『おもて』にもどれば、にげられるよ……」
「『表』……元の世界に逃げる……」
「うん」
そっか……これなら、他の人に見付からずに行ける。
あれ? でも……そもそも、ロアンが何で…………
「……何で僕のこと助けてくれるの?」
思わず口をついて出た。
「リィケ、ボクのことたすけてくれた。シザーズ……たおした」
「助けたのは、お父さんなんだけど…………」
「うん、ルーイが、いってたの。リィケのほう、さきに、たすけたほう、いいから、って……」
「……………………」
ルーイとは、あの狼の面を被った精霊使いのことだ。確かに、ルーシャはリィケを助けるのを優先させたいはずだろう。
「なら、僕がお父さんを助けないと……」
「………………」
あの僧侶長と呼ばれていた男は悪魔が化けたものだ。もしかすると、殺された司祭はそれに関係していたのかもしれない。
「あの人が悪魔なら、殺人事件なんて調べない……」
きっとルーシャはひどい目にあっているはずだ。
リィケは逃げるよりも、ルーシャを探す方を優先することにした。逃げた先でトーラストへ連絡をするのにも、通話石を使わなければならない。法術の使えないリィケが通話石を使うためには、教会関係者に頼むことになってしまう。
「そんなことしたら捕まっちゃう……」
「…………つかまったら『ディメンション』つかえば、いいとおもう、よ? うらのせかいは、カギ、かかってないし、ヒトもアクマもいない、よ?」
ロアンは再び、クキンと首を傾げた。
いざとなれば『神の欠片』を使えば良い。と言っているのだが、どうやらロアンはリィケがその能力を当たり前に使えると思っているようだ。
「いや……その、僕は『神の欠片』はよく分からないの。最近使えるのが分かったばかりで、使いこなせてはいないんだ……」
「…………つかえ、ないの?」
「うん、上手には無理……」
「んー……」
ロアンは腕組みをすると、目を閉じて天井を仰ぐ。
何となくその動作をじっと見てしまうリィケ。
なんとも説明し難いようだ。もしかすると、ロアンは息を吸うように当たり前に、能力を使っているのかもしれない。
「……いっかい、め、とじて、あけると、せかいがちがう……?」
「……………………」
やはり、ロアンに説明を求めるのは難しい。この説明では、かなりお手軽にできるように思えてしまう。
しかし、他に手掛かりもないので、リィケは今言われたことをやってみることにした。
一度、目を瞑って、開く……!
「……………………?」
もう一度。
「………………」
もう一度……。
「……あ!」
一瞬だけ、景色がブレた。
ボロボロの部屋にフィルムを重ねたように、元の部屋が見えたのだ。
「これって……『表』の世界?」
「……みえたの?」
「う……うん」
「じゃあ、ここ、でて。もどれる」
崩れた扉をまたぎ、廊下に出る。
そうだ……僕の銃を返してもらわないと。
リィケは隣の部屋を覗く。しかし、そこもボロボロの部屋であり、壁のコート掛けのあった場所には何も掛かっていない。
「僕の銃がここにあったんだけど…………」
ロアンはじぃっとリィケを見つめた後、こっくりと固い動きで頷く。
「……だれかいないか、みて。もどったとき、みつかっちゃう」
「うん、分かった……」
先ほどの要領で景色を二重に映す。
元の世界では、部屋のイスに見張りの中年僧侶が座っていたが、座ったままうとうとと居眠りをしているのが見えた。
「あ、おじさん寝てる! よし……今のうち…………って、どうやって戻るの?」
「リィケ、ここにくるのに、もどれない……?」
再び、ロアンは天井を仰いで考え込んだ。
「…………じゃあ、ボクがおしえる。リィケのおとうさん、ボクもさがす。いい?」
「うん、いいけど……」
今まで教えてくれていたのでは?
リィケは疑問に思うが、せっかく自分のためにロアンが考えているのを、遮るようなことはしないよう黙っている。
ルーシャのことを探すのまで手伝ってくれるというなら、今のリィケにはありがたいとしか思えない。
ロアンが手招きをしてリィケを呼んでいる。
「リィケ、こっち、きて」
「うん、なぁに?」
がしぃっ!
「ふぇっ!?」
「じっと、して」
ロアンは正面からがっちりと、リィケの頭を両手で固定してきた。かなり力強く、リィケの頭はびくともしない。
こつん。
困惑するリィケを気にしないで、ロアンは自分の額をリィケの額に当てる。
「え~と……ロアン、痛いんだけど……?」
「…………ミストル……ティン……」
パリィッ!!
二人の足元から、細く紅い稲光のようなものが発生する。その途端、まるで小さな嵐が起こったように、リィケの周りに風が吹き荒れた。
「うわぁっ!!」
風が埃や木屑を舞い上げ、リィケは思わず目を閉じる。
風はすぐに止み、ロアンが頭を押さえ付けていた手の感触もなくなった。
再び静寂が訪れる。
『……何が……?』
「め、あけるよ?」
『え?』
ロアンの声にリィケのまぶたが開いた。
リィケの目の前にはロアンがいない。
『あれ? ロアン、どこ?』
「だいじょうぶ、ここ」
『え? あれ?』
ロアンが目の前にいない。しかし、声がする。
……何で?
