太陽なき夜明け
――――もう、どのくらい時間が経った?
ルーシャが目を覚ましてから、体感的には一日経った気がするが、おそらく、数時間というところだ。
気絶している間に服や『宝剣レイシア』も奪われていて、今身に付けているのは簡単なシャツとズボンだけで、ブーツもなく裸足である。
素肌に壁が当たる度に、ヒヤリと氷のように冷たい。
たぶんここは地上より下であり、見た目通り石造りの牢獄なのだ。
遥か頭上の空気穴に、先ほどから徐々に光が入り始めてきたので、夜明けがきたことだけは分かった。
…………現場検証どころか、すぐに投獄されるなんて。
壁や床の石の感じから、おそらく古い建物。
この町で古いのは教会だ。
教会の地下…………こんな場所が?
上から光が入ってきたためか、周りの状況が確認できるようになった。
まず、ここは牢屋であり、部屋の数はルーシャが見える範囲で六つ。三部屋並んだ向かいにまた三部屋。真ん中にある通路は、片方が奥に伸びているが片方は行き止まりであった。
ルーシャは並んだ三部屋の真ん中。両脇の部屋は分からないが、斜め向かいの一番奥の牢屋には人の裸足が見えている。
「……そこに誰か居るのか? おい……!」
できるだけ声を抑えて、斜めに呼び掛けてみたルーシャだが、足はピクリとも動かない。
何度か呼び掛けて、ルーシャは諦めることにした。
少しだけ明るくなった牢屋で見えてきたのだ。白く浮かび上がるその足が、すでに時間の経った死者のものであることに。
勘弁してくれ……生きているのはオレだけか?
さらに日が射して明るくなったため、ルーシャの向かいの牢屋が見えた。壁の鎖の先に繋がれたボロ布が『元・人間』であることに気付く。
足の見えている牢屋の反対側の、斜め向かいの牢屋もボロ布が見えたのでたぶん同じだろう。
あの冷たい目をした僧侶の正体は悪魔であり、トーラスト支部へ連絡をすることは絶対にない。
しかし、何事も無ければルーシャたちは、祭りが終わって二日後に、トーラストの街に戻る予定になっている。
一週間も帰らなければ、トーラスト支部でクラストを不審に思い調査が入るはずだ。
それまで待つのは……無理。たぶん死んでる。
誰かトーラストへ連絡できればいいけど。
クラストの教会……いや、例え教会じゃなくても、牢屋があって、そこに死体が転がっているのは普通ではない。
オレがその牢屋に入れられたということは、釈放どころかまともな調べはなしだな……。
むしろ、口封じをされると思った方がいい。
クラストに来ているのはルーシャだけではない。この異変にレバンあたりが気付いて、すぐにトーラストへ連絡を入れるのを期待するしかないだろう。
本来なら、クラストの教会はいくらルーシャが容疑者でも、聖職者連盟の本部やトーラスト支部に報告も無しに、刑の執行や投獄などはできないはずだった。
それに司祭であるルーシャが逮捕されれば、クラストだけの問題ではなく、本部での『聖職裁判』という特別な裁判方法で判決が下される。クラストの教会が独断でルーシャを処断すれば、クラストの教会そのものが罰せられるはずだ。
しかし、相手が悪魔の化けた者たちならば、そんな理屈はねじ曲げるつもりだろう。
それとも、誤魔化しきれる策でもあるのか。
…………リィケは大丈夫だろうか?
たぶん、この牢屋に連れてこられてはいない。別の場所に連れていかれたと思われるが、自分のような目に合ってはいないだろうかと、ルーシャは心配になった。
もし、何か調べられたりすれば生ける傀儡であることがばれてしまう。
さらに【サウザンドセンス】であることも知られれば、奴らはリィケをどう扱うかわからない。
「…………まずい。リィケを救けないと……」
ここを抜け出して、リィケと合流を……でも、どうやって?
鉄格子の中、鎖で繋がれている。しかも宝剣まで奪われてしまった。
ガシャンッ!
