告悔室のリィケ
リィケが入れられたのは、人がひとり入れるくらいの小さな部屋だった。そこには場所に不似合いな立派なイスが置いてある。
「僧侶長様から指示があるまで、あなたは此処にいてください。えっと……何かあるときは、そこのカウンター越しに言ってもらえれば分かります」
若い僧侶はそう言い残し、小さな部屋の扉から出ていく。
ガチャガチャと鎖が鳴るような音がしたので、扉は外から鍵が掛けられたのかもしれない。
カウンター……?
部屋の三方は何もない壁だが、イスの正面はカウンターになっていて、水差しとコップに簡単な膝掛けが置いてあった。
カウンターには小さなカーテンが掛かっている。それをめくると小窓があり、ガラスの代わりに金網が取り付けられていた。
金網ごしの隣の部屋も同じような部屋だが、あちらには扉がなく、出入り口がカーテンで仕切られているようだ。
「あ……僕の銃……」
隣の部屋の壁、コート掛けにリィケの銃ホルダーがぶら下がっている。さっき没収されてしまっていたのだ。
ルーシャ……色々聞かれて困ってないかな……。
ルーシャの心配が先に立つが、まずは自分のいる状況を確認することにした。
リィケが居るのは『告悔室』または『懺悔室』と呼ばれる部屋であり、聖堂から離れた屋外に通じる廊下に面した場所にあった。
おそらく、リィケのいる方に神父が居て、自由に出入りできるあちら側に、迷える子羊が座り悩み相談や罪の告白をするのだろう。
リィケは腕組みをしてその場で考え込む。
ルーシャも僕も、確かにあの場所で悪魔に会ったんだ…………でもきっと、ルーシャは僕を守るため、全部を話すことはしない。
でも、それじゃ……ルーシャは放してもらえないんじゃないか……?
ここを抜け出してルーシャに会いに行きたいと思った時、近くで誰かの気配がした。
金網の向こうの部屋を覗き見ると、見張りの僧侶らしき人物が入ってくる。小太りの中年の男性で、リィケと目が合うとため息をついて困ったような顔をしていた。
「はぁ……。こんな子供が容疑者なんて……何を考えているやら……」
「…………僕たちは何もしていないよ?」
「あぁ、まだ聴取をしていないからな。今私が簡単な質問はするが、君のちゃんとした検証は明日になるかもしれないよ」
『明日』という言葉に、リィケは不安が過る。
それはつまり、ルーシャは今日いっぱい解放されないということだ。
男性はメモの用意をして、リィケに基本的な質問をすると言ってきた。
「えーと、君の名前は? トーラストの退治員らしいが、僧侶の資格はある?」
「あ、はい。僕の名前はリィリアルド・フォースランです。僧侶資格はありません…………今日、ここに来たばかりです……」
フムフムと頷きながらペンを走らせていく。
「現場に一緒にいたのは誰かな?」
「僕の退治のパートナーのルーシャです。本名は、ルーシアルド・D・ケッセル」
ピキーン。
男性はルーシャの名前を聞いた途端、目を見開いて顔がひきつり動きが急に止まる。
まるで、氷の魔法でも食らったように凍り付いた。ギギギ……と、震えながらリィケを見るその表情は、聞きたくないものを聞かなければならない覚悟が見てとれる。
「まさか……君といた銀髪の人……。もしかしなくても、ケッセル家の…………」
「はい。ルーシャはケッセル家の魔王殺しです」
「う……じゃあ彼は、トーラスト支部の支部長のお孫さんじゃないか……」
この男性はリィケに対して、上からものを言うことはしなかった。むしろ対等か下から接してくる。それがよけいに、リィケには可哀想に思った。
男性は汗をハンカチで拭きながら、リィケをチラチラと見ていたのだが、その表情はだんだん青ざめていく。
そういえば、レバン神父が言ってたっけ……。
クラストの教会はケッセル家の人間をあまり良く思っていない……と。
この男性の態度を見ていると、良く思っていないというよりは『頭が上がらない』という感じに見えた。
しかし、これはリィケにとって好機である。
ここで男性の弱味を突けば、事態を少しは変えることができ、情報も入るかもしれない。
リィケらしい考えに置き換えると『おじさんに味方になってもらおう!』となる。
瞳をキランと光らせ、リィケは男性僧侶を金網越しに見上げた。
「うん。支部長と支部長補佐官は、ルーシャのおばあちゃんとおじいちゃんだよ。ケッセルの家もいつかはルーシャが継ぐだろうって、皆が言ってる」
うぅ……と、呻く声が聞こえ、男性は顔を伏せる。
「まずい、まずいぞ……やっぱり、トーラストに連絡を入れた方が……でも、僧侶長の許可なく勝手はできないし……」
ぶつぶつと俯く男性は、まるでリィケに向かって懺悔をしているように見えた。もしかすると、やりきれない不満を誰かに言いたかったのかもしれない。
リィケは男性を見つめ小さく拳を握った。
少し意地悪するけど、ルーシャのためだ!