リィケは辺りを見回そうとしたが、身体が動かない。
しかし床に立つ感覚や、手足や首に通る軸の感覚はリィケの中でちゃんと分かっていた。
「さいしょ、ぶきとればいい?」
『……うん。あの……ロアン? 君、今どこ……っうわ!』
自分の身体が急に動いたことに、リィケは驚いて声をあげる。しかし、その声は音として外に表れなかった。リィケは自分の意識とは関係なく、身体が動いていることに気付いて驚愕する。
「『ミストルティン』…………ほかのヒトのからだに『はいる』のうりょく…………」
『え…………じゃあ、今の僕は…………』
廃墟の部屋をリィケが歩く。
しかし、様子はいつもとは違う。
顔は無表情になり、目もどことなく虚ろである。
いつもは、ちょこちょこと落ちているものを避けていく歩き方も、ザクザクと木の破片を気にすることなく踏み砕いていた。
リィケは今まで居た部屋の隣の部屋へ足を踏み入れて、頭を上げ静かに目を閉じる。
パリッ…………。
小さな音と共に小さな赤い稲光がリィケの周りを走る。
部屋の景色がグニャリと歪んで、あっという間に小綺麗な一室になった。狭いカウンターの側のイスには、小太りの中年僧侶が腰掛け居眠りをしている。
「リィケ、あの、かわのベルトの?」
小声で壁に掛けられたガンホルダーを指差し、音をたてずに近付いていった。
「……よいしょ…………」
背の小さいリィケは、懸命に爪先立ちで手を伸ばしてベルトを取る。しかし、途中でよろけてしまい、ホルダーが側で寝ていた僧侶に勢いよくぶつかってしまった。
「ふが~………………痛いっ、うわ! 何だ!?」
僧侶がイスから転げるように飛び起き、目の前に立っていたリィケと視線が合う。
「はっ!? 何で君がここ――――ぐふぅおっ!?」
ズドォオムッ!!
下方斜めから小さな拳が、鋭く僧侶のみぞおちを捉えた。メリメリと不安になる音をたてて、容赦なく拳が突き上げられる。
僧侶はくの字に身体を曲げて、少しだけ浮き上がった後に、俯せになって床に倒れ込んだ。
『ろ……ロアン!? やり過ぎ!! 死んじゃう!!』
鈍い音にリィケ…………“意識内のリィケ (本人)”は叫びをあげる。
「……ん~……」
それに対してリィケ……“リィケの身体を使っているロアン”は、片足で倒れた僧侶を仰向けにひっくり返し見下ろしていた。
「だいじょうぶ、ぶじ。しんで、ない……」
『うぅ、無事じゃない。死んでないけど、大丈夫そうに見えない……』
僧侶は大量の泡を口から吐き、白眼を剥いている。
とりあえずピクピクと痙攣しているので、生きていれば大丈夫だとロアンは判断したらしい。
…………後で死んじゃってたらどうしよう。
無実を訴える前に、他の殺人を起こすわけにはいかない。リィケは内心、ロアンのざっくりとした行動が不安になった。
しかし、今はこうでもしないとすぐに捕まるのも、目に見えている。さらにリィケの身体はロアンが主導権を握っているため、彼が危害を加えようと思えば、リィケには抵抗する手段は全くない。
それに、もしかしたらロアンから、レイラのことを聞けるかもしれない。
ここは……ロアンを信じよう……。
リィケは全てを受け入れる覚悟を決める。
ロアンが目を閉じ、再び『裏』に舞い戻った。
「アクマ、いっしょなら、たぶん、この、きょうかいにいるよ……」
『うん。行こう……!』
外への入り口に背を向けて、『リィケ』とロアンは走り出した。
クラストの町、町長の屋敷。
「……教会から何も連絡はなかったのですか?」
メガネを掛けた少女……ミルズナは、クラストの町の町長にため息交じりで尋ねた。
「申し訳ございません……いや、その……連絡はあったのですが……えと……」
「そう、で? 進展は?」
昨日、町や教会の異変に気付いたミルズナだったが、状況が分かるまで屋敷にいるようにと、午後から町長に引き留められている。
屋敷の一番良い客室に丸一日押し込められ、豪華なイスに腰掛けながら、うんざりしているところだった。
「あ、いや、教会からはまだ調査中とのことで…………なんとも…………はい……」
「ふぅん……?」
ミルズナはおろおろとする町長を気だるげに見上げる。
「分かりました。私も、昨日到着してから体調が優れません。申し訳ありませんが、明日まで休ませてもらっても良いでしょうか?」
「は、はいっ! それはもちろん、屋敷で自由にくつろいでいただいて構いません!」
「では、何か有りましたら、部下が対応いたします」
「はい、承知いたしました。どうぞ、ごゆっくり……」
ミルズナを屋敷に留めておくことに成功した町長は、ほっとした様子で部屋を出ていった。
「……どう、思います?」
「町長は何も知らず、教会の言いなりになっていると思われます。あの様子では、やはり式典までここを出られないかと……」
ミルズナの近くへ来たのは、白と赤を基調にしたローブを着た金髪の青年。部屋の隅に控え、町長とミルズナのやり取りをじっと見ていた。
「そうね。私に探られては困ることが、クラストの教会にはありそうですね。このままでは明日、適当な報告で誤魔化されることでしょう……」
メガネのフレームを押さえ、ミルズナは不適な笑みを浮かべる。
「申し訳ありませんが、部下の誰かに私の『身代り』を頼んでください。私が直接、教会へ赴きます。当然、あなたも行きますよね?」
「ミルズナ様。決定ならば御命令を」
「…………そうね」
青年はミルズナの正面に来ると片膝をついた。
「コホン。では、命令です。ライズ、私と共に来なさい」
「…………はい」
「【聖職者連盟】本部長である私に、仇なそうとする者全て叩き伏せることを許可します」
「…………はい、承知しました」
少しの間の後、二人は静かに立ち上がった。