腕や足の鎖を引っ張り枷を外そうともがいてみるが、金属製の拘束具はびくともしない。
試しに片手に法力を溜めてみたが、溜まりそうになると力が抜け、法術を発動させるまでに至らなかった。
「……っ!? 熱っ!!」
法術が出ない代わりに、腕にはめられた手枷が物凄い熱を持ち火傷しそうになる。
これは……魔法封じの特殊金属か。
壁に鎖で繋がれ、武器も無く法術も使えない。
「…………何でもいい、考えろ」
思考を止めたら終わり……そう、思っていると、奥の通路から足音が聞こえてきた。石の壁に音が反響して、正確な足音の数は判らない。
静寂の中に置かれるよりマシか……?
ルーシャは枷に繋がれた拳を握った。
夜が明けたばかりの早朝。
「だーかーらー!! 何でこんな事になってるのさ!? 話の解る人間連れてきてくれって言ってるじゃないかっ!!」
「そ、そう言われましても…………」
早朝、クラストの教会の会議室の隣の小さな部屋で、トーラスト支部祭事課の司祭レバンは、物凄い剣幕でクラストの僧侶に詰め寄っていた。
「ルーシャくんとリィケくんが、殺人の容疑者っておかしいだろ!? あの二人は昨日クラストに着いたばかりだし、悪魔倒しても人間殺す理由がないんだよ!! トーラストに連絡は!? それとも、他の容疑者が見付かるまで拘束でもしてるのかい!?」
「で……ですから、私にそう言われましても~……」
レバンに責められている若い男性僧侶は、半泣きになりながらひたすら首を横に振っている。どうやら新人らしく、教会に来ている他の支部の人間の名前を聞くだけの係になっていたようだった。
ああ、もう!! この子じゃ話にならない!!
普段は誰にでも穏やかに接しているレバンだが、この時ばかりはニコニコとしている訳にはいかなかった。
レバンはルーシャたちと別れてから、ハーヴェ支部の司祭と一緒にクラストの町長の所へ挨拶へ行った。
予定では、町長の屋敷に教会の代表である司祭長もいるはずだったのだが、時間になっても彼が来る気配がない。
おかしいと思っていると、町の中で悪魔出現の騒ぎがあった。
しかし、すぐに退治課のルーシャたちが動いて、騒ぎを静めたと聞いて安心したのも束の間。
そのルーシャが、何故か閉まっていたはずの教会の大聖堂に忍び込み、何故かそこで式典に向けて準備をしていた司祭長を殺した――――と、いうのだ。
しかもそれが判明したのは、ハーヴェの退治員と食事の約束をしていたルーシャたちが時間になっても来ないと、レバンのところへ男二人が尋ねてきたことが、クラスト側へ聞く切っ掛けだった。
クラストの教会の者たちは、レバンが尋ねるまで事件を公にしていなかったのだ。
すぐにルーシャに会わせてもらうようレバンが言うと、何を思ったのか、クラストの教会側はトーラスト支部とハーヴェ支部のメンバーを全員拘束し、この会議室に無理矢理閉じ込めた。
それが日付けの変わる前で、そこから一人一人身元の確認をされて、今現在に至るというわけだ。
ちなみにレバンは呼び出されてから二時間ほど、事の真相を知ろうと、身元を質問してきた僧侶を逆に質問攻めにしてきたところである。
「…………まさか、ルーシャくんを殺人犯にするなんて。一体何を考えているんだ……!!」
全く話し合いにもならずに、隣の会議室に押し込められたレバンは沸々と怒りを洩らしている。
「……心中御察しします。トーラスト支部の神父様がこのような目に合われるなんて……。私共も何か協力できれば良いのですが…………」
心底、申し訳なさそうな顔をしてレバンに話し掛けたのは、ハーヴェ支部の牧師だ。今回、ここに来たハーヴェ支部のメンバーをまとめている。
見た目は穏やかな五十代くらいの女性牧師で、レバンとはよく仕事で顔を合わせていた。