「でも連絡しないと、ケッセルのおじいちゃんたちに怒られるよ?」
「でも、僧侶長の不信を買うわけには…………」
「でも、どっちも怒られるなら、知ってる人に怒られた方が良いと思うよ?」
「あぁ、分かってはいるのだが……でも、でもなぁ…………」
男性は『でも』を繰り返す。
リィケは首を傾げて、その男性の態度を観察した。
「あの、クラストの教会の僧侶さんたちは、その僧侶長さんが何でそんなに怖いの?」
「怖い…………あぁ、確かに僧侶長のベクターはおっかないな。何で……って言われると………………」
男性は『あれ?』と天井を見上げた。
その様子にリィケも眉をひそめる。
「僧侶長さんって司祭? それとも先輩?」
「いや……私と同じ僧侶だ。彼は五年くらい前にここに来たんだ。私はこの教会に三十年勤めている。そうだ、私の方がずっと…………」
男性の顔からスッと怯えが消えた。
「そうだ、そうなんだ。僧侶長という立場だって、今回亡くなった司祭長様が、何故かアイツを気に入って勝手に決めたものだ。こんな全部を仕切る権限なんてない!」
立ち上がった男性は、さっきまでのオドオドしていた様子が嘘のように、表情は明るく強さがみなぎっている。
「よし、今すぐトーラスト支部に連絡しよう! そうすれば、然るべき機関の人間が派遣される。こういう事は第三者に検証をしてもらって……」
そう言って振り向いたが、彼の後ろには他の僧侶が立っていた。
「…………どこに行くのですか?」
「あ…………いや、その……私は…………」
無表情の冷たい視線が男性を射貫いた。
僧侶長のベクターがそこに立っている。
「この子にまだ質問をしていないではないですか? ちゃんと自分の職務を果たしていただきたいものですね」
「い、いや、待て……やはりトーラスト支部に連絡を…………」
萎みそうになっていた男性だったが、懸命に僧侶長に食らい付いているのが分かった。
僧侶長が口の端だけを上げる。無表情が崩れ、男性にその顔を異様なくらいに近付けた。人差し指を男性の喉元にあてがうと、男性は「ひっ!」と小さく声をあげて固まる。
「連絡を、したところで、この事件は解決できません。トーラストの介入は邪魔です。…………余計な感情が湧くのなら、お前は、見張りだけ、していろ。いいな?」
「…………………………はい」
まるで奴隷に言うような冷ややかな声。
男性は虚ろな目で近くのイスに、脱力したように腰かけた。先ほどの明るい表情はどこにもない。
男性の体が下へずれたため、僧侶長の姿がリィケの正面に見えた。
「っ……………………!?」
リィケは思わず叫びそうになり、口を手で覆う。
僧侶長に重なるように、透けた『異形の者』が見えた。それは廃墟の教会で死んでいた悪魔に酷似している。
座り込んだ男性の体の表面から、白い靄のようなものが漂い、それは一気に僧侶長へ流れて消えた。すると、悪魔の姿は薄らいでいき、元の無表情な僧侶長に戻った。
――――何? 今の…………。
リィケは口を塞いだまま、金網越しからその様子を見るしかない。
「…………どうかしましたか?」
「いえ…………」
僧侶長は目を細めてリィケをじっと見つめた。
リィケは俯いて目を逸らす。
「……まぁ、いいでしょう。あなたには明日の昼までには話を聞きます。それまでこの部屋で大人しくしていなさい」
「は……はい……」
リィケが返事をした時には、僧侶長は既に部屋を出て行っていた。
彼が近くにいないと確信したリィケは、目の前で座り込む男性僧侶に声を掛ける。
「……おじさん! ねぇ、おじさん大丈夫……!?」
「…………あぁ、坊や。静かにしなきゃダメだよ」
「おじさん?」
「静かに……静かにしてくれ…………」
男性は『静かに』と繰り返し呟き、生気のない様子で項垂れた。最早リィケが呼び掛けても、まともな返しができないようだ。
何か、されたんだ……あの悪魔に。
リィケは小窓のカーテンを閉めてイスに座る。
自分の置かれている状況が、悪魔の監視下だということに恐怖を感じた。このクラストの教会は、彼らに乗っ取られていると確信する。
「……ロアンはそれを知っていた?」
黒髪黒服の赤眼で隻眼の少年の姿が浮かぶ。
狼の面を被った背の高い男性も。
そして、金色の瞳を持った『母親』の姿。
ロアンたちはここで何かを行っていた。目的は分からないが、計画的に悪魔と戦っていたのだ。
しかしだからといって、彼らが味方である保証はなく、むしろ母親を殺した仇である場合の方が濃厚だろう。
「お母さん…………僕、どうやってお父さんを救ければいい?」
顔を伏せて祈るような姿勢で呟く。
リィケは自分が退治員として有名なケッセル家の者だと、ラナロアに聞かされながら訓練をした。だが、最近はルーシャとの違いに少し悩むようになった。
リィケはルーシャを始め、自分の親戚となる人間はケッセル家の者としか会ったことがなく、母親の家系であるフォースラン家とは接触したことがない。
レイラの父親、つまりリィケの祖父もまた名のある退治員で、フォースランの家は代々『聖弾の射手』と呼ばれるほどの腕のたつ銃使いだった。
このため、リィケが持つ武器を銃に決めたようなものだ。
しかし、母親のレイラもまた退治員であり、銃や法術の腕はそれほどでもなかったらしい。
レイラは『聖弾の射手』の名を継いでいた銃使いのはずだったのだが、その名はあまり浸透せずに『鋼拳の淑女』と呼ばれる武闘僧としての方が有名だったと、リィケは聞いていた。
父親とその家系は代々『魔王殺し』と呼ばれる大剣士。
母親は『鋼拳の淑女』と呼ばれた武闘僧。そして母は『聖弾の射手』のフォースラン家でもある。
「これは…………」
リィケは至極真面目な顔で考えた。
「僕も……頑張れば、イケる……!?」
ハッとして立ち上がるが、イケるのはリィケの将来的な可能性の話である。それでも、今はそれを奮起する材料にしたかった。
――――ここから抜け出してルーシャを探す!
「……………………どうやって?」
リィケは再びイスに腰掛け、ぐるぐると頭の中をフル回転させる。しかし、少しするとイスの肘掛けにもたれ掛かっていた。
「…………………………ぐぅ……」
昼間の戦闘や知らずのうちに使った能力のせいで、人形の体のエネルギーはすっかりなくなったらしい。リィケはイスの上ですやすやと寝始めてしまった。
リィケが眠ってしまった頃、辺りはすっかり暗くなっていた。
祭の期間中、この教会の扉は閉ざされている。
周辺はもちろん、教会の建物の内部も、僧侶の寮などの施設以外は静まり返っている。
「…………う…………」
小さな呻き声が響く。
そこはロウソクの灯りだけの場所。
ジャラリ、石造りの壁から伸びた鎖が鳴っている。
「ここは…………」
かろうじて光が届く範囲に鉄格子が見え、ここがどこかの牢屋であると分かった。
「なんで……こんな所に……? っう……いてて……」
殴られた首が痛み、手を当てようとすると自分の手首が鎖に引っ張られる。
自分が置かれた状況がどんな事を意味するのか。
ルーシャがそれを知るのは、壁の窪みに置かれたロウソクが燃え尽きる頃だった。