「いえ、カナリア様やハーヴェの皆さんは何もしていないのに、ここに閉じ込められたでしょ? こちらの事はこちらで解決するようにします。どうか少しでも、体や気を休めてください」
「しかし…………」
ここは教会の中にある会議室で、そこそこの広さはあるのだが、今は三十人以上がぎゅうぎゅうに詰め込まれている。
ルーシャが容疑者にされたことで、トーラスト支部の者だけではなく、一緒の汽車で来ただけのハーヴェ支部の者たちまで、この部屋に軟禁されたのだ。
「悪魔……いや、悪魔に似た精霊を倒した後、兄貴が全く見あたらなくなって……」
「見付かったと思ったら、殺人の現行犯で押さえられたとか言われて…………くっ! うぉおお~っ!」
ゴツい中年男が二人で抱き合って「ルーシャの兄貴ぃぃ~!」と泣き叫んでる姿に、レバンは内心思い切り引いたが、今は味方になってくれているだけでも心強いと思わなければならない。
「でも、私たちはいつまで拘束されるのでしょう? 明日には祭の式典も始まる予定だったのに、クラストの教会もこれでは中止にせざるを得ないでしょうね……」
「式典か……もしかしたら、ボクらトーラストもハーヴェのみんなも、全員それまでこの部屋に………………ん?」
全員……と言った時、レバンは何かが心に引っ掛かる。
「…………あれ?」
所狭しと詰め込まれ、その場に座るのがやっとの面々を見渡し、レバンは首を傾げた。
そしてパンパンと手を叩くと、部屋にいる全員の注目を集める。
「え~と、呼ばれた人は、黙って手を挙げて~! いいね? …………はい、ハーヴェ支部のみなさーん!」
カナリア牧師、退治課の二人の他に十名ほどが手を挙げる。
「次、トーラスト支部、祭事課三班~!」
十名が手を挙げる。これはレバンの班であり、彼を入れたら数が合うので全員いるということだった。
「じゃあ、トーラスト支部、祭事課四班は~?」
はい。と、やはり十人の手が挙がる。
「はい、オッケー! 大丈夫だね! 誰も欠けてないねー!」
レバンはやたら大きな声で言った後、今、手を挙げた四班の僧侶を一人近くに引っ張り座り込んだ。
外に通じる扉や、窓のところに人の気配がないか探り、小声で僧侶に話し掛ける。
「…………君らの『班長』はどこ行ったの?」
祭事課の班は、だいたい十人の僧侶や司祭と一人の班長の司祭で構成されるのだ。
つまり全員で最大、十一人いることになる。
今回、クラストに来ている、トーラスト支部の祭事課の班は三班と四班の二つ。だから、班員二十名と班長二人なのだ。
「…………あの、実は……」
僧侶は小声でレバンに答える。
ひそひそとレバンたちのやり取りは続き、やがてレバンが顔を上げると、そこには眉間にシワを寄せ苦悩するような表情があった。
「彼、見付からないとは思うけど……大丈夫かなぁ……」
もちろん小声で。
外に聞こえないようにレバンは呟いた。
時は少し遡り、夜明け前。
「…………くー……くー……」
リィケはイスの上で寝息をたてていた。
そこへ、トントンと肩を叩く者がいる。
しかし、リィケは気付かない。
もう一度、叩くが起きない。
もう一度…………。
「リィケ、おきてっ…………!」
「……っ!?」
ガラガラガラッ!!
リィケの座っていたイスごとひっくり返される。
さすがに痛覚などがないリィケでも、これには気付き目を覚ました。
「えっ!? 何っ!? 地震!?」
ひっくり返ったリィケの目に入ったのは、ボロボロになっている部屋の床や壁だった。
ここは…………?
リィケはそれが何を意味するのか、寝惚けている頭で考えた。しかしその答えを導く前に、リィケを見下ろす人物がいることに気付いてしまった。
「あ…………」
「リィケ、おきて。いくよ」
ロアンは相変わらず無表情に、リィケの顔を覗き込んでいた。